海道龍一朗の「真剣 新陰流を創った男、上泉伊勢守信綱」を読んだ感想とあらすじ(最高に面白い!)

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覚書/感想/コメント

男子たるもの、この「真剣」を読まずして、血湧き肉踊ることなかれ!上泉伊勢守信綱と宝蔵院覚禅房胤榮の二人の素晴らしく格好良い。これぞ漢の生き様!

あらすじ紹介では宝蔵院覚禅房胤榮を描いた箇所をあえて端折った。上泉伊勢守信綱とは違う人生を歩みつつも、同じものをもとめる宝蔵院覚禅房胤榮という漢の生き様は本書に書かれているので、そちらで是非味わって欲しい。章立ても工夫されており、後半にいくに従って期待感が高まる。

さて、本書は「剣聖」上泉伊勢守信綱を描いた作品である。上泉伊勢守信綱は弟子に多くの優秀な人物を輩出している。

疋田陰流の疋田文五郎景兼、神陰流の神後伊豆守宗治、柳生新陰流の柳生石舟斎宗厳、松田方新陰流の松田織部助清栄、タイ捨流の丸目蔵人佐長恵、神影流の奥山休賀斎公重…。本書にはこれらの弟子の中で疋田陰流の疋田文五郎景兼、神陰流の神後伊豆守宗治、柳生新陰流の柳生石舟斎宗厳が登場する。

「剣聖」と呼ばれるのは、もちろん上泉伊勢守信綱本人の強さもあるだろうが、もう一つにはこうした有名な流派の流祖となる弟子を多く持ったことにもよるのだろうと思う。

ところで、上泉伊勢守信綱を描いた作品としては他に池波正太郎の「剣の天地」がある。

池波正太郎の「剣の天地」を読んだ感想とあらすじ(面白い!)
一城の主でありながら兵法を極めた武人でもあった伊勢守。一城の主としては、北条氏康とも戦い、武田信玄とも戦っている。このあたりの活躍は上州一本槍と呼ばれるほどの活躍をみせ、本書の見せ場の一つでもある。もう一つの見せ場は、剣豪としての見せ場であろう。物語の早い段階で、最後まで因縁のある十河九郎兵衛高種を登場させている。

こちらは兵法者としての上泉伊勢守信綱というよりは、武将としての上泉伊勢守信綱を描ききっているような作品であり、「剣の天地」の方では「上州一槍」と呼ばれるようになる戦を鮮やかに描いている。本書とあわせて読まれるとよいだろう。

本書と「剣の天地」は視点の置き場が異なるところを除けば、晩年の上泉伊勢守信綱を描いていないという共通点がある。

もしかしたら、晩年の上泉伊勢守信綱に関する資料がほとんど無いという理由があるのかもしれないが、逆に半分神格化された「剣聖」を描く上では不必要なことなのかもしれない。

もう一つ共通点がある。それは早い時期の弟子である疋田文五郎景兼、神後伊豆守宗治、柳生石舟斎宗厳らの名前は出てくるが、他の弟子の名がほとんど出てこないという点である。これは残念な側面である。上泉伊勢守信綱の晩年の弟子たちも描いた作品もあってもよいのではないかと思うが、如何であろうか。

内容/あらすじ/ネタバレ

永正五年(1508年)、赤城山の麓の上泉城に赤子が生まれた。長男の主水丞に続いて誕生した赤子は、上泉家の家督存続に後衛の力となる二男である。赤子は後に数奇な運命とともに兵法者として名を残し、後世に「剣聖」と呼ばれることになる。

北畠中納言具教が袋韜(ふくろしない)を握り対峙しているのは齢五十半ばを越した兵法者であった。上野の国から伊勢にやってきた新陰流の流祖・上泉伊勢守信綱である。

二人はそれぞれの家臣と弟子の見守る中での対峙である。一本目を上泉伊勢守信綱が取った。そして、二本目の勝負にうつる。北畠中納言具教も塚原卜伝高幹から「一の太刀」を授けられた剣豪大名である。その意地にかけての勝負だったが、二本目も完敗を期した。

勝負を終えて後、北畠中納言具教は上泉伊勢守信綱に新陰流の様々を聞いた。そこは北畠中納言具教も塚原卜伝高幹から「一の太刀」を授けられた者である。会話の中でも得るところが多かった。

そして、宴が始まった。宴の中で、西国の兵法者では誰が北畠中納言具教の目に叶うかが話題になった。まずは宝蔵院の覚禅房胤榮、そして柳生宗厳の名が挙がった。

上泉伊勢守信綱は齢五十六。晩年の始まりを迎え、真の剣とはなにかをもとめ、まだ見ぬ兵法者との勝負に心を動かしていた。

宝蔵院覚禅房胤榮は北畠中納言具教からの書状を手に戸惑っていた。そこには、宝蔵院との立合を望む兵法者・上泉伊勢守信綱がそちらに参る故、よろしくお願いしたいとの趣旨が書かれていた。

