那須の義経街道の訪問録(栃木県那須町)追分の明神から月夜見山、具足岩・五両沢を経て旧東山道へ

寺社
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義経伝説

栃木県からは、国道294号線沿いにある「道の駅 東山道伊王野」を過ぎてすぐを右に曲がった道を上っていく。この道が古代道の「東山道」になる。
福島県からは、白河関跡の前の道を栃木のほうへ進む。
県境にあるが、なにせこの道が細い!!!
車の通りは少ないものの、写真を撮るのが大変。ゆっくりと撮影しているわけにはいかない。
294号線沿いには、もうひとつ「境の明神」がある。

ここを起点に、栃木県側に義経にまつわる伝説の看板が14設置されている。
すべてを見つけられたらすごい。
ちなみに、7、8を見つけられずに断念。
今回は1~6まで。

さて、起点となる「追分の明神」の創立は古い。
延暦10年(791年)坂上田村麻呂が征夷の途次に勧請したものと伝えられている。

治承4年(1180年)源頼朝が伊豆で平家追討の旗を挙げたことを源義経が奥州平泉で聞き、鎌倉へ駆けつける際にこの道を通ったといわれている。そのため義経街道と呼ばれている。  

治承4年(1180)8月、兄の源頼朝が伊豆(今の静岡県)に平家追討の旗を挙げたことを、遠く奥州平泉(今の岩手県)で聞いた源義経は、矢もたてもたまらず、藤原秀衡にお願いして鎌倉へ上ることにしました。
弁慶・常陸坊海存、四天王といわれる亀井・片岡・伊勢・駿河をはじめ,あらたに郎党(家来)となった佐藤継信、忠信の兄弟らを従え、奥州路を白河の関へかかります。
白河の関は、その昔は、関東と奥州との境の大切なとりででしたが、義経のころは、もうすでにさびれた山砦にすぎなかったことでしょう。中秋の暑気を残して、陽は赤く豆沢の山に落ちかかっていました。

住所:栃木県那須郡那須町大字蓑沢1352番

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月夜見山(つきよみやま)

「追分明神」から更に南に約1km

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具足岩・五両沢

「月夜見山」から700mほど南

矢の根石伝

沓石(くついし)に向かう途中にある。

弁慶が矢を取り出して「わが願い吉ならば、この石に立てよ」と、傍らにあった岩に矢の根を指先にて押し込んだところ、矢が岩に突き刺さったという。伝えられる矢の根石は、道路改修の時に埋められてしまったそうだ。

沓石(くついし)

石の上に、馬の足跡のようなへこみがあ、義経の乗馬の足跡だといわれている

大畑

滝の宮(たきのみや)

「沓石」から約3kmの距離

これまでは、県道76号沿いに看板があったが、脇道になる。
かろうじてから県道76号から宮の祠が見える。
でも、高確率で、行き過ぎると思う。

御弊石(おんべし)

義経が腰掛けた石「義経の腰掛石」があるそうだ
どれだかわからなくなっているようだが・・・。

今回はここまで。
次の「ホーガン清水」は見つけられなかった。

弁慶下駄掛石

道の駅東山道伊王野からほど近い交差点。

弁慶石は昭和初期まで現存、道路の拡張工事に伴い支障となり撤去されそうだが、義経伝説を忘れることなく後世に残すため、地元の伊王野梁睦自治会の提案により復元。
治承4年、義経一行が鎌倉に向かう途中、弁慶が道の傍らの大きな石を指さし、「那須山で修業した時、下駄に挟まった石を取ろうと蹴ったらここまで飛んできた」と話したという伝説に基づいているそうだ。

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