超武闘派で最強の武神・タケミカヅチを主祭神とする。
神代の国譲りの時に高天原のアマテラスが遣わして、オオクニヌシに国を譲るように迫る。
その迫り方が尋常ではない。剣を逆さにして立て、上を向いている切っ先の上に胡座をかきながらだったいう。
オオクニヌシの子・タケミナカタが国を譲ることに同意しないので、力でねじ伏せる。
ほうほうの体で逃げるタケミナカタを、出雲から諏訪まで追いかけて服従させた。
そして、日を背にした鹿島(日の出づる所)から、諏訪大社のある諏訪を今も睨みつけている。
また、タケミカヅチの剣は神武天皇の手に渡り、大和平定の際に活躍する。
鹿島神宮は最強の武神タケミカヅチを祀る凄いパワースポットなのである。

鹿島神宮とは
常陸国一之宮
関東最古の神社。古代社格制度の常陸国の式内社で、その中でも格式の高い名神大社。中世社格制度では常陸国一之宮である。全国約600社ある鹿島神社の総本社。香取神宮と対になっている。
創建は初代神武天皇が即位した年と言われている。古社中の古社で、平安時代から伊勢のほかには、神宮と呼ばれたのは、鹿島神宮と香取神宮だけである。別格の格式を持つのである。
東国三社
鹿島神宮、香取神宮、息栖神社の三社を合わせて「東国三社」と呼ばれ、昔から宮中の四方拝で遥拝されている。
三社を巡る「東国三社巡り」は伊勢神宮をお参りしたのと同じご利益があるとされる。
藤原氏ゆかりの神社
中臣氏が神職を担っていたため、古くから藤原氏にも信仰されている。一説には藤原氏の祖となる中臣鎌足の出身がこの周辺だという。近くには鎌足神社がある。

鹿島の地は古来から中臣氏にゆかりが深い土地だったようだ。中臣から藤原に姓を変えた藤原家が鹿島神宮を特に篤く信奉したことは知られるが、鹿島こそが、藤原氏繁栄の礎を築いた祖・中臣鎌足の出生の地という説がある。
鹿島神宮は海と川が近い。おそらく創建の時期は、文字通り「島」だったと思われる。周辺は香取海(かとりのうみ)と呼ばれる、大きな内海が広がっていた地域で、名の通り香取神宮が支配していた。
その香取海に浮かぶ島だったので「香島」となり、同じ音の「鹿島」になったという。
だが、周辺の地名には「神」や「高天原」などがあることから、もともとは「神島」から始まって、「香島」→「鹿島」になったのではないかと思う。いずれも「かしま」と読める。香取も同様で、「神取」から「香取」になったのではないか。
香取神宮は物部氏の系統の神社のため、香取海周辺を物部氏が実質的に支配していた。
だが、中央での勢力図の変化により、この周辺の力関係も変わり、中臣氏が優勢となる。その頃には、内海も小さくなっていたことであろう。
なお、海の近い鹿島神宮には、鹿島灘の「波の音」が、北から聞こえると晴れ、南から聞こえると雨となると伝わる。鹿島神宮七不思議の一つである。
武士からの信仰
武家からは武神として崇敬されてきた。現在も剣道や弓道などの武道で篤く信仰される神社である。
というのは、この地が日本剣術発祥の聖地でもあるからだ。
剣術の流派は古墳時代前期に最古の剣術が生まれたようだ。最初の流派が、常陸国鹿島神宮の祝部(=つまり神官)の国摩真人が編み出した「鹿島の太刀」を基とする「関東七流」である。牧秀彦「剣豪 その流派と名刀」に詳しい。
なお、国摩真人は中臣氏の一族の可能性が高いようだ。

時代小説を読むと様々な剣術の流派や刀が登場する。一流派・一名工毎に、見開きで完結する内容となっているので、事典代わりに読まれると良いと思う。
「関東七流」の詳細は分からないらしい。鹿島神流や香取神道流の祖と言われる。
剣術の流派興隆を担ったのが神官であったことが重要である。鹿島神宮や香取神宮の役割が何だったのかがよく分かる。
この流れから誕生した伝説的な剣豪が塚原卜伝。この地の出身で、鹿島神宮の神官の家系の出身。実父から鹿島古流を学び、義父からは飯篠長威斎(いいざさ・ちょういさい)が興した天真正伝香取神道流を学んだとされる。

