室町時代・戦国時代・安土桃山時代(1336年~1603年)

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建武の新政 1333–1336

1333(正慶2)
記録所、恩賞方、雑訴決断所、武者所を設置する
後醍醐天皇が光厳天皇を廃し京都に帰る
後醍醐天皇は隠岐を脱出、名和長年を頼る
護良親王(後醍醐天皇の子)が征夷大将軍となる
足利尊氏が六波羅探題を攻め落とし、新田義貞が鎌倉を攻め幕府が滅びる
1334(正慶3)
建武の新政
後醍醐天皇による親政で延喜・天暦の治を理想とする武士よりも貴族・寺社を重んじた為、武士の不満が高まる
二条河原落書き護良親王が鎌倉に流される
報国寺(鎌倉市)創建
1335(正慶4)
延元の乱(足利尊氏が後醍醐天皇の政権に対して挙兵)
足利尊氏は時行を破り鎌倉に入り反旗を翻す
箱根・竹ノ下の戦い(足利尊氏が新田義貞を破る)
北条時行が鎌倉を攻め(中先代の乱)、足利直義は護良親王を殺して京都へ逃げる
北条時行の反乱で幕府の再興を果たしたが、足利尊氏によって20日間で滅びた
1336(延元1)
後醍醐天皇は吉野に移る(南北朝時代の始まり)
光明天皇が即位する(北朝)
足利尊氏・足利直義と新田義貞・楠木正成の戦いで、足利尊氏が勝利する
足利尊氏が建武式目を定める
足利尊氏が入京する
足利尊氏は入京する後醍醐天皇は比叡山へ
足利尊氏は京都に入り光明天皇を擁立
足利尊氏は室町幕府を開き、建武式目を定める
湊川の戦い(足利尊氏を迎え撃ち楠木正成は湊川で戦死)
多々良浜の戦い(足利尊氏は菊池武敏を破り九州を固める)
豊島河原合戦(足利尊氏と新田義貞・北畠顕家の戦い足利尊氏は九州へ敗走)

南北朝時代 1336–1392

1336(延元1)
後醍醐天皇は吉野へ逃れる(南朝)
1338(延元3)
石津の戦い
足利尊氏が征夷大将軍になり京都に室町幕府を開く
藤島の戦い
新田義貞(南朝)と斯波高経(北朝)の戦い北朝の勝利
北畠顕家(南朝)と高師直(北朝)の戦い北朝の勝利
北畠顕家は和泉で、新田義貞は越前福島で戦死
北畠親房ら吉野へ帰還
1339(延元4)
義良親王が吉野に帰り即位、後村上天皇となる後醍醐天皇没
尊氏が暦応寺(翌年天竜寺と改称)を建立
北畠親房が『神皇正統記』を著す
1342(暦応5・康永1)
天龍寺造営費の獲得の為、天龍寺船を元(モンゴル)に渡航(貿易)
1348(正平3)
四條畷の戦い
楠木正行が高師直と河内四条畷で戦い戦死崇光天皇即位(北朝)
1349(正平4)
関東の統治機関である鎌倉府が出来る鎌倉府の初代長官(鎌倉公方)は足利基氏補佐役として関東管領(主に上杉氏一族の世襲)が置かれる
足利基氏、鎌倉公方に
1350(正平5)
観応の擾乱
足利政権の内乱(足利直義・高師直が死去)
尊氏の子足利直冬が九州で挙兵、尊氏は追討のため出京足利直義が南朝に降る
1351(正平6)
尊氏・義詮が南朝方に降伏
北朝は崇光天皇を廃す
1352(正平7)
観応の半済令
後光厳天皇即位(北朝)
戦乱の為、守護が年貢の半分を徴発可能になるこれにより守護の支配力が強くなり守護大名と発展する
1358(正平13)
足利尊氏が死去
1359(正平14)
足利義詮が2代目将軍となる
筑後川の戦い
懐良親王(南朝)と少弐頼尚(北朝)の戦い南朝の勝利九州地方は南朝が支配
1367(正平22)
鎌倉公方足利基氏が没し氏満が跡を継ぐ
高麗の使者が来て倭寇の禁止を求める
南北朝和睦の話し合いが決裂
1368(正平23)
応安の半済令が定められる
足利義満が3代目将軍となる
長慶天皇即位
幕府が皇室領以外の荘園に半済を行う
1369(正平24)
明の使者が来日、倭寇の禁止を求める
1371(応安4)
後円融天皇即位(北朝)
1378(天授4)
足利義満が京都室町通に花の御所を造営する
1379(天授5)
康暦の政変
斯波氏が細川頼之を失脚させる
1382(永徳2)
後小松天皇即位
1383(永徳3)
