【式内社】酒列磯前神社の参拝録(茨城県ひたちなか市)スクナヒコナがオオクニヌシと新たな国造りを始めた二つの「磯前神社」

寺社
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拝殿
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少彦名命を祀る神社

酒列磯前神社は「さかつらいそさきじんじゃ」と読む。

那珂川をはさんで大洗磯前神社と対になっている茨城県内の式内社。式内社の中でも格の高い名神大社に列せられている。

平安時代の「延喜式神名帳」(927年)では「常陸国那賀郡 酒烈礒前薬師菩薩神社」と記載されている。

「日本文徳天皇実録」によると、天安元年(857年)に官社となり、同年「薬師菩薩名神」の号を授かっている。

旧社格は国幣中社(明治18年(1885年))で、現在は神社本庁の別表神社。

車で参拝に来る際は、道が狭いので注意が必要。

特に駐車場への道が狭い。一の鳥居の右脇道を進むと、拝殿近くに駐車場が用意されているが、この脇道が車1台分しか幅がない。

格は高いのだが、中世には社殿もなくなって、事実上廃絶していたようだ。

もともと一の鳥居の辺りの比観亭跡周辺(=崖側)に鎮座していたらしい。スペースを考えると、小さな社だったのだろう。

現在は小祠が鎮座しているそうだが、参拝し損ねた…。

一の鳥居。この左手にもともと鎮座していたらしい。右手の脇道奥に駐車場がある。

江戸時代になり、これを嘆いた水戸藩2代藩主・徳川光圀により造営の起工がなされ、3代藩主・綱條により現在地に遷座され再興された。

『文徳実録』によると、文徳天皇の斉衡3年(856年)12月29日に常陸国鹿島郡大洗磯前に御祭神大己貴命・少彦名命が御降臨になり、塩焼き(塩を精製する者)の一人に神がかりして、「我は大奈母知、少比古奈命なり。昔此の国を造り訖へて、去りて東海に往きけり。今民を済わんが為、亦帰り来たれり」と託宣され、当社「酒列磯前神社」が創建され、また現在の東茨城郡大洗町には「大洗磯前神社」が祀られました。
翌天安元年8月には官社に列せられ、更に10月には「酒列磯前薬師菩薩明神」の神号を賜りました。延喜の制では名神大社に明治18年4月には国幣中社に「大洗磯前神社」と共に列されました。
御社殿はかつては現在の第一鳥居付近(ひたちなか市史跡-「比観亭跡」)に鎮座していましたが、水戸藩2代藩主徳川光圀公が由緒深い名社の荒廃を嘆き元禄年間御造営の計を起し、3代綱條公が現在地に遷座再興されました。現在の社殿は国費を持って昭和12年に改築竣工し、拝殿に施された「リスとブドウ」の彫刻は日光東照宮御造営後の左甚五郎の作と伝わっています。

http://sakatura.org/shrine

大洗磯前神社も海辺の高台にあるが、酒列磯前神社も太平洋に面した岬の丘上に鎮座している。

2社ともに、あえて高台を選んで鎮座したのだろう。2社で1つの信仰を形成している。

2社が那珂川の河口の那珂湊という水運上の重要な拠点を挟んでいる点に古代の戦略が読み取れる。

那珂川の上流は栃木県にまで続き、古代の東山道にぶつかる。そこから少しの区間東山道と並行するので、重要な輸送路になっていたはずである。

栃木県の該当するエリアには那須官衙遺跡那須国造碑があり、周辺には式内社が2社(三和神社と健武山神社)など、国造りの拠点の遺跡が点在している。

必要物資・人材の輸送路として東山道と那珂川の役割は、白河の関以南を固める意味で極めて重要だったことは容易に想像できる

それゆえに那珂川の河口を戦略的に守るために2社が配置されたのだろう。

祭神にも古代の思いが反映されている。

酒列磯前神社の主祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)。大名持命(おおなもちのみこと)(=大国主命)とともに国造りを行ったとされる。

配祀神が大名持命。大洗磯前神社祭神で、その分霊。この組み合わせはちょうど大洗磯前神社の逆になる。

このように国造りの神が2柱祀られていることは、那珂川の河口を拠点として、新たな造りを始めるという意思表示である。

創建の伝説で「我は大奈母知、少比古奈命なり。昔此の国を造り訖へて、去りて東海に往きけり。今民を済わんが為、亦帰り来たれり」とあり、大国主命自らが新たな国づくりを宣言している。

