隆慶一郎の「吉原御免状」を読んだ感想とあらすじ(最高に面白い!)

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覚書/感想/コメント

吉原誕生の秘密を握る「神君御免状」を巡り、吉原と裏柳生の対決に松永誠一郎が巻き込まれる伝奇小説。

緻密な舞台設定と、それを裏付ける諸説の紹介には脱帽ものである。よくまぁ、こんな物語を考えましたねぇ、隆先生。

後記で書かれている。

大正十二年の関東大震災で新吉原は壊滅した。焼け跡には夥しい遊女の死体が転がり、遊女達は互いの身体をロープでつないでいたことが評判となった。楼主が逃亡を防ぐために牛太郎に遊女達をロープで結ばせ、惨状を招いたのだとされた。

だが、真相は違った。オロオロとしか逃げまどうことができなかった遊女達を誘導するために、牛太郎はロープをかけたのだった。誘導に失敗した牛太郎は遊女もろとも死んだ。若く、身も軽く、足も速かった彼らの方が犠牲者だった。

これは吉原のイメージとして象徴的な事件だったと隆慶一郎氏は語る。

足抜けを防ぐためにどんなことでもするというのは真実なのだろうか?

奇妙なことに「遊女籠の鳥説」を追ってゆくと、噂を広げたのが、吉原自身ではなかったかと思われことだった。なぜそうしたのか?

そもそも、吉原の内部は完全な自治が認められていた。他に許されているのは寺院しかない。両者に共通するのは「無縁」ということである。

こうしたところから、本書の設定が生まれてきたのだ。

本書を彩る登場人物は様々である。

主人公の松永誠一郎は後水尾の隠し子であり、新吉原を束ねる幻斎は吉原を造った庄司甚右衛門。

敵対するのが、裏柳生の柳生義仙。この義仙の兄が柳生宗冬である。

これらに花を添えるのが、伝説の花魁達。

伊達綱宗に身請けされ、その後酷い殺され方をした仙台高尾が登場し、同じく紀伊国屋風呂にいた湯女で、廓内に勝山髷をはやらせたといわれる花魁・勝山太夫が登場する。

そして、伝奇小説らしい登場人物としては「おばばさま」こと八百比丘尼である。八百比丘尼は人魚を食べて不老不死となったとされる伝説の人物である。

これぞ伝奇小説という人物設定は、南光坊天海。天海=明智光秀説を採っている。

天海僧正の前半生は不明である。歴史に登場した時には六十五才。以後の活躍が凄まじい。金地院崇伝を蹴落して黒衣の宰相となったのは八十一才だった。幕閣を裏から操り百八才まで生き抜いた。光秀の木像と位牌のある京都府の寺は慈眼寺。天海の諱は慈眼大師である。

もう一人、徳川家康も変わった設定をしている。徳川家康は、関ヶ原の戦いで殺され、その後を影武者が家康の代わりを務めつづけたという設定にしているのだ。

なぜ、こうしなければならなかったのかは、物語の最後で氷解することになる。

本書には続きとして、「かくれさと苦界行」がある。本来なら吉原者対柳生の対決というのは綱吉、吉宗の時代まで書き続ける予定だったという。だが、作者急逝のため、その夢が果たされることはなかった。

また、徳川家康影武者説を掘り下げた「影武者徳川家康」「柳生刺客状」、後水尾天皇を描いた「花と火の帝」(未完)がある。これらは本書の外伝として読んでもいいと思う。

さて、舞台となる新吉原だが、元吉原に対して明暦二年十月九日に町奉行所から所替えの命令が出て、移転先に浅草日本堤を選んだ。移転費用は同年十一月二十七日に出た。その矢先、明暦三年正月十八日に明暦の大火(振袖火事)が起きる。そして、ちょうど新吉原の営業が始まる時に本書の物語が始まる。