後亀山天皇即位
1384(元中1)
中条兵庫頭長秀(剣豪)死去(近世剣術諸流の三大源流の一つ念流に連なる、中条流平法の祖)
1389(元中6)
土岐康行の乱(足利義満が土岐氏を陥れる謀略で土岐康行が敗死する土岐氏の守護領国は3国から1国になる)
1391(元中8)
足利義満が細川頼之を呼び戻す
足利義満が山名氏を陥れる謀略で山名氏清、山名満幸を滅ぼす山名氏の守護領国は11国から3国に激減する
明徳の乱(幕府が山名氏清を討つ)
1392(元中9)
明徳の和約 後亀山天皇(南朝)が吉野から京都に帰り三種の神器(八咫鏡・八尺瓊勾玉・天叢雲剣)を後小松天皇(北朝)に譲り南北両朝が合一

安定期 1393–1467

1394(応永1)
足利義満が太政大臣となる
1397(応永4)
足利義満が北山に金閣寺(鹿苑寺)を建立
1398(応永5)
幕府、三管領(細川・斯波・畠山)・四職(山名・一色・京極・赤松)の制を整備
1399(応永6)
応永の乱(足利義満が大内氏を陥れる謀略で大内義弘を滅ぼす大内氏の守護領国は6国から2国になるその後、大内盛見によって4国にまで拡大した)
1400(応永7)
世阿弥元清の『風姿花伝』ができるこの頃能楽が盛んになる
大塔合戦(信濃の支配権を巡る争い)
1401(応永8)
明(中国)と国交の開始明からの国書では足利義満が日本国王
1404(応永11)
勘合貿易の開始明との貿易で倭寇対策に勘合を使用した輸入品は銅銭(永楽通宝)・織物・書物など輸出品は硫黄・銅・刀剣など治安対策として倭寇の取締りを強化
1408(応永15)
足利義満没
1411(応永18)
明と国交一時断絶
1412(応永19)
称光天皇即位
1416(応永23)
上杉禅秀の乱( 関東管領を巡る上杉氏の反乱、元関東管領の上杉禅秀らが鎌倉公方足利持氏に反抗し鎌倉を攻めるが敗北)
1419(応永26)
応永の外寇(李氏朝鮮による対馬侵攻日本の勝利)
1428(正長1)
後花園天皇即位
将軍足利義持没くじ引きで将軍が決まる幕府は弟の僧義円(環俗して義宣)を迎える義宣は名を義教と改め、6代目将軍足利義教となる足利義教の政治は万人恐怖と言われる
正長の土一揆(全国的に飢饉・疫病が流行農民による初の一揆で私徳政が実施)
1429(永享1)
尚巴志が琉球王国を建国
播磨の土一揆(政治要求をした一揆鎮圧された)
1432(永享4)
勘合貿易の復活
上杉憲実が足利学校を再興する
1435(永享7)
足利義教が比叡山を焼き討ちにする
1438(永享10)
鎌倉公方(足利持氏)と関東管領(上杉憲実)との対立で足利義教が足利持氏を討伐
永享の乱(関東管領上杉憲実が幕府に反した鎌倉公方足利持氏を攻め、翌年自害させる)
1440(永享12)
結城合戦(結城氏朝が足利持氏の遺児を擁して挙兵幕府側の勝利)
1441(嘉吉1)
嘉吉の土一揆 - 京都周辺の一揆で幕府が徳政令を実施
嘉吉の乱(赤松満祐が将軍足利義教を自身の邸に招き暗殺管領細川持氏は義教の子義勝を将軍にし、赤松満祐を攻め自害させる守護大名の山名氏などの勢力が拡大)
1443(嘉吉3)
禁闕の変(後南朝の組織による後花園天皇の襲撃事件)
足利義政が8代目将軍となる正室は日野富子
1449(宝徳1)
足利持氏の子成氏を鎌倉公方に任じる
1454(享徳3)
享徳の土一揆が起こり、幕府が徳政令を認める鎌倉公方足利成氏が上杉憲忠を殺し、関東が乱れる
1455(康正1)
足利成氏が幕府の追討を受け、下総古河に移り、古河公方と呼ばれるようになる
1457(長禄1)
コシャマインの戦い(アイヌ人と倭人の争い)
足利義政が弟の政知を伊豆堀越に派遣し、堀越公方と呼ばれるようになる
太田道灌が江戸城を築く
蓮如が本願寺八世の法主となる
1464(寛正5)
後土御門天皇即位
1466(寛正7)
足利義政の側近(伊勢貞親・季瓊真蘂)が追放され、将軍による政治の権力が衰え応仁の乱へと続く
文正の政変

戦国時代 1467–1590

1467(応仁1)
