加藤廣の「信長の棺」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

本能寺三部作。他は「秀吉の伽」「明智左馬助の恋」である。

本能寺で死んだ織田信長は、明智光秀の必死の捜索にもかかわらず、遺骸がとうとう出てこなかった。そのため昔から色んな説がでた。

本書はその織田信長の遺骸を巡る謎を解き明かす歴史ミステリー小説である。

また、本書では織田信長の遺骸だけではなく、豊臣秀吉の出生の秘密にも迫っている。

さて、織田信長の死に関して様々な不審な点がある。

最初に述べたように、発見されなかった遺骸である。その遺骸はどこに消えたのか?

次に、明智光秀の謀反は衝動的なものだったのか?それとも計画的なものだったのか?それに、なぜ謀反したのか?

明智光秀を討った豊臣秀吉は、なぜ短期間で中国地方から戻ってこられたのか?

こうした謎を中心にして、豊臣秀吉の出生の謎に迫りながら、核心となる信長の遺骸のありかへと導いていく。

こうした様々な謎に挑んでいくのが、「信長公記」を書いた太田牛一である。

主人公の太田牛一(おおたぎゅういち)の略歴を見てみる。

和泉守。通称は又助。文才に優れ、特に「信長公記」で知られる。

弓の腕で織田信長の直臣となったが、武辺の道を捨て、信長の側近として仕えた。本能寺の変後、豊臣秀吉に召し出される。晩年は、大坂天満に隠棲する。

「信長公記」全十六巻は写本を入れると二十種類以上も残されているという。表題も様々のようだ。首巻は十五巻が書かれた後のもののようである。

後半では次々と謎の核心に触れていく。

豊臣秀吉の出生の秘密。

本能寺に隠された秘密。

阿弥陀寺の秘密。

南蛮寺の秘密。

信長の墓の秘密。

…などなど。

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内容/あらすじ/ネタバレ

太田信定(のちの太田牛一)は織田信長からの使いを待っていた。

出立の前夜、五月二十八日。信定は信長から長方形の箱五つを預けられている。恐ろしく重い。そして、上洛の目的を聞かされた。

太田信定は、今は武辺で生きる身ではない。織田軍の戦線が拡大するにつけ報告書には各所の暦が混在し始めている。それを直し、信長に提出しなければならない。

外が慌ただしい。「惟任(明智光秀)ご謀反」。

信定はまたかと思った。越中戦線が動き出した最初のころにも同じことがあった。

だが、蒲生右兵衛賢秀の顔が異様に青ざめている。噂は真実か…。

安土城は全く戦に向いていない。

信定は重要な書類の分別をして、退避または焼却をしなければならなかった。それに預かっている五つの箱を安全な場所に隠さなければ…。その後、北庄の柴田勝家のところへ行くことになるだろう。

信定は屋敷に戻り、中間の直助と小弥太親子に今後の行動予定を指示した。直助は元甲賀の忍びである。

五つの箱を運び出す前に、書庫にある自分の日記と集めた史料、稀覯本をどこかに預けなければならない。これらは地元西光寺の貞安長老に預けることにした。

用意万端に整ったところ、普請奉行の木村次郎左衛門がやってきて、天守指図の略図を預かってほしいと頼まれた。

信定らは清洲に向かった。何者かが追ってきている。

清洲は成願寺に向かった。成願寺は太田信定の生地である。今は異腹の弟が住職を務めている。

ここで箱を地中深く隠し、一行は北庄へ向かった。だが、途中で事件が起きた。

太田信定が監禁状態から解放されたのは十カ月後のことだった。

連れていた先で待っていたのは羽柴秀吉だった。大殿と呼ばれており、危うく腰を抜かすところだった。

信定を監禁していたのは前田利家だったということが分かった。そして、なぜそうしなければならなかったのかの説明も受けた。

その後、秀吉は信定に仕えよと命じた。

京を大地震が襲った。太田牛一は関白の祟りかと思った。牛一はすぐに裏に回った。幸いなことに自製の書庫は崩壊していない。

秀吉に仕えることになって以来十三年。秀吉の記録者となり、巧まざる宣伝者ともなった。「大かうさまくんき」がその一つである。だが、追従本を書かされる心中は決して穏やかではなかった。

