海音寺潮五郎の「日本名城伝」を読んだ感想とあらすじ

この記事は約6分で読めます。

覚書/感想/コメント

城を巡る人物模様を記した本であり、築城史ではない。各城に関しては別題があり、それに即した内容が書かれている。

近世の城で実際に戦闘を体験しているのは、大阪城、熊本城、会津若松城、五稜郭しかないが、いずれも力攻めでは落ちなかった。そういう意味で、いずれも難攻不落の名城なのだ。

「熊本城」の城主となった細川家。その細川家にまつわる騒動を主題として書かれたのが、森鴎外の「阿部一族」であり、「興津弥五右衛門の死」である。熊本城の別名は銀杏城。

「姫路城」の別名は白鷺城。

「大阪城」の別名は錦城。

「岐阜城」の別名は稲葉山城、金華山城。

「名古屋城」の別名は金鯱城、柳城、亀尾城、蓬左城。

「富山城」の別名は安住城、浮城。

江戸城」の別名は千代田城。

会津若松城」の別名は鶴ヶ城。

仙台城」の別名は青葉城、千代城。

「五稜郭」の別名は柳野城、亀田役所土塁。

内容/あらすじ/ネタバレ

熊本城…神風連

加藤清正が関ヶ原の戦いの後、肥後全国の主となり、大大名たるにふさわしい居城とすべく普請にかかったのが熊本城である。石垣の築き方には独特なものがあり、日本の諸城郭中最も異色である。

清正が朝鮮から持ち帰ってきた工法で建てられたようだ。清正は築城の名手であるだけでなく、肥後の各河川の堤防には清正が築いたものが残っており、決して崩れたことはないそうだ。

加藤家は二代で没落し、後には豊前小倉城主の細川家が移ってくる。当時の当主は細川忠利。隠居には細川忠興がいた。そして、このころに熊本の士風の根底がつくられた。理論的で、非妥協的、一徹な気質。それが表面化したのが、神風連の乱である。

高知城…理想家の悲劇

山内一豊が関ヶ原の戦いの後、土佐一国二十万石を与えられた。土佐には長曾我部の遺臣が残っており、これと掛川から連れてきた家来どもを峻別した。

一豊には嗣子が生まれず、甥の野中勘解由を家老上席として厚遇した。そうしている内に、弟に男子が産まれ、後の忠義となる。

姫路城…女難城

姫路の地名の起こりは「播磨風土記」にある。ここに最初に城が出来たのは南北朝時代であり、やがて黒田官兵衛の父がこの城の城代となる。秀吉の中国経略もここを基地として行われた。その後、豊臣秀長、木下定家、池田輝政、本多忠政が城主となる。

大阪城…金と朱

秀吉築城の前までは石山城といった。本願寺の本山だったのだ。やがて信長と対立して、石山本願寺は明け渡される。その後に秀吉が本格的に築城したのだ。

オオサカを大阪と書くのが正式に決まったのは、明治になってからである。それまでは「大坂」「大阪」区別なく書いていたが、「坂」の字は「土に反る(かえる)」として嫌われたためであるという。

岐阜城…道三の怨み

この地に最初に城が建ったのは、鎌倉時代初期だという。その後、城としての戦闘に耐えられるようなものにしたのは斎藤道三であった。この時は稲葉山城といった。

後に、信長が稲葉山城を手に入れ、改名したのが岐阜城である。岐阜という地名は明応頃からあったものだという。信長が安土城に移ると、岐阜城の城主は嫡子信忠の居城となる。

名古屋城…中京繁昌由来

名古屋(那古野)に最初に城が築かれたのは、大永初年という。武田信玄が生まれた年であり、築いたのは今川義元の父・氏親である。後に、信長の父・信秀がここをとり、信長も二十になるまでここにいた。その後しばらくは廃城となったようだ。

その後、この廃城に目を付けたのが徳川家康である。そして本格的に名古屋の繁栄がはじまったのは、七代藩主宗春からである。

富山城…不信義な武将

神保長職が最初に築いた。その後、佐々成政が城主となり、その後には前田利家がもらっている。利家の在世中は長男の利長が住んでいた。やがて、分家が富山城を本拠として興った。

小田原城…地震とお城

室町時代に大森頼春が築城したのが最初である。その後、北条早雲、氏綱と北条家がこれをとり、氏康の代になり天下の名城といわれるほどの拡大整備がされた。上杉謙信も武田信玄もこれを攻めているが、これらの攻撃に持ちこたえている。

後に、徳川家が関東に入ってくると、小田原城を重臣の大久保忠世にあたえた。その後、大久保家は小田原を去るが、七十二年経て再び大久保家の居城となり、明治維新まで動かない。

江戸城…日本シンデレラ

江戸城の原形をつくったのは太田道灌である。当時は今の丸の内あたりが松原続きの波打際であったという。徳川家康が大々的に修築しはじめたのは、関ヶ原の戦いの後である。

城郭を拡大し、濠をうがち、石垣を築き、神田山をけずって海を埋め立て土地をつくった。現在の銀座、日本橋はその頃の埋立地だという。神田山は駿河台からお茶の水あたりにあった山だという。

江戸城(皇居東御苑)の訪問録(東京都千代田区)天守台から大手門、大番所、本丸跡、松の廊下跡、富士見多聞など[国の特別史跡]
天守台の紹介と写真の掲載。江戸城に天守閣があったのは、意外と短い期間だった。戦国の雰囲気があった江戸初期のころだけであり、以後は、必要性もなく、天守閣が再建されることはなかった。

会津若松城…女の嫉妬、男の嫉妬

芦名家の居城として戦国時代に至るが、家督相続が発端となって、芦名家は亡んでしまう。その後、伊達政宗が奪うものの、秀吉により蒲生氏郷がこの城の城主となる。

この蒲生氏郷が黒川城といっていた城を若松城と命名した。そして、城の増改築をし、城下町を整理拡大している。この頃に現在の会津若松がつくられた。

鶴ヶ城の訪問録(福島県会津若松市)日本有数の美しいお城(別名:若松城,黒川城)[国の史跡]
鶴ヶ城の紹介と写真の掲載。日本有数のきれいなお城。地元では鶴ヶ城というが、地元以外では会津若松城、若松城と呼ばれることが多い。文献史上は黒川城、会津城とされることもある。

仙台城…珍陀の美酒

仙台城は関ヶ原の戦いのあった慶長五年の十二月から築き始めて、翌年の七月に完成している。政宗がこれに住むようになったのは翌月の八月からである。

仙台城(青葉城)の訪問録(宮城県仙台市)宮城縣護國神社[国の史跡]
仙台城(青葉城)と宮城縣護國神社の紹介と写真の掲載。こんなに高台にあるとは思わなかった。驚いた。いやぁ、仙台市内が一望できる。

五稜郭…蝦夷島独立国

安政四年に着工、七年の歳月を費やして竣工している。各突角部に砲台が置いてあり、死角のない城である。設計は、函館奉行配下の諸術調所教授武田斐三郎である。

北方からの脅威、ロシアの南侵にそなえるためであるが、有名になったのは、明治二年に旧幕府軍がここにこもって頑強な抵抗をこころみたことによる。

本書について

海音寺潮五郎
日本名城伝
文春文庫 約二六五頁
戦国時代江戸時代

目次

熊本城
高知城
姫路城
大阪城
岐阜城
名古屋城
富山城
小田原城
江戸城
会津若松城
仙台城
五稜郭

タイトルとURLをコピーしました