応仁の乱(山名宗全・畠山義就ら西軍と細川勝元ら東軍とが京都で戦う)
1471(文明3)
朝倉敏景が越前の守護になる蓮如が越前古崎道場を建てる
1474(文明6)
一休が大徳寺住職になる
加賀国で一向一揆が起こり、守護富樫政親の兵と戦う
山名政豊と細川政元が和睦
1477(文明9)
応仁の乱が終結(大内政弘・畠山義就ら西軍諸将が領国に帰る)
1479(文明11)
蓮如が山科本願寺を建てる
1482(文明14)
足利義政が東山銀閣寺の造営を始める
1484(文明16)
畠山政長と畠山義就の軍が宇治で戦う
1485(文明17)
山城国一揆(山城の国人・農民が団結して両畠山軍を追い出し、8年間自治を行った)
1486(文明18)
太田道灌、主君上杉定正に暗殺される
1488(長享2)
実蒔原の戦
高尾城の戦(長享の一揆)
須賀谷原の戦
高見原の戦
加賀一向一揆(守護・富樫政親を追い払い約100年の間、自治を行うようになる)
飯篠長威斉家直(剣豪)死去
1489(延徳1)
足利義政が銀閣寺を建立
1490(延徳2)
足利義政没銀閣寺の完成
1493(明応2)
伊勢宗瑞(北条早雲)、伊豆討入り
明応の政変
管領・細川政元が10代目将軍足利義材を廃して、足利義澄を11代目将軍とする
1494(明応3)
上杉定正が死去
1495(明応4)
鎌倉大地震
伊勢宗瑞(北条早雲)、小田原城を居城にする
北条早雲が小田原城を攻め、城主大森藤頼を追い出す
1496(明応5)
蓮如が石山本願寺を建立
1498(明応7 )
足利茶々丸が死去
明応大地震
1500(明応9)
後柏原天皇が即位
1503(文亀3)
大森藤頼が死去
1504(永正1)
立河原の戦
般若野の戦
加賀・能登・越中の一向一揆が守護朝倉貞景に破れ、古崎道場などが潰れる
1507(永正4)
永正の錯乱(細川政元が暗殺される首謀者の細川澄之は自害細川澄元が管領となるが細川高国と権力争いをはじめる)
長享の乱の終結(扇谷上杉家が山内上杉家と和睦)
1508(永正5)
細川高国が管領となり、前将軍義稙が京都に戻り再び将軍となる幕府が撰銭令を出す
坊峰合戦で油川(武田)信恵が死去
1510(永正7)
三浦の乱
長森原の戦で上杉顕定が死去
李氏朝鮮の三浦(釜山浦・薺浦・塩浦)で起きた対馬の宗氏・恒居倭人(貿易の為に朝鮮に居留している日本人)の反乱
1511(永正8)
船岡山合戦(足利義材・細川高国・大内義興と足利義澄・細川澄元との争い足利義材の勝利)
1516(永正13)
北条早雲が三浦氏を滅ぼす
幕府が大内義興に対明貿易の独占権を認める
1517(永正14)
有田中井手の戦で武田元繁が死去
1519(永正16)
伊勢宗瑞(北条早雲)が死去
今川義元誕生
1521(大永1)
関東管領の山内上杉氏と扇谷上杉氏が争う
細川高国が足利義晴(足利義澄の子)を12代目将軍とする
上条河原の戦で福島正成が死去
甲斐にて武田信玄(晴信)誕生
1523(大永3)
寧波の乱(大内義興と細川高国による勘合貿易の争いこの頃より密貿易などを目的とした後期倭寇が盛んになる)
毛利元就、家督を相続、郡山城主となる
1524(大永4)
北条氏綱、江戸城主上杉朝興を敗り、江戸城に入る
1526(大永6)
後奈良天皇即位
今川氏親が死去
里見義堯、鎌倉へ侵攻
武田信虎、駿河にて北条氏綱を破る
1527(大永7)
三河にて酒井忠次 誕生
西村正利(斎藤道三)、守護の土岐頼武を攻め越前国に追放
大和にて柳生宗厳誕生
1528(享禄1)
大内義興が死去し、大内義隆が大内家を継ぐ 
1530(享禄3)
越後にて上杉謙信(景虎・政虎・輝虎)誕生
1531(享禄4 )
森山崩れ
天王寺の戦
大物崩れ(細川晴元(細川澄元の子)・赤松政祐・三好元長(三好長慶の父)と細川高国・浦上村宗の戦い細川晴元の勝利で細川高国は自害した)
1532(天文1)
細川晴元が家臣の三好元長を殺害する
織田信秀、那古野城を奪い居城に
1534(天文3)
