江戸城(皇居外苑)の訪問録(東京都千代田区)日比谷濠、楠木正成像、桜田門、二重橋、坂下門、桔梗門と桔梗濠、桜田巽櫓、和田倉門跡と和田倉濠[国の特別史跡]

この記事は約5分で読めます。

日比谷濠(ひびやぼり)。

江戸城(皇居外苑)を散歩。最初は日比谷濠から。祝田橋から馬場先門までの濠。この日は寒かった…。

江戸時代の初めまで、日比谷入江と呼ばれる海だった。
神田山の切崩しや、半蔵門から桜田門にかけて桜田濠が掘られ、その土で日比谷の入り江が埋め立てられた。
入江の埋め立てと江戸城整備に伴って1608年ごろまでに出来上がった。
今の日比谷交差点に日比谷御門があった。日比谷公園内に石垣が残っている。日比谷公園に入ってすぐの心字池も江戸時代の濠の跡がある。

江戸城の訪問録(東京都千代田区)皇居外苑、皇居東御苑、北の丸公園[国の特別史跡]
900年の歴史を積み重ねた城江戸の街の中心にある江戸城。千代田城とも呼ばれる。最初にここに城を築いたのは平氏の秩父氏から別れた江戸氏で1150年ごろだったらしい。遺構が見つかっていないが、本丸あたりにあったのではないかと推...

動画

史跡を巡る|皇居外苑 20150124EdoCastle

楠木正成像 このエリアに団体さんのバスが止まりまーす

楠木正成(楠公)の銅像が外苑の一角にある。

像は二重橋を正面に見据える。
別子銅山を開いた住友家が、開山200年の記念として企画し、東京美術学校に依頼し作成し、宮内庁へ献納したもの。
高村光雲、山田鬼斎、岡崎雪聲などによる。

楠木正成が後醍醐天皇を兵庫の道筋で迎えた際の勇姿ということである。

桜田門 桜田門外の変の舞台 桜田堀と凱旋堀の間にある

昭和36年(1961年)に「旧江戸城外桜田門」として国の重要文化財(建造物)に指定。明暦の大火で焼け落ちて再建されたが、江戸初期のままに残る門として指定された。

門の名前は、徳川家康が入府するまえから、この辺りの地名が桜田郷だったことから来ている。

江戸城の各門の多くは、第一の門と第二の門との中間に桝形(四角形)の広場がある「桝形城門」の形式が採られている。桜田門の桝形は15間×21間あり、現存している城門の中では最も広い規模を有し、形態が良保存されているため、昭和36年6月、国の重要文化財に指定された。

江戸城には内桜田門と外桜田門の2つが存在する。前者は桔梗門とも呼ばれ、単に「桜田門」という場合には後者を指すことが多い。

江戸城の城門で最大で左右が40メートル、奥行きが30メートルある。

この門の近くで水戸藩浪士らによる大老井伊直弼の暗殺事件(桜田門外の変)が起きた。井伊直弼の屋敷は、今の国会議事堂前庭(洋式庭園)あたりだったようなので、目と鼻の先だった。

当時も今と同じように広い道だったので、襲撃者が隠れるところはなかったようだが、大名行列を見るのが物見遊山がわりだったそうで、事件当日も見物客が多かったそうだ。

桜田門外の変を扱った映画

映画「柘榴坂の仇討」(2014年)の観賞備忘録(感想とあらすじと情報を添えて)
桜田門外の変を題材にした映画。原作は浅田次郎による短編小説。短編集「五郎治殿御始末」(ごろうじどのおしまつ)に収録されている。主人公の志村金吾と直吉(佐橋十兵衛)は浅田次郎による架空の人物である。

二重橋 手前の橋が「正門石橋」、奥の橋が「正門鉄橋」

皇居前広場の一番人気の伏見櫓を背景とした「二重橋」。

皇居前広場から正門を経て宮殿へ至る濠に二つの橋が架かっており、手前の橋が「正門石橋」、奥の橋が「正門鉄橋」。
「二重橋」は一般にこの二つの橋を総称して言われるが、厳密には奥の「正門鉄橋」を指す。

「皇居正門鉄橋」は、1614年(慶長19年)当初、二重構造(木造)であったことが、名前の由来となっている。
現在の橋は、明治宮殿造営時に、錬鉄製の橋に架け替えられ、昭和の新宮殿造営時に、大幅な変更をせず架け替えられたもの。

「皇居正門石橋」は、1888年(明治20年)12月、明治宮殿が竣工する前年に完成。
石造りアーチ橋には、花崗岩が使用され、照明灯や高欄を含め、西洋建築の意匠が採用された。

西の丸の坂下にあった坂下門

西の丸の坂下にあったことから坂下門と呼ばれる。

幕末1862 年(文久2 年)に老中・安藤正信が6 人の浪士に襲撃された「坂下門外の変」はこの門前で起きた。

桔梗門と桔梗濠 家紋である「桔梗」にちなんで

太田道灌時代、瓦に施された家紋である「桔梗」にちなんで、桔梗門と呼ばれている。

正式には、外桜田門に対し内桜田門と呼ばれる。
桔梗門は慶長19年(1614)に造られた。
現在でも門の鬼瓦には桔梗紋が刻まれている。
別名として「内桜田門橋」がある。

桜田巽櫓 現存する三基の櫓の一つ。

江戸城の櫓は度重なる火災や地震による損害で、伏見櫓、富士見櫓、桜田巽櫓の三基だけである。

本丸の東南(辰巳)の方角にあることに由来する。
「石落し」(石垣よりはみ出した出窓部)や鉄砲、矢用の「狭間」を戦略的目的で備えている。

和田倉噴水公園 和田倉地区にある噴水公園。

昭和36年に今上天皇の御結婚を記念して創建された大噴水を、平成5年6月の皇太子殿下徳仁親王と雅子妃殿下の御結婚を機に、「継続と新たな発展」をテーマに再整備し、平成7年6月に完成したもの。

和田倉門跡と和田倉濠 木橋の姿

皇居のお濠に架かる橋で木橋の姿が残されているのは、和田倉橋と平川橋の二つだけ。

この橋より内側は、大手門や内桜田門(桔梗門)から入場する大名や武士が通行する橋で、一般人は通ることができなかった。

和田倉の地には1607 年(慶長12 年)頃まで蔵があったので「蔵の御門」と呼ばれた。
1620 年(元和6 年)に最初の枡形門が築かれたが、1923 年(大正12 年)の関東大震災で崩壊した。橋は残り、橋の腐朽が進んだため、1953 年(昭和28 年)に現在の鉄筋コンクリートの橋脚に架け替えられた。

看板と図

国指定特別史跡の看板と皇居外苑の図

写真ギャラリー

次回の課題

外桜田門
祝田橋
馬場先門橋

タイトルとURLをコピーしました