テーマ:奈良時代(平城京遷都から遣唐使、天平文化)

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平城京

文武天皇が若くして亡くなると、母が即位して元明天皇になります。

710(和銅3)年、平城京を築き、藤原京から京都を移します。

平安京に移るまでの80年ほどを奈良時代と言います。

蝦夷と隼人に対する統治

8世紀初めに東北地方で陸奥国と越後国を分けて出羽国を作ります。

出羽柵、多賀柵(のちの多賀城)を設けます

九州では日向国を分けて大隅国を設け、多褹島(種子島)を領土に編入します。

農業

国司・軍事に、水田の他に、畠に粟、麦、豆などを植えるように指導させました。

貨幣と鉱物

  • 陸奥の金
  • 周防・長門の銅
  • 近江・美作の鉄

708(和銅元)年に、武蔵国で銅が産出されると、年号を和銅と改め、和同開珎という銭貨を鋳造します。

蓄銭叙位令などで銭貨の流通を図りますが、地方では稲や布が交易の手段でした。

道路・流通

都を中心に整備されて、約16kmごとに駅家を設ける駅制がしかれました。

利用したのは都と地方の連絡にあたる官吏でした。

藤原氏の進出

8世紀初めに藤原鎌足の子・藤原不比等が律令体制の確立に力を尽くしました。

一方で婚姻により皇室との結びつきを強め、勢力を伸ばしました。

藤原不比等の死後、長屋王が藤原氏を抑えようとしましたが、藤原不比等の子4人による策謀で長屋王の変で自殺に追い込まれます。

藤原氏は藤原不比等の女・光明子を聖武天皇の皇后にたてて権力を握ります。

藤原不比等の子・4人が疫病で死ぬと、皇族出身の橘諸兄が政権を握ります。

これに対して太宰府で反乱が起きます。藤原広嗣の乱です。

初期荘園の形成

722(養老6)年、長屋王のもとで百万町歩の開墾計画が立てられます。

翌年には三世一身法が施行され、田地不足のための政策が取られます。

743(天平15)年、橘諸兄のもとで墾田永年私財法が施行され、開墾した土地が永久に私有が認められました。

貴族や寺社は、郡司などの地方豪族と結んで開墾を進め、農民の墾田を買い集め私有地を広げます。

初期荘園が形成されます。

一方で、農民の中には、天災や租税の負担に耐えかねて、区分田や家を捨てて浮浪・逃亡する者が現れます。

聖武天皇の仏教政策

聖武天皇は藤原広嗣の乱後に都をたびたび移しますが、社会不安が深刻になりました。

天皇は仏教の力で政治・社会の動揺を鎮めようと考えます。

  • 741(天平13)年、国分寺建立の詔
  • 743(天平15)年、盧遮那大仏造立の詔

都が平城京に戻ると、東大寺の大仏造立の事業は紫香楽宮から平城京に移され、10年後に大仏開眼供養が行われました。

政争

政治は安定せず、藤原仲麻呂(恵美押勝)や僧・道鏡らによる政争が繰り返されます。

遣唐使

白村江の敗戦から30年後、702(大宝2)年に遣唐使が復活します。

日唐の関係が安定していたため、文化輸入の使節として十分役割を果たしました。

7世紀に百済と高句麗が滅亡すると、朝鮮半島から多くの亡命者が日本に帰化しました。

8世紀において、王族や貴族は政界で活躍し、農民はおもに東国の開発に従います。

新羅との関係は安定しませんでした。対等の外交を主張する新羅と、新羅を朝貢国と位置づようとする日本とでしばしば衝突します。

中国東北部の渤海は唐や新羅と対抗する関係上、日本に朝貢しました。

天平文化

  • 712(和銅5)年、古事記ができます。
  • 720(養老4)年、日本書紀ができます。

713(和銅6)年、国ごとの産物や地名の由来、古老の伝聞を記録して言上するよう命じます。これが風土記です。

まとまったもので残っている風土記は、常陸、播磨、出雲、豊後、肥前の5つです。

教育機関

  • 中央に大学
  • 諸国に国学

貴族や豪族の子弟を中心に儒教の経典を注視とする教育が行われます。

文芸

  • 詩文:淡海三船、石上宅嗣らが知られます。「懐風藻」には7世紀以降の漢詩文が集められました。
  • 和歌:山上憶良、山部赤人、大伴家持らがあらわれ、「万葉集」が編纂されます。

