あらすじ/ネタバレ/雑学
第1回
第1回の視聴率は良かったようだ。前年の「篤姫」の第1回と比べての話しである。そりゃそうだ。なにせ主人公を演じるのが妻夫木聡だからね。第1回だけでは面白いのかどうか全く分からない。問題はこれから。
昨年の「篤姫」は出足は鈍かったものの、徐々に視聴率を伸ばしていって、安定した視聴率をかせいだ。さて「天地人」はどうなるか?
とりあえずの感想だが。
オープニングは昨年の方が良かった。音楽も昨年の方が良さそうな感じである。
昨年は脇役の活躍がドラマ全体を盛り上げてくれたが、第1回を見る限り、期待できそうなのは「あき竹城」くらいか。
山形が絡むと、しゃにむに出てくる「渡辺えり」(旧芸名:渡辺えり子)姐さんが登場してくれれば、それはそれでとても楽しそうなのだが…
とても期待しているのが上杉景勝役の「北村一輝」。怪優ぶりを発揮して頂戴!
第2回
少年時代の兼続と景勝の姿を描き終え、青年へと成長した兼続と景勝が登場した。
いよいよドラマが始まった。
青年・兼続の登場は、十五年前の川中島の合戦のおりに上杉謙信が本陣を敷いた妻女山に登るシーンから始まるが、原作では弟・与七と二人で登ることになっており、泉沢又五郎久秀ではなかった。
早くも原作の設定を無視した展開となっている。
また、この妻女山を登ったあとに、初音との出会いがあるのだが、これも次回以降に持ち越されている感じである。
原作無視はNHK大河ドラマのオハコなので、またかという気がするだけだが、いっそのこと「原作」をつけるのをやめて「参考文献」にでもしたほうが宜しいのではないかと思ってしまう。
さて、昨年の「篤姫」では原作に一切登場しなかった小松帯刀を登場させ、なおかつ、三枚目のような若干頼りない家老像を描き出してしまった大河ドラマだが、今年の「天地人」では、あろうことか主人公を「泣き虫」にするつもりのようだ。
泣き虫というよりは「情に篤くて涙もろい」ということなのだろうか?
仮にそうだとして、「情に篤い」ことと「義に篤い」ということはイコールではないし、さらにこれらと「涙もろい」をイコールで結びつけるのは全くもって意味不明である。
何をしたいんだか?
とまれ、まだ二回の放送だけである。
これからに期待しよう。
不安なのは、視聴率が今後だらだらと下降線をたどることである。
昨年は徐々に視聴率を上げていった作品だった。だが、今年が同じ傾向を踏むとは限らない。
初回の視聴率の良さというのも、昨年の大河が良かっただけに、その期待感が多分に含まれている気がしてならない。
どこかで爆発的なインパクトのある人物などを登場させないと、既にマズイ気がしている。
第3回
第2回の感想で「青年」になった兼続と景勝と書いてしまったが…
「これはしたり」
二人はまだ少年だった。
直江兼続が生まれたのが1560年とされており、武田信玄が死んだのが1573年ということだから、第3回の兼続は13歳ということになる。
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無理です!
絶対に無理です!!
13歳と偽るには老けすぎてます!!!
一方で、将来の兼続の正室となるお船(おせん)も登場。
こちらは1557年生まれとされているから、この時16歳。
・
・
・
ダメです!
絶対にダメです!!
16歳と嘘をつくのはダメです!!!
まぁ、ドラマだからいいか。
それにしても「これはしたり」は少々耳障りだ。
「天地人」初音はいつの間に「姉」?
最近気が付いたのだが、いつの間に初音は原作通りに真田幸村の「姉」になったのだろうか?