尾張勝幡城にて織田信長(幼名 吉法師)誕生
1532(天文1)
大和の一向一揆が興福寺を焼くなど、畿内各地で一向一揆が起きる
本願寺証如が畠山義宣を攻め堺で自害させる
1536(天文3)
少弐資元が死去
1536(天文5)
今川氏輝が死去
花倉の乱で今川義元が勝利
天文法華の乱(延暦寺の僧徒が京都の法華寺院を焼きつくす)
今川義元、家督を継ぎ、武田信虎の娘を娶る
1537(天文6)
上杉朝興が死去
尾張国中村にて豊臣秀吉(木下藤吉郎)誕生
細川晴元、畿内を平定
1538(天文7)
国府台合戦(第一次)で北条氏綱が里見家に勝利、足利義明が死去
尾張にて前田利家誕生
1539(天文8)
大内義隆が勘合貿易を始める
土佐にて長宗我部元親(幼名 弥三郎)誕生
1540(天文9)
吉田郡山城の戦い(毛利元就、尼子晴久軍を撃退)
1541(天文10)
ポルトガル船が豊後に漂着
吉田郡山城の戦で尼子久幸が死去
武田晴信(信玄)が父の武田信虎を駿河国に追放する
北条氏綱が死去し、北条氏康が家督を継ぐ
1542(天文11)
浅井亮政が死去
太平寺の戦
月山富田城の戦(第一次)
諏訪頼重が死去
小豆坂の戦(第一次)
大桑城の戦(斎藤利政(道三)、主人の土岐頼芸を追放)
岡崎城にて徳川家康誕生(幼名 竹千代)誕生
長尾為景が死去
伊賀忍者の頭領、二代目服部半蔵(正成)誕生
山名祐豊、生野銀山の本格採掘を開始
天文の乱
武田晴信、諏訪頼継を破り諏訪平定
1543(天文12)
鉄砲伝来(ポルトガル人が種子島で鉄砲を伝える)
水野忠政が死去
1544(天文13)
美濃にて竹中重治(竹中半兵衛)誕生
1545(天文14)
近江にて浅井長政 誕生
1546(天文15)
河越夜戦で勝利した北条家が武蔵国を平定、上杉朝定が死去
足利義輝(足利義晴の子)が13代目将軍となる
尾張にて山内一豊 誕生
姫路城にて黒田官兵衛義高(晩年〜如水)誕生
1547(天文16)
舎利寺の戦
小田井原の戦で笠原清繁が死去
松平広忠、子の竹千代(徳川家康)を人質として今川義元に送る途中織田信秀に奪われる
田原本宿の戦で戸田康光が死去
加納口の戦
信濃にて真田昌幸 誕生
武田信玄が甲州法度を定める
1548(天文17)
上田原の戦で村上義清が武田家に勝利(板垣信方、甘利虎泰が死去)
塩尻峠の戦
小豆坂の戦(第二次)で、今川義元が織田信秀に勝利
長尾景虎(上杉謙信)、長尾家を継ぐ
斎藤利政(道三)、娘 帰蝶(濃姫)を織田信長に嫁がせる
三河にて本多忠勝、榊原康政 誕生
1549(天文18)
松平広忠、暗殺される
江口の戦
キリスト教伝来(イエズス会の宣教師 フランシスコ・ザビエルが薩摩に上陸)
大石定久が死去
織田信長が斉藤道三の娘である濃姫と婚姻する
1550(天文19)
二階崩れの変(大友義鑑が死去)
戸石崩れ(横田高松が死去)
ザビエルが山口・京都で布教
1551(天文20)
織田信秀が死去し、織田信長が家督を相続
遊佐長教が死去
大寧寺の変(陶晴賢が主君・大内義隆を殺害する)
勘合貿易の廃絶
相良武任が死去
1552(天文21)
高遠頼継が死去
赤塚の戦
北条氏康、関東管領上杉憲政を追放し、関東を支配下に
六角定頼が死去し、六角(義賢)承禎が家督を継ぐ
1553(天文22)
毛利輝元誕生
平手政秀、織田信長を諫めて自害
長尾晴景が死去
川中島の戦(第一次)
葛尾城攻め(武田晴信(信玄)、村上義清を越後へ追う)
三好長慶、畿内を平定
1554(天文23)
武田信玄・北条氏康(北条早雲の孫)・今川義元が甲相駿三国同盟を結ぶ
門司城の戦(第一次)
新宮党の変(尼子国久が死去)
木下藤吉郎(豊臣秀吉)、織田信長に仕える
1555(弘治1)
織田信長、守護代織田信友を自害させ清洲城に入る
朝倉宗滴が死去
厳島の戦(陶晴賢が死去)毛利元就(5千)と陶晴賢(3万)の戦い毛利元就の謀略で勝利毛利元就はほぼ中国地方を支配に治めるようになる
太原雪斎が死去
諏訪御料人が死去
1556(弘治2)
長良川の戦(斎藤道三が死去)
