池波正太郎の「おれの足音-大石内蔵助」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント


★★★★★★★★☆☆

赤穂浪士、赤穂義士、四十七士、忠臣蔵などで有名な大石内蔵助を描いた作品。吉良上野介邸への討入りを描いているのではない。描いているのはあくまでも大石内蔵助である。

だから、討入りに関する記述は淡泊である。主要な人物を除いて、四十七士も全ての名は出てこない。

ちなみに、最後の三分の一強が討入りについてである。

物語は、家康が征夷大将軍となってまだ七十年ほど、四代家綱の時代から始まる。大石内蔵助良雄と名乗る前の竹太郎時代から描かれている。

竹太郎は「おっとりしている」といえば、聞こえはいいが、紙一重のところで、「愚鈍」のレッテルを貼られかねない青年だ。そのくせ、読書も習字もやる。剣術の稽古は最も熱心なのだ。だが、遅々としたもので、進歩がない。

のちに「昼行燈」と呼ばれる大石内蔵助の池波正太郎氏なりの若き日の像だ。

祖父の目から見ると、竹太郎の素質は凡庸というよりは、変人とか奇人じみて映る。幼年の頃から言動が鈍重で、子供らしい遊びにふけることなく、昼寝をむさぼっている。

そうかと思っていると、普段の行動などからは想像もつかないほど決断と実行が早いことがある。

池波正太郎氏の他の作品でも多く言及していることだが、人には二面がある。陰と陽のようなものであり、互いに矛盾しているようでありながら、同居している。

悪人といわれる人でも、その中には善なる部分があり、逆に善人といわれる人でも、中には悪なる部分がある。それが人というものであり、ごく自然なことであり、不思議なことなどない。

大石内蔵助の、ときとして普段の様子からはうかがい知れないほどの早い決断や実行は、そうしたものなのだ。

大石内蔵助を描くのだから、周辺の登場人物が「赤穂浪士を描いた作品」などと大きく異なる。最初から最後まで重要な人物に服部小平次(のちに名を鍔屋家伴と名乗る)がいる。そして、妻のりくが大きくクローズアップされる。

服部小平次に関しては他にも短編を使って登場させているので、あわせて読まれると面白いと思う。

さて、徳川綱吉については、どうやら池波正太郎氏は嫌いなようで、ばっさりと斬り捨てている。柳沢吉保も同類のようだ。

浅野内匠頭長矩が吉良上野介に斬りつけた理由は分からない。様々な憶測があり、真実は闇の中だ。

それでも、切りつけたものも、切りつけられたものも、不届きものとなるので、喧嘩両成敗が定法である。

この喧嘩両成敗は軍事組織内での騒乱を鎮めるために、騒ぎを起こした双方を処罰することによって、綱紀を粛正する意味合いがあるようだ。平時においては物騒きわまりない定法なのだ。

だが、平時とはいえ幕府はその機構自体が軍事組織である。あらゆる部署は陣中の役どころをそのまま維持しているのだ。また、徳川綱吉の治世は、戦の絶えた世になっているとはいえ、若干戦国の気風が残っていたようで、若干殺伐としていたようでもある。

そうした中、浅野内匠頭長矩を即刻切腹、一方で吉良上野介にはお咎めなしは、世の中にも、さらには大名家、旗本などにも「片手落ち」と映っても仕方がないことである。

実際、幕府はシマッタと思ったようで、吉良上野介の屋敷を呉服橋御門内から川向こうの本所・松坂町へ追いやっている。呉服橋門内は、江戸城の曲輪内である。

世論はいつ、赤穂浪士が討入りするかで盛り上がっている。もし、吉良上野介邸を曲輪内に置いたままにすれば、赤穂浪士が襲撃して時に、幕府も手を出さねばならない。手を出したら出したで、非難を浴びる。また手こずったら手こずったで非難を浴びる。

こうなっては、吉良上野介は赤穂浪士に綺麗さっぱり討たれてもらうしかない。

権力者は自分の失敗を認めない。いつの時代でも同じことが繰り返される。

印象的なのが、大石内蔵助良雄と水間治部左衛門の別れのシーンだ。

『 晩秋の、晴れわたった朝空であった。
しきりに、鵙が鳴いている。
内蔵助一行の姿が見えなくなったのちも、水間治部左衛門は、門の外にたちつくしたまま身じろぎもせぬ。
めっきりと白髪のふえた治部左衛門の双眸が、うつろに見ひらかれていた。
柿の木も、櫨の木も、櫟の木も紅葉して、森閑としずまり返った隠宅の門前に、水間治部左衛門が男泣きに泣きくずれたのは、それから、しばらくのちのことであった。』

