塩野七生の「人びとのかたち」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

塩野七生による映画エッセー。ただ単に映画を見た感想を述べているはずもなく、塩野七生流に映画を題材にして様々なことを斬っているエッセー。

【ピックアップ】

「人間嫌い」

塩野七生は、ダスティン・ホフマン、ジャック・ニコルソンとロバート・デ・ニーロの三人がアメリカ映画をだめにしたと思っている。

役者として演技力もある三人だが、この演技力がありすぎるのが気にくわないと言うことらしい。演技力のある俳優は脇に持ってきて映画をもり立てた方がよいと考えている。そうかも知れない。

「パワーと品格と」

「山猫」を題材にしている。塩野七生曰く「人間には二種ある。ある種のことは死んでも出来ない人間と、それが平気で出来る人間と。

この差異は、階級の差でもなく教育の高低でもない。年代の差でもなく男女の差でもない。(中略)日本語ならば、品格であろうか。品格もパワーの一つになり得ることを忘れていると、社会はたちまち、ジャッカルやハイエナであふれかえることになる」。意味深長である。

「天才」

「アマデウス」を題材にしている。モーツァルトを描いた映画である。映画はサリエリという音楽家から観たモーツァルトを描いているが、塩野七生はここで、こう区分している。天才・モーツァルト、秀才・サリエリ、凡才・皇帝レオポルド。そしてこうも区分している。

天才…神が愛した者。秀才…神が愛するほどの才能には恵まれていないが、天才の才能はわかってしまう人。ゆえに、不幸な人。凡才…秀才の才能は理解でき、尊重はするが、天才の才能まではわからない人。

ゆえに、幸福でいられる人。これに同意できるかどうかは個人それぞれだろう。塩野七生は、「立派な」凡才になりましょうと言っている。

結局の所、天才は理解されないゆえに不幸であり、秀才は理解できてしまうがゆえに不幸だからだろう。天才・秀才に憧れても、好きこのんで天才・秀才の抱える不幸を目指す必要はないということだろうか。

本書について

塩野七生
人びとのかたち
書かれた時期:-
刊行: 1995年1月
新潮文庫 約二九五頁
映画エッセー

目次

おとなの純愛
せめて月の輝く夜には
スター
戦時のリーダー
デザイン・フォー・リヴィング
人間嫌い
男女の友情
不倫
学校教育
ジゴロ
戦争
「士」であること
失われし時を求めて
正義について
女の恋
差別について
反省という行為
悪女
安眠剤
自由な女
言葉について
夢を見ること
エピキュリアンのすすめ
遊びごころ
舞踏会の手帖
パワーと品格と
官能
優しい関係
罪と罰
イタリア男の夢
ライジング・サンその後
住まいについて
地中海
女の生き方
嘘と真実
作家の描く作家像
失業
聞き上手
八月の鯨
映像の限界
誰もわかってくれない
生と死と生
単純明快なヒーローたち
余暇の善用
親子の対話
天才
偉大なる平凡

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