オオクニヌシノミコト
日本神話の神。大国主神の信仰は出雲大社を中心に、縁結びの神として広まっている。「日本書紀」では、農業・畜産を興して医療・禁厭(まじない)の法を定めたとされる。「播磨国風土記」などでは農業神ともされている。
出雲国造(いずものくにのみやつこ)の祖神。出雲大社の社家は、この古代「出雲国造」の直系に連なる家で、古代そのままに祭祀を司っている。
根の堅州国の須勢理毘売(すせりひめ)や、他には八上比売(やがみひめ)、沼河比売(ぬなかわひめ)などを妻とした。
「出雲国風土記」では天地創造神とされ、出雲における国土創造の伝承が、記紀と異なっていた。次第に加工されて皇室神話体系に組み込まれていった。
中世以来、大黒天と混同され福の神とされる。インドの大黒天が、名の類似(大国=だいこく)や、共に豊饒に関わる神と信じられたためである。
名前の意味
名は「大いなる国主」の意味。天照大御神をはじめとする高天原の神々=天津神(あまつかみ)に対して、元からいた神=国津神(くにつかみ)の主宰神をあらわす。
一般に知られた表記としては大国主命。古事記や日本書紀の記紀では大国主神。
別名として「古事記」で4種。大穴牟遅神(おおなむちのかみ)、葦原色許男神(あしはらのしこおのみこと)、八千矛神、宇都志国玉神(うつしくにだまのかみ)。
「日本書紀」で6種。大物主神、大己貴神(おおなむちのかみ)、葦原醜男、八千戈神(やちほこのかみ)、大国玉神、顕国玉神。
現国魂神(うつしくにたまのかみ)の名もある。
オオナムチ(大穴牟遅神、大己貴命)がよく用いられ、頻度としてはむしろ大国主神よりも高い。「大国主」の名は地上世界の支配者であることを表す最終的な称号であるため、そうなる前段階の名前の頻度が高くなっているだけである。
「古事記」では、成長過程などで各種の別名を多く用いられている。一方で、地上の支配者の立場で高天原の神々と対峙するときには、もっぱら大国主神の名を用いている。
両親
「古事記」では、父は天之冬衣神(あめのふゆきぬのかみ)。スサノオ(素戔嗚尊)の6世の子孫とされる。
「日本書紀」によると、素戔嗚尊が八岐大蛇から救った奇稲田姫との間に生まれた子。
まったく異なる記述だが、スサノオの系統であることは共通している。
逸話
スサノオやヤマトタケル同様に、ジョーセフ・キャンベルの「千の顔をもつ英雄」の英雄の構造に従って逸話を見るのが良い。
基本の構造は「分離(セパレーション)⇒通過儀礼(イニシエーション)⇒帰還(リターン)」である。
因幡(いなば)の白兎
兄弟神の八十神(やそがみ)たちが、八上比売(ヤガミヒメ)に求婚するため旅立ったとき、オオナムチは一行の従者として従っていた。
その旅の途中で白兎が苦しんでいるのに遭遇する。白兎に話を聞くと、白兎が鰐をだましたために皮をはがされてしまった。兄の八十神たちは白兎に塩を塗り込めば治ると嘘を教え、白兎はさらに苦し無ことになっていたのだ。
それを聞いたオオナムチは白兎に真水で体を洗い、ガマ(蒲)の花粉の上に転がっているよう教えた。すると白兎はすぐに良くなった。
感謝した白兎はオオナムチに、あなたが八上比売の心をつかむだろうと告げた。そして白兎のお告げの通りにオオナムチが八上比売の心をつかんだ。
2度の死
これに兄神の八十神たちは怒って、八十神たちはオオナムチを殺すことにした。オオナムチは2度殺される。だが、2度とも母神の助けで蘇生する。
オオナムチを伯岐国の手前の山麓に連れ、赤い猪を捕まえさせることにした。赤い猪は、猪に似た大石を火で焼いたものだった。それを捕えようとしたオオナムチは石に焼かれて死んだ。
