飯嶋和一の「黄金旅風」を読んだ感想とあらすじ(面白い!)

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覚書/感想/コメント

目の前で巨大な扉がギギィとゆっくりと閉っていくのを見ているかのような感じに襲われる。そして、最後の二ページは、扉がバタンと閉じた瞬間を見ているような感じですらある。

輝くような貿易黄金時代を象徴する題名と、その終焉。こうした題名との対比もいい。そして、題名を象徴するものとして作中に登場するのが黄金蝶である。遙か遠い南方から飛んでくるという蝶である。その蝶には貿易に対するロマンというものが比喩されている。

この小説は、実権が大御所の徳川秀忠から将軍徳川家光に移る過渡期における、日本の貿易政策の変化と、切支丹の取締の様子を描いている。舞台は長崎。

この長崎に生まれた「金屋町の放蕩息子」の末次平左衛門、「平戸町の悪童」の平尾才助、そして二人と不思議な縁のある鋳物師・平田真三郎を軸に物語がすすむ。

物語の進行の大きな軸となるのは、朱印船貿易をめぐる対立である。この貿易をめぐっての策謀の一環として切支丹の取締もある。

父平蔵が変死をし、その後を継がざるを得なかった末次平左衛門と、新たに長崎奉行として赴任し来た大名の竹中重義との対立が軸となる。

末次平左衛門の視線は長崎の民町を守る事に終始している。それを壊されないように務めるのが己の義務だとも思っている。平左衛門は目先の損得や保身で動くような小者ではない。世の中には、初めから俗世を超えて生まれてくる者がいる。

一方の竹中重義は欲得づくめである。しかも後ろには土井大炊頭、さらには大御所徳川秀忠の姿もある。
だが、ここでもう一つの対立項がある。それは将軍の徳川家光である。家光の考えによってはどう転ぶかわからない。

前半では内町火消組の組頭・平尾才助が描かれている。不思議な人徳があり、日本人だけでなく、長崎に住む外国人からも信頼が篤い。

竹中重義が長崎奉行として赴任してから才助の前に現われる事件は、切支丹取締に関するものが多くなる。

切支丹の摘発強化が図られたのだが、その取り締まりの強化の裏には、竹中重義によるルソン出兵を幕府に是認させるための計算が潜んでいる。

そうした竹中重義のたくらみによって長崎の町民が犠牲となっていく。そうした状況に才助は手をこまねくわけにはいかなかった。

後半では、切支丹弾圧・摘発の様子というのを、亡くなった才助のかわりに、鋳物師の平田真三郎の目を通して語られる。

真三郎は幼い頃に末次平左衛門や平尾才助と同じセミナリオにいたことがあった。不思議な縁で三人は結ばれているのだ。

なお、下記において、平田真三郎の部分は省略し、末次平左衛門を中心にまとめている。

内容/あらすじ/ネタバレ

寛永五年肥前長崎。太陽暦四月七日。二隻の中国式ジャンク船が船出を控えていた。二隻は長崎の外町を支配する代官で、朱印船貿易家の末次平蔵政直の所有船だ。船大将は濱田彌兵衛である。

長崎の南西三百三十里にその島はある。ポルトガル人は「イラ・フォルモサ(美しい島)」と名付け、日本人は高山を擁する事から高山国(タカサグン)と呼んでいた。島の南西にある港タイオワン(台湾安平)は重要な中継貿易港だった。

四年前にオランダ東インド会社が安平に城壁を築きはじめた。ゼーランジャ城である。末次平蔵とオランダ人の抗争はその時に始まった。

末次平蔵は七十路を越えていたが旺盛な野心を窺わせた。南蛮貿易によって築き上げた総資産は四十万石の大名を上回る。

ポルトガル製カノン砲を搭載した末次船が到来するという報を受けた台湾長官ピーテル・ノイツは動揺を隠しきれなかった。

ノイツは東アジアの状況に疎い。末次船は朱印状を与えられた幕府公許の貿易船であり、交戦をすれば問題が生じる。また全世界の銀産出のほぼ三分の一を占める日本との貿易は有望な市場であった。

末次船が姿を現した。濱田彌兵衛は入手できなかった商品の引き渡しと、朱印船貿易を従前のまま認めるなら問題ないとするつもりだ。末次平蔵がこの機に乗じて安平からオランダ人を駆逐して台湾南部を制圧、幕命による安平・高雄の割譲を目論んでいるのはわかっていた。濱田彌兵衛は武力制圧が一時的には可能でも、長く続かない事を知っていたので、事を荒立てるつもりはなかった。

そうした濱田彌兵衛の態度を見たノイツは急に態度を変えた。軍事行動がないとわかれば、末次船の船大将濱田彌兵衛の言い分などを聞くつもりはなかった。ノイツの態度は不遜なものになっていった。