秀吉は決して織田信長の事績を書き残すことを許さなかった。

嫌気をさした牛一はすべてを助手として使ってきた大村由己に引き継ぎ、隠居した。それもこれも信長の伝記を密かに纏めたいがためである。

ところが、その由己が太閤の許しを得ずに伏見を去り、大坂に隠棲した。そして、今年五月に急逝した。

五つの箱は無事に牛一が保管している。この箱にまつわる信長の本心を書き、そして本能寺で亡くなった遺骸がどこに消えたのかの謎解きもしようと考えている。

牛一は新しい隠居所を大坂の天満に構えた。所在は内輪の者にしか伝えていない。触れ込みは越前松任の薬種商の隠居である。

大村由己の遺族を訪ねたことで、天満の隠棲の最初は「大かうさまくんき」の執筆に戻るという予定外のものになった。完成したのは二カ月後。執筆はほとんど殴り書きに近かった。

この一年、構想した信長の伝記は三部からなっている。仕えていた時代を記述した「信長記」とその前後の「信長前記」「信長後記」である。

「信長後記」は未着手で史料不足である。それに信長の死にまつわる幾多の疑惑もある。

牛一は本能寺を訪ねた。

なぜ、信長はこのような貧しげな寺を選んだのか。それを聞いた時、信長は小さいからいいのだと答えた。事実、本能寺の改修工事が入り、本能寺砦というべきものになっている。

だが、この本能寺から信長の遺骸は出てこなかった。遺骸の捜索は、明智左馬助が行ったという。

本能寺の襲撃は計画的であるとの確信を得て、牛一は愛宕山に向かった。ここで詠まれたのが「ときはいま あめがしたしる さつきかな」である。

この句の意味については、牛一は単純な詠嘆句にすぎないと思っている。だがそうすると、襲撃が計画的だったとする確信に反するのではないか…。

愛宕山の神官・田屋明人は水尾に公家衆が忍んでくるという。牛一には思ってもみなかった話である。

もしかして、光秀はここの社殿から水尾に向かったのでは…。

水尾で牛一は白昼夢を見た。それは近衛前久と明智光秀が密談している風景だった。

光秀は前久に諮られたに違いない。光秀はどうしても御綸旨が欲しかったはずである。だが、前久が行方をくらましてしまい、それが手に入らない。それゆえに光秀は前久を探し求めたのだ。

牛一は由己の亡霊に語りかけている。

秀吉の中国大返しは話がうますぎやしないか。それに毛利との和睦の成立までが短すぎる。さらに激しい疑惑がある。なぜ、あれほどの大軍を動員できたのか。秀吉は打ち出の小槌をどこで手にいれたのか。それは生野銀山ではなかったのか。

梅雨。石田三成の家来・大山伯耆守が訪ねてきた。太閤が牛一に会いたいと言ってきているようだ。

太閤が急に衰えたのは、四年前の文禄二年である。その秀吉が牛一に頼んだのが、信長の記録を執筆してほしいというものである。この時点ですでに仕えていた時期の「信長記」十五巻の執筆を終えていた。

牛一には太閤の心変りが不可解だった。

秀吉との会見で引っかかったのが、桶狭間での模様を聞いた時の異常な怒り方である。牛一は何かがあると思った。

その帰り、牛一は筆屋源兵衛と会った。源兵衛は史料を探してきてくれる。だが、持ってくる史料はいつも玉石混淆である。

その源兵衛が一人の女を連れてきて預かってほしいという。女は前野長康に連なるものだという。

源兵衛は桶狭間の合った年、前野長康が書き残したという日録を持っていた。そこにはこう書かれていた。

とうきちろうさまよりしかんのこと
にんずう 百二十人 三十人 四くみ
ところ もろわ ぼうじもと ゆうふくじ おけはざま
くみ ひゃくしょう まんさい くぐつ でんがくし