塚原卜伝(1489-1571)は戦国時代の剣豪、兵法家。剣聖と呼ばれる。鹿島新当流(新当流、卜伝流、墳原(つかはら)卜伝流など)の始祖。卜伝の伝記は巷説が多く、生没年に諸説あることからも明らかでない。
関東七流に対して、京八流というのもある。こちらは京都の鞍馬山を発祥とする流派で、平安時代に始まったとされるが、詳細は不明。流派を担ったのが僧侶だったとされる。東西ともに、聖職者が深く関わっていることが興味深い。
鹿島神宮の散策
四つの一の鳥居
鹿島神宮の一の鳥居は東西南北に四つある。この四つの鳥居の中は神域とされる。
西の一之鳥居
大船津の一之鳥居は、鹿島神宮に通じる東西南北の四か所に設けられた一之鳥居の一つで、西の一之鳥居に当たります。
鎌倉時代、鹿島の土地隆起により御手洗池近くまで入っていた船の往来ができなくなり、船着き場となった大船津に、僧侶の忍性が鳥居を建てたのが最初とされています。
1618年に徳川二代将軍秀忠が社殿と合わせて奉納した鳥居は水中鳥居で、当時はまさに鹿嶋の玄関口でした。現在の鳥居は、2013年6月に再建されたもので、水底からの高さが、18.5メートル、幅22.5メートルもあり、水上の鳥居としては厳島神社の高さ16メートルをこえる国内最大級の大きさです。
看板 鹿嶋神の道運営委員会




南の一の鳥居
南の一の鳥居は息栖神社の一の鳥居
東の一の鳥居
明石浜鳥居。武甕槌大神が上陸した場所とされる。
北の一の鳥居
浜津賀地区の神戸森にある戸隠神社の境内にある。2017年10月1日に再建された。
参道
正面に見えるのが大鳥居

「東国三社巡り」をするのであれば、車で来ることをお勧めする。公共交通機関の利用では1日で三社を巡るのは厳しいかもしれないが、車なら半日で巡ることが可能である。
東京からのアクセスは東関道をひたすら走り、高速の終わりの潮来から利根川を渡ってすぐ。神宮橋を渡る際に利根川に一の鳥居が見える。
おススメの駐車場は、大鳥居の右手にある駐車場。有料だが、一番近い。
鹿島神宮だけを参拝するなら、電車でも悪くはない。時間はかかるし、乗り継ぎは多いが、鹿島神宮駅からは10分ほどのアクセス。ただし、登り坂である。
高台にあるのは、古代の香取海の時代に水難に遭わないように高台に建てたためだろう。

案内図
境内案内図。広大な敷地を有する。敷地面積は東京ドーム15個分ある。その多くが原生林のような森。茨城県指定の天然記念物となっている樹叢で、杉、シイ、タブ、モミが生い茂っており、種類は600種以上あるそうだ。森林浴で歩くだけでも清々しい。

末社
楼門手前左に末社がある。



末社 熊野社
熊野社(くまののやしろ)。

末社 祝詞社
祝詞社(のりとのやしろ)

末社 津東西社
津東西社(つのとうざいのやしろ)

末社 須賀社
須賀社(すかのやしろ)

遥拝所
摂社である坂戸神社と沼尾神社の遥拝所。この2社は鹿島神宮と特別の関係にある。

末社 稲荷社
楼門手前右にある。

楼門
日本三大楼門の一つに数えられる。重要文化財。寛永11年(1634)、水戸徳川初代藩主の頼房卿により奉納。
高さが13メートルあるそうだが、もっと大きく見える。ここをくぐると雰囲気が変わる。


楼門の扁額「鹿島神宮」は東郷平八郎元師による。

2017年菊祭り
楼門のところに飾り付けられて、華やかである。



茅の輪くぐりと大助人形
疫病退散の祈願がここでも行われていた。


摂社・高房社
楼門をくぐって正面にある。左手が仮殿で、右手が拝殿となる。
建葉槌神が御祭神で、武甕槌大神(タケミカヅチ)の葦原中国平定に最後まで服従しなかった天香香背男を抑えるのに大きく貢献した神様である。
鹿島神宮では、古くから高房社を参拝してから拝殿を参拝する習わしだという。

拝殿
楼門をくぐって右奥にある。正面ではない。楼門の正面に位置するのが摂社の高房社で、まずはここを参拝して、右を向いて拝殿を参拝するのが習わし。
正面玄関に当たる楼門の正面に拝殿があることが多い。土地の制約があれば仕方がないが、広大な土地を有しているにもかかわらず、あえて拝殿を楼門の正面に配置していないのだから、相応の由来があるのだろう。
拝殿と本殿は北を向いている。創建時の役割が東国および北方の制圧だと考えれば納得できる。北を睨んでいるのだ。それも、日本神話最強の武神タケミカヅチが。

