岩井三四二の「十楽の夢」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

長島一向一揆を題材とした小説。長島は七つ島がなまったものと言われているそうだ。

主人公の坂田弥三郎の家の坂田家は交易商人の家である。物資を東西に運んでいき、商売をしている。そして、この物資を運ぶのは海運である。戦国時代における海の交易を小説の中に取り込む例というのは珍しい。珍しいと思えるほどに今まで描かれてきていなかった。

米作に限らず、作物の豊作不作は地域によって違う。余剰分があれば余所へ運んで商売をするのは当たり前である。

そして、その余剰分を運ぶ手段としては、難破などの危険はあるものの、陸上輸送より遙かに多くのものを運べる海運が大きな役割を果たしていたはずなのだ。

考えてみれば当たり前のことなのに、今まで書かれることはほとんどなく、小説を読んでいても、作物は遠隔地から買い付けて来たというより、地場や現地で調達しているイメージがあった。

それでも自然と受け入れられてきたのは、教育のたまものだろう。日本が四方を海で囲まれてきていたにもかかわらず、海運が発達していなかったというイメージを植え付けたのは間違いなく教育にある。

本書は、昨今の歴史学の発展を同じくして、従来の歴史学が焦点を当ててこなかったこうした歴史の側面を上手く取り入れている。この姿勢は、やがて新しい時代小説を生み出していくのかもしれない。

さて、一揆の中心となったのは願證寺(願証寺)であるが、門徒が約十万人、石高が約十万石以上を擁していたといわれる。狭い地域にもかかわらず、豊かな生産力を誇っていたようである。

石高もそうであるが、この地域の特性として交易というのも見逃せなかったようだ。

一向一揆の舞台の一つが桑名であるが、桑名は十楽の津と称していた。十楽とは仏説で、極楽往生するものが受ける十の快楽を指すという。

そして、題名の十楽の夢とは、桑名の十楽の津、そして仏説でいう所の十楽のいずれもが夢幻であったということを言っているのだろう。

作品中、この当時の本願寺の教えに対しては日根野備中守弘就の口を通して手厳しく書いている。

主人公の坂田弥三郎は日根野備中守弘就の話を聞き、そして歎異抄を読んで己の信仰心が根底から覆される経験をする。だが、ついに弥三郎にも心の平安が訪れる。

作者はカトリックの辿った道を、それこそ免罪符などで信仰そのものを事実上商売にしていたカトリックを念頭に置いた上で、ラストのシーンを持ってきているのだとしたら、相当にブラックできつい皮肉を言っていることになる。

そうでないのなら、短絡的な結末である。前者であるならラストは効果的であると思うが、後者なら別に他のでもよかったのではないかと思う。

本書に登場する日根野備中守弘就を描いているのが「逆ろうて候」である。あわせて読まれるとよい。
→「逆ろうて候

内容/あらすじ/ネタバレ

永禄十年(一五六七)六月。伊勢は長島の西外面と呼ばれる所。少し離れた所に長島城がある。坂田弥三郎は坂田家当主の父・道雪の住む家に赴いた。弥三郎は妾腹であった。

今年は春先に織田の手勢が桑名まで攻め込んできていた。一旦兵を引いたものの、近隣の諸侍は織田の幕下にはいっていた。だが、長島の領主・伊藤家は織田に屈せずにいるため依然として緊張が続いていた。

濃尾三川があつまる長島は広い範囲の産物が舟で運ばれ、これを海船でさらに運ぶのに都合がよく、交易する商人にとって格好の土地だった。坂田家もそうした交易商人の家である。

今年も残りわずかとなった頃、弥三郎は叔父の徳左衛門と美濃の加納の市へ向かっていた。加納の市は楽市である。

弥三郎は初めて楽市の実態を見た。そして徳左衛門が、やがては信長は商人からも銭を取るだろうという。信長は恐ろしく頭が切れるのかもしれなかった。

津島の織田兵が去らないという。去らぬどころか増えているようだ。

坂田家は俗世では服部党とむすんでいるため、一声かかれば武装してかけつけることになっていた。坂田家は信仰としては一向宗の信者であった。そして願證寺の門徒である。商売の上では桑名衆の一員だ。

戦いに坂田家も参戦した。そしてあろうことかこの戦いで長兄・藤太郎を失ってしまった。戦はやがて長島、桑名と織田信長との対立へと構図を変えつつあった。それは信長と門徒衆との争いを意味していた。

