松井今朝子の「仲蔵狂乱」を読んだ感想とあらすじ(面白い!)

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覚書/感想/コメント

こうした歌舞伎の世界を書かせたら、松井今朝子の右に出るものはいない。そうした作家の作品だけに、面白くないはずがない。

歌舞伎の世界に興味がある人にはとてもお薦めであるのは間違いないとしても、そうでない人にも歌舞伎の世界が充分に楽しめる内容となっている。また、役者を目指すものは必ず一度は読むべき本であろう。

本書は、稲荷町から出発して千両役者にまで上りつめた江戸時代の歌舞伎俳優・初代中村仲蔵を描いた小説。仲蔵は元文元年(一七三六)に生まれ、寛政二年(一七九〇)に亡くなっている。俳名を秀鶴としていた。屋号は栄屋、堺屋。

中村仲蔵は人気実力ともに中村家の筆頭であり、まだ血筋だけで名跡を継ぐとは限らなかった時代にあって、本書で書かれているように松本幸四郎や中村伝九郎、中村勘三郎の名を継ぐ可能性のあった役者であった。

だが、結局は「初代中村仲蔵」を貫き通す。

題名の「仲蔵狂乱」は、江戸時代に中村座、森田座と並んで三座といわれた市村座が潰れ、そのかわりに立ち上がった桐座の初の顔見せで、仲蔵が踊った狂言から名付けられている。

このときの演目が狂言「重重人重小町桜」で、その一番目の所作事「狂乱雲井袖」は二番目の所作事「積恋雪関扉」にもまして高い人気を呼んでいた。

この一番目の所作事での仲蔵が評判を呼び、「仲蔵狂乱」という名称で後世に長く伝わることになる。

また目次であるが、これは仲蔵の人生に例えている。

東洋思想で、人生を四季に例えることがある。若年期を「青春」といい、壮年期は「朱夏」、熟年期は「白秋」、老年期は「玄冬」という。

「青春」とは四神でいうところの青龍(東)であり、「朱夏」は朱雀(南)、「白秋」は白虎(西)、「玄冬」は玄武(北)と対となる。

また、通常は青龍または蒼龍と書かれることが多いはずだが、最初の章は「蟠竜の章」となっている。「蟠竜」とは地上にいて、まだ天にのぼらない竜を意味する。

仲蔵は男に人気のあった役者のようであった。

五代団十郎が誕生した頃、巷の男の間では両鬢の裾を張り出した「仲蔵鬢」なる髪型が大いに流行ったそうだ。ちなみに女の間では瀬川路考(菊之丞の俳名)の路考髷が。流行っていたそうだ。

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内容/あらすじ/ネタバレ

仲蔵が両親に死に別れたのは三つの時だった。その仲蔵を引き取ったのは長唄の唄うたいである中山小十郎と、踊りの師匠である志賀山おしゅんの夫婦だった。義父となった中山小十郎は中村座付の唄うたいだった。中村座の代々の興行主、つまり太夫元である勘三郎は六代目であった。

小十郎は仲蔵が唄に向かないことをすぐに悟った。そのかわり、おしゅんが仲蔵に踊りを仕込み始めた。おしゅんの稽古は壮絶なものだった。

やがて中村座に出入りするうちに、勘三郎にも可愛がられ、中蔵の名をもらった。後に文字を改めて仲蔵となる。

他にも仲蔵を可愛がってくれる人間がいたが、仲蔵は呉服商を営む吉川という男によって身柄を引き取られ、一旦芸能の道を洗うことになった。

生活が苦しくなる中、おしゅんの勧めで仲蔵はきしという娘と夫婦となった。だが、幸せもつかの間、義父の小十郎が死に、今度はおしゅんまで亡くなってしまった。

再び仲蔵は芸能の道へ戻ることになった。仲蔵は十九歳、稲荷町とも呼ばれる役者の中では一番下の位からはじめることになった。年の給金は七両だった。仲蔵は稲荷町の頭、中村七五郎に挨拶をし、再びの役者生活が始まった。

この年、中村座の顔見せは、四代目市川団十郎の誕生を披露する興行だった。二代目松本幸四郎が四代目団十郎に改名し、同時にその息子が三代目幸四郎となる運びになっていた。仲蔵は市川の門弟でもないのに、顔見せの間だけ、新幸四郎の付き人を務めるようなことになった。