上記のようなタイミングもあり、または書き方にもよるのだが「明暦の大火があったから新吉原に移った」と受け取られる本もあるが、真相はすでに移転が決まっており、その後にたまたま大火が起きたのだ。

吉原を舞台にしているだけに、吉原にまつわる故事が多く書かれている。

一.清掻(すががき)の清(す)は素謡(すうた)の素(す)で、掻(がき)は琵琶を掻き鳴らすことをいっていたが、後に唄を唄わず、絃楽器のみを奏するのを「すががき」というようになった。

一.おいらんとは、おいらの姉さんという意味。禿(かむろ)が姉女郎をそう呼んだのが、今では女郎の総称となっている。ちなみに、京都の島原ではこったいさんという。こちの太夫さんが縮められたもの。

一.傾城屋の主を亡八とよぶ。孝、悌、忠、信、礼、義、廉、耻の徳目を忘れなければできないからだといわれる。だが、そうではなく、「ワンパ」という中国語の当字という説もある。ワンパとはスッポンの別名で罵言に使ったものだという。

一.京島原には太夫かしの式があり、吉原の引付はそれを簡単にしたものだ。唐の時代、長安の遊里平康里(ピンカンリー)を真似たのだ。

一.座り方。折敷(おりしき)といって、右膝を下につけ、左膝を少し立てる。右手で肘を張り、左手で袖口をとる。正式な型である。

一.吉原の大門の側に見返り柳があるが、これも独自のものではない。唐、宋の遊里は柳の木に囲まれていたという。柳の並木が色里の象徴だった。

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内容/あらすじ/ネタバレ

明暦三年(一六五七)旧暦八月十四日。

松永誠一郎は浅草日本堤に立った。誠一郎の師は宮本武蔵である。ものごころつく頃から肥後の山中で武蔵に育てられた。武蔵は十二年前に世を去ったが、二十五歳になるまで山を出ることを許されなかった。二十六歳になれば江戸へ行き、吉原に庄司甚右衛門をた訊ねることになっていた。

この明暦三年八月十四日は、新吉原が誕生し、営業の初日だった。吉原に足を入れ、誠一郎が庄司甚右衛門の名を出したとたん、周囲に殺気がみなぎった。

背後から馬に乗った男が抜討ってきた。誠一郎は眉を動かさず、見切っていた。これが冗談であることを知っていた。

誠一郎が西田屋につくと、庄司甚右衛門は十三年前に死んだという。応対したのは倅の甚之丞だった。誠一郎はいっとき茫然自失した。

この後、先ほどの馬上の男と再び出会った。男は水野十郎左衛門。三千石の旗本で、旗本奴神祇組の頭領だ。

誠一郎は水野に自分が宮本武蔵の弟子であることを話した。すると、それまで放射されつづけていた殺気がハタとやんだ。そして、奇妙な温かさが包んだ。

幻斎と名乗る老人と誠一郎は出会った。穿鑿好きで、あげくには吉原を案内するという。

幻斎と飲んでいる時に誠一郎はかすかに悲鳴を聞いた。誠一郎は黒装束の男たちを見て、それを斬った。逃げられ、もとの場所に戻ると、斬ったはずの者がいなくなっていた。

翌朝。誠一郎は勝山太夫にひとを斬ったねと囁かれた。そしたら、そこにおしゃぶが現われた。庄司甚之丞の娘だ。おしゃぶには不思議な能力が備わっていた。

大三浦屋に五人の老人が集まっていた。正面には幻斎。それに三浦屋四郎左衛門、野村玄意、山田屋三之丞、並木屋源左衛門だ。いずれも傾城屋の主である。四郎左衛門を除く三人は幻斎と全く同じ服装をし、髪型をしていた。つまりこの三人は幻斎の影武者であった。

相談の中心は松永誠一郎についてであった。

男が「神君御免状」を出せと誠一郎にいってきた。何のことか分からない。そう思っていたらいきなり斬りつけてきた。そこを通りかかったのが水野十左衛門だった。水野は男を狭川新左といっている。柳生のもののようだ。

