【式内社】鵜ノ木八幡神社(薭田神社の論社)

薭田神社の論社だが…。

式内社・薭田神社の論社とされるが、・・・ちがうな。多分。神社は多摩川を向いている。多摩川ではなく、その先の富士山を向いているのかもしれない。昔は川が神社に近いところを