藤原(花山院)師賢(もろかた)と、小御門神社の参拝録(千葉県成田市)後醍醐天皇の側近を祀った神社

寺社
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小御門神社(こみかどじんじゃ)

成田駅から香取神社方面へ走ったところにある。利根川からも少し距離がある。鎌倉末期にはうら寂しいところだっただろう。なぜこんなところに…、という場所に鎮座する。

千葉県成田市名古屋(旧千葉県香取郡下総町)に鎮座。旧別格官幣社別表神社

祭神は太政大臣・藤原(花山院)師賢(もろかた)。藤原(花山院)師賢は後醍醐天皇に仕えた。元弘1年(1331)、後醍醐天皇にかわって比叡山で討幕の挙兵した。(元弘の変)。鎌倉幕府に捕らえられ、元弘2年(1332)下総国に配流され、その3か月後に32歳の生涯を閉じた。建武中興の際に太政大臣を追贈され、文貞公の諡号が与えられた。

明治10年(1877)、住民により師賢を祀る神社の創建運動が起こった。明治12年(1879)、神社創建の許可が下りて「小御門神社」の社号が決定。明治15年(1882)、師賢の墓跡に社殿を造営。社殿竣工とともに別格官幣社に列せられた。例祭は4月29日。本社の南方に師賢居館跡がある。

後醍醐天皇の身代わりとなったことから「身代わりの神」として、交通安全・航空安全に御利益ありとして信仰される。

元弘の変(1331年)では、討幕の計画が漏れ、後醍醐天皇は皇居を脱し、笠置山に逃れられました。その際に、天皇が兵を参集する時を稼ぐため、そして比叡の僧兵の協力を得るため、公は後醍醐天皇の身代わりとなり、比叡の山に登り幕府軍を迎え討ちます。天皇からは赤い龍紋つきの御衣を賜り、天皇に成りすまして幕府軍を引きつけます。「小御門」と呼ばれる所以ではないでしょうか。

鎌倉時代末期。藤原師賢公は内大臣藤原師信の御子として、清華家の家格を有する花山院家にてお生まれになりました。公は若くして、気概に富み、学が深く、後醍醐天皇は殊のほか寵愛なされました。即位されてからは権中納言に任ぜられ、側近として常に傍に侍り、奉持されておりました。

そして、1332年10月29日、公は32歳で名古屋の里(現在の成田市名古屋)にて薨去されました。名古屋の地に着き、十日後のことであったそうです。そのため、現在では「十日屋敷」と呼ばれ、小御門神社近くに屋敷跡が残っております。翌年1333年、後醍醐天皇は隠岐を脱し、悲願であった討幕を成し遂げられたのです。

その後幾度の激戦の末、六波羅探題へと引き渡され、後醍醐天皇は隠岐、師賢公は下総の国へと配流されることとなります。
天皇は各地に散ったものを召し還されましたが、公のみは戻られることはありませんでした。天皇は非常に心を痛め、そこで公に太政大臣を贈り、文貞公という諡を賜りました。後に後醍醐天皇が行った国づくりを、建武の新政または建武の中興と呼びます。建武中興十五社は後醍醐天皇の建武中興に尽くした、南朝側の皇族、武将などを主祭神としてお祀りしております。
その後、明治天皇は国家に功績を挙げた忠臣を称え、明治15年、国の守り神として小御門神社を創建せられ、別格官幣社に列せられました。別格官幣社とは、国家に功績のあった人物をお祀りする神社で、戦前の社格制度であります。

http://komikado.or.jp/new-komikado-info/

小御門神社の概要

主祭神贈太政大臣藤原師賢公(文貞公)
創建明治15年(1882年)
例祭4月29日
古代社格制度
中世社格制度
近代社格制度別格官幣社
建武中興十五社
現代の制度別表神社

建武中興十五社

  1. (福島県)霊山神社(伊達市) 北畠親房公・北畠顕家公・北畠顕信公・北畠守親公
  2. (千葉県)小御門神社(成田市) 藤原師賢公 本社
  3. (神奈川県)鎌倉宮(鎌倉市) 護良親王
  4. (福井県)金崎宮(敦賀市) 尊良親王・恒良親王
  5. (福井県)藤島神社(福井市) 新田義貞公
  6. (静岡県)井伊谷宮(浜松市) 宗良親王
  7. (三重県)結城神社(津市) 結城宗広公
  8. (三重県)北畠神社(津市) 北畠顕能公・北畠親房公・北畠顯家公
  9. (大阪府)四條畷神社(四條畷市) 楠木正行公
  10. (大阪府)阿部野神社(大阪市) 北畠親房公・北畠顕家公
  11. (兵庫県)湊川神社(神戸市) 楠木正成公
  12. (奈良県)吉野神宮(吉野郡吉野町) 後醍醐天皇
  13. (鳥取県)名和神社(西伯郡大山町) 名和長年公
  14. (熊本県)八代宮(八代市) 懐良親王
  15. (熊本県)菊池神社(菊池市) 菊池武時公・菊池武重公・菊池武光公

住所と地図

所在地:千葉県成田市名古屋898

本社を参拝したら、近くの「麦の薫り」でスイーツを召し上がれ。

境内の案内

大鳥居と社号標

昭和9年に香取神宮の御要材を使用して建設された。

大鳥居
社号標
小御門神社の森の案内図

参道

参道
苔の参道

祓所

祭典を始める前に祭員の御祓いをする所。大祓式はここで執り行なわれる。

手水舎

明治17年の建設。水盤の石は本小松産。前面の「清素」字は山岡鉄舟による。

社務所と祈祷殿

左右の狛犬

拝殿

明治17年に竣工した建物。御祈祷や春の御例祭時に、舞楽や神楽などが奉納される。

本殿

明治15年に竣工。

文貞公関係?碑

公家塚

師賢の墓所と伝えられる。

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花山院師賢(かざんいんもろかた)

正安3年(1301)~正慶元/元弘2年(1332)

鎌倉後期の公卿。歌人。内大臣・花山院師信の子。姓は藤原。

花園天皇に仕えて参議・左大弁・権中納言となる。後醍醐天皇のとき、正二位大納言になる。

正中1年(1324)、後醍醐天皇の第1次討幕運動(正中の変)に加わったが失敗。正中の変後も官途は順調に進んだ。

元弘1年(1331)の第2次討幕運動(元弘の変)の際、後醍醐天皇が北条氏討伐の兵を挙げたとき、後醍醐天皇を逃すために天皇と詐称して比叡山延暦寺に登り僧兵を集めて挙兵した。

延暦寺衆徒は大いに士気を挙げ、押し寄せる六波羅の幕府軍を撃退した。しかし、師賢が天皇の替え玉であることを知った僧兵たちは、一瞬にして離散した。

師賢らは密かに山を下って笠置にいる天皇と合流した。1か月に及ぶ幕府軍との攻防の末、笠置が陥落。笠置で幕府方に捕らえられる。出家して素貞と号する。

下総の千葉貞胤にあずけられ、千葉貞胤の家で拘禁の身となる。同年の元弘2年・正慶元年(1332)歿、32才。

太政大臣を追贈された。文貞公と諡された。

歌人でもあり「新葉和歌集」に49首が収められている。

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