小野好古:藤原純友を討伐した武人であり歌人

歴史上の人物
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武人であり歌人

小野好古(おののよしふる)

元慶8(884)~安和1(968)。85歳。

平安時代中期の武将。歌人。

参議・小野篁(たかむら)の孫。大宰大弐・小野葛絃(くずお)の次男、小野道風(みちかぜ)の兄。野大弐、野宰相とも。母は王氏の女(むすめ)。

小野氏は古代の豪族。和珥(わに)氏の同族。古事記の氏族系譜によれば孝昭天皇の皇子天押帯日子(あめのおしたらしひこ)命を始祖とする。

右衛門権佐、中宮大進などを経て、承平8(938)年右近衛少将に任じられる。

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承平天慶の乱で活躍

天慶3(940)年、前伊予掾・藤原純友が反乱(天慶の乱)すると、山陽道追捕使兼南海道追捕使となり、兵を海陸に進めた。源経基も追捕使となる。

天慶4(941)年、藤原純友は大宰府に放火し略奪を行ったが、好古は陸路より、藤原慶幸、大蔵春実らは海路より進み、春実の奮戦はとくにめざましく、兵船を率いて筑前博多津において大勝を得る。藤原純友は伊予国に逃れ、6月に殺された。好古は8月に帰京した。

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