稲生の戦(林美作が死去)
1557(永禄1)
門司城の戦(第二次)
1557(弘治3)
勝山城の戦(大内義長が死去)
大内義長、毛利元就に攻められ、長門勝山城にて自決
志道広良が死去
後奈良天皇崩御
正親町天皇即位
織田信長、弟の織田信行を殺害
毛利元就、毛利隆元・吉川元春・小早川隆景に一心協力を訓戒「三本の矢」の逸話となる
1558(永禄1)
浮野の戦
1559(永禄2)
秋月種実、旧領を回復
岩倉城の戦
合勢川の戦
武田晴信、信玄を名乗る
結城政勝が死去
門司城の戦(第三次)
阿蘇惟豊が死去
北条氏政、家督を継ぐ
駿河にて松平信康(幼名 竹千代、正室 織田信長の娘 五徳)誕生
織田信長、上洛、足利義輝に謁見、尾張統一宣言
1560(永禄3)
桶狭間の戦(今川義元が死去)織田信長(5千)と今川義元(2万5千)の戦い織田信長は奇襲で今川義元を討ち取る徳川家康は今川氏から独立
足利晴氏が死去
野良田の戦
武田信玄、甲相駿三国同盟を破棄し駿河国へ侵攻
越後にて直江兼続誕生
近江にて石田三成 誕生
山口教継が死去
1561(永禄4)
尼子晴久が死去
小田原城攻め(上杉謙信)
長尾景虎(上杉謙信)、上杉憲政から関東管領職を継ぐ
十河一存が死去
斎藤義龍が死去し、斎藤龍興が家督を相続ぐ
門司城の戦(第四次)
川中島の戦(第四次)(武田信繁、諸角昌清、山本勘助が死去)
将軍地蔵山の戦
長野業正が死去
遠江にて井伊直政 誕生
1562(永禄5)
織田信長と松平(徳川)家康による清洲同盟成立
鵜殿長照が死去
久米田の戦
教興寺の戦
川原御所の変
毛利元就、出雲侵攻開始
岐秀元伯が死去
関口親永が死去
1563(永禄6)
朝倉城の戦
松平元康、家康に改名
三好義興が死去
善通寺合戦
毛利隆元が死去
山城にて細川忠興誕生
織田信長、小牧山城を居城とする 
上泉伊勢守信綱(剣豪)が諸国遍歴の旅に出る
1564(永禄7)
原虎胤が死去
国府台合戦(第二次)
松平家康、三河の一向一揆平定
竹中半兵衛、稲葉山城をのっとるが斎藤龍興に返却
上泉伊勢守信綱丸目蔵人佐長恵が将軍・足利義輝の前で剣術披露
安宅冬康が死去
宇佐美定満が死去
三好長慶が死去
長尾政景が死去
遠山綱景が死去
1565(永禄8)
永禄の変(三好三人衆(三好長逸、三好政康、岩成友通)・松永久秀が足利義輝を殺害する)
義信事件で、武田義信が廃嫡
飯富虎昌が死去
松平久秀が天主堂を壊し宣教師を京都から追放する
織田信長が武田信玄と同盟を結ぶ
中濃攻略戦(織田信長が美濃の一部を攻略)
毛利元就、出雲 月山富田城を包囲尼子義久、籠城
1566(永禄9)
三村家親が死去
生駒吉乃が死去
箕輪城の戦
永禄九年の政変
肝付兼続が死去
毛利元就、月山富田城の戦(第二次)で尼子家に勝利中国10ヶ国を支配下に
家康が徳川氏を称する
1567(永禄10)
伊達政宗誕生
三船山の戦(太田氏資が死去)
東大寺の戦で、松永久秀が三好三人衆に勝利
義信事件が終結(武田義信が死去)
出羽にて伊達政宗(幼名 梵天丸)誕生
織田信長が美濃を支配する井ノ口を岐阜に改名するこの頃から天下布武の印を使用するようになる
織田信長と浅井長政が同盟を結ぶ
信濃にて真田幸村 誕生
足利義昭が越前の朝倉氏を出、信長を頼る
1568(永禄11)
寿桂尼が死去
織田信長が足利義昭を奉じて上洛を果たし、三好三人衆を四国に追う
信長の上洛戦が始まる
足利義栄が死去
六角(義賢)承禎、織田信長に観音寺城から追われる(箕作城攻め)
足利義昭15代室町将軍に
武田信玄の駿府攻め
観音寺城の戦い(織田信長・浅井長政連合軍が六角氏を駆逐)
三好三人衆が足利義栄を14代目将軍とする
播磨にて黒田義高の長男として黒田長政 誕生
1569(永禄12)
三好三人衆が本國寺の足利義昭を襲撃(本國寺の変)
織田信長が築いた二条御所に足利義昭が移る
織田信長、ルイス・フロイスに京での居住、キリスト教布教を許可
立花城の戦
掛川城の戦
黄梅院が死去
桂元澄が死去