北にはオオクニヌシを主祭神とする大洗磯前神社とスクナヒコナを主祭神とする酒列磯前神社がある。この両社も睨んでいるのだ。
参道は東西に走っているので、西の朝廷からの力を運び入れる役割があるのかもしれない。
レイラインという考えもあるようで、こちらの場合は、太陽の力を神の道に乗せて西へ運ぶという意味かもしれない。


三笠社
三笠社が鎮座しているが、一般には見られない。三笠社は鹿島神より前からお祀りされている地主神と言われている。
写真でもわかりづらいが、真ん中に薄っすらと映っているのが三笠社。

仮殿
楼門をくぐって左奥にある。拝殿の対面にある。


祈祷殿の奥にある末社と祖霊社
拝殿の正面に祈祷殿がある。楼門からだと授与所の先を左に曲がった先。
末社 御厨社
御厨社(みくりやのやしろ)

祖霊社





奥参道
拝殿を過ぎて奥宮へ続く奥参道は空気が一変する。木の柵で境目がハッキリしている。楼門をくぐると雰囲気が変わるのだが、奥参道に足を踏み入れるとさらに雰囲気が変わる。
現在は開放されているが、以前はこの参道は一般開放されていなかったのではないかと感じた。
途中に鹿園がある。鹿が神の使いというのは、鹿島神宮が最初で、この地から奈良の春日大社へ鹿が遣わされたそうだ。
春日大社は藤原氏の神社である。春日大社は鹿島神宮と香取神宮から祭神の分霊を遷したが、これが中臣氏を隆盛に導いた中臣鎌足がこの地出身だからだという根拠になっている。


鹿園
奥参道を歩き始めると左手に見えてくる。売店で鹿の餌が売られ、餌やりができる。
心情的に小さい鹿に餌をやりたくなるのだが、同じことを考える人は多いようだ。小さい鹿の方がよく餌をもらっているように見えた。
鹿島神宮では鹿が神使で、神鹿と呼ばれている。20頭ほどが飼われている。
奈良の春日大社創建の折、鹿島神宮の御分霊を神鹿の背に乗せて遷したので、春日大社の鹿は鹿島神宮の鹿が祖となる。
だが、江戸時代末の幕末にはほとんどいなくなってしまったので、昭和32年に奈良より春日の神鹿を3頭、東京の神田明神より2頭を移し、鹿園が開園したそうだ。
平成25年にも北口本宮冨士浅間神社より5頭を移してきている。

さざれ石
鹿園の側にある。

石灯篭
多くの灯篭があるが、穴がハートの形をしたものもあるそうだ。探しながら、境内を巡るのも楽しい。
ちなみに自分は見つけられていない…。

神事
2017年 弓道
奉納演武だろうか?たまたま訪れた2017年11月12日に催されていた。






末社 熱田社
熱田社(あつたのやしろ)。奥参道の途中にある。祭神は須賀社と同じく素盞鳴尊。明治以前は七夕社といってた。

奥宮
奥宮へたどりつくと、こここそが聖域という趣きである。そして、この奥宮の先に要石がある。
この奥宮も北を向いている。




奥宮
祭神
武甕槌大神荒魂
社殿
慶長十年(一六〇五)に徳川家康公により本宮の社殿として奉納されたが元和五年(一六一九)に二代将軍秀忠公によって現在の本宮社殿が奉建されるに当り現在地に引移して奥宮社殿となった
重要文化財
鹿島神宮の案内板
要石
地震を起こす大鯰の頭を押さえつけていると言われる。お尻を抑えているのが香取神宮の要石。
江戸時代に水戸藩3代目の徳川光圀が要石がどれだけ深いかを確かめるために七日七晩掘らせたが、結局底が見えなかったと言われている。
鹿島神宮七不思議の一つである。




要石
神世の昔、香島の大神が座された万葉集にいう石の御座とも
或は古代における大神奉斎の座位として磐座とも伝えられる霊石である。
この石、地を掘るに従って大きさを加えその極まるところしらずという。
水戸黄門仁徳録に七日七夜掘っても掘っても掘り切れずと書かれ地震押さえの伝説と相俟って著名である。
信仰上からは伊勢の神宮の本殿床下の心の御柱的存在である。
鹿島神宮の案内板
タケミカヅチの像
奥宮から要石に行く途中にあるタケミカヅチの石像。