ここには日本語通詞としてフランソワ・カロンがいた。十一年後。平戸オランダ商館の取り壊し命令と、長崎出島への強制移転という難局に商館長として直面する事になる人物である。

濱田彌兵衛はある事実を知って我慢の限界を悟った。ノイツと最後の交渉をする事にした。

その交渉の席で濱田彌兵衛はノイツを人質に取った。そしてこちらの言い分をことごとく飲ませた。そしてそれを履行するために双方から人質を出す事になった。

そして日本に戻ってきたが、末次平蔵はノイツからの人質を解放しようとしなかった。濱田彌兵衛は一人孤立感を深めてゆく事になる。

寛永六年肥前長崎。内町火消組の頭・平尾才助のところを吾兵衛が訪ねた。富松の行方が知れなくなったという。富松は火消組の一人でもある。

才助は長崎の地で不思議な人望を得ていた。数え三十三歳になり、顔には大きな火傷のあとがある。火傷は二年前の夏の時に、幼児救出の際に負った。幼児は助からず、才助も重傷を負ったのだが、見舞いに来た幼児の父親にたいして才助は「お子を助けられず、申し訳ない」と逆に両手をついて頭を下げた。

その才助も幼少の頃は性根ひねくれ、気性が激しく、悪童ぶりは内町でも際だっていた。だが、生来侠気に富み、弱いものを害する事はなかった。一方で我がもの顔でふるまう南蛮人には容赦なかった。

希代の悪童は二十歳の時に町会所から請われて火消組の惣領となった。

昨年から内町と外町から次々と人が失踪する事が相次いだ。その数が十名を超えている。

吾兵衛は富松と奇妙な縁で結ばれているという。二人ともある教典とおぼしき文句を親より伝授され諳んじているのだ。吾兵衛が覚えさせられたのが「タダの十二」。富松が「タダの十一」。タダとは「従」、つまり使徒行録を意味している。

才助は慄然とした。今まで失踪している人間の背後にあるものがわかったからである。

幕府が切支丹を禁じたのは南蛮貿易で富を蓄えた切支丹大名のもとで民衆が徒党を組む事を怖れたからだ。徳川家独裁を目論む幕府への危険を排除するためである。

翌日から才助はおおっぴらに聞き込みをさせ、公衆に知らしめた。そうした中で吾兵衛が拉致された。才助と弟の荘次郎らは吾兵衛が拉致された寺に向かっていた。荘次郎はタイ捨流の遣い手で、九州全土では才助よりも名が知られていた。

吾兵衛を拉致した牢人どもの背後を示す隠語は「黒い餅」だった。それは今度長崎奉行としてやってくる大名の竹中采女正重義の家紋だった。竹中の背後には海外貿易からの利益を待望している幕閣がいる事を意味していた。その竹中は長崎入りするとすぐさま戒厳下に置いた。

寛永七年太陽暦七月。末次平蔵政直が死体で見つかった。知らせは平尾才助を経由して嫡男の平左衛門に届いた。変死である。おそらくは毒殺だろう。

平左衛門は父平蔵とは折り合いが悪い。そのため放蕩息子、不肖者として知られていた。

才助と平左衛門はかつて長崎の恥のように語られた。悪童と放蕩息子は同じ年であり、セミナリオに在籍していた事がある。素行が悪く、わずか半年で破門、追放されている。

才助は平左衛門に末次の身代と代官職を継げという。それも天命だと。

平左衛門が江戸にゆき長崎代官に任命する下知状を受けた。公式には二世末次平蔵茂貞となった。長崎に帰ってきた平左衛門は長崎奉行の竹中采女正重義の屋敷に出向いた。

この席で、竹中は松倉豊後や松浦肥前などがルソンの方角を見ており、松倉豊後などは船をルソンに向ける気だという思いがけない話が出た。

平左衛門は朱印状の件を聞くと、竹中は動揺を見せた。正式な渡航許可は下りていないようだ。とはいえ、幕府に発覚すれば御家廃絶である。それをわかっていながらの行動は、背後に強大な権力が介在している事が予想できた。

松倉重政のルソン偵察船派遣を竹中は黙認し、加えて自らもルソンに船を送るつもりでいるようだ。

フランソワ・カロンは末次平左衛門を前に内心冷や汗を掻いていた。平左衛門はオランダと手を結ぶのか、ポルトガル・イスパニアと結ぶのかの選択を迫られつつあることを思い知らされていた。

父平蔵はオランダ人にとって悪魔のような存在だった。カピタン平蔵死去の報ほど喜ばせたものはない。裏には後継者の放蕩息子の噂もあったからだ。

だが、とんでもない間違いだった。平左衛門は父親以上の器であるかもしれないとカロンは感じた。

平左衛門は目先の損得や保身で動くような小者ではなかった。世の中には、初めから俗世を超えて生まれてくる者がいる。

寛永七年太陽暦十月。長崎を火事が襲った。才助はこの日の午前に久しぶりに黄金蝶を目にした。遠くルソンやカンボジア付近からやってくる蝶だ。平左衛門も黄金蝶を見ていた。才助がこの火事で命を落とした。