たしか長澤まさみ演じる初音は真田幸村の「妹」ということでNHKのホームページでも紹介されていたと記憶している。
も、もしかして、間違えていたとか…
そんなはず無いよね。
第4回~第6回
妻夫木聡=樋口兼続(直江兼続)十七歳。
初陣の巻であった。
この第6回の放送で多用されたのが、スポットライトをあてた場面。まるで舞台のような演出が何回も続いた。
印象的な場面を演出するためなのか、それとも、単に演出家の好みなのかわからないが、もう少しアイデアが欲しい所であった。
主君・景勝を侮辱された兼続が上杉謙信に蟄居謹慎を命ぜられて、上田に戻ることになった。
この時、兼続だけでなく、東幹久演じる泉沢久秀も同じ処分を受けるはずなのだが…。
さて…
ドラマで織田信長がこれほど長く登場し続けるとは思わなかった。
意外な思いでいっぱいである。
そして、まさか兼続が信長に会うという設定にするとは思わなかった。
意外を通り越して、やりすぎという思いでいっぱいである。
次はどんな思いにさせてくれるのだろうか?
ワクワクというよりもハラハラし始めている私がいる。
第7回~第11回
上杉謙信が死に、その跡目を巡っての「御館の乱(おたてのらん)」が始まった。
上杉景勝と上杉景虎による争いである。
ここから数回が、NHK大河ドラマ「天地人」の前半の見せ場である。
「御館の乱」の背景にあるのは、ドラマに描かれているように、上杉景勝の背後に控えている上田衆が勢力を増す事への反発である。
上田衆の発言権や勢力が強くなることを快く思わない者達が上杉景虎を担ぎ上げて対抗している。
上杉景勝方には、直江信綱の与板衆や斎藤朝信、河田長親といった上杉謙信の側近らが付き、さらには新発田氏、色部氏、本庄氏といった揚北衆がいる。
また、ドラマには登場しないが、上杉謙信の養子でもある上条政繁(上条上杉氏)や山浦国清(山浦上杉氏)も味方している。
一方の上杉景虎方には上田衆(上田長尾家)と仲の悪い古志長尾家が付き、北条高広や本庄秀綱らが付いた。本庄氏や新発田氏と仲の悪い揚北衆の一部も付いた。
越後以外の周辺国の大名家も味方している。まずは上杉景虎の実家である北条氏。ほかに同盟国の武田家、奥羽の蘆名家などである。
ドラマで描かれているように春日山城の本丸を制したのは上杉景勝側である。ちなみに本丸は実城(みじょう)と呼ばれていた。実城を制することによって上杉景勝は越後の支配者・上杉謙信の後継者としての正統性を主張することになる。
だが、上杉謙信には越後の支配者という側面の他に「関東管領」という側面もあった。これは上杉謙信が上杉憲政から引き継いだものである。そして、前関東管領の上杉憲政は生きており、住んでいた場所が「御館」だったのである。
上杉景虎が御館に逃げ込むことによって、関東管領・上杉謙信の後継者としての正統性を主張することになるのである。
上杉謙信の持つ二つの側面を、それぞれが持つことによって、それぞれが正統性を主張し、越後の内乱は泥沼化していくのである。
この「御館の乱」はすぐには終息せず、各地起った反景勝の運動の鎮静化には時間がかかることになる。
そして、この「御館の乱」が終息した後は、この時の論功行賞を巡って再び反乱が起きてしまうのである。
「御館の乱」とは実に長い期間に渡って越後を争乱の中に突き落とした事件であった。
第12回~第15回
前半のクライマックス「御館の乱」が終了した。
…なんだか、とってもあっけなくという感じ。
さて、このところ、大河ドラマ「天地人」が振るわない。
3回連続して20%を割っている。
巷では戦国武将ブームなどと言われているのにもかかわらず、苦戦している。
ちなみに、昨年の大河ドラマ「篤姫」は最初の数回がヒヤヒヤだったものの、一度も20%を切らなかった。
「天地人」が振るわないのは何となく予想していた。
ドラマが始まった当初、このブログでもそう書いた。
演出、キャスティング、脚本、音楽のすべてにおいて「篤姫」劣っているのだから仕方がない。
音楽、キャスティングは決まってしまっているので、変更の仕様がない。
これはあきらめるとして、演出と脚本はまだまだ変更の余地がある。
とくに演出だ。
主役をひきたてようとするあまり、あくの強い俳優の演技をつぶしているのがよろしくない。
とくに上杉景勝役の北村一輝だ。もっと自由に演技させたほうがいい。
NHKは昨年の「篤姫」が、個性派の俳優陣で脇を固め、自由に演技をさせたおかげで話題性が増したということをすっかり忘れているようだ。
もっとも、個性派の俳優陣の演技のおかげで、準主役クラスの何人かは存在感が薄れてしまったのだけれども…。
だが、脇役に食われてしまうのであれば、それはそれで、俳優としての力量の差なのだから仕方がないと思う。
ここは思い切って、主役が食われてもいい、という覚悟で演出を見直してみてはいかがだろうか?