国家仏教

天平年間に東大寺や国分寺が建立され、金光明最勝王経や華厳経などの仏教経典の思想に基づき、天皇に統合される平和な国土を祈りました。

奈良には三論、成実、法相、倶舎、華厳、律の学派が形成され、のちに南都六宗と呼ばれるようになります。

入唐学問僧や、日本に戒律を伝え唐招提寺をひらいた鑑真らの外来僧の活動も大きな力になりました。

僧尼は国家鎮護のために法会・祈祷に専念させられます。

民間での直接布教は禁じられましたが、行基のように、農民のための灌漑用水や交通施設を作るなど社会事業を行いながら布教する僧も現れました。

小説の紹介

鑑真を扱った小説。

日本史論述問題の過去問

都の変遷~都市・平城京

  • 2018年阪大:日本古代には都の場所がたびたび変わりました。7世紀半ばから8世紀半ばにおける都の変遷について問われました。
  • 2013年阪大:平城京はおよそ10万人が住む政治都市であったといわれています。平城京はどのように区画され、いかなる施設が配置されていたのか、その概要について問われました。
  • 1981年一橋:平城京の市、荘園の市場、寺内町について具体的に説明しながら、古代~中世の市・町の発展過程が問われました。

遣隋使・遣唐使

  • 2009年東大:7・8世紀の遣隋使・遣唐使は、東アジア情勢の変化に対応してその性格も変わりました。その果たした役割や意義を、時期区分しながら問われました。
  • 2003年東大:8世紀の日本にとって、唐との関係と新羅との関係のもつ意味にはどのような違いがあるかが問われました。
  • 1999年筑波:7世紀から9世紀における日本の対外交渉について、「遣渤海使」「阿倍仲麻呂」「白村江」「正倉院」の語句を用いて述べるよう求められました。
  • 1985年東大:7世紀から9世紀にかけての遣隋使や遣唐使が、当時の日本の政治および文化に与えた影響が問われました。

東国・東北政策

  • 2017年東大:東北地方の支配は、律令国家にとってどのような意味を持ったか、また、7世紀半ばから9世紀に、東北地方に関する諸政策は国家と社会にどのような影響を与えたかをその後の平安時代の展開にも触れながら問われました。
  • 2011年阪大:日本の古代国家は東北地方の蝦夷や九州南部の隼人を服従させ支配地を拡大していきました。7世紀中葉(孝徳天皇の時代)から9世紀初頭(桓武天皇の時代)にいたる蝦夷政策について問われました
  • 2011年筑波:8~9世紀における東北地方の動向について、「伊治呰麻呂」「坂上田村麻呂」「文室綿麻呂」「阿弖流為」の語句を用いて回答することが求められました。
  • 2008年東大:東国は、古代国家にとって、どのような役割を果たしていたのか、また、律令国家は、内乱にどのように対処しようとしたのかを、古代の内乱の傾向を踏まえて問われました。

天平文化

  • 1998年筑波:奈良・平安時代の教育について、「国学」「綜芸種智院」「大学別曹」「蔭位の制」の語句を用いて述べるよう求められました。
  • 1993年京大:東アジアの国際関係を考慮しつつ、天平文化と国風文化のそれぞれの特色が問われました。

参考文献

テーマ別日本史

原始・古代

古代国家の形成~律令国家の変質

中世(鎌倉時代~室町時代)

武家社会の形成

近世(江戸時代)

近代・現代(明治時代~)

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