桶狭間の戦いの裏には秀吉の謀があったというのか。

女の名はない。生まれは丹波だという。家は陶工だそうだ。

牛一は女を紗耶と呼ぶことにした。

慶長三年。太田牛一は脱稿した「信長記」を携えて伏見を訪ねた。

秀吉との対面の席には楠流軍学者の楠正辰が陪席を命ぜられていた。思わぬ事態に牛一は苦虫をかみつぶした。

そして秀吉によって、避けて通ろうとした信長の朝廷に対する不遜な行動や残虐な事績を書き足すことになった。

正辰は牛一に語った。秀次を殺したことによって、太閤の世間の評判が良くない。そこで信長がもっと残酷だったと書けば、まだましたど思われるので、言い訳になるのではないか。牛一はとんでもないことだと思った。

「信長記」は完成をみたものの、書き手として忸怩たるものがある。

屈折した日々を吹き飛ばしたのは、太閤の容体が悪化したという知らせを受けたからである。

今のうちに「信長記」の写本を取っておかなければならない。

さっそく写本に行くと、楠正辰が先にいて写本を終えている。正辰の他に三成も写本したらしい。迂闊なことだった。

だが、この機会に牛一は差し込みをして全十六巻の「信長記」にするつもりでいる。将来十五巻と十六巻の二種類が存在することで混乱が生じるかもしれないが、仕方のないことだ。

隠居所に戻るとすぐに牛一は異変を感じた。荒らされている。

紗耶は縛られている。指を折られているようだ。そして紗耶が語るには自分は筆屋源兵衛によって送られた忍びだという。

書を写し取るのが目的だという。

書き写すのは「信長記」である。牛一は顔から血が引くのが自分でも判った。

牛一は紗耶の骨が無事になったら有馬温泉に行こうと考えている。

その紗耶を今度から多志と呼ぶことにした。多志とは荒木村重の妻女の名である。

有馬の太閤願いの湯の出湯が細くなってきているという。その話を多志にすると、丹波ものの仕業に違いないという。太閤と丹波ものには縁があるらしい。

丹波に入った牛一は、つくづく丹波が古来から不和の国といわれる意味を実感した。

そして摂津三田についた。多志の故郷だ。そして多志の本当の名が楓であることを知った。

楓の家族は祖父の惣兵衛と弟の四郎である。

惣兵衛は秀吉の出自を語った。秀吉は丹波ものだという。蜂須賀、前野もそうだというのだ。そして、桶狭間の合戦のことも語ってくれた。牛一には驚愕する内容である。

惣兵衛の弟の子・清如が信長の死にまつわって何かを知っているらしい。

信長の遺骸は本能寺から遠い阿弥陀寺が引き取っていたという。そこに清如はいたのだ。

しかし、どうやって監視の厳しい明智軍の網の目をくぐって運んだというのか。

牛一は阿弥陀寺のことを調べる気になった。

そういえば、秀吉は信長の火葬をする前に、真っ先に阿弥陀寺に来ている。それ自体が不思議である。

清如から連絡があった。花が咲き始めた故、近々あえるだろう。

その清如が訪ねてきて、牛一に聞きたいことがあるという。その上で、阿弥陀寺の信長の遺骨と、火葬の秘密を明かすという。

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本書について

加藤廣
信長の棺
文春文庫

目次

第一章 安土脱出
第二章 市中の隠・太田牛一
第三章 捨万求一
第四章 舟入学問所
第五章 隠れ里・丹波
第六章 吉祥草は睡らない

登場人物

太田信定(太田牛一)
楓(多志、紗耶)
直助
小弥太
才蔵

惣兵衛…楓の祖父
四郎…楓の弟

織田信長
蒲生右兵衛賢秀
木村次郎左衛門
羽柴秀吉
前田利家
田屋明人…神官
大村由己
正之助…由己の子
平左衛門
近衛前久
大山伯耆守
筆屋源兵衛
紗耶

楠正辰
清如(権兵衛)…叔父
筆屋源兵衛
清玉
磯野良秋(ジェリコ良秋)

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