子母澤寛「勝海舟 長州征伐」第3巻を読んだ感想とあらすじ(最高に面白い!)

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覚書/感想/コメント

★★★★★★★★★★

第三巻では幕末期の最も混乱した京が中心となる。麟太郎も江戸と大坂・京と忙しく行き来をする。

神戸には海軍操練所と海軍塾を開き、坂本竜馬を筆頭に海軍養成の施設に力を入れる。だが、時代がそれに傾注させてくれない。

京では長州が暴発して蛤御門の変を起こし、長州征伐も始まる。そして、この激動の中、勝麟太郎を引き立ててくれた十四代将軍徳川家茂が若くして死ぬ。一方で、敵対していた長州と薩摩が坂本竜馬の仲介によって手を結ぶこととなり、いよいよ時代は本格的に討幕へと進み始める。

この巻でさんざん書かれていることだが、この時期の幕閣は右往左往し、不都合なことがあると閣老、若年寄、奉行が病気と称して会議が開かれないことがあったようだ。

要するに責任をとりたくないし、迫り来る事態への対処の判断も出来ないし、見ぬふりをして何とかやり過ごそうということである。

では、幕府には馬鹿ばかりが揃っているかというと、そのようなことはなかった。

むしろ人材という面では幕府が諸侯の中で一番多かった。これはある意味当たり前のことであり、ただ単に組織のトップが馬鹿揃いだったということであり、それをもって組織全体が馬鹿ということにはならない。

組織にいかに有能な人物がいたとしても、トップや上の人間がダメなら、組織というのは崩壊するということである。

この時期の有能な幕臣で、神気の深いもの、志あるもの、学術の深いものは、みなどうにも出来ない所に立たされ八方をふさがれている。

だが、もし天下一統郡県の制を敷くという時には、先頭に立ってこれを導くのは、長州人でもなく、薩摩人でも土佐人でも肥後人でもない。幕臣である。

そして実際にそうなった。

もちろん、組織のトップなどの多くは薩摩、長州などによって占められたが、それでも結局のところ巨大な明治新政府の官僚組織を円滑にまわしたのは、同じく巨大な官僚組織の出身者である幕臣でなければ勤まらなかったということである。

歴史の不思議というもので、幕末のこの時期、戦力的なものでは圧倒的に幕府郡が優勢であった。にもかかわらず、戦に敗れ、幕府は倒れてしまう。

遡ってみれば、関ヶ原の戦いにおいてもそうである。数の上では西軍が有利であり、負けるにしても絶対に一日で破れることなどあり得ないはずだった。

「時の勢い」という摩訶不思議なものの恐ろしさといえるだろう。

歴史小説を読んで常々思うのは、どんなに強固で巨大と思われてきた組織も必ず倒れるということであり、政治形態というのもどんなに長くても三百年くらいしか持たないということである。百年ももたないことなど珍しくもない。

そこから分かるのは、われわれが現在生きている政治形態というのも将来必ず終わるということである。

そんなことはないはずだと思っていたとしても、それは幕末に生きていた多くの人々が同じように思っていたことであろうし、諸外国においても革命期に生きた多くの人々が思っていたことであろう。

もしわれわれが生きている時代が激動の時代なのであれば、過去の激動の時代に生きた人々がどのようなことを考え、そのように行動したかというのは、大きな指針になるのではないだろうか。

幕末というのは多くの史料が残され、比較的個人の思想というものが分かる時代である。それに多様な人物が生まれた。
多くの人物達の中から、指針となるべき人物というのもいるだろう。そうした人物を見つけ、己の生きる人生の指針とするのも、歴史小説の読み方であると思う。

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内容/あらすじ/ネタバレ

勝麟太郎はむかむかしていた。幕府のやり口は姑息で、にっちもさっちもいかなくなると閣老も若年寄りも奉行も病気といって引きこもってしまう。

さらに賠償金を払った生麦事件は薩英戦争となり、これまた幕府の失敗である。そもそも薩摩は幕府治下の一藩である。日本を代表する幕府が解決しなくてはどうなるのだ。これでは幕府は日本を代表しないといっているのも同じ。「馬鹿の底が知れねえわ」

麟太郎はこの八月から海陸御備御用取扱を命じられていた。弟子の木下謹吾も同役だ。

その木下謹吾がやってきて新しい軍艦奉行の話をした。これが漏れ聞いた皆が納まらない。伴鉄太郎らがことごとく辞表を出してきたという。

幕府が逸馬でも攘夷をしないから関東征討の噂が立ち、大和では天誅組の旗が立つ、朝廷では会津・薩摩連合運動のおかげで禁門の守衛を追われ長州以下攘夷論の七卿が都落ちをする始末。