松倉重政の船がルソンに向かうという。だが、将軍からの朱印状はおろか閣老からの奉書さえ与えられておらず、長崎奉行竹中重義の出航許可で向かうという。竹中重義による朱印状の私造偽作だ。

松倉重政はかつて父平蔵がやろうとした事と同じ図式を描こうとしていた。

竹中重義もポルトガル貿易に参入する事を企んでいた。この時輸出した丁銀はとんでもない代物だった。

竹中家用人の不破彦右衛門からもらった丁銀を平左衛門は調べさせた。すると、贋銀だった。この場合の贋銀とは、通常とは逆で銀含有量を増やした純度の高いものをいう。長崎銀座は純度の高い銀の海外流出を監視している。国内の銀山の銀資源も枯渇しはじめている。

松倉重政が死んだ。これでルソン出兵はすべて竹中重義の手に握られた事になる。

ルソン出兵を阻止するためには、江戸に上訴する事も視野に入れなければならない。その暁には竹中重義と争う程度ではすまない。平左衛門にとっても命がけの闘争となろうとしていた。

寛永八年。平左衛門は幕府より召還された。竹中重義の放縦ぶりは目に余るものになっていた。だが、竹中重義の後ろには土井大炊頭利勝がおり、さらには大御所徳川秀忠がいるのは明らかだった。時期を待つしかなかった。

平左衛門が土井利勝から呼ばれた。土井はその手に例の贋銀の丁銀を持っていた。やがて土井利勝はその丁銀の海外流出の意味するところがわかった。幕府の銀幣制を根本から覆すような事が竹中重義によって行われているのだ。

海外に赴く船に朱印状に代わって御年寄衆の連署による御奉書が下される事になった。奉書が与えられるのは代官職に就いている者に限られた。長崎では末次家だけとなる。つまりは平左衛門の危惧していた貿易統制の強化でしかない。

そしてこの動きは、対オランダ貿易再開に向けての具体的な動きに他ならなかった。

平左衛門は江戸からなかなか戻る事ができなかった。

長崎に戻った平左衛門はジャンクの出航準備に取りかからせた。そしてその船大将を濱田彌兵衛に頼み込んだ。

その頃、江戸からの知らせがきた。細川家からの情報で、大御所秀忠の容態が悪化しているようだ。

平左衛門は大坂へ向かい、竹中重義が貿易によって輸出した銀などの裏をとるための証拠固めを行いはじめた。そしてわかったのは、竹中の総資産はたかが二万石の大名としては莫大な二十万両以上というものだった。

いよいよ上訴のため動く時が来た。あとは大御所薨去の知らせを待つだけだった。

本書について

飯嶋和一
黄金旅風
小学館文庫 約六〇五頁
江戸時代

目次

第一章
 寛永五年 肥前長崎
 寛永五年太陽暦五月 台湾安平
第二章
 寛永六年 肥前長崎
 寛永七年太陽暦七月
 寛永七年太陽暦八月
 寛永七年太陽暦十月
 寛永八年太陽暦四月 武州江戸
第三章
 寛永八年太陽暦二月 肥前長崎
 寛永八年太陽暦七月 肥前長崎
 寛永八年太陽暦十二月 肥前長崎
第四章
 寛永九年陰暦五月
 寛永九年陰暦七月
 寛永十年陰暦三月 肥前長崎

登場人物

末次平左衛門(二代目平蔵)
平尾才助…内町火消組の頭
平尾荘次郎…才助の弟
末次平蔵政直…平左衛門の父
三蔵…末次家の下代
清兵衛…三蔵の実弟
濱田彌兵衛
濱田新蔵…彌兵衛の息子
竹中采女正重義…豊後府内の大名
ドン・ジェロニモ・デ・マセダ…ポルトガル人貿易司令官
不破彦右衛門…竹中家用人
片島五郎右衛門…竹中家宗門奉行
ピーテル・ノイツ…台湾長官
ピーテル・ムイゼル…商務員頭
フランソワ・カロン…日本語通詞
吾兵衛
富松
楊正雲
石本新兵衛…平戸町の乙名
高木作右衛門…内町の筆頭年寄
絲屋随右衛門…袋町の乙名
亀次郎
松倉重政
土井大炊頭利勝
横田角左衛門…土井家用人
徳川秀忠
徳川家光
稲葉丹後守正勝
松平伊豆守信綱
上原道助
ミネ…娘
勘兵衛…上原家手代頭
平田真三郎…鋳物師
サキ…真三郎の妻
平野藤次郎正貞
次兵衛(トマス・デ・サン・アウグスチノ)

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