オオナムチの母・刺国若比売(サシクニワカヒメ)はこれを悲しみ、高天原の神産巣日神(カミムスビ)に救いを求めた。カミムスビが遣わしたキサガイヒメ(𧏛貝比売)とウムギヒメ(蛤貝比売)によりオオナムチは生き返る。
八十神たちは、再びオオナムチを殺すことにした。大木を切り倒して割れ目を作り、オオナムチを割れ目に入れて打ち殺した。母・刺国若比売はオオナムチを見つけると、すぐに木を裂いて取り出して生き返らせた。
刺国若比売は、八十神たちに三度殺されるだろうから、木国の大屋毘古神(オオヤビコ)の所へ行かせた。だが、オオヤビコの所へ八十神たちがやってきた。オオヤビコはオオナムチをスサノオのいる根の堅州国に逃がした。
スサノオとの邂逅
スサノオを訪ねたオオナムチはスサノオの娘・須勢理毘売命(スセリビメ)に迎えられる。そして、互いに一目ぼれした。
スセリビメは父・スサノオに立派な神が来たと告げたが、スサノオはただの醜男なので、葦原色許男神(アシハラシコヲ)と呼んだ方が良いと言って、蛇がいる部屋に泊めさせた。
スセリビメは蛇の比礼(ひれ)オオナムチにさずけ、蛇が襲ってきたら比礼を三度振るよう伝えた。オオナムチはスセリビメに助けられ、蛇のいる部屋での宿泊を無事に過ごした。次の日は、ムカデと蜂がいる部屋に泊まらされた。またもスセリビメが助け、無事に過ごした。
スサノオは広い野原の中から、鳴鏑(なりかぶら)を探すようにオオナムチに頼んだ。オオナムチが野原に入るとスサノオは火を放った。周りを火に囲まれたオオナムチのそばに鼠が来て、地面の穴に隠れて火が消えるのを待った。そして、鼠は鳴鏑を持って来てくれた。無事この試練も潜り抜けた。
スサノオはオオナムチを家に入れ、頭の虱を取るように頼んだ。だが、スサノオの頭にいたのはムカデだった。オオナムチはスセリビメからもらった椋(むく)の実を噛み砕き、赤土を口に含んで吐き出していると、スサノオはムカデを噛み砕いているのだと思いこんだ。
そのうちに眠り込んでしまったスサノオを見てオオナムチはスセリビメと一緒に逃げることにした。スサノオの髪を部屋の柱に結びつけ、大きな石で部屋の入口を塞いだ。
スサノオの生大刀(いくたち)、生弓矢(いくゆみや)、スセリビメの天詔琴(あめののりごと)を持ち、スセリビメを背負って逃げ出した。逃げる時にスサノオが目を覚ましたが、髪が結びつけられていたため、その隙い逃げることができた。
スサノオは、葦原中津国(地上)に通じる黄泉比良坂(よもつひらさか)まで追ったが、オオナムチに生大刀、生弓矢で八十神たちを追い払え、と命じた。
そして大国主(オオクニヌシ)、また宇都志国玉神(ウツシクニタマ)の名を与え、スセリビメを妻とすることを許した。
オオクニクシとなったオオナムチは出雲国へ戻ってスサノオから授かった生大刀、生弓矢で、八十神たちを追い払った。
そしてスセリビメを正妻にして、宇迦の山のふもとの岩の根に住み、国づくりを始めた。
八上比売は本妻のスセリビメを恐れ、オオナムチの子を木の俣に刺し挟んで実家に帰ってしまう。
オオクニヌシの妻問い
オオクニヌシ(八千矛神(ヤチホコ))は高志国の沼河比売(ヌナカワヒメ)を妻にしようと出かけ、歌をよみかわした。スセリビメは大変嫉妬した。
狼狽したオオクニヌシは出雲国から大和国に逃れ、その際にスセリビメに歌をよんで、スセリビメが歌を返して互いに杯を交わした。
国造り
オオクニヌシとなったオオナムチはスクナビコナ(少名毘古那神)の協力を得て国造りを始める。