第16回~第20回
このわずか5回の間の展開の早いこと早いこと…
「信玄の娘」で上杉景勝が結婚し、「直江兼続誕生」で兼続が直江家の婿養子となり、「義の戦士たち」で魚津城の戦いがあり、次いで「本能寺の変」、そして3年後の「秀吉の罠」となる。
はしょりすぎ。
正直、はしょりすぎ。
そんなに、小栗旬を早めに出したいか?ってくらいの、はしょりかた。
わかるよ気持は。去年に比べて、視聴率が伸びないものね。というより、徐々に右肩下がり…。
視聴率の悪さの原因として「直江兼続の知名度の低さ」がいわれているようだが、馬鹿を言え、それなら昨年の「篤姫」の天璋院のほうがよほど知名度が低い。
だが、「篤姫」の評判の高さは近年の大河ドラマの中では出色だったはずである。
「知名度の低さ」は言い訳にならない。
視聴率の悪さの原因はほかにある。
個人的には次の順番ではないかと思う。
1.脚本のまずさ
2.音楽のまずさ
3.演出のまずさ
4.キャスティングミス
さて、今のままでいくと、これからの後半は10%の後半をウロチョロしそうな気配である。
第21回
週刊朝日2009年05月29日号に『「天地人」はこんなにヘンだ!』という記事がある。
…私にしてみれば、なにを今さらという感じであるが、ヘンだ!と思う人が他にもいるというのは心強かったりする。
その中でさんざん書かれているのがドラマの「違和感」である。
特に気になったのが、「天地人」の場合、専門家から脚本の書き直しを指示されるケースが他の大河に比べて多いという個所である。脚本家が、当時の概念としてない「平和」や「家族」というセリフを入れるのも一つの要因となっているようだ。
その結果、制作サイドは史実を重視しようとする志向が乏しくなっているという。
時代考証に定評のあった大河ドラマをズタズタにしたということであろう。
また、演出家の酷さにも言及をしている。
「舞台のような演出にもなじめない」と書かれているのは、全くの同意見である。
私などは、まるで、学芸会のビデオを見せられているようで、見ていて恥ずかしくなってしまったくらいだ。
だから、前回「天地人」がダメな理由を個人的に並べてみたのは、あながち的外れでもなかったようだ。
ということで、「天地人」のA級戦犯は脚本家・小松江里子氏に決定!おめでとう!!
そして、B級戦犯は演出家に決定!おめでとう!!
…それはそうとして、大河ドラマとしてまともだったのは、子役の出ていた数回だけ。
あとは、5ヶ月たっても、何を描いて伝えたいのかさっぱり分からない。
話の展開や人物造形が支離滅裂状態で、一定方向を向いていないから分からなくなる。
脚本家の思考が迷走状態で不安定にしか思えない。大丈夫なのか?