君子の交わりは水の如しというが、二人の関係はそうしたものとして描かれ、その別れもそのように描かれている。

しみじみとしたシーンである。

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忠臣蔵ゆかりの地

松の廊下跡 江戸城 皇居東御苑

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内容/あらすじ/ネタバレ

延宝四年(一六七六)。大石竹太郎は十八になっていた。祖父の命により、蔵の中にある書物の虫干しをしていた。手伝うのは女中のお幸だ。

竹太郎の父・良昭は三年前に三十四歳で亡くなった。それ以来、祖父の良欽のもとに暮らしている。いずれは祖父の後を継ぎ、播州赤穂五万三千石浅野家の家老になる身だ。

この日、竹太郎はお幸に手を付けてしまった。お幸の方が竹太郎を好いていたらしく、お幸は騒がなかった。これ以後二人は忍ぶように蔵で逢瀬を重ねた。あやしいと最初に感じたのは祖母の於千だった。

於千はお幸に暇を取らせた。そのすぐ後、お幸と中野七蔵の父娘は赤穂城下から姿を消した。

お幸には許婚がいた。奥村道場で竹太郎と同門の佐々木源八だ。そんなことは竹太郎は知らなかった。知っていたなら、あのような真似はしなかった。それに、竹太郎は佐々木源八に好意を抱いていた。

佐々木源八が赤穂城下を脱走し、翌朝になると今度は竹太郎が城下から消えた…。

京都藩邸勤務の士で服部宇内の次男・小平次が町で大石竹太郎の姿を見かけた。小平次は十二歳の少年であるが、しきりに町家の子たちと交わり、言葉使いも武士の子とは思えぬ。小平次は竹太郎を説き伏せ、赤穂に返そうと考えた。

十二歳ながら小平次はその手先の器用さを生かして、内職をして幾ばくかの金を得る少年であった。小平次は竹太郎のことが好きである。だから、竹太郎の世話をすることに決めた。

ある日、小平次は竹太郎を連れて扇屋の恵比寿屋市兵衛を訪ねた。市兵衛は竹太郎を福山という水茶屋に案内した。

京に上ってみたものの、竹太郎はお幸親子にも会えず、佐々木源八にも会えないでいた。正直暇をもてあましていたところ、思いもかけず恵比寿屋市兵衛に誘われたのだ。

竹太郎が京で遊び暮らす日が突然終わった。祖父の良欽が急病で倒れたという。慌てて赤穂へ戻ることになった。

年が明け、十九歳となった竹太郎。祖父の良欽が亡くなり、竹太郎が大石内蔵助良雄となって後を継ぐことになった。

七年後。内蔵助二十五歳。服部小平次は十九歳になっていた。小平次は次男であり、家は兄の平太夫が次ぐのが決まっていたから気楽である。

いっそのこと家を出て町人にでもなろうかと考える。小平次が目指しているのは、本阿弥光悦のような刀剣や古美術の鑑定まで行う工芸家になることだ。

その小平次の前に久しぶりに内蔵助が現われた。これから江戸に行くのだという。藩主・浅野内匠頭長矩の御婚礼および、初入部のことで、大叔父で江戸家老の大石頼母良重が出てこぬかと誘ったのだ。長矩の妻は親類の浅野長治の娘・阿久利姫だ。

この年、赤穂藩は殿様の結婚以外にも、幕府から命ぜられた重要な役目を果たしていた。江戸へ下る勅使の御馳走役を無難にこなしたのだ。浅野家ではめでたいことが続くことになる。

内蔵助は久しぶりの京であった。小平次に頼んで水茶屋の福山に遊びに出かけた。翌朝、内蔵助は江戸へ出発した。

内蔵助は江戸で初めて藩主・浅野内匠頭長矩と対面した。対照的な二人であった。内蔵助は国家老として、こまかいことには口を挟まぬようにして、人に任せている。

内蔵助はそうした人々の人柄を見ていればいいのだ。人柄が正しければ、役目も正しくつとめているに決まっている。対して、内匠頭は実にこまかい。微に入り細をうがって質問をする。この内匠頭には、内蔵助はたよりない国家老としてうつったようだ。

内蔵助は江戸屋敷に勤める服部小平次の兄・平太夫を見て自分の予感が的中したのを感じた。平太夫は病をおして奉公に励んでいる。死病に取り憑かれている。労咳だ。平太夫の身に何かあれば、小平次が服部の家を継がねばならない。小平次の夢は消え去る可能性があった。

