天台宗の芝山仁王尊観音教寺の参拝録(千葉県山武郡芝山町)

史跡・遺跡
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飛行機ルート上にあるお寺

観音教寺(かんのんきょうじ)は、千葉県山武郡芝山町芝山298にある天台宗の寺院。

真上が飛行機のルートになっており、絶え間なく飛行機の飛ぶ音が聞こえる。環境的にはいいとは言えない。

山号は天応山。本尊は十一面観世音菩薩であり、上総国薬師如来霊場第28番(結願)、新上総国三十三観音霊場第33番(結願)、東国花の寺百ヶ寺千葉6番札所の寺である。

仁王門に安置される仁王尊は、火事除け、泥棒除けの仁王尊としてしられ芝山仁王尊とも呼ばれている。

境内に芝山はにわ博物館(芝山ミューゼアム)を併設している。

781年(天応元年)征東大使・藤原継縄がこの地を訪れ十一面観世音菩薩を安置したのがこの寺の始まりとされ、その後は千葉氏の帰依を受けた。

当寺は比叡山延暦寺を御本山とする天台宗寺院で、正式名称を天應山観音教寺福聚院と称します。山号の天應山は創建が天應元年(781)と云われることに由来します。

藤原継縄の創建

日本年代記によれば、人皇第四十九代光仁天皇の宝亀十一年(780)正月、平城京が雷火に襲われ、皇室擁護の寺院が多く焼失したので、諸国に命じて新たに仏寺を建立せしめたとあります。丁度その時、征東大使として蝦夷平定の任にあった中納言藤原継縄朝臣がこの布令の下に当地に寺院を建立し、御本尊として奉持して来た十一面観世音大菩薩を奉安したのが、当寺の始まりであると伝えられております。

慈覚大師円仁による中興から現在まで

天長二年(825)、後に第三代天台座主となった慈覚大師円仁により中興され、次第に甍の数を増やし、近隣に八十余宇の子院を置くに至ったと伝えられます。その後、治承年間には千葉介平常胤の崇敬を受け、許多の仏田が寄進され、永く祈願所として栄えますが、秀吉の小田原攻めの影響を受け、当山も全山灰土と化したと伝えられます。

やがて江戸時代に入りますと、徳川幕府の庇護の下、十万石の格式を持つ伴頭拝領寺として関東天台の中核をなす寺院となりました。特に火事泥棒除け・厄除けの仁王尊天として大江戸の庶民の信仰を集め、いろは「四十八組」の町火消が纏を先頭に競って参詣したと伝えられます。

現在でも有名な新門辰五郎の旧「を組」の記念碑が境内に建っており、その信仰が今日迄連綿として伝えられている事が分ります。

http://niouson.or.jp/history.html

慈覚大師円仁が開山、再興したと伝えられる寺は、関東に209寺、東北に331寺余あるとされる。有名なのが、瀧泉寺(目黒不動)、山形市の立石寺、松島の瑞巌寺、平泉中尊寺、浅草の浅草寺

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芝山仁王尊の概要

項目内容
山号天応山
院号
正式名天応山 観音教寺
開基伝天応元年(781年)
宗派天台宗
本尊十一面観音
別称芝山仁王尊
備考上総国薬師如来霊場第28番
新上総三十三観音霊場第33番
東国花の寺百ヶ寺 千葉6番
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文化財

千葉県指定文化財
 観音教寺三重塔
 芝山古墳群(殿塚・姫塚)出土埴輪

地図

所在地: 〒289-1619 千葉県山武郡芝山町芝山298
電話: 0479-77-0004

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