第21回から22回
「愛」の兜が登場した。
ドラマでは「仁愛」「慈愛」から採ったという説を採用している。
ところで、一般的に言葉を短縮して表現する場合、頭文字をとるのが普通だと思う。個人名を略するときは、姓名のそれぞれ最初の文字をとって略するのが普通だろう。
上杉家でいうならば「毘」は毘沙門天の頭文字から取っている。
これは、頭文字をとることによって、その後に続く文字や言葉を想像しやすくするための工夫である。
となれば、「愛」は何かの頭文字と考えるのが自然だと思う。
「仁愛」「慈愛」から兜の前立てを考え付いたというのならば「仁」か「慈」が妥当だと思うのだが?ねぇ?
仮に、ドラマの言う通りならば、そうした直江兼続の姿を描くべきではないのか?
越後の人々を慈しむ姿。それは田畑や商業地に出向いて人々の生活をつぶさに見て、豊かな生活が送れるように政を行っている姿である。
実際、米沢に移ってからの兼続にはそうした姿が見受けられるらしい。だが、それ以前もそうした姿を描いていてはいけないということはないだろう。
越後にいる時も直江兼続は様々な施策を打ち、能吏としての側面を見せている。
こうした姿を描かずに、いきなり「仁愛」「慈愛」だの言われても…白々しくて見ていられない。
白々しさを感じるのは今回ばかりではないのがドラマ「天地人」の特徴かもしれない。
結局のところ、このドラマは何を描きたいのかが分からないのだよ。
第23回から37回
最近は大河を見たり見なかったり…。
昨年と比べると「やはり」面白くない。
なので、見逃しても、再放送を見て話を追いかけようとは思わない。昨年は何度か見逃した時に再放送で見ていたものだが…。
まぁ、そんなこたぁ、どおでもよい。
第23回で「愛の兜」が登場して以来、上杉景勝に従っての上洛、会津への移封、直江状と進んできた。
今度がドラマのハイライトのひとつとなる。…はずである。
…だいぶ、というより、ほとんど興味のなくなった「天地人」は惰性で見ているようなものでしかない。
結局のところ、脚本の善し悪しがドラマを大きく左右することを教えてくれただけで終わりそうな気配。
原作を脚色するのなら、登場人物たちを整理すべきであったし、役回りをもっと大胆に変えるべきであったかもしれない。
原作は地方新聞紙での長期連載である。連載中の締め切りの関係などで、全体の流れを見直す作業ができなかったためか、物語の中における登場人物の役回りに無駄がある。これは新聞や週刊誌連載の場合にはよく起きることで、仕方のないことである。
登場人物の役回りの無駄の典型的なのは、「初音」である。初期にはそれなりに重要なポジションで登場したにもかかわらず、途中でまったく登場しなくなり、思い出したかのように終盤になってから再登場した。
ドラマではこの「初音」をバッサリ切り捨てるべきだった。
その代わり「お船」をもっとクローズアップすべきだったかもしれない。そうすれば、一脇役に降格となったお船=常盤貴子がヒロインになれたであろう。ドラマにおけるお船の扱いは、どんなに取り繕っても決してヒロインではない。
第38回から最終回
まだ最終回でないにもかかわらず、このタイトル。
なぜなら、、、、
「天地人」は見なくなっているし、もう見るつもりないから。
「天地人」を見るとしたら、総集編くらいか。それで十二分に満足すると思う。
「天地人」の感想を書くことがなくなったので、このダイアリーもすっかり「歴史・時代小説の新刊予定」だけになってしまっている。
他にネタはないのか、というと、きっぱり「ない」です。
直江兼続の関連小説
- 「天地人」 火坂雅志 NHK出版
- 「小説 直江兼続 北の大国」 童門冬二 集英社文庫
