海音寺潮五郎の「 田原坂 小説・西南戦争」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

★★★★★★★★☆☆

西南戦争を扱った短編集。様々な角度から西南戦争を浮かび上がらせ、その悲劇性を訴える。

海音寺潮五郎氏の作品をはじめて読まれる方にはお薦めしたい一冊である。本の分量、内容、質という点で海音寺潮五郎氏を知るのにはうってつけの小説である。

最後の「田原坂」で新納久徳が語る次の言葉というのが、本書を締めくくっているが、同時に本書に横たわる大きなテーマであったようにも思う。

『正義とは一体なんだろう。ここで戦って、互いに殺し合って、あんなにもたく山死んで行った人々は、共に自らの正義を信じていた。そんな正義に、何の意味があるのだろうか。…間違いないのは、自然の生命力だけだ。わずかに一月の間に、あの地獄がこの満目の緑の世界にかわった…。』

この短編集は小説であるが、海音寺潮五郎氏は当時の話を様々な人々の口から伝え聞いてきたことがわかる。「唐薯武士」「千石角力」には筆者の父が登場しており、他の作品も聞いた話を元にしているのだと思われる。ある意味、この小説自体が一種の史料価値を持っているかのようなものである。

さて、薩摩の藩政ということが書かれているので紹介。

他藩では藩士のほとんどが城下町に集合しているのが普通だが、こうした侍以外に外城侍というのがあって、城下侍の幾十倍というほど多かった。

外城侍は普通は郷士と呼ばれるが、他藩の郷士とは意味合いが違う。他藩では郷士は刀を差していても武士ではない。だが、薩摩では百姓武士ではあっても立派に武士であり藩士であった。いわば屯田の藩士である。

最後に、たびたび小説の中でO町というのが登場するが、これは海音寺潮五郎氏が生まれ育った鹿児島県大口市を指すのは言うまでもない。

西南戦争を舞台にした映画。
映画「ラスト サムライ」

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内容/あらすじ/ネタバレ

南風薩摩歌

相良氏二万二千石の旧城下熊本県人吉。明治十年四月末。薩摩の猛将逸見十郎太が官軍の南下を防ぐため進軍するという噂が伝わってきた。この町の料理屋千代ノ屋の酌婦達がオドオドと話をしていた。

逸見がお蔦を名指しでやってきた。逸見は盃をお蔦につきだしたが、お蔦は今夜は飲みたくないと断った。だがしつこく逸見はすすめる。それにお蔦は腹を立てた。その後もたびたび逸見はやってきて同じことを繰り返す。お蔦は意地になって盃を受けなかった。

六月になり官軍の攻撃に耐えられなくなった薩摩軍が町を去ることになった。別れに逸見が現われ、お蔦の前を去った。入れ替わりに官軍が入ってきた。

旅団長の山田顕義少将がやってきた。逸見との一件を知ってお蔦を名指してやってきたのだ。そこで交わされた会話でお蔦の心の中に…。

唐薯武士

敏也と仲平は隼太を訪ねた。刀を研いでいるという話を聞いたからだ。隼太は二人よりも一つ上の十五になる少年だ。体格は二人よりも小さく、たけもひくい、痩せていて、力も弱い。その隼太が戦争に連れて行ってもらうといっているのだ。

そして、戦争に行く日が決まった…。

柚木父子

薩摩軍が負けて帰ってきたので大事になった。源吾は父の姿を探し求めたが父の姿はなかった。釣りをしていた柚木源太左衛門のところにもその知らせが届いた。源太左衛門はこの度の戦争に息子の源八郎を送っていた。

源太左衛門は源八郎が死んだと思っていたが、源八郎が官軍に降参したという噂を聞いて驚きを隠せない。源太左衛門は確証を得るために戦争に行った者のところへ話を聞きに行った。

明治十年四月末には薩摩軍は非常な苦境に陥っていた。官軍に捕らわれている源八郎は思っていた。源八郎は捕虜になったのは不可抗力だ、いけなかったのはその後だった。魔が差したのだと思っている。その源八郎を源太左衛門が訪ねてきた。

風塵帖

明治十年七月はじめ。熊本の久木野村は途方もなく脅かされていた。熊本を退却してきた西郷軍の一部隊が張り込んできたのだ。その西郷軍も官軍に破れて村を去っていった。一月ぶりに平和がかえってきた。

不思議なことが起きるようになった。わずかな大きさの薩摩薯を掘り返して荒らし回っているものがいるのだ。十七になるお光はその畠荒らしと思われる痕跡を見つけた。村人が見つけたのは逃げ遅れた薩摩兵だった。まだ子供だった。十二、三にしか見えない。もう一人いた少年の兄だった。