これは「日本文徳天皇実録」によると斉衡3年(856年)のこととされる。神が現れたのは大洗磯前だった。

地元の製塩業者が海に光るものを見て、次の日に海辺に二つの奇妙な石があったという。

その次の日には20あまりの小石が奇妙な石の周りに出現した。石は彩が鮮やかで、沙門(=僧侶)の姿をしていた。

そして、神が人の口を介して上記の託宣をするのである。

創建の伝説の神仏習合が読み取れるのは、この時期に、この周辺ですでにそうした動きがあったということになる。

神仏習合については義江彰夫「神仏習合」に詳しい。

「日本文徳天皇実録」の記載は次の通り。「常陸国上言。鹿嶋郡大洗磯前有神新降。初郡民有煮海為塩者。夜半望海。光耀属天。明日有両怪石。見在水次。高各尺許。体於神造。非人間石。塩翁私異之去。後一日。亦有廿餘小石。在向石左右。似若侍坐。彩色非常。或形像沙門。唯無耳目。時神憑人云。我是大奈母知少比古奈命也。昔造此国訖。去徃東海。今為済民。更亦来帰。」

興味深いのは、2社から南へ下ると利根川の河口に鹿島神宮香取神宮息栖神社の3社が配されているが、鹿島神宮と香取神社の2社の主祭神は大国主命に国譲りを迫ったタケミカヅチとフツヌシである。

鹿島神宮と香取神宮の2社が酒列磯前神社と大洗磯前神社の2社に睨みを利かせているように見える。

この一帯を領した古代豪族との関係もあったのかもしれない。

大名持命(=大国主命)と少彦名命の国造りは出雲系の神々であり、鹿島神宮は中臣氏(=藤原家)、香取神宮は物部氏の系統である。

「古事記」「日本書紀」「風土記」などの国造りにおいて大名持命と少彦名命の2神の組み合わせで登場する。2神の組み合わせで祀る神社は多い。

なお、酒列磯前神社では少彦名命をえびす、大名持命を大黒天と見なしている。

当社の社名の由来は、周辺海岸の岩石群は南に約45度に傾斜して並んでおり、北に傾いた一部を「逆列(さかつら)」と呼んだことにちなむ。のちに酒の神様を祀るところから「酒列」となったとされる。

境内案内図

本社の参拝が終わったら、すぐ近くの国営ひたち海浜公園の観光がおススメ。春はネモフィラと水仙、秋はコキアで有名なスポットである。

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境内案内

一の鳥居

この左手に元々の社殿があったようだ。すぐ崖なので、拝殿の向きは今と全く違っていたのではないか。大洗磯前神社と同じく、海を向いていたと思われる。

一の鳥居

参道

参道の樹叢は椿・タブノキ・スダジイなどからなる広葉樹林。茨城県の天然記念物に指定。

鳥居そばに残る二つの石柱は何だろうか?

参道の半ばにも石柱が二つ残っている。

海の見える鳥居

この鳥居から見て初めて本社の立地を実感できる。

位置は異なるが、復興される前の拝殿は、こちらを向いていた気がする。主祭神の少彦名命は海からやってきたからである。

手水舎

二の鳥居

左右の狛犬は、昭和の石工・飯塚兵吉の作。

亀の像

参拝を済ませたあとに亀を撫でると、宝くじ当選のご利益があるそうだ。まずは参拝を済ませよう。

徳川斉昭公腰掛けの石

二の鳥居周辺

神楽殿と神楽殿周辺

社務所と御神木と周辺

酒列会館のお守り

拝殿と本殿

拝殿正面上部のリスとブドウの彫刻は、左甚五郎の作とされる。

本殿を右手から

本殿の後ろから

本殿の左から

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摂末社

酒列鎮霊社(さかつらちんれいしゃ)

日露戦争より第二次世界大戦までの戦没者506柱を祀る

末社5社

  • 稲荷神社…祭神:倉稲魂命
  • 天満宮…祭神:菅原道真公
  • 事比羅神社…祭神:大物主命
  • 冨士神社…祭神:木花咲耶媛命
  • 水神社…祭神:罔象女命

車祓い所

酒列磯前神社の概略

社格

古代社格制度式内社名神大
中世社格制度
近代社格制度旧国幣中社
現代の制度別表神社

主祭神など

主祭神少彦名命
創建斉衡3年(856年)
本殿の様式流造
例祭8月25日

天然記念物

国指定
県指定酒列磯前神社の樹叢…参道両側や境内周辺に広がる広葉樹林(椿やタブノキ、スダジイなど)
市指定

公式ページ

酒列磯前神社【さかつらいそさきじんじゃ】 |茨城県ひたちなか市
酒列磯前神社(さかつらいそさきじんじゃ)は茨城県ひたちなか市にあり、斉衡3年(856年)に常陸国鹿島郡大洗磯前に御祭神大己貴命・少彦名命が御降臨になられた、古代からの神社です。拝殿に施された「リスとブドウ」の彫刻は日光東照宮御造営後の左甚五郎の作と伝わっています。

住所と地図

〒311-1202 茨城県ひたちなか市磯崎町4607-2
電話 029-265-8220

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