誠一郎は水野に柳生宗冬を知っているかとたずねた。

柳生宗冬は松永誠一郎に会うつもりはなかった。だが三浦屋四郎左衛門からの書状には松永誠一郎が後水尾院の隠し子であり、証拠に誠一郎の刀は鬼切りの太刀だと書かれていたため会うことにした。それにしても、なんという因果か。

二十五年前の寛永九年正月。表柳生、裏柳生、尾張柳生のすべてを震撼させる事件が起きた。

後水尾天皇は徳川秀忠の娘・和子を妻としている。その後、後水尾天皇が突如として和子の産んだ興子内親王に譲位した。明正天皇だ。原因として「紫衣事件」や「春日局参内事件」があるとされたが、真実は違う。徳川秀忠によって、和子以外の女官から生まれた皇子は殺されたり流産させられたりしていたのだ。譲位の真因は怒りではなく、恐怖だった。

この皇子暗殺を一手に引き受けていたのが柳生一族だったのだ。

上皇となって三年目に生まれたのが誠一郎だった。これを知った徳川秀忠はすぐに柳生を差し向けた。これが寛永九年正月十七日の惨劇となった。柳生は襲撃を失敗し、皇子はどこかへと消えていった。

その皇子が柳生宗冬の前にいた。

幻斎は「神君御免状」について知りたくないかと聞いてきた。誠一郎は知りたい。その条件として幻斎から花魁を勝手に押しつけてきた。

御免状は吉原の秘事だ。生まれついての吉原ものか、深く吉原に馴染んだものでなければ明かすことができないのだ。

誠一郎のあいかたは仙台高尾に決まった。

その頃、柳生家上屋敷の門に義仙がたっていた。

高尾との初会で誠一郎は太夫を置き去りにして水野十左衛門と一緒に屋根で語り合っていた。

柳生義仙と柳生宗冬が対面していた。宗冬は暗澹たる気持ちだった。弟は何も分かっていない。宗冬は決心した。

宗冬は誠一郎の天才に賭けていた。義仙と裏柳生の持つすべての太刀筋を教え込み、裏柳生の暴走を止めようと考えたのだ。

松永誠一郎と高尾が契る日をさぐりだすのが勝山に与えられた指令だった。勝山は裏柳生のくノ一だ。腑抜けになった誠一郎の帰途を襲うのが狙いである。

義仙は七年前のことを思い出していた。それは兄・十兵衛三厳が何者かによって殺された事件だ。その事件に関係する男の姿を義仙は見つけていた。

幻斎と誠一郎を柳生義仙が襲った。幻斎は土手の道哲から長短二振りの剣を受け取った唐剣で応戦をする。柳生義仙四十才、松永誠一郎二十六才、天敵同士の激突だった。

幻斎は自分こそが庄司甚右衛門であることを明かした。十三年前に偽りの葬儀をしたのだ。

新吉原は一個の城だった。おはぐろどぶも、四郎兵衛番所も花魁を逃さぬための仕掛けと考えられているが、あれは吉原のものが流した噂だった。吉原は公儀から守るための城だった。公儀が吉原者を攻め滅ぼしたいわけは、大御所御免状にあった。

大御所御免状を取り戻したがっているのは、公方と手先の柳生一族だけだった。お墨付きが書かれたのは徳川家康逝去の三日前だという。その時側にいたのは天海僧正、本多正純だった。天海僧正こそは明智光秀だった。

柳生宗冬からすべての技の伝授が終えた時、誠一郎は自分が後水尾院の隠し子であることを知った。

重陽の節句に誠一郎と高尾が馴染みになった。その事を勝山は義仙に伝えており、この日刺客達が配置された。仕掛けられた罠に誠一郎がはまりこまずにすんだのは、おしゃぶのおかげだった。