この上泉伊勢守信綱などという兵法者の名はもちろん、新陰流などの流派も耳にしたことがない。物見遊山の兵法者の相手など弟子たちにまかせておけばよい。

だが、目利きのできる北畠中納言具教がわざわざ書状をしたためてきたのだ。そこに戸惑いを覚えていた。このとき宝蔵院覚禅房胤榮の齢四十三。円熟期に入っていた。

元服を控えた源五郎(信綱)は鹿島の地で松本備前守政信から鹿島神道流兵法の厳しい修行を受けていた。松本備前守政信も源五郎に素質ありと見極め、奥義の全てを叩き込もうと思っていた。厳しい修行の中でも源五郎はめげずに修行に精進していた。

だが、上泉の家に不幸がおきた。それは兄・主水丞が齢十九にして夭折したのだ。いったん修行を中断し、大胡にもどった源五郎だが、父が修行を完成させるようにと言い、一年を与えられた。そして、源五郎は鹿島の立切仕合を迎える。立切仕合。それは、三日三晩かけて二十数名の刺客と戦う仕合だった。

立切仕合の前に師・松本備前守政信からこう言われた。「體の力を抜け。詰めている息を吐け。極意は、死なぬこと。極意は、死なぬこと」。これを胸に源五郎は立切仕合に臨み、そして耐えしのいだ。

立切仕合の後、師・松本備前守政信が合わせた人は塚原卜伝高幹であった。そして、松本備前守政信は源五郎に塚原卜伝高幹との稽古を褒美として与えた。源五郎は驚いたが、心躍るものもあった。そして、この稽古の中で一の太刀を見ることになる。

運命とは非情なものである。源五郎が大胡に戻ってしばらくして、師・松本備前守政信が討死したとの報が届く。まったくもって信じられない出来事であり、源五郎を悲しませた。

源五郎は二十三になり秀綱と名を改めていた。この秀綱を愚弄するように打ち込んできたのは老齢の兵法者で陰流流祖・愛洲移香斎久忠だった。

愛洲移香斎久忠は秀綱の祖父・時秀を訪ねてきていたのだ。祖父は病床にあり、余命幾ばくもない。その枕元で時秀は愛洲移香斎久忠に孫・秀綱に陰流を指南して貰いたいと頼んだ。

陰流は気を読む。見える太刀の陽ではなく、隠れている陰を映して、その陰を操る。この陰流は秀綱の中にある鹿島神道流の固定観念をことごとく覆すことになる。技法ではなく、発想の改革が必要であった。鹿島神道流と陰流は正反対の存在だった。鹿島神道流は剛の剣、陰流は柔の剣だった。そして、時は過ぎ、秀綱は皆伝を許された。

時は戦乱。上野の国は南からの北条家との争いにあけくれていた。大胡の秀綱も長野業政の下で戦に出る日々が続いた。この時期には秀綱は剛の鹿島神道流と柔の陰流を編纂し直し「新陰流」を開いていた。度重なる戦の中で、兵法者として円熟を迎え始めていたが、戦国の武将としては苦悩の日々が続いた。

秀綱はある戦いでの活躍から「上州一槍」と呼ばれるようになる。だが、やがて甲斐から風林火山の旗が関東に押し寄せてきた。武田晴信の率いる軍勢を前に、ついに秀綱は降伏する。だが、これを機に武将としては引退する決意を固めた。残りの人生を兵法者として生きることにしたのだ。この決意に晴信は激怒したが、自身の名の一字を秀綱に与え許すことにした。秀綱は信綱と名を変えた。

南都。古の都に立った上泉伊勢守信綱。時は宝蔵院覚禅房胤榮との運命の立合が始まるのを告げていた。

本書について

海道龍一朗
「真剣 新陰流を創った男、上泉伊勢守信綱」
約六七〇頁
戦国時代 上泉伊勢守信綱

目次

降臨
邂逅
南都
鹿島
立切
皆伝
水月
怒濤
一槍
受命
闘茶
盟友
死合
輪廻

登場人物

上泉伊勢守信綱(秀綱、源五郎)
疋田文五郎景兼(虎伯)…弟子
神後伊豆守宗治(意伯)…弟子
宝蔵院覚禅房胤榮
奥蔵院道栄
峻厳房
柳生但馬守宗厳
北畠中納言具教
松本備前守政信…鹿島神道流
額賀信義…信綱の兄弟子
塚原卜伝高幹…新当流
愛洲移香斎久忠…陰流
上泉時秀…祖父
上泉義綱…父
上泉主水丞…信綱の兄
上泉秀胤…息子
武田晴信
長野業政
北条氏康
北条綱成

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