この頃、杉純道に子が出来、成吉と名付けられた。

近藤長次郎が麟太郎の密書を持って越前の松平春岳の所へ急行した。

麟太郎は摂州和田ヶ崎に築いている砲台の石畳を佐藤与之助と見に行った。だが、指図書と違っているのが気に入らない。

要は小役人が賄賂に目をくらんだのだ。左手で銭をもらったが、代わりに右手で己が首に匕首を突き刺しているのが分からないのだ。

土佐も大変だ。山内容堂が勤皇激派の首領達を国に追い返し切腹を命じている。武市半平太もそうなる気配だ。

哀れなのは岡田以蔵だ。さんざん働かされ、同志にも敵にも狙われた。麟太郎は以蔵の唐丸が伏見から淀を下るのを、今にもこぼれそうに瞼いっぱいの涙を溜めて見送った。

薩摩の吉井仲助が訪ねてきた。側には杉純道もいる。

吉井は海路御上洛の件をたずねてきたのだ。将軍家の上洛である。これは揉みに揉んだが、年の暮れも迫った二十七日に出立となった。品川沖には各藩の船が計十二隻、堂々たる姿である。

これらを従えて徳川家茂が大坂に入ったのは年の明けた八日だった。十五日には京の二条城へ入った。

安岡金馬が戻ってきて、土佐出身の海軍生を一人残らず国に戻すということになっていると話した。さすがの竜馬も困ったなと息をついてしまった。結局、高松太郎らの名を変え、麟太郎の家来と届け出た。

麟太郎は長崎へ行くことになっていた。

長州が馬関海峡を通る外国船を片っ端から砲撃するものだから、英国が激昂して連合艦隊で長州を砲撃してしまうという。

幕府は一方で攘夷を定め、一方で異国へ味方をする外交なのものだから、真っ青になった。そこで麟太郎に外国連合艦隊との調停役を命じたのだ。

京に戻ると、公武合体派の諸大名が幕府に愛想を尽かして国へ帰り、浪人どもを取り締まる守護職の手が伸び、見廻り組、新選組の勢いが盛んである。守護職も松平春岳から会津侯松平肥後守になっている。

佐久間象山は幕府に呼ばれて幕府国防の顧問役になった。だが、麟太郎の気にかかるのは、象山が妹お順を見舞ってもくれず同行もしなかったことだ。

竜馬が蝦夷地の地図を出した。竜馬は浪人どもを蝦夷地へ移し新活動をさせようと考えているのだ。麟太郎もおやりとはげました。

だが、これを追いかけるように、土佐の勤王党撲滅、幕府の浪人狩りが厳しくなった。一嵐きそうな気配だ。

五月十五日。将軍家の前に呼ばれ、御作事奉行格となり、軍艦奉行となった。麟太郎もいよいよ二千石取りとなった。勝家代々は四十俵だ。そして安房守を名乗るようになる。安房はあほうともよめる。

そして麟太郎は将軍の供をして江戸へ海路戻った。

京では池田屋騒動が起き、神戸からも望月亀弥太が死んでいる。

麟太郎が大坂に行くと、蜂の巣をつついたような状況となっている。長州は憤激し、ぞくぞくと兵が集まってきている。

この頃、佐久間象山が殺された。麟太郎は妹お順のことを思った。そして象山の倅・恪二郎を心配した。これが新選組にはいるというのだ。

やがて京は蛤御門の変で焼け野原となった。長州は散々な敗北だった。

麟太郎は自分の海軍塾へ力を入れだした。

豊後沖に英仏蘭の軍艦が十七八隻もいるそうだ。長州を砲撃するという。今にも長州征伐の令が出ようとする中、砲撃されては幕府としても痛し痒しだ。

これを止めてこいといわれても難件だ。だが、麟太郎が行かずして誰が行くのだ。

そして麟太郎の予想通り、麟太郎の着く前に連合国艦隊は下関攻撃を行ってしまっている。

薩摩の大島吉之助が麟太郎に会いたいといってきた。大島とは西郷隆盛のことだ。今の京にあって、実際に薩摩藩を代表している。麟太郎四十二歳、西郷三十八歳だった。元治元年九月十一日のことである。

麟太郎は西郷に、幕府なぞは黙殺して、天下賢明赤誠の諸侯で会盟することだといった。

西郷は麟太郎にひどく惚れた。

これを知った竜馬は一度西郷に会ってみたいと麟太郎に言った。面白い、添書を書くよと麟太郎は言う。

その竜馬が、あの人は馬鹿でしたという。だが、その馬鹿の幅がどれ程大きいか分からない。小さく叩けば小さく鳴り、大きく叩けば大きく鳴ると評した。

麟太郎が江戸に戻ると聞いて海軍所は大騒ぎとなった。江戸に戻るとはすなわち解散を意味する。

麟太郎は竜馬達を薩摩の西郷に頼んでいる。家老の小松帯刀も心得ているので、大坂の薩摩屋敷へ逃げ込めと言った。

江戸に戻った麟太郎は寄合になった。それをおたみに告げると、何でもないという。

次女のお孝の嫁入りの話しがある。相手は匹田家だ。無役となった今でももらってくれるのだろうか。その心配を杉純道が解決してくれた。

一方、竜馬らは薩摩屋敷に入り、新宮馬之助、近藤長次郎は竜馬の意見により長崎へ行き社中を作ることになっていた。麟太郎は西郷が竜馬らに船を預けて航海に使う心づもりなのを見通していた。

