高橋紹運:雷神・立花道雪と並んで風神と称された武将

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高橋紹運(たかはし・じょううん)略歴

天文17年(1548)~天正14年(1586)。39歳。戦国時代の武将。

名は鎮種(しげたね)。通称は孫七郎、官途は主膳正。入道して紹運。三河守。大友氏の年寄・吉弘鑑理(よしひろ・あきただ)の次男。

実子に立花宗茂がいる。

大友宗麟に叛乱して追放された高橋鑑種(あきたね)の跡をついで、元亀1年(1570)筑前岩屋城・宝満城(現在の太宰府市)の城主となる。

天正6年(1578)耳川の戦後、肥前の竜造寺氏や秋月氏などの筑前の国衆が大友氏に反旗を翻すと、立花城の戸次鑑連(立花道雪)と共に叛乱鎮圧のため戦った。

天正14年、島津義久が筑前に進出し、岩屋・宝満城を包囲した。総攻撃を受け7月27日自害した。岩屋城は総討ち死となった。

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