年が明け、突然おきしが倒れた。

そして、仲蔵の出世は無理だと七五郎はご託宣する。まず声が悪いと言われた。やがて、仲蔵はこの七五郎を怒らせてしまった。

初めて一つのせりふをもらった仲蔵だったが、声の悪さが裏目に出てさんざんだった。この失態のため、仲蔵はひどい仕打ちを受け続けることになる。やがて仲蔵は川への身投げを考えるほど追いつめられる。

川から仲蔵を救ってくれたのは、武士だった。三浦庄司と名乗る男で、これが長い付き合いの始まりとなる出会いだった。

仲蔵が伝九郎に呼ばれて中通りの身分となった。同じ身分に瀬川錦次がいた。錦次は女形だったが、名を市川武十郎と改め、立役の市川家の門弟となった。一方、仲蔵は市村座に鞍替えさせられた。

そんな仲蔵に四代目の団十郎が修行講をやるので参加しないかと声をかけてきた。講に出席する中で、仲蔵はせりふは喉を使うばかりじゃねぇ、呼吸で吐き出すものだと思うようになっていく。それでも仲蔵の本領はせりふよりも所作にあり、芝居通の中では評判もじわじわと流れていた。

錦次は再び名を改め、市川染五郎となり、暮れには二代高麗蔵となっていた。そして仲蔵の相弟子の伝蔵は、二代八百蔵と名を改めていた。二人とは水を空けられた感じだった。

仲蔵が立作者の金井三笑に睨まれていると注進してくれる人物がいた。三笑が団十郎と仲違いをしたせいで、仲蔵のことも悪く思っているのだという。

まさかと思っていたが「仮名手本忠臣蔵」で仲蔵に割り振られたのは「五段目」の定九郎一役だった。だが、この定九郎役が当たり役となり、仲蔵は再び中村座へと戻ることになった。

そして、仲蔵に子が生まれた。三十二歳にしての初子であり、虎太郎と名付けられた。

明和七年の顔見せで仲蔵は曽我狂言で敵役ながら大役の工藤をつとめることになった。仲蔵は名題看板に大きく絵姿で画かれる身分になった。この顔見せで三十となる三代幸四郎はついに五代団十郎と改名した。

仲蔵は所作事の腕は前から評判も高かったが、これにせりふの地芸が加わり、鬼に金棒の役者となった。遅まきながら仲蔵は同年輩の役者と人気で肩をならべるようになり、腕では一歩抜きんでたようだった。定九郎の大当たりから六年がたっていた。

こうした中、仲蔵に不幸が襲いかかる。虎太郎が病で死んだのだ。

安永二年(一七七三)。元祖中村勘三郎が江戸で初めて歌舞伎芝居を興してから百五十年目に当たっていた。

奇怪きわまりない噂が流れ始め、伝九郎と四代目団十郎が仲違いをして、団十郎が中村座を出て行ってしまった。多くの人気役者を引き連れて行ってしまったため、一座の頭数は半減してしまった。そしてこれを期に、仲蔵も四代目団十郎との関係が遠のいてしまう。

仲蔵が中村座を引っ張ることになったが、さんざんな興行が待っているだけだった。一旦仲蔵は森田座へ移ることになった。

森田座に移って仲蔵は五代団十郎とともに両看板として森田座始まって以来という大にぎわいを見せた。

市村座が大借金を抱えてつぶされ、かわりに桐座の魯が揚がり、初の顔見せが幕を開けた。

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本書について

松井今朝子
仲蔵狂乱
講談社文庫 約三六〇頁
江戸時代

目次

蟠竜の章
朱雀の章
白虎の章
玄武の章

登場人物

中村仲蔵…初代、歌舞伎役者
おきし…女房
虎太郎…息子
万作…養子
おさな…後妻
中山小十郎…義父、長唄の唄うたい
志賀山おしゅん…義母、踊りの師匠
中村伝九郎(二代)→中村勘三郎(八代)
紋右衛門
市川八百蔵
吉川
中村七五郎…稲荷町の頭
市川団十郎(四代)
松本幸四郎(三代)→市川団十郎(五代)
瀬川錦次→松本幸四郎(四代)
市川高麗蔵…錦次の息子
中村伝蔵→中村八百蔵
桜田治助…立作者
金井三笑…立作者
三浦庄司…田沼意次用人
八重…深川芸者
森和泉守…大名

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