笹沢左保の「浅井長政の決断 賢愚の岐路」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント


★★★★★★★☆☆☆

「華麗なる地平線」改題。

浅井長政を描いた作品である。

もともとの題名「華麗なる地平線」は浅井長政の祖父・浅井亮政が死の間際に見た夢から来ている。

亮政の夢に竜が出てくる。この竜は浅井長政であり、竜の消えた後に広がる地平線が題名につながることになるのだが、その意味は本書の最期に語られている。

この「夢」であるが、物語が浅井亮政の夢から始まるためもあり、各章には「夢」がつく。それぞれの「夢」の意味合いが微妙に異なり、全編を読み終えた後で目次を見直すと、なるほどと感心してしまう。

浅井家の祖は正親町三条実雅の子・公綱ということになっているそうだ。この公綱が罪に問われ、嘉吉年間(一四四一~一四四四)に近江の浅井群に流された。その息子が土着し、北近江の守護である京極家に仕えたというのだ。

この時代出自粉飾は当たり前で、嘘だろうと笹沢左保氏は言っている。およそ、この時期の大名で出自がはっきりしている者の方が少ない。

いわゆる通説というものへの疑問も至る所で投げかけられている。

一つ目。「長政」の由来。

永禄四年五月に賢政から長政に名を変える。織田信長の偏諱をとったとするのが通説だが、単なる通説でしかないという。

二つ目。お市が長政に嫁いだ時期。

諸説あり、取り上げているのは三つ。

「浅井三代記」によると織田信長側からの申し出によるもので永禄七年三月となっている。

「川角太閤記」によると浅井長政側からの申し出によるもので永禄二年に婚約、同四年に結婚となる。

多くの日本史年表や戦国年表では、永禄十一年説を採用している。

色々な条件を考えた上で、本書では「浅井三代記」説を採用している。

三つ目。お市が小豆の袋を贈ったというエピソード。

絶対にあり得ないことだし、創作されたエピソードとしている。

四つ目。小谷城の落城前後。

小谷城落城の前に茶々、初、小督は長政の伯母である昌安見久尼に預けられている。

そして小谷城の落城時には火に包まれたと言われているが、小谷城は火に焼かれなかったという。昭和四十五年からの調査で、小谷城焼失の根拠がなかったのだそうだ。

さて、織田信長が浅井長政と対決することになる時期というのは、織田信長にとって厳しい時期でもあった。

足利義昭が裏で手を引いて、朝倉、六角、三好三人衆、根来、石山本願寺(伊勢長島含む)、比叡山、武田、それに浅井が織田を取り囲んでいた。

苦しい状況下で、織田信長は延暦寺を焼き討ちにし、足利義昭を追放し、朝倉義景を攻め滅ぼして、最期に浅井長政を滅ぼしている。

朝倉を攻め滅ぼす前に武田信玄の西進があったが、信玄が途中で死ぬことにより脅威が取り除かれる。そして信玄の死亡によって石山本願寺の活動が沈静化してしまう。

興味深いのは、地理的に織田信長に一番近いはずの浅井長政を最後に滅ぼしていることだ。本書を読むと、その理由も何となくうなずける。

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内容/あらすじ/ネタバレ

天正十年(一五四一)の暮れ。小谷城の浅井亮政に死が訪れようとしていた。まだ五十一歳だった。側には膳鬼という男が付き添っている。膳鬼との付き合いは二十年にも及ぼうとしている。特別な側近だ。

亮政はこの三日ばかり同じ夢を見て、夢の中で残念じゃと叫びつづけていた。夢とはこうだ…。

戦場を埋め尽くす敵の兵を前に猛虎が出現し、暴れ回って敵兵の大半を食い尽くす。虎はそのまま小谷城らしい城へ入る。城は静まりかえり、それに四つ目結の家紋が重なって見える。城内から竜が出現し、天に昇る。赤い夜明けの雲の中に竜は消え、雲も消える。朝焼けの空の下には、限りなく続く地平線だけが残っている。

