安藤優一郎の「大江戸お寺繁昌記」を読んだ感想

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覚書/感想/コメント

★★★★★★★★☆☆

江戸の町は70%が武家町で、15%が寺社町、15%が町人町だった。武家町は江戸城を囲むようにして展開し、町人町は東側に位置した。寺院と神社を比べると寺院の勢力が強く、大半は寺院の境内地だった。

今でいう、台東区と港区に寺院が多かった。それぞれに巨大な寺院があったためによる。江戸時代の寺院の総数は分からないらしいが、江戸開幕以来、激増していく。

江戸中期の人口は100万人を超えていたが、町人の人口が50万人を超えていた。

江戸は巨大なマーケットであったため、寺院は経営基盤の強化に余念がなかった。それは江戸を地盤とする寺院だけでなく、地方の寺院もそうだった。

地方の寺院は秘仏を江戸に運んで「出開帳」を行ってお布施を集めた。成田山などはその成功例である。

成田山が出開帳を行った動機は借財の返済だった。本堂の建立費などである。

これが成功したのは、江戸歌舞伎の初代市川団十郎のバックアップによった。有名人による宣伝が功を奏したのだ。

大本山成田山新勝寺の参拝録(千葉県成田市)真言宗智山派大本山のひとつ

成田山はその縁起から平将門と密接な関係にある。朝廷は平将門を調伏するために、いろいろな手を打っており、各地の寺社でも調伏の祈祷が行われていた。成田山新勝寺の縁起もそうした流れの一環のものである。

有名人というとこの時代、将軍に勝る人物はいない。これで知名度を上げたのが川崎大師だった。十一代将軍徳川家斉の前厄の時、山主が急死する。これが身代わりに死去したとなり、江戸っ子の評判となる。

将軍家の菩提寺は二つある。芝増上寺上野寛永寺である。もともとは増上寺が菩提寺だったが、あとから寛永寺も菩提寺になる。

必然、将軍の逝去に伴ってどちらが菩提寺になるかで争いが起きる。なぜなら、莫大な金が落ち続けるからである。

https://loungecafe2004.com/historical/2015/03/11-124942
https://loungecafe2004.com/historical/2014/09/25-224832

徳川家のバックアップというと、無視できないのが大奥との関係である。

大奥が造ったお寺として最も有名なのが、護国寺である。五代将軍綱吉を産んだ桂昌院の後押しがあったのだ。

この大奥の力が最も発揮されたのが、「日蓮宗」感応寺の復活であった。十一代将軍家斉の時代だが、家斉が死去して後ろ盾を失うと、廃寺に追い込まれる。

https://loungecafe2004.com/historical/2014/09/25-230840

江戸の寺院には多くの「葵の紋所」が入った品が納められているが、これは将軍家を意味しているわけではない。大奥からの寄進物にも「葵の紋所」が入っていたのだ。

将軍家や大奥とのつながりが強いと多額の助成を受けられたのだが、やがて幕府に財源がなくなっていくと、寺院への歳出カットが始まるようになる。

そこで認められるようになったのが、幕府お墨付きの募金活動である「御免権化」である。幕府の懐は直接痛まない制度だった。

富突興行という現在でいう宝くじも同じような効果をもたらした。富突興行は江戸中期までは宝泉寺と感応寺の二つに限られていたが、規制緩和がされる。これで江戸の三富といわれる感応寺、湯島天神目黒不動が誕生する。

https://loungecafe2004.com/historical/2014/09/25-230840
https://loungecafe2004.com/historical/2014/08/23-214116
https://loungecafe2004.com/historical/2009/06/07-232100

だが、富突興行も天保十三(一八四二)に全面的禁止になる。天保の改革の一環だ。

寺院は金融業にも手を出している。これは珍しいことではなかった。だが、寺院にしても貸金の回収はスムーズにいっていたわけではない。訴訟沙汰も結構多かった。

境内スペースというのは江戸っ子にとっての歓楽街であった。それが巨大であればある程、歓楽街の形成が進んでいった。浅草寺を見ると、安永九年(一七八〇)には境内に二六三もの店があった。芝居小屋や見世物小屋なども多かった。

浅草寺だけで二万人以上を養っていたことになるという。人口百万の都市で、浅草寺だけで雇用の2%(町人の人口でいえば4%)を占めたわけだから、そのほかの寺院も考えると江戸時代における寺院の経済活動に与える影響は大きかった。

