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音羽山千手院清水寺 坂東三十三観音霊場第32番札所

清水寺 京都の清水寺・兵庫の清水寺とともに日本三大清水寺(きよみずでら)の一つ。 坂東三十三観音霊場第32番札所である。通称は清水観音(きよみずかんのん)。 千葉県いすみ市にある天台宗の寺院。山号は音羽山。本尊は千手観世音
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行元寺:葛飾北斎に影響を与えた初代波の伊八の欄間彫刻があるお寺

行元寺 嘉祥2年(849年)に慈覚大師によって伊東大山(大多喜町)に草創された。幾度となく戦禍に遭遇し、冷泉家や二階堂氏、武田氏、土岐氏などにより再興されている。 鎌倉時代初期に今のいすみ市荻原字茶田谷に移され、行元寺と
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玉前神社(たまさきじんじゃ)は上総一ノ宮として駅名にもなっている

上総国一之宮 外房線に上総一ノ宮駅(かずさいちのみやえき)がある。東京駅からの総武本線で、たまに上総一ノ宮駅行きがあるのだが、この上総一ノ宮というのが、玉前神社(たまさきじんじゃ)のことである。 一之宮とは、その地域の旧
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千葉一族と深い縁のある海隣寺と熊野神社

海隣寺 本尊には伝説がある。海から金色に輝く阿弥陀如来像が引き上げられ、仏像は本尊となり「海上月越如来」と呼ばれた。それを、亥鼻城主だった千葉勝胤が、馬加(幕張)に建立したというものである。 もともと寺は海沿いにあったの
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大聖院 大黒天・布袋尊(佐倉七福神)

大聖院 鎌倉時代の初期に開山。真言宗豊山派の寺院で、この地方にある15ヶ寺の本寺。 麻賀多神社から武家屋敷を通って、最後の佐倉七福神。正味3時間弱の散歩の終わり。 佐倉七福神のうち大黒天と布
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麻賀多神社 恵比寿・福禄寿(佐倉七福神)と佐倉養生所跡

麻賀多神社 宗圓寺から次に向かったのが、旧佐倉藩の総鎮守・麻賀多神社。鹿島台に佐倉城が築城されると佐倉城の鎮守神として歴代城主に信仰された。 佐倉七福神の恵比寿と福禄寿の札所。 正面鳥居。お城は反対側になる。
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宗圓寺 寿老人(佐倉七福神)

宗圓寺 嶺南寺から次に向かったのが宗圓寺。この並びには甚大寺もあり、佐倉七福神巡りが一気に進むエリアになっている。 寛永16年、松本城主・堀田正盛が19歳で卒去した正盛の弟・堀田安利の冥福を祈り塔頭の寺として建立したもの
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嶺南寺 弁財天(佐倉七福神)

嶺南寺 甚大寺の斜め向かいにある。曹洞宗のお寺。 信濃松本藩主であった堀田正盛の佐倉移封により寛永19年(1642年)に松本から佐倉に移り建立された。 本堂内には閻魔大王を安置し、佐倉七福神の弁財天を祀る札所として
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甚大寺 毘沙門天(佐倉七福神)と堀田家の墓

甚大寺 妙隆寺の次に向かったのが甚大寺(じんだいじ)。 天台宗比叡山・延暦寺の末寺。本尊は十一面観音。他に不動明王、金比羅権現などを祀っている。佐倉七福神めぐり「毘沙門天」の札所。 創建は不詳だが、
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妙隆寺 大黒天(佐倉七福神)

久栄山妙隆寺 松林寺を出て次に向かったのが妙隆寺。佐倉の街が城下町であることが分かるような道順になっている。というのは、一直線の道ではなく、クランクになっているからである。この方向から攻めてくるという想定だったのだろうか…。