久保木竹窓(くぼき・ちくそう):伊能忠敬と交友があった江戸時代後期の朱子学者

歴史上の人物
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久保木清淵

久保木清淵(くぼき・せいえん)。号は竹窓(ちくそう)・縑浦老農、字は蟠龍・仲黙、通称は新四郎・太郎右衛門。宝暦12年(1762年)-文政12年(1829年)。

江戸時代後期の朱子学者で、下総香取郡津宮村出身。名主を務めまるかたわら儒学者・国学者として知られ「下総に過ぎたるものが二つあり、成田不動に久保木蟠龍」とまでいわれた。

清宮秀堅に学んで、水戸藩の延方講釈所の講師も務めた。民衆教育に熱心で、私塾「息耕堂」を開き、子弟は数百人に達したといわれている。

久保木清淵は成人すると、父の名主の仕事を継いだ。津宮村は近隣の佐原村と組合を結成しており、当時の佐原村の名主が伊能忠敬だった。久保木清淵の17歳年長だった。

伊能忠敬とは生涯にわたって親交が深く、伊能忠敬が没すると、「大日本沿海與地全図」の完成にも協力した。特に地図に書き入れられた小さな文字は竹窓の手によるものといわれる。国宝「伊能忠敬関係資料」のなかにある「肖像伊能忠敬」の絵に添える文章も同様である。

伊能忠敬の他に、渡辺崋山らと交遊があった。著作に「温泉紀行」「香取参詣記」などがある。

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久保木竹窓遺跡

旧宅跡。南側が国道356号に面し、北側は利根川に面している。

もう少し進むと香取神宮の一の鳥居である津宮鳥居河岸に着く。

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