亮政は膳鬼と夢を分析した。四つ目結の家紋は宇田源氏の近江佐々木家の紋所だ。つまり京極と六角を意味する。浅井が屈服することを意味するのか…。

浅井亮政が生まれた延徳三年(一四九一)は北条早雲が伊豆を占領した年である。これからが戦国時代となる。

亮政は主家の京極家に起きた内紛に乗じて勢力を伸ばした。内紛は京極家の後継者をめぐる争いだった。大永五年(一五二五)初めの戦に勝った亮政は北近江における最強の実力者となる。だが、これを南近江の六角が警戒した。

六角に攻め込まれあわやという所で応援に来たのが朝倉教景だった。感謝する所あつく、亮政は浅井家七代まで朝倉家への大恩を忘れず、朝倉家の味方になることを神仏に誓った。

六角と浅井の戦いは幾度となく繰り返されたがただの一度も勝ったことがなかった。だが、決定的な敗北もしたことがない。六角は亮政にとって宿敵だった。

亮正の子・久政が後継者になることを重臣の大半が不安を覚えている。柔弱で消極的だった。その久政に亮政は死の直前に遺言を残した。戦うことに専念せよ。朝倉への恩を忘れるな。宿敵六角に必ず勝て。

京極兄弟との戦いに消極的だった間に生まれたのが浅井長政だった。幼名は猿夜叉である。この年、織田信長は十二歳、豊臣秀吉は十歳、徳川家康は四歳だった。

浅井久政は京極高広の攻撃を防ぎきれなくなり、六角定頼に庇護を求めた。これを見て京極高広は久政と平和協定を結ぶ。

その頃、膳鬼は猿夜叉の養育に燃えていた。猿夜叉こそ亮政が死の間際に見ていた夢に出てくる竜だと信じていたからである。

天文二十一年。六角は義賢が後を継いだ。最も好戦的で野心家である義賢の時代を迎えた。

浅井久政が六角の軍門にくだってから六年が過ぎた。猿夜叉は十五歳で元服し、新九郎と名乗り、六角義賢から賢政(かたまさ)の名を押しつけられた。さらに賢政の妻に義賢の家臣の娘を選んだ。浅井の人間には六角の家臣だという自覚はなく、気骨者達が激怒した。

賢政はこの娘を一度迎えたが、すぐに離別した。六角義賢に挑戦状をたたきつけたのと同じである。

約半年で双方の態勢が固まった。浅井家は主戦論者が大勢を占め、反戦論者の久政は退くほかなかった。

永禄三年(一五六〇)八月。六角と浅井が正面からぶつかり合った。賢政は十六歳にしての初陣だった。この時の合戦を野良田合戦と呼ぶ。浅井勢一万一千、六角勢二万五千である。

賢政は奇襲をかけることにし、これが見事に決まった。六角義賢にとっては致命的な敗北であった。

立場を失った久政は隠居し、賢政が家督を継いだ。この後にも六角を戦で破り、六角は恐れるべき相手ではなくなった。そして武運長久から文字をとり、名を長政に変えた。浅井長政の誕生である。

その一方、六角家では観音寺騒動が起き、大混乱になっていた。

明けて永禄七年。織田信長にとって美濃平定が不可欠であったが程遠い状況である。外交政策に重きを置き、その一環で浅井家との縁組みが成立する。信長の妹・お市を長政へ嫁がせたのだ。