境内に人が集まると、そこから有名人が生まれることも多くなる。有名な美女として「笠森のお仙」などがその代表例である。

意外なことに、江戸で通行人が土下座の必要があったのは徳川姓の大名行列だけだったという。それ以外はしなくて良かった。

例外は寛永寺門主の登場行列で、寛永寺の住職は徳川御三家と同格を意味した。

最後に。題名は江戸時代のベストセラーである寺門静軒の「江戸繁昌記」からとったであろうことはすぐに推測される。

【詳細な目次】
はじめに 東京タワーから見た東京
第一章 江戸で急成長していくお寺
1江戸はお寺がいっぱい
江戸の15%は境内地/続々進出する寺院/お寺の収入源
2将軍様の檀家争い 増上寺vs.寛永寺
将軍の菩提寺・増上寺/生臭さも袖の下次第/霊廟のメリット/二つの菩提寺/交互に霊廟が建立される/祥月命日の賑わい
3江戸出開帳という営業活動 成田山と川崎大師
成田山飛躍の秘密/成田不動、吉原に向かう/江戸の話題をさらった大パフォーマンス/将軍徳川家斉の厄除け参詣/将軍の身代わりとなる/江戸っ子の誘致活動
第二章 大奥との深い関係
1大奥が造ったお寺
無くてはならない大奥/桂昌院様々の護国寺/「日蓮宗」感応寺の復活/金品の寄進から鰻の放生まで/改革政治の生贄にされた感応寺
2大奥への熾烈な接待攻勢
日蓮宗vs.浄土宗/多彩な献上品/寺社奉行への圧力
3葵ブランドの獲得
寄進品の役割/ブランド価値低下を恐れた幕府/身延山祖師像に押し寄せる奥女中たち/賽銭箱、大名屋敷まかり通る
第三章 お寺の助成獲得大作戦
1東大寺の大仏殿再建始末
 奈良の大仏と鎌倉の大仏/露座の大仏/公慶上人登場/大仏開眼供養/桂昌院の鶴の一声/三分の二に縮小された大仏殿/大仏殿の復活
2御免権化に走る僧侶たち
 深刻な幕府の財政事情/助成のランク/お墨つきの権化/修復は世間の助成で/権化の成果
3乱立する富興行
 富札の大量発行/幕府の規制緩和/大般若経の読経/富興行の禁止
4寺院の金融業
 金銭トラブルの続出/祠堂金による利殖/寺院に出資する町人・農民たち/幕府に資金運用を委託する
第四章 エンタメ文化の発信地
1江戸のイベント会場
 境内は飲食街/境内は芝居街/境内は芸人の登竜門/江戸の生活を支える寺院
2境内から女性アイドル誕生
 人気絵師に見初められる/笠森お仙ブームの到来/浅草寺で火花を散らす/消えたお仙/減らない遊女商売/お寺詣りが遊女屋通いの口実に
3娯楽性を増す御開帳
 開帳はイベント次第/山伏が烈火の中を歩く/本尊よりも霊宝/浮気の江戸っ子
第五章 講の人々が支える寺院
1江戸の多彩な講
 檀家とは何か/お寺ファンの裾野を広げた講/神社の門前にまで講中が/講特約の旅籠屋/いたれり尽くせりの精進料理/江戸の富が流れ込む
2檀家増加をめざす高尾山
 霊山高尾山/江戸の護摩檀家/紀州徳川家との深いつながり/高尾山の巻き返し/講中廻り/講社再興と信徒増殖
3大山講中を組織する御師たち
 大山詣/納太刀の風習/両国橋での水垢離/御師の仕事/宿坊経営/檀那廻り/御師からのお土産/講元あっての営業活動
対談 お寺よ、もっと開かれろ!
 松本圭介(彼岸寺)+安藤優一郎

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本書について

大江戸お寺繁昌記
安藤優一郎
平凡社新書 約二一五頁
解説書

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目次

はじめに 東京タワーから見た東京
第一章 江戸で急成長していくお寺
第二章 大奥との深い関係
第三章 お寺の助成獲得大作戦
第四章 エンタメ文化の発信地
第五章 講の人々が支える寺院
対談 お寺よ、もっと開かれろ!

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