豊川稲荷東京別院の参拝録(東京都港区)(神社でない曹洞宗のお寺)大岡越前守忠相ゆかりの寺院

寺社
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曹洞宗の寺院

赤坂見附駅から青山通りを青山方面に上っていく右手に見える。

稲荷」というので、勝手に神社なのだろうと思っていたが、曹洞宗の寺院と知り驚いた。豐川稲荷の正式名は豐川閣妙嚴寺、山号は圓福山。

本院は愛知県豊川市にあり、日本三大稲荷にも数えられている。この東京別院は本院の唯一の直轄別院(飛び地境内)である。

豊川ダ枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)を本尊としている。

豊川ダ枳尼眞天は順徳天皇の第三皇太子である寒巖禅師が感得した仏法守護の善神で、豊川ダ枳尼眞天が稲穂を荷い白い狐に跨っているため「豐川稲荷」が通称として広まったのだそうだ。

江戸時代に名奉行で知られる大岡越前守忠相が信仰していた豊川稲荷の分霊を勧請し、屋敷稲荷として祀っていたのが始まり。

大岡家では三河時代より代々豊川稲荷を信仰しており、江戸の下屋敷に豊川ダ枳尼眞天を勧請して祀っていたそうだ。大岡家の下屋敷が赤坂一ツ木に移ると、屋敷稲荷も移転先の屋敷で祀られた。

江戸の名物として「伊勢屋に稲荷に犬の糞」と言われるくらい江戸には稲荷が多かった。今ならさしずめ、コンビニと歯医者が至る所にあるので、この二つを交えたゴロができるのだろう。大岡邸では毎月「午の日」と22日には門を開けて、屋敷稲荷への参拝を許していたという。

文政11年(1828年)に、要望により妙厳寺が一ツ木の大岡邸の敷地の4分の1(約250坪)を借り受け、豊川稲荷の江戸参詣所を建立したのが、東京別院の創建とされる。江戸参詣所ができたことにより、大岡邸の屋敷稲荷は「奥の院」とされた。

その後、明治20年に赤坂一ツ木の大岡邸から現在地に移転し、愛知県豊川閣の直轄の別院となったそうだ。赤坂の一ツ木は通りの名前として、別院のすぐそばにある。

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寺院の案内

青山通り沿いに面している山門。大きくはない。

豊川稲荷東京別院山門

縁起

豊川稲荷東京別院の縁起

本殿には東京別院の本尊である豊川ダ枳尼眞天が祀られている。豊川本院の秋季大祭(11月22日)の晩、別院本殿では「おこもり会」が催される。豊川へ行けない信徒のために明治頃から始まったとされる。

豊川稲荷東京別院本殿

子宝観音は山門をくぐってすぐ右手にある。

豊川稲荷東京別院子宝観音

子だき狐

豊川稲荷東京別院子だき狐

奥の院

豊川稲荷東京別院奥の院

三神殿

豊川稲荷東京別院三神殿

愛染明王

豊川稲荷東京別院の愛染明王

奥にある「叶稲荷」は縁切り専門の稲荷として有名。

豊川稲荷東京別院の叶稲荷

「融通稲荷」では10円の融通金を自由に持って返ることができ、1年後(または願が適った時)に利子を付けて返納することになっている。

豊川稲荷東京別院の融通稲荷

稲荷会館(信徒会館)の2階は「法輪閣」といわれ、釈迦如来が祀られる。東京別院の本堂にあたる。

豊川稲荷東京別院稲荷会館

三所殿

豊川稲荷東京別院三所殿

「銭洗い弁財天」も祀られる。銭を洗うと数倍になって返ってくるといわれる。

摩利支天

豊川稲荷東京別院摩利支天
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七福神の一か所巡り

七福神の一か所巡りができるのも、この別院の特徴。かなり盛りだくさんで、境内のあちこちに所狭しと祀られている。

豊川稲荷東京別院七福神案内板

恵比寿尊

豊川稲荷東京別院の恵比寿様

大黒堂と大黒様。「大黒堂」は既に幕末に建てられていたが、長い間、本殿内で大黒天を祀る状態が続き、最近になり再建された。

豊川稲荷東京別院大黒堂と大黒様

福禄寿尊

豊川稲荷東京別院福禄寿尊

布袋尊

豊川稲荷東京別院布袋尊

毘沙門天

豊川稲荷東京別院毘沙門天

弁財天

豊川稲荷東京別院弁財天

寿老尊

豊川稲荷東京別院寿老人

豊川稲荷東京別院の概要

項目内容
山号圓福山
院号
正式名妙厳寺 豊川稲荷東京別院
開基大岡忠相
文政11年(1828年)
宗派曹洞宗
本尊豊川吒枳尼真天
別称
備考

住所&地図

所在地: 〒107-0051 東京都港区元赤坂1−4−7
電話: 03-3408-3414

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