尼子勝久、大友宗麟の援軍を受けて隠岐で挙兵、出雲奪還
小田原城攻め(武田信玄)
三増峠の戦
大河内城の戦
上杉謙信と北条氏政が同盟を結ぶ
織田信長が伊勢(三重県付近)を支配する
足利義昭は織田信長と対立して幾度となく信長包囲網を形成するが全て失敗に終わる
1570(永禄13)
徳川家康、居城を浜松城に移す
上泉伊勢守信綱丸目蔵人佐長恵が正親町天皇の御前で剣術を披見
1570(元亀1)
織田信長、足利義昭に殿中御掟で諫め対立
金ヶ崎の戦い
長光寺城の戦
姉川の戦(織田信長、家康と共に浅井長政・朝倉義景軍を破る)
今山の戦
宇佐山の戦(森可成が死去)
志賀の陣
石山合戦(本願寺顕如、織田信長に敵対)
赤松政秀が死去
織田信長、浅井家・朝倉家と一旦和睦
織田信長、浅井長政・朝倉義景を和睦
伊勢長島で一向一揆が起こる
遠江にて徳川秀忠誕生
屋裏の変
石山合戦(本願寺と織田信長の戦い講和)
長島一向一揆(本願寺と織田信長の戦い)
湊騒動
野田・福島の戦
1571(元亀2)
伊勢長島攻め(第一次)
吉弘鑑理が死去
氏家ト全が死去
大仏ヶ鼻城の戦(石川高信が死去)
毛利元就が死去
和田惟政が死去
織田信長、比叡山延暦寺の焼き討ち
大和にて柳生宗矩 誕生
塚原卜伝(剣豪)が死去
1572(元亀3)
木崎原の戦
岩村城の戦
遠山景任が死去
三方ヶ原の戦い(武田信玄、織田・家康軍に大勝)
塚原卜伝、没
1573(元亀4)
村上義清が死去

安土桃山時代 1573-1603

1573(天正1)
武田信玄が病死する武田勝頼が家督を継ぐ
上桜城の戦(篠原長房が死去)
織田信長、足利義昭を京都から追放室町幕府滅亡
一乗谷城の戦い (織田信長と朝倉義景の戦い朝倉氏の滅亡)
小谷城の戦(浅井久政、浅井長政が死去)
伊勢長島攻め(第二次)
1574(天正2)
越前一向一揆が起こる
岩村城の戦
前波吉継が死去
武田信虎が死去
佐野昌綱が死去
朝倉景鏡が死去
真田幸隆が死去
高天神城の戦(第一次)
里見義堯が死去
三淵藤英が死去
伊勢長島攻め(第三次)
伊丹親興が死去
織田信長、伊勢長島一向一揆を制圧
1575(天正3)
高屋城の戦
臼杵鑑速が死去
岩村城の戦
山県昌景が死去
真田昌輝が死去
真田信綱が死去
長篠の戦い(織田信長、家康と共に武田勝頼を破る)
鳥居強右衛門が死去
土屋昌続が死去
内藤昌豊が死去
馬場信春が死去
四万十川の戦
越前一向一揆が織田信長に鎮圧される(下間頼照が死去)
羽柴秀吉、長浜城を築城し居城に
柿崎景家が死去
織田信忠、家督を相続
織田信忠、岩村城を攻略(秋山信友が死去)
水野信元が死去
1576(天正4)
黒井城の戦(第一次)
織田信長、安土城築城開始
赤松義祐が死去
富山城の戦
天王寺砦の戦(原田直政が死去)
木津川の戦(第一次)
正木時忠が死去
畠山高政が死去
七尾城の戦(第一次)
北畠具教、織田信長勢に攻め討たれる
1577(天正5 )
赤松政範が死去
雑賀攻め(第一次、第二次)
直江景綱が死去
天神山城の戦
織田信長、安土城下に楽市令公布
七尾城の戦(第二次)上杉謙信、能登国を攻略
手取川の戦
羽柴秀吉、中国の毛利攻めを開始
黒井城の戦(第二次)
松永久秀、織田信忠に信貴山城を包囲され、信長が欲していた平蜘蛛茶釜を体に括り付けて爆死
信貴山城の戦(松永久秀、松永久通が死去)
伊達晴宗が死去
伊東崩れ(伊東義祐が島津家の侵攻により日向国から追われる)
羽柴秀吉、播磨上月城攻略
黒田孝高(官兵衛)、居城 姫路城を秀吉に献上
1578(天正6)
御館の乱(上杉景虎、上杉景勝に追われ自害)
三木城兵糧攻め(別所長治が織田家から毛利家に寝返る)
上杉謙信病没
赤井直正が死去
高坂昌信が死去
里見義弘が死去
由良成繁が死去
山中鹿之介、吉川元春に殺害される
上月城の戦で、尼子勝久が吉川元春に攻められ自害
浪岡城の戦
月岡野の戦
有岡城の戦(荒木村重信長に謀反)
耳川の戦
織田水軍、九鬼嘉隆に建造させた鉄板張の船で毛利水軍を破る
木津川の戦(第二次)
1579(天正7)