江戸での御用も済み、藩主・内匠頭長矩とともに赤穂へ戻ることになった。江戸留守居役の堀部弥兵衛金丸らも見送りに来た。その矢先、江戸家老で大叔父の大石頼母良重が倒れて亡くなった。

江戸で服部平太夫が急死した。小平次が服部家の家督を継ぐことになった。

この頃、内蔵助が妻を迎えることになった。但馬豊岡三万五千石京極家の家老・石束源五兵衛毎公のむすめ理玖(りく)である。やがて、りくは身ごもった。

久しぶりに京に上がって、内蔵助は越後・新発田の浪人、中山安兵衛応庸と縁が出来た。そのまま、内蔵助は江戸へと向かった。

そして江戸に着いたものの、小平次が現われない。着いたことは知っているはずだ。そう思っていると、小平次が自慢の鑑定眼をいかして内職をしたのが藩邸で噂になっている。

内蔵助は小平次を呼び出し、きつくしかった。内蔵助の言いように逆上した小平次は退身すると叫んでしまう。

赤穂に戻ると、祖母の於千がいよいよいけなくなった。祖母が亡くなったその日、りくが男の子を産んだ。後の主税だ。そして、母・熊子は余生を過ごすために京へ出立した。

服部小平次は江戸で鍔屋家伴と名を変え、骨董屋の主人となっていた。

浅野内匠頭は火消しに熱心であった。それは赤穂に戻ってからもそうで、事ある毎に火消しの訓練をした。

元禄六年。いよいよ将軍綱吉の生類あわれみの令はひどいものになっていた。年も押し詰まった日、江戸から水間治部左衛門という浪人が大石家を訊ねてきた。

母・熊子に京にいた時分世話になり、その熊子の死を知ってやってきたのだ。内蔵助はこの治部左衛門の人柄を好ましく思った。

同年、幕府から備中・松山の城を収めるように命が下った。水谷家の御家取り潰しにともなうものである。

江戸から並々ならぬ噂が届いた。内蔵助がかつて京で出会った中山安兵衛応庸が義理の叔父・菅野六郎左衛門の果たし合いの助太刀をつとめ、敵四人を討ったという。後の世に言う高田の馬場の決闘である。

この噂の後、江戸留守居役の堀部弥兵衛から、是非とも中山安兵衛応庸を婿にしたいという手紙が内蔵助に届いた。内心無理だと思っているが、なにせ堀部弥兵衛の思いが尋常ではない。やがてその情熱にほだされ、中山安兵衛応庸は堀部家へ入った。

この頃、水谷家に教訓を得て、子のない内匠頭長矩は弟の浅野大学を養子にした。

だが、思いもよらぬことが翌年待っていた…。浅野内匠頭長矩が城中で高家・吉良上野介へ斬りつけたというのだ

本書について

池波正太郎
おれの足音 大石内蔵助
文春文庫 計約七六〇頁
江戸時代

目次

蔵の中
剣友
京の小平次
福山の吾妻
異変
祖父
七年後
祇園町
江戸屋敷
四年後
京の夏
新妻
元禄元年
若き殿さま
ふとどき者
歳月
犬公方
火消しの殿
消息
備中・松山城
二人内蔵助
松山在番
養子縁組
早打ち
江戸の小平次
仏光寺境内
山科日記
笹屋行燈
出府
山城屋一学
踊り子・綾丸
雪明り

登場人物

大石内蔵助良雄(竹太郎)
りく(理玖)…妻
大石主税…長男
大石内蔵助良欽…祖父、国家老
於千…祖母
熊子…母
久馬…次弟
権十郎…末弟
大石頼母良重…大叔父、江戸家老
関重四郎…大石家家来
八助…大石家の小者
水間治部左衛門…内蔵助の秘書
浅野内匠頭長矩…播州赤穂藩藩主
阿久利(瑤泉院)…正室
堀部弥兵衛金丸…江戸留守居役
堀部安兵衛武庸(中山安兵衛応庸)
小野寺十内秀和…京都屋敷・留守居役
お丹…十内の妻
服部宇内
服部平太夫…長男
大野九郎兵衛…家老
鍔屋家伴(服部小平次)…服部宇内の次男
恵比寿屋市兵衛…扇問屋の当主
恵比寿屋茂佐…隠居
仁兵衛…彫物師
徳川綱吉…五代将軍
柳沢吉保…御側用人
吉良上野介…高家
上杉綱憲…吉良上野介の実子
鶴見内蔵助…水谷家城代家老
吾妻…水茶屋福山の女
玉波…水茶屋福山の女
山城屋一学
中野七蔵…お幸の父
お幸
佐々木源八

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