長政は信長から、ともに天下に号令することにいたそうではないかと言われ、血を熱くした。

一人、不満だったのが久政だ。信長と朝倉の関係がよくないのを危惧しているのだ。

この頃、足利義秋が敦賀の朝倉景紀を頼ることになった。浅井家の運命を変える足利義秋という死神が姿を見せ始めたのだった。

足利義秋は軽佻浮薄な男の典型だ。思慮分別がなく、思いついたことを考えもせずに実行してしまう。その義秋がついに一乗谷の朝倉義景の所に転がり込んだ。

織田信長が足利義昭(義秋から改名)の意向に従うとの返書を送る。義昭は越前を去り、信長のもとへ行くことになった。

永禄十一年八月。信長は義昭を擁して佐和山城へはいった。浅井長政はこれを出迎えた。衝撃だったのは信長の側に京極高吉がいたことである。そしてもうひとつ。それは信長の朝倉義景に対する敵愾心が思いのほか激しいということである。

そして、足利義昭が征夷大将軍となった。

浅井長政は本城の小谷城を含め七十四の城を支配するまでになった。浅井家の盛運の頂点の時期である。だが、すべてを長政が築城、経営をしたわけではない。場合によってはいつ裏切るかわからないのが、浅井家と各支城の城主との主従関係であった。

信長の傀儡となったことに気づいた足利義昭と信長の関係が悪化した。そして元亀元年、信長は義昭に五か条の条書を出した。

義昭は後先を考えず、せっせと手紙を出した。その中に朝倉義景もいた。信長にしてみれば義昭は期待通りに動いてくれたことになる。信長は朝倉討伐を急ぐことを決意した。

信長は若狭の武藤氏討伐のための軍を動かした。その軍がそのまま朝倉へと向かっていった。

浅井長政は強い織田に味方したかった。だが、許されなかった。それは朝倉への恩のためである。一方、織田信長にも誤算があった。それは浅井長政を信頼しすぎたことであった。

背後をとられた信長は逃げた。金ヶ崎城の退き口の大成功は、逆に朝倉と浅井の致命的な失敗を意味した。特に朝倉義景の不甲斐なさが立証されることとなる。信長を討てなかった。このことが浅井長政を暗澹たる気持ちにさせた。

岐阜に戻って一ヶ月足らず。信長は二万五千の兵を率いて出発した。浅井長政は小谷城で籠城をして朝倉義景を待った。その朝倉義景は一族の朝倉景健を総大将にした軍勢を送った。

浅井と織田でいう野村の合戦、朝倉では三田村の合戦、そして後世にいう姉川の合戦が始まる。

浅井軍の先頭に立ったのは磯野員昌であった。恐るべき精鋭部隊で、織田の十三段の構えの内、十一段までを崩した。凄まじい突進ぶりを見せた。窮地に追いこまれた織田信長を助けたのは両翼からの援軍だった。

織田信長にとって、この合戦は織田側の勝利に終わったが、致命的な大打撃を与えることができず、明らかに失敗であった。

浅井長政は反織田同盟に加わる決意をする。朝倉、六角、三好三人衆、根来、石山本願寺、比叡山、武田である。
元亀年間は織田信長にとって苦難の時だった。完全な孤立状態であり、味方といえるのは徳川だけだった。

信長が四万の兵を集めて小谷城に迫った。浅井長政は籠城を決めた。朝倉義景が援軍を率いてやってきた。そして待ちに待った吉報が届く。武田信玄が西進を開始したというのだ。

あとは浅井・朝倉の軍は動くことなく織田軍を釘付けにすればよいはずであった。だが、朝倉義景が越前へ引き上げるといいだした。

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本書について

笹沢左保
浅井長政の決断 賢愚の岐路
角川文庫 約四〇〇頁
江戸時代

目次

夢の序曲
酔生夢死
霊夢果てず
悪夢の訪れ
残夢
夢まぼろし

登場人物

浅井長政
お市…長政の妻、織田信長の妹
膳鬼
浅井亮政…祖父
浅井久政…父
昌安見久尼…久政の姉
磯野員昌
赤尾清綱
雨森弥兵衛
海北善右衛門
遠藤喜右衛門
京極高広
京極高吉
六角定頼
六角義賢
織田信長
朝倉義景
足利義昭(義秋)

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