イザナミの死によって未完のまま放置されていた中つ国(=地上)の国造りの完成を目指す。
その途中でスクナビコナが去ることになった。
呆然としているオオクニヌシの前に現れたのが、オオモノヌシ(大物主神)であった。
オオクニヌシはオオモノヌシの言葉に従い、国造りを進める。
こうして国造りを終えたオオクニヌシは出雲を根拠地として、天孫降臨前の地上世界における支配者となる。
「万葉集」「古語拾遺」には農作物の栽培等を教えたとする伝承もあり、オオクニヌシとスクナビコナの大小二神が対で国土の主であったと考えられている。
そのため、各地の神社でも大小二神が祀られているケースがみられる。
国譲り
アメノホヒの派遣
アマテラスは、子のアメノオシホミミに地上を治めさせようと考えていた。だが、下界は騒がしく手が負えない状況だった。
アマテラスはタカミムスビと相談して、アメノホヒを遣わして地上を鎮めようとした。だが、アメノホヒはオオクニヌシの家来となって3年たっても戻ってこなかった。
アメノワカヒコの派遣
次に天之麻迦古弓(あめのまかこゆみ)と天之羽々矢(あめのははや)を与えて遣わしたのがアメノワカヒコだった。だが、アメノワカヒコはオオクニヌシの娘・下照比売(シタテルヒメ)と結婚してしまい、戻ってこなかった。
不審に思ったアマテラスはキザシノナナキメ(雉名鳴女)を遣わして、役目を果たさないアメノワカヒコに理由を問うた。
キザシノナナキメがアメノワカヒコの家の前で大きな鳴き声をあげると、アメノサグメ(天佐具売)がキザシノナナキメを射殺してしまえとそそのかした。アメノワカヒコは天之波士弓(あめのはじゆみ)と天之加久矢(あめのかくや)でキザシノナナキメを射抜いた。
矢はアマテラスはタカミムスビのところに届き、タカミムスビは矢に付いた血を見てアメノワカヒコを試すことにした。
アメノワカヒコが命に背いていなければ、矢は当たらない。背いたなら矢は当たる。タカムスビが戻した矢はアメノワカヒコに当たって死んでしまう。
タケミカヅチの派遣
次に派遣されたのがイツノオハバリ(伊都尾羽張神)の子・タケミカヅチ(建御雷之男神)だった。タケミカヅチはアメノトリフネ(天鳥船神)を副使にして地上に降りた。タケミカヅチは鹿島神宮の主祭神である。
タケミカヅチは出雲の伊那佐之小浜(いなさのおはま)に降り、十掬剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さまに立て、その切先にあぐらをかいて座った。
そしてオオクニヌシに対してアマテラスが子に地上を治めさせたいと考えていると告げた。
オオクニヌシは自分の一存では決められないので、息子のコトシロヌシ(事代主神)に訊ねるよう言った。
コトシロヌシは漁に出ていたが、戻ってくると国譲りを承諾し、船をひっくり返し、逆手を打って船の上に青柴垣(あおふしがき)を作って、その中に隠れた。
タケミカヅチは他に聞くべきものがいるかと聞くと、オオクニヌシは一人の息子タケミナカタ(建御名方神)にも訊ねるように言った。
タケミナカタは納得せず、タケミカヅチに力勝負を挑む。だが、力かなわず、ホウホウの体で諏訪まで逃げて、降伏する。タケミナカタは諏訪大社の主祭神である。
オオクニヌシの国譲り
2人の子供の様子を見て、オオクニヌシは自分の御殿を天つ神の御子のものと同じようにつくってもらうということを条件に国譲り承諾する。
そして、タケミカヅチは地上を平定し、高天原に戻った。
「日本書紀」では、国造りや国譲りの話はあるが、因幡の白兎などの話は欠いている。