徳左衛門と弥三郎らが東国へ商売に出ている間に、服部党の総領が織田に討ち取られたという。慌てて帰ってみると、父・道雪が亡くなっていた。

永禄十一年も夏。津田掃部助は九鬼嘉隆と話していた。九鬼は伊勢を押さえても伊勢海を押さえたことにはならないという。海を押さえないかぎり、長島は立ち枯れなどしないと力説していた。

永禄十二年。昨年の春に北伊勢を平定した信長は数万の大軍を引き連れて岐阜を進発していた。足利義昭を将軍に擁立して、畿内を平定していた。

この一年、坂田家も大きく変わっていた。父・道雪、長兄・藤太郎を失ったばかりか、次兄・次郎も失っていた。今の当主は叔父の徳左衛門である。徳左衛門が独り身で子がいないため、次の当主は弥三郎ということになっていた。

翌十三年、弥三郎は長兄・藤太郎に嫁ぐはずだったゆきと夫婦になった。この婚礼の日に弥三郎たちはある計画を企んでいた。領主の伊藤氏を一揆で追い出そうというのだ。そのため、願證寺が事実上の領主となっていた。

永禄十三年は四月に元亀元年とあらたまっていた。大坂の本願寺では朝参と呼ばれる定例会議が行われていた。話題は浅井朝倉連合が、織田徳川連合に姉川で敗れたというものだった。これから織田といかに対するのか。これが問題だった。

表向き本願寺は大名同士の戦いには中立を保っているが、戦には多くの本願寺門徒が参加していた。それぞれの国で年貢の免許などの特権を得るためには大名に貸しを作る必要があったのだ。

本願寺は信長と対決することを決めた。その知らせは願證寺にも届いた。人を出せ、命を差し出せ、さもなくば破門である。本願寺からの通達がそうであった。今や信長の周りは敵だらけとなっていた。

津田掃部助は九鬼嘉隆と示し合わせて、長島の手足である船を襲うことにしていた。それで伊勢海の封鎖を目指していたのだ。東国や西国との交易ができなくなれば、長島の商人は干上がるはずである。

そして、津田掃部助はいくさ船を多数揃える必要性を感じていた。馬では役に立たないのが長島だった。

一方、長島でもいくさに備え日根野備中守弘就を雇っていた。

長島の商人は追いつめられ始めていた。織田家の関船を退治しなければ生きる道はなかった。この戦いでそこそこの戦果を得ることができた。

意気揚々としている中、冷や水を浴びせられる知らせがくる。甲斐の武田信玄が死んだというのだ。これで織田信長の包囲網は崩れはじめた。

天正元年(一五七三)。何万という軍勢が桑名を襲い、あっというまに焼き払ってしまった。男女皆殺しだったという。武田信玄亡き後、織田信長に抵抗できるのは本願寺しかなかった。

そして、桑名を焼き払った今、織田家が長島に侵攻してくるのは目に見えていた。

願證寺には大坂から来た坊主がおり、好き勝手を言い始めている。商人は途方に暮れ始め、織田との和議を模索しようと考えている。だが、願證寺側にはその気はまったくない。

こうした中、坂田家の当主・徳左衛門は長島を捨てる決心をした。だが、その矢先に何者かに殺されてしまう。新しい総領は弥三郎である。

そしてついに織田軍による本格的な長島征伐が始まった…。

本書について

岩井三四二
十楽の夢
文春文庫 約六四〇頁
戦国時代

目次

上なし
楽市
桑名
願證寺
東国廻船
天下布武
矢銭
魔虫谷
嫁むかえ
本願寺
前夜
開戦
小木江砦
鉄砲
太田口合戦
念仏なされ
安濃津
首の代銭
関船
孤立
和睦せず
徳左衛門
長島成敗
歎異抄
籠城
信長
夢果てて

登場人物

坂田弥三郎
ゆき…妻
いと
清右衛門…いとの父
坂田徳左衛門…叔父
常蔵…坂田家の家人
長吉…坂田家の家人
五郎八…坂田家の家人
日根野備中守弘就
丹羽惣兵衛…大百姓
水谷兵右衛門…ゆきの父
空明
願證寺証意
願證寺証恵
下間光空
イズミ
榊原駿河法橋
下間上野介
本願寺顕如
坂田道雪…父
はん…義母
坂田藤太郎…長兄
坂田次郎…次兄
伊東四郎太
服部左京進
服部太郎(左京進)
津田掃部助
九鬼嘉隆
織田信長

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