北口本宮冨士浅間神社(世界遺産)富士登山吉田口登山道の起点

寺社
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神仏習合

国道139号に面しており、車で走っていると、鬱蒼とした茂みを脇に見ることになります。

国道139号に面して社号標と一の鳥居があります。国道139号は車の往来が激しいので、一の鳥居の撮影の時には要注意です。

社号標
一の鳥居と参道

参道から歩いていくと、仁王門の礎石が残されており、神仏混交だったことがわかります。修験道もあったのではないかと思われるので、昔はさらに複雑だったように思われます。

参道と礎石跡
仁王門礎石

立行石(たちぎょういし)

参道の中ほどにあります。

江戸時代に栄えた「富士講」の開祖「角行(かくぎょう)」が、この地から富士山を遥拝しながら、真冬の酷寒のなか裸身で爪立ちし、30日の荒行をしたといわれています。

角行は106歳の長寿だったそうです。

立行石(たちぎょういし)
参道風景

吉田口登山道の起点

富士登山吉田口登山道の起点にもなっています。

富士登山道吉田口の登山門
富士講の丸藤宮元講の先達像
この奥が登山道へ続く
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世界文化遺産の構成資産のひとつ

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産のひとつである「富士山域」の一部です。

北口本宮冨士浅間神社は、景行天皇40年(110)、日本武尊が御東征の折、大塚丘にお立ちになられ、富士山の神霊を御遥拝したのが始まりです。

延暦7年(788)、甲斐守紀豊庭が卜占し、当地に神殿を建て浅間大神を奉り、大塚丘には日本武尊をお祀りしました。

江戸時代以降、富士吉田口の拠点として、富士講の聖地として繁栄し、夏期には富士登山の安全祈願をする参詣者で賑わっています。

冨士山大鳥居

造鳥居として日本一の大きさを誇る参道の冨士山大鳥居は日本武尊の故事に従い建立され、平成26年に大改修されました。

冨士山大鳥居
水路
水路
百度参り

拝殿

拝殿、幣殿、神楽殿、手水舎、随神門は、富士講村上派の村上光清が享保18年(1733)に造営したものです。

拝殿を正面から
拝殿と御神木(左手)

幣殿、本殿

社殿は八棟造りの拝殿、幣殿、本殿が接続される権現造りです。拝殿から望む本殿は元和元年(1615)、鳥居土佐守成次の建立で荘厳華麗な桃山様式の建築です。

神武天皇社

御神木

拝殿向かって左手前の冨士太郎杉は県指定天然記念物の御神木です。拝殿向かって右手前の冨士夫婦檜は市指定天然記念物の御神木です。

東本宮・西本宮

彦火火出見命を祀る東本宮は貞応2年(1233)、北条義時の造営です。

社殿は現存する中では最も古く、永禄4年(1561)に武田信玄が再建したものです。

天照皇大神、豊受大神を祀る西本宮は文禄3年(1594)、浅野左右衛門佐の造営です。

境内北西に鎮座する諏訪神社の御祭神は建御名方神と八坂刀売神で当地の地主神とされています。拝殿には例大祭で浅間大神と諏訪大神が同座する「明神神輿(明神さん)」と「御影神輿(おやまさん)」が安置されています。

8月26~27日に行われる鎮火祭は「吉田の火祭り」と称され、日本三奇祭に数えられる祭りです。元々の氏神である諏訪神社の例祭であり、26日の夜には町中で大松明が焚き上げられます。

両日、浅間神社の三柱と諏訪神社の二柱の乗る「お明神さん」、「御影みかげ」の神輿が渡御し、27日の夜には、境内に戻った神輿の後に従い「すすきの玉串」を持って高天原を廻り、無病息災を願います。

隨身門

神楽殿

手水舎

七色もみじ

摂社・末社

神馬舎

三伝社・三神社

稲荷社

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由緒

景行天皇40年(西暦110年)、日本武尊ご東征の折、足柄の坂本(相模国)より酒折宮(甲斐国)へ向かう途中で当地「大塚丘」にお立ち寄りになられ、そこから富士の神霊を親しく仰ぎ拝され「北方に美しく広がる裾野をもつ富士は、この地より拝すべし」と仰せになりました。よって大鳥居が建てられ、大塚丘に浅間大神と日本武尊をお祀りし、当社の創建となりました。

天応元年(781)、富士山の噴火があり、甲斐国主の紀豊庭朝臣が卜占し、延暦7年(788)、大塚丘の北方に社殿を建立しました。これが現在社殿のある地で、ここに浅間大神をおうつしし、大塚丘には日本武尊をお祀りしました。

古代、富士のような高い山、美しい山は神のおわす山として人が入ることは禁忌でした。よって当地は、ご神体の富士山を遥かに拝み祭祀を行う場でありました。現在拝殿を囲んでいる巨木はその神域を物語っています。