安土城の天守が完成
千葉胤富が死去
明智光秀、波多野秀治の八上城を攻め落とす
竹中半兵衛が死去
徳川家康、織田信長の命を受け嫡男 信康を自刃させ、正妻 築山殿を殺害させる
築山御前が死去
一色義道が死去
松平信康が死去
天正伊賀の乱(第一次)
宇喜多直家、毛利家から織田家に寝返る
有岡城の戦(荒木村重が有岡城から逃亡し開城)
高橋鑑種が死去
1580(天正8)
三木城兵糧攻めで、別所家滅亡(別所長治が死去)
山名祐豊が死去
蘆名盛氏が死去
正木憲時の乱
本願寺の顕如、朝廷の斡旋により織田信長と和睦
イギリス商船、平戸に来航
林通勝が死去
1581(天正9)
徳川家康が高天神城を攻略(高天神城の戦(第二次))
織田信長の京都御馬揃え
岡部元信が死去
河田長親が死去
龍造寺隆信、九州の北五州を制覇(蒲池鎮漣が死去)
新発田重家の乱
遊佐続光が死去
柴田勝家、能登国を平定
二階堂盛義が死去
天正伊賀の乱(第二次)
太田康資が死去
鳥取城兵糧攻め(吉川経家が死去)
羽柴秀吉、淡路国を平定
宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーニ、織田信長に謁見
1582(天正10)
宇喜多直家が死去
佐久間信盛が死去
大友宗麟、大村純忠、有馬晴信が少年使節団をローマ法王のもとに派遣
天正遣欧使節がローマへ出発
南部晴政が死去
織田信忠、信濃に進攻、武田軍総崩れとなる
魚津城の戦
桂林院が死去
柴田勝家、加賀一向一揆を鎮圧
仁科信盛が死去
長坂長閑斎が死去
天目山の戦(武田勝頼、甲斐天目山麓田野にて自決)
快川紹喜が死去
本能寺の変(織田信長、自刃明智軍、二条城も攻める織田信忠、自刃)
阿閉貞征が死去
安藤守就が死去
羽柴秀吉、小早川隆景の助言を受けた毛利輝元と講和
羽柴秀吉、備中高松より「中国大返し」敢行
羽柴秀吉軍、明智光秀軍開戦
河尻秀隆、一揆勢に討たれる
穴山梅雪が死去
高松城主 清水宗治、秀吉軍の水攻めに降伏、兵達の命と引き替えに自刃
斎藤利三が死去
雑賀攻め(第三次)
山崎の戦
秀吉、姫路城に入り、軍備を整える
秀吉軍、明智光秀討伐へ出陣
森坊丸が死去
森蘭丸が死去
森力丸が死去
神流川の戦
清洲会議
竹中重矩が死去
津田信澄が死去
北方合戦
明智光秀が死去
明智秀満が死去
春日信達が死去
天正壬午の乱
井伊直虎が死去
中富川の戦
一色義定が死去
羽柴秀吉、大徳寺で信長の葬儀を開催
上田朝直が死去
土岐頼芸が死去
1583(天正11)
依田信蕃が死去
小笠原長時が死去
足利義氏が死去
中川清秀が死去
賤ヶ岳の戦
お市の方が死去
柴田勝家が死去
柴田勝家に味方した織田信孝が秀吉に命じられ自害
北ノ庄城落城
佐久間盛政が死去
長宗我部元親、四国統一
1584(天正12)
沖田畷の戦(龍造寺隆信が死去)
小牧・長久手の戦
岡崎への中入り途上、羽柴勢が敗北
蒲生賢秀が死去
森長可が死去
池田元助が死去
池田恒興が死去
筒井順慶が死去
末森城の戦
於義丸(羽柴秀康)が羽柴秀吉の養子に
蘆名盛隆が死去
美作にて宮本武蔵 誕生
1585(天正13)
羽柴秀吉、石山本願寺跡に大坂城を築城し居城とする
羽柴秀吉の太田城水攻め
丹羽長秀が死去
一条兼定が死去
羽柴秀吉関白に
伊達政宗の小手森城の撫で斬り
羽柴秀吉の越中攻め
羽柴秀吉の四国攻め
金森長近、姉小路頼綱を攻め勝利(富山の役)
立花道雪が死去
粟之巣の変(高田原の変)(伊達輝宗が死去)
人取橋の戦(鬼庭左月斎が死去)
石川数正、徳川家を出奔し羽柴秀吉を頼る
天正大地震
羽柴秀勝が死去
伊東義祐が死去
長宗我部元親、伊予国を攻略し四国を平定
畠山義継が死去
1586(天正14)
沼尻の戦
羽柴秀吉、妹の旭姫を徳川家康に嫁がせる
荒木村重が死去
蜂須賀正勝が死去
北条綱成が死去
岩屋城の戦(高橋紹運が死去)
滝川一益が死去
田村清顕が死去
吉川元春が死去
正親町天皇、皇孫の誠仁親王に譲位
後陽成天皇即位
戸次川の戦(十河存保が死去)