麟太郎は眠れぬ夜が多かった。海軍の事業が煙のように消えていったのを惜しむばかりでなく、国の存亡の時に会しても、幕府の人々は国恩を感じていない。

その中、薩摩の柴山良介が西郷の添書を持って元氷川にやってきた。それから柴山がよくやってきて麟太郎にも色々な情報が耳に入った。

慶応元年。再び長州征伐が持ち上がった。再び上洛する将軍家茂を麟太郎は見送った。

杉純道が名を享二(こうじ)と改めた。

久しぶりで竜馬から手紙が届いた。長崎で随分忙しくやっているようだ。そして、竜馬は長州の桂小五郎を西郷に会わせて、幕府が長州征伐を行う前に両藩の手を握らせようとしていた。

寄合に入っている麟太郎が再び召し出されることとなった。軍艦奉行だ。しかもすぐに大坂へゆけという。

その麟太郎を勘定奉行勝手方の小栗上野介忠順が呼び止めた。一挙に長州を叩き、間髪入れず薩摩を叩いて、禍根を断つのだという。だが、麟太郎は無表情で聞いていた。小栗はこれまでの封建ではやっていけないといった。そのための金をフランスから調達するという。これを聞いて麟太郎は愕然とした。金で首根っこを押さえられたら国はどうなるというのだ。

大坂に着いた麟太郎は薩摩藩邸に大久保一蔵を訪ねた。この時に懸案の一件を片づけてしまった。

そしてお仲と知り合ったのもこの頃だ。

将軍家茂薨去。麟太郎は家茂あってこそ認められた。それを思い、泣かずにいられなかった。

後継には一橋慶喜が推されたが、固く辞して動かない。この慶喜を麟太郎は余り好きでない。この本心の所を奧医師の松本良順に麟太郎は指摘されていた。

一橋慶喜は智恵はあるが、しっかりとした信念がない。家臣の言辞によって一瞬で変わるのではないかとすら思える。

すでにこの頃、幕府の蔵は底をつき、長州征伐どころではなくなっていた。

麟太郎は長州への密使として赴くことになった。一橋慶喜に頼まれてのことだ。長州の相手は広沢兵助らであった…。

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本書について

子母澤寛
勝海舟3 長州征伐
新潮文庫 約五九五頁
江戸時代

目次

霧深し
憂来共誰語
初鰤
甲子春
落椿
淀川夜船
夕焼

秋の水
江戸音信
巨木
曇り日
栄辱不関
独り眠らず
睨む目

群雀
遅れ咲
道芝
冬雨
寅年
雲の峯
漠々濛々
憂深き者
男の道
空蝉衣
秋色
不如帰
雁来紅

登場人物

勝麟太郎
おたみ(君江)…麟太郎の妻
お夢…長女
お孝…次女
小鹿…長男
四郎…二男
お逸…三女
お信…麟太郎の母
お糸
杉享二(純道)
おきん…杉の嫁
梶お久
梅太郎…お久の子
お仲
お順…佐久間象山の妻、麟太郎の妹
佐久間象山
佐久間恪二郎…象山の倅
匹田兵庫
岩次郎…頭
三公
小林隼太
丑松
新門辰五郎
三次郎…わ組
松五郎…東屋の亭主
大久保忠寛(一翁)
佐藤与之助
木村謹吾
伴鉄太郎
矢田堀景蔵
吉岡勇平(後に艮太夫)
松本良順…奧医師
松平春岳
中根靱負
横井小楠
坂本竜馬
岡田以蔵
近藤長次郎
高松太郎…竜馬の甥
望月亀弥太
千屋寅之助
新宮馬之助
安岡金馬
兜惣助
生島四郎太夫…神戸の地主
徳川家茂…十四代将軍
板倉周防守…老中
酒井雅楽頭忠績…老中
松平勘太郎…大目付→大坂町奉行
服部長門守…長崎奉行
能勢金之助…目付
小栗上野介忠順…勘定奉行勝手方
一橋慶喜
原市之進…一橋家臣
吉井仲助…薩摩藩士
大島(西郷)吉之助
小松帯刀…薩摩藩家老
柴山良介…薩摩藩士
大久保一蔵
広沢兵助…長州藩士
桂小五郎

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