兄は汾陽新太郎二十二歳。弟は汾陽新次郎十四歳だった。村人は二人を心の底から哀れに思って世間が落ち着くまで匿うことにした。

浅吉という仲買人がやってきた。官軍の諜者をつとめている男だという。

千石角力

明治十年五月はじめ。留吉は角力を教えてもらえるのが嬉しくてそればかりを考えていた。肥後境から四里はなれた山間のO村には西郷軍の逸見十郎多の雷撃隊と池辺吉十郎の熊本隊によって占拠されていた。子供らは熊本隊の壮士らの方が好きだった。

戦闘が始まった。西郷軍は負けた。

留吉は肥満漢さんと呼ばれていた宮部幾馬が傷を負って逃げ遅れていたのを発見した。留吉は両親の目を盗んで食事をとどけてやった。宮部の家は熊本では千石取りの家柄だという。

黄昏の丘

明治十年八月はじめ。K村に官軍が入ってきた。ほとんどが士族で構成された部隊だ。有賀求馬は河原におりると水浴びをした。これを見て子供らがはやし立てる。その子供の中に求馬は気になる一人の少年の姿を見た。にがい思いでのともなう姉の顔に似ていた。そんなはずはない。姉はここから少し離れた所にいるはずだ。

少年の名を聞いてみると伊地知進吾だという。やはりそうか…。

求馬は旧会津藩士である。会津が官軍の征討を受けた時、姉の不二子が官軍としてやってきた伊地知進一郎と恋仲になって家を飛び出してしまった。

姉が幸せに暮らしているのは知っていた。一方で求馬の家は苦しい状況にあった。だが、求馬の家は不二子を訪ねようとしなかった。

キンキラキン物語

明治十年。熊本有志隊にあった物語。熊本隊は鹿児島県のO町にいた。池辺吉十郎の命令で幹部が集められていた。この中で敵の隊長で今井幸太郎の名が出た時のことだ。高田主馬が発言した。

高田主馬は今井幸太郎に含みがあった。事の起こりは主馬が悪いのだ。

十五年前。主馬は由良という娘を囲った。由良には以前男がおり、それが今井幸太郎だった。主馬の心は嫉妬になやんで、今井に辛くあたった。

椎の夏木立

明治十年。北原籐左衛門は八十八歳になっていた。老人には道楽が二つあった。一つは弓術であり、一つは目白の飼養である。

この二月に老人はたった一人の孫を西郷軍の戦士として送り出していた。その孫が戦死したとの知らせが老人に届いた。

薩摩軍の敗色は隠しようもなく、老人の村にも官軍が侵入してきた。

兵児一代記

椎原真平の生涯は失敗の連続だ。最初の失敗は十四の時だった。第二と第三の失敗は二十一の時だった。この時薩英戦争が起きていた。第四の失敗は鳥羽伏見の戦争の時だった。次の失敗は明治三年のことだった。

明治十年五月。真平は西郷軍の一員として宮崎県南部の山間部にいた。三十五になっていた。

田原坂

田原坂での戦闘は払暁から始まった。薩摩軍は優勢であった。

三月十三日。新納加治馬は本営に呼び出され、部隊を率いて田原坂へ向かうことになった。そして加治馬は兄・久徳が敵の官軍の中にいることを知った。

今度の戦争でこんな境遇になったのは加治馬一人ではなかった。加治馬はやりきれない気持ちであった。

そして戦闘の中で加治馬と久徳が出会った…。

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本書について

海音寺潮五郎
田原坂 小説・西南戦争
文春文庫 約三一〇頁
明治時代初期

目次

南風薩摩歌
唐薯武士
柚木父子
風塵帖
千石角力
黄昏の丘
キンキラキン物語
椎の夏木立
兵児一代記
田原坂

登場人物

南風薩摩歌
 お蔦
 逸見十郎太
 山田顕義少将

唐薯武士
 敏也
 仲平
 隼太
 周太…敏也の兄
 周左衛門…敏也の父

柚木父子
 柚木源八郎
 柚木源吾…源八郎の息子
 柚木源太左衛門…源八郎の父
 お秀…源八郎の妻

風塵帖
 お光
 源兵衛…お光の父
 源太…お光の兄
 汾陽新太郎
 汾陽新次郎
 浅吉

千石角力
 留吉
 宮部幾馬(肥満漢さん)
 逸見十郎太
 池辺吉十郎

黄昏の丘
 有賀求馬
 不二子…求馬の姉
 伊地知進吾
 伊地知進一郎

キンキラキン物語
 高田主馬
 由良
 今井幸太郎
 池辺吉十郎

椎の夏木立
 北原籐左衛門

兵児一代記
 椎原真平

田原坂
 新納加治馬
 新納久徳…加治馬の兄
 伊集院平兵衛

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