因幡の白兎に似た話はインドネシアなどにもあるため、南方から伝播し、大国主命の神話に結び付いて定着したともいわれる。
妻・子孫
子供の数は「古事記」には180柱、「日本書紀」には181柱と書かれている。
嫡后:スセリビメ
- 須勢理毘売命(すせりびめのみこと、須勢理姫命)
- 「日本書紀」では須勢理姫神
- 須佐之男命の娘
妻:タキリビメ
- 多紀理毘売命(たきりびめのみこと)
- 「日本書紀」では田心姫命
- 「播磨国風土記」では奥津嶋比売命
- 須佐之男命の娘で宗像三女神の長女。宗像の奥都島(おきつしま)に鎮座。
子:アジスキタカヒコネ
- 阿遅鉏高日子根神(あじすきたかひこねのかみ)
- 「古事記」では他に迦毛大御神
- 「日本書紀」では味耜高彦根神
- 「出雲国風土記」では阿遅須枳高日子命
娘:シタテルヒメ
- 下照比売(したてるひめのみこと、高比売命、下光比売命、稚国玉)
- 「日本書紀」では下照姫命
妻:カムヤタテヒメ
- 神屋楯比売命(かむやたてひめのみこと、高降姫神)
- 「日本書紀」では高津姫神
- 高津姫神は宗像三女神の次女で、辺都宮(へつみや)に鎮座。
子:コトシロヌシ
- 事代主神(ことしろぬしのかみ、都味歯八重事代主神)
- 鴨都波神社・天高市神社・飛鳥坐神社祭神
- 賀茂氏・大神氏の祖
娘:タカデルヒメ
- 高照光姫大神命(たかでるひめのおおかみのみこと)
- 御歳神社祭神
妻:ヤガミヒメ
- 八上比売(やがみひめ、「先代旧事本紀」では稲羽八上姫)
- 因幡の白兎の逸話に登場。
子:キノマタ
- 木俣神(きのまたのかみ、御井神)
- 木俣に刺し挟まれたことからの名。
妻:ヌナカワ
- 沼河比売(ぬなかわひめ、こしのぬながわひめ)
- 「先代旧事本紀」では高志沼河姫
- 「出雲国風土記」では奴奈宜波比売命
- 高志国における妻問いの相手
子:タケミナカタ
- 建御名方神(たけみなかたのかみ)
- 諏訪氏、守矢氏の祖
- 諏訪大社祭神
妻:トトリ
- 鳥取神(ととりのかみ、鳥耳神、鳥甘神)
- 八島牟遅能神(やしまむぢのかみ)の娘
子:トリナルミ
- 鳥鳴海神(とりなるみのかみ)
- この神を含む系譜は十七世神と称される。
- 「出雲国風土記」のみ登場の妻子
妻:アヤトヒメ他
- 綾戸日女命(あやとひめのみこと)宇賀郷の妻
- 真玉著玉之邑日女命(またまつくたまのむらひめのみこと)神門郡朝山郷の妻。
- 八野若日女命(やのわかひめのみこと)神門郡八野郷の妻。
- 弩都比売(のつひめ)
- 許乃波奈佐久夜比売命(このはなさくやひめのみこと)
子:ヤマシロヒコ他
- 山代日子命(やましろひこのみこと)意宇郡山代郷
- 和加布都努志能命(わかふつぬしのみこと)秋鹿郡大野郷、出雲郡美談郷
- 阿陀加夜努志多伎吉比売命(あだかやぬしたききひめのみこと)神門郡多伎郷
- 火明命(ほあかりのみこと)弩都比売との子
- 阿賀比古・阿賀比売(あがひこ・あがひめ)飾磨郡英賀郷
- 伊勢都比古命・伊勢都比売命(いせつひこのみこと・いせつひめのみこと)揖保郡林田郷
- 石龍比古命・石龍比売石(いわたつひこのみこと・いわたつひめのみこと)揖保郡出水郷
- 建石敷命(たけいわしきのみこと、建石命)神前郡
- 玉足日子・玉足比売命(たまたらしひこ・たまたらしひめのみこと)讃容郡雲濃郷
- 爾保都比売神(にほつひめのかみ)丹生都比売神社祭神
- 白比古神(しらひこのかみ)白比古神社の祭神
- 奈鹿曽彦命・奈鹿曽姫命(なかそひこのみこと・なかそひめのみこと)奈鹿曽彦神社・奈鹿曽姫神社の祭神