徳川家康、羽柴秀吉に臣従を誓い、秀吉の妹 旭姫を娶る
1587(天正15)
姉小路頼綱が死去
大村純忠が死去
大友宗麟が死去
豊臣秀吉、九州攻めを開始
島津家久が死去
豊臣秀吉、バテレン追放令を出す
河野通直が死去
安東愛季が死去
羽柴秀吉、太政大臣に任命され、「豊臣」の姓を賜る
豊臣秀吉、北野大茶会を開催
新発田重家が死去
吉川元長が死去
1588(天正16)
豊臣秀吉、淀城の築城を開始
後陽成天皇、豊臣秀吉の招きで聚楽第に行幸
吉見正頼が死去
隈部親永が死去
佐々成政が死去
豊臣秀吉、海賊禁止令を出す
豊臣秀吉、刀狩令を発布
稲葉一鉄が死去
神生の乱
一萬田鑑実が死去
大崎合戦
1589(天正17)
雑賀孫市が死去
西郷局が死去
豊臣鶴松誕生
上杉景勝、佐渡国を平定
摺上原の戦
本間高統が死去
蜂屋頼隆が死去
北条幻庵が死去
1590(天正18)
一柳直末が死去
豊臣秀吉、小田原城を攻め北条氏直が降伏、天下統一を果たす
堀秀政が死去
松田憲秀が死去
岩城常隆が死去
大道寺政繁が死去
徳川家康、関東八州に移封される
北条氏照が死去
北条氏政が死去
奥州仕置
葛西・大崎一揆
1591(天正19)
豊臣秀長が死去
千利休が死去
九戸政実の乱
津田宗及が死去
清水康英が死去
豊臣鶴松が死去
九戸政実が死去
太田資正が死去
北条氏直が死去
小幡信貞が死去
豊臣秀吉太閤となり、豊臣秀次を関白とする
1592(文禄1)
文禄の役(朝鮮出兵)
石川数正が死去
大政所が死去
小西隆佐が死去
乃美宗勝が死去
豊臣秀勝が死去
顕如が死去
1593(文禄2 )
北条氏忠が死去
熊谷信直が死去
加藤光泰が死去
今井宗久が死去
福原貞俊が死去
保科正俊が死去
豊臣秀頼誕生
畠山義綱が死去
1594(文禄3)
大久保忠世が死去
1595(文禄4)
蒲生氏郷が死去
木曾義昌が死去
豊臣秀保が死去
秀次事件(豊臣秀次が死去)
前野将右衛門が死去
蒲生騒動
服部小平太が死去
1596(慶長1)
文禄の大地震
秋月種実が死去
豊臣秀吉が明使節と対面するも和平ならず
酒井忠次が死去
服部半蔵が死去
1596(文禄5)
本多作佐衛門が死去
1597(慶長2)
慶長の役(第二次朝鮮出兵)
豊臣秀吉、醍醐で花見の茶会を催す
小早川隆景が死去
矢沢頼綱が死去
足利義昭が死去
北条氏邦が死去
来島通総が死去
葛西晴信が死去
1598(慶長3)
六角承禎が死去
豊臣秀吉病没、豊臣秀頼が後継に
江戸重通が死去
朝鮮からの撤退完了
1599(慶長4)
伊集院忠棟が死去
庄内の乱
宮部継潤が死去
松浦隆信が死去
石田三成、七将に襲われたことから蟄居する
前田利家が死去
長宗我部元親が死去
黒川晴氏が死去
南部信直が死去
白石宗実が死去
富田一白が死去
宇喜多騒動
1600(慶長5)
北条氏規が死去
直江状(直江兼続が西笑承兌に送った書簡)
徳川家康、上杉景勝討伐のため大坂を発ち、江戸城に入った後、会津に向けて出兵
細川ガラシャが死去
小山会議
石田三成、毛利輝元を総大将として挙兵
中村一氏が死去
鳥居元忠が死去
香川之景が死去
石田三成軍、伏見城に総攻撃をし陥落させる
関ヶ原の戦
石垣原の戦
石田正澄が死去
大谷吉継が死去
第二次上田城の戦
長寿院盛淳が死去
長谷堂城の戦
島左近が死去
島津豊久が死去
徳川家康、江戸城を発ち、関ヶ原に着陣
佐賀関の戦(田原紹忍が死去)
石田三成、小西行長、安国寺恵瓊六条河原で斬首
長束正家が死去
田城の戦(九鬼嘉隆が死去)
九鬼嘉隆が死去
1601(慶長6)
毛利秀包が死去
相馬盛胤が死去
小田氏治が死去
1602(慶長7)
井伊直政が死去
里村紹巴が死去
前田玄以が死去
日根野弘就が死去
於大の方が死去
小早川秀秋が死去
立花誾千代が死去
勧修寺晴豊が死去
1603(慶長8)
生駒親正が死去
徳川家康、征夷大将軍となり江戸に幕府を開く
小山秀綱が死去

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