新吉原に「おばばさま」が現われた。幻斎はこの尼が伝説の八百比丘尼であることを知っていたが、それは決しておばばさまの名前ではなかった。

幻斎がおばばさまを呼んだのは、おばばさまの力を借りて、夢の中で昔を体験してもらう必要があったからだった。

五百年も前の元永二年、鳥羽天皇の時代。誠一郎は吉原の人達が傀儡子一族であることを知った。天正十三年(一五八五)。紀州太田城。豊臣秀吉によりまたひとつ公界が消え去った。その昔、世俗権力の不入の地である公界が存在していたことを誠一郎は知ったのだった。そして、その公界は今の世にほとんどない。

公界は権力者にとって不都合な存在だった。そこで考え出された狡猾な方法が差別だった。これを極限まで推し進めたのが徳川幕府だった。

吉原では女達の身許を消していた。女衒達は全国から傀儡子の子供を集め、慎重に身許を消していた。そして花魁になった傀儡子の女の子達は二八才になると例外なく年季が明けて自由の身となり、大名や大町人の妾となったり、商家や直参旗本の正妻になった者もいる。

だが、この城はなかなかできなかった。庄司甚内と名乗っていた頃の幻斎が最期の賭に出たのは慶長五年だった。そこで見た徳川家康は庄司甚内も見知った世良田次郎三郎元信だった。

世良田は天海僧正によって推挙された徳川家康の影武者だった。それが関ヶ原の戦いで徳川家康が討たれてしまったため、表に出てきたのだった。徳川家康が死んだことが知れれば徳川家は瓦解する。そうさせないためにも、世良田が徳川家康でなければならなかった。

徳川秀忠の説得に当り、世良田を支えたのが天海僧正であり本多忠勝だった。だが、このあとは、影武者対秀忠の暗闘が始まる。

慶長十六年。家康と秀忠の動きを見て、庄司甚内は一つの結論を得た。御免遊里の嘆願書は家康=世良田に直接渡すべきであるということだ。

天海僧正は御免遊里とは表向きで、内実は傀儡子の公界を造るつもりかと訊いた。庄司甚内はそうだときっぱり言った。天海と家康は御免遊里設立を許した。

家康は最後の著名花押の前に、三文字を付け加えた。この三文字の加筆が、許し状を恐るべき爆裂弾と化した。

そしてこれこそが「神君御免状」をめぐる吉原と柳生との対決に結びつくものだった。

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本書について

隆慶一郎
吉原御免状
新潮文庫 約五〇〇頁
江戸時代

目次

日本堤
みせすががき
仲の町
水戸尻
待合の辻
大三浦屋
亡八
皇子暗殺
首代
猪牙
仙台高尾
初会

野分

大和笠置山
土手の道哲
三ノ輪
御免色里
馴染
おしげり
中田圃
柴垣節
八百比丘尼
傀儡子一族
紀州攻め
苦界
大鴉
影武者
関ヶ原
北西航路
杜鵑
勾坂甚内
三州吉良
樹々の音
勝山最期
凍鶴
傀儡子舞
歳の市
後記

登場人物

松永誠一郎
幻斎(庄司甚内、庄司甚右衛門)
おしゃぶ…甚之丞の娘
庄司甚之丞…西田屋主
三浦屋四郎左衛門
野村玄意
山田屋三之丞
並木屋源左衛門
耳助…遠聴の達者
おばばさま(八百比丘尼)
おしゃぶ…幻斎の姉
お清…幻斎の妻
勾坂甚内
土手の道哲
水野十左衛門
影山三十郎
高尾太夫
おれん
柳生宗冬
柳生義仙…裏柳生の総帥、宗冬の弟
狭川新左衛門
(柳生十兵衛三厳)
勝山太夫
吉次
酒井忠清
宮本武蔵…松永誠一郎の師
寺尾孫之丞…武蔵の弟子
後水尾院
徳川秀忠
徳川家康(世良田次郎三郎元信)
天海僧正(明智光秀)
本多忠勝

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