堀田正倫:下総佐倉藩11万石最後の藩主

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堀田正倫(ほった・まさとも)略歴

江戸時代末期から明治時代の大名、華族。伯爵。

嘉永4年(1851)12月6日~明治44年(1911)1月11日。61歳。

堀田正睦(まさよし)の四男。

安政6年(1859)、父・堀田正睦が井伊直弼との政争に敗れて失脚し、家督を譲られ下総佐倉藩11万石の堀田家第2次6代となる。

明治元年(1868)戊辰戦争の際には、徳川慶喜に対して朝廷から討伐令が下ると、上洛して徳川氏のため慶喜の助命と徳川宗家の存続を嘆願した。

新政府から拒絶され、佐倉藩は方向曖昧であるとして京都に軟禁状態にされた。

佐倉藩の佐倉城は城主不在となったが、家老・平野縫殿が新政府軍に与して大多喜藩に出兵したため、改易は免れた。

やがて許されて帰城し、両総房三州の触頭となる。

明治2年佐倉藩知事に任命され、明治4年退官後、東京に移住し宮中祇候となった。

明治17年(1884)に伯爵に叙される。

明治23年(1890)旧領地佐倉に戻り、私立の農事試験場の設立、廃校問題の起った県立佐倉中学校(現佐倉高等学校)の維持経営など、地域の発展につくした。

母里藩主・松平直哉の四男正威を養子としていたが離縁し、蓮池藩主・鍋島直柔の次男で婿養子の正恒が家督を継いだ。

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堀田正倫縁の地

国重要文化財・名勝「旧堀田邸」

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