御手洗池
参拝前に身を清めたとされる。
大人も子供も池に入ると、水面が胸の高さまでしかこないと言われる。
鹿島神宮七不思議の一つである。




鹿島神宮の七不思議
鹿島神宮七不思議は「波の音」「要石」「御手洗池」と、他の4つは次の通り。
神宮境外にある「末無川」。川の流れが途中で地下に潜るため最後がわからない川とされる。
藤原鎌足が植えたとされる「御藤の花」。花の数で、作物の豊凶を占ったそうだが、今はない。
境内の松の木は伐っても切り株から芽が生えて、枯れることがない。「根上がり松」と言われる。
境内の松で作られた「松の箸」はヤニが出ないとされるが、今は現在は箸が作られていない。

末社(大黒社)


鹿島神宮園地御手洗公園
注連縄の張られている二か所は、鳥居があった。東日本大震災の際に倒壊した。



鳥居は2020年8月10日に再建された。
鎌倉時代以前は、香取海の水位が高く、この辺りまで入江が入り込んでいた。そして、御手洗池があるこの場所が参拝の起点となっていたと伝わっている。

様式は鹿島鳥居。円形の柱の上に円形の笠木が載り、貫(二番目の横木)だけ貫端が柱の外へ突出する。元側が正面向かって左側/末側を右側に据えられる様式。
特別なお守り「東国三社守」
三社の鎮座位置は、直角二等辺三角形を描くことが知られている。
三社を巡ると伊勢神宮をお参りしたのと同じご利益があるとされる。「東国三社巡り」といわれる。
回る順番だが、鹿島神宮と息栖神社が近いので、この2社を一緒に巡り、香取神宮を別にするのがよい。
おススメは息栖神社→鹿島神宮→香取神宮。
三社を巡った証としてのお守り「東国三社守」がある。
三面になっている。紋章部分がシールになっていて、各神社で購入できる。
写真は鹿島神宮の面。神紋は三つ巴。

他にもいろいろなお守りがある。

鹿島神宮の概要
国指定の史跡
境内が国指定の史跡となっている。周辺を含めて広域での史跡となっている。
鹿島神宮境内 附 郡家跡
指定対象は次の4か所。
・鹿島神宮境内
・摂社坂戸神社境内
・摂社沼尾神社境内
・鹿島郡家跡
摂社・末社
摂社
末社(境内社)
- 須賀社
- 津東西社
- 祝詞社掲
- 熊野社
- 稲荷社
- 熱田社
- 御厨社
- 大黒社
末社(境外社)
- 年社 鹿嶋市宮下5丁目20 付近
- 潮社 鹿嶋市宮中2049-15 付近
- 阿津社 鹿嶋市鉢形1522-3 付近
- 国主社 鹿嶋市宮中8丁目9-14 付近
- 海辺社 鹿嶋市城山4丁目2-24 付近
- 押手社 鹿嶋市城山2丁目5-20 付近
- 鷲宮 鹿嶋市神野1丁目8-8
所管社
- 祖霊社
文化財
指定 | 内容 | |
---|---|---|
国指定 | 国宝 | 直刀・黒漆平文大刀拵(附 刀唐櫃) |
重要文化財 | 本殿、石の間、拝殿、幣殿 4棟(附 棟札2枚)(建造物) 摂社奥宮本殿(附 棟札1枚)(建造物) 楼門(建造物) 仮殿(建造物) 梅竹蒔絵鞍(附 四手蒔絵居木一双)(工芸品) | |
選択無形民俗文化財 (国選択) | 鹿島の祭頭祭 | |
県指定 | 有形文化財 | 木造狛犬 2躯(彫刻) 木造狛犬 2躯(彫刻) 黒漆螺鈿蒔絵台 1基(工芸品) 銅印 1顆(工芸品) 陶製狛犬 3躯(工芸品) 石造燈籠 1基(工芸品) 鐃 1口(工芸品) 軍配 1口(工芸品) 太刀 銘景安 1口(工芸品) 草花双鳥円鏡 1面(工芸品) 十一面観音御正体 1面(工芸品) 鹿島神宮文書 18巻(古文書) |
市指定 | 有形文化財 | 楼門回廊 2棟(建造物) |
有形民俗文化財 | ― |
国指定 | ― |
---|---|
県指定 | 鹿島神宮樹叢 |
市指定 | ― |
鹿島神宮のホームページ
住所と地図
所在地:〒314-0031 茨城県鹿嶋市宮中2306−1
電話:0299-82-1209