時代は下って、平安時代の頃に山岳信仰が普及し、登山を実践して修行する修験道が各地で広まるとともに富士講が出現し、発展するにつれ、御山に登ること即ち祈り、とする「登拝」によって、人々は山頂を目指すようになりました。

初めて富士登山を行ったのは、大宝元年(701)の役小角という行者であるとされ、のちに富士講の開祖と仰がれる藤原角行師は、天正5年(1577)に登山しています。

富士講は「江戸の八百八町に八百八講あり」といわれるほどに繁栄し強大になり、甲州街道と富士みち(現国道137号線)を通って吉田口(北口)登山道から入山する関東一円、更に北陸や東北、関西にまでも拡大しました。

中でも大きな団体であった村上講の村上光清師は、藤原角行師の6世の弟子にあたり、享保18年から元文3年までの6年間(1733~1738)で、境内社殿の大造営を行いました。現存する社殿と境内構成のほとんどはこの時に定まり、廃仏毀釈により損失しつつも噴火の被害は受けずに、現在もなお当時のままの荘厳な趣を伝えています。

主な社殿は、仁和3年(887)より、藤原当興、北条(左京太夫)義時、武田信玄、浅野(左衛門佐)氏重、鳥居(土佐守)成次、秋元(越中守)富朝、秋元(摂津守・但馬守)喬朝、らによって造営が重ねられました。

貞応2年(1233)北条義時造営ののち、永禄4年(1561)に武田信玄が再建した社殿が現存する中では最も古く、「東宮本殿」として現本殿の東側に、また、文禄3年(1594)浅野氏重殿造営の社殿は「西宮本殿」として現本殿の西側におうつしされています。現在の本殿は、元和元年(1615)鳥居土佐守成次殿の創建で、いずれも国指定重要文化財です。

https://www.sengenjinja.jp/yuisho/index.html

祭神

木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)

安産・火防、富士山の女神。芸能の神、酒造の神、養蚕の神。水を司る神でもあり、転じて交通や流通の神になりました。

大変美しい女神で、天孫・瓊瓊杵尊の妻となり、猛火の中で3柱の皇子を生みました。

ムスビ(産霊)の御力が通じており、モノを生み出す神です。

天孫彦火瓊瓊杵命(てんそんひこほのににぎのみこと)

天照皇大神の孫神様です。天孫降臨をなされ、木花開耶姫命を妻に迎えました。神武天皇の曾祖父神で、海幸彦・山幸彦の父神です。

木花開耶姫命と結ばれた夫婦神として、夫婦和合・夫婦円満のご利益があります。

大山祇神(おおやまづみのかみ)

木花開耶姫命の父神です。全ての山の神様とされます。

社格等

例祭

  • 新年祭 – 2月17日
  • 初申祭(例祭) – 5月5日
  • 鎮火祭(吉田の火祭り) – 8月26日、27日
  • 新嘗祭 – 11月23日

重要文化財(国指定)

  • 北口本宮冨士浅間神社東宮本殿(建造物)
  • 北口本宮冨士浅間神社西宮本殿(建造物)
  • 北口本宮冨士浅間神社本殿(附 棟札1枚)(建造物)
  • 北口本宮冨士浅間神社 8棟(建造物)
  • 拝殿及び幣殿
  • 惠毘壽社及び透塀
  • 神楽殿
  • 手水舎(附 棟札1枚)
  • 隨神門(附 棟札1枚)
  • 福地八幡社(附 棟札2枚)
  • 諏訪神社拝殿
  • 社務所(附 棟札1枚)
  • (附指定)灯籠 1基
  • 太刀 銘備州長船経家 文安二年二月日(附 糸巻太刀拵)(工芸品) – 1923年(大正12年)3月28日指定。

北口本宮冨士浅間神社 摂社 「諏訪神社」

祭神

  • 建御名方神(たけみなかたのかみ)
  • 八坂刀売神(やさかとめのかみ)

例祭

鎮火祭 – 8月26日、27日

由緒

諏訪神社は元々当地域の氏神でしたが、明治維新の際に北口本宮の摂社となりました。勧請年代は不詳です。

現在は北口本宮冨士浅間神社ですが、もともとは諏訪神社であったと考えられているそうです。

文化11年(1814年)に編纂された「甲斐国志」巻之七十一神社部第十七上「諏方明神」によると、「往古ヨリ此社中ヲ諏方ノ森ト称スルハ、浅間明神勧請セザル以前ヨリ諏方明神鎮座アル故ナリト云、古文書二諏方ノ森浅間明神トアル是ナリ」とあり、古来より社中に「諏訪の森」が位置し、諏訪神社の鎮座地に浅間神社を勧請したと伝わっています。

福地八幡社

地図や住所など

〒403-0005 山梨県富士吉田市上吉田5558番地

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