- 「謀将 直江兼続(全二冊)」 南原幹雄 角川書店
- 「密謀」 藤沢周平 文藝春秋
- 「われ、謙信なりせば 上杉景勝と直江兼続」 風野真知雄 祥伝社ノン・ポシェット
- 「花に背いて・直江兼続とその妻」鈴木由紀子 幻冬舎
- 「直江兼続」 中村晃 PHP研究所
- 「反関ヶ原」 工藤章興 学習研究社
主君の上杉景勝になると。これは絶望的にない。
参考として、御館の乱で上杉謙信の後継を上杉景勝と争った上杉景虎に関しては下記の小説がある。
- 「上杉三郎景虎」 近衛龍春 角川春樹事務所/光文社
永岡慶之助「上杉謙信と直江兼続」(「上杉謙信」の改題)
この他にも永岡慶之助氏は「雪の謀将」で直江兼続を扱っている。
「雪の謀将」については古本屋でも滅多にお目にかかれない作品である。
一度お目にかかったことがあるが(お得意のブックオフではない)、状態が悪くて手を出さなかった。
さて「上杉謙信と直江兼続」と「雪の謀将」は同じなのではないかと当初は思っていたが、本の厚さが全然異なり、書き出しも違うので別作品と見ている。
「雪の謀将」はかなり薄いので、これを加筆修正して「上杉謙信と直江兼続」になったとも考えられるので断定はしない。
ここでは別作品として紹介してみる。
厄介なのは「武将の階段 謙信と直江兼続」という作品。
これが別物なのか、上記の作品の改題なのかがわからない。
ちなみに「雪の謀将」については珍しくAmazonのデーターにのっていない
- 直江兼続-恐るべき参謀 榎本秋 ソフトカバー
- 直江兼続と妻お船(せん) 近衛 龍春 文庫
- 愛の武将か非情の策士か 知られざる直江兼続 由良弥生 ソフトカバー
- 天地人直江兼続 単行本
- 直江兼続のことがマンガで3時間でわかる本 吉田浩 ソフトカバー
- 直江兼続ガイドブック 単行本
- 直江兼続 戦国史上最強のナンバー2 外川淳 新書
- 謙信・景勝と直江兼続 新野哲也 新書
- 直江兼続の謎 武山憲明 文庫
- 直江兼続101の謎 川口素生 文庫
- 軍師直江兼続 星亮一 文庫
- 参謀力―直江兼続の知略 童門冬二 単行本
- 名参謀・直江兼続 小和田哲男 単行本
- 直江兼続と戦国30家の名宰相(別冊歴史読本) 単行本
- 歴史探訪ランニング紀行 設楽五郎 単行本
- 直江兼続物語―米沢二十年の軌跡 遠藤英 単行本
- 上杉三代記 嶋津義忠 文庫
- 直江兼続―謙信から鷹山へ時代の懸橋となった男 黄金寅森 単行本
- 直江兼続の生涯―義に生きた天下の智将(別冊歴史読本) 単行本
天地人の配役
(直江兼続の家族)
直江兼続の妻お船(おせん):常盤貴子
直江兼続の弟・樋口与七:小泉孝太郎
樋口惣右衛門(直江兼続の父):高嶋政伸
お藤(直江兼続の母):田中美佐子
(主君筋)
上杉景勝:北村一輝
上杉景勝の正室・菊姫:比嘉愛未
上杉景勝の母・仙桃院:高島礼子
上杉景勝の妹華姫:相武紗季
上杉景虎:玉山鉄二
上杉謙信:阿部寛
(友など)
泉沢久秀(直江兼続の親友):東幹久
吉江宗信:山本圭
北条高広:新井康弘
甘粕景継:パパイヤ鈴木
桜井晴吉:松尾諭
深沢弥七郎:松本実
さて、不思議なのがこれ。
柿崎晴家:角田信朗
おそらく前半に登場させるつもりなのだろうが、原作では「登場してましたっけ?」という程のレベルで、ストーリーに何ら影響を与えない登場人物である。
それが、なぜ他のもっと重要な配役より先に決まる???
NHKのスタッフは原作を読んでいるんだよなぁ???
不可解なり…
(真田家関係)
真田幸村:城田優
初音:長澤まさみ
(織田家・豊臣家・徳川家)
織田信長:吉川晃司
豊臣秀吉:笹野高史
徳川家康:松方弘樹
石田三成:小栗旬
淀:深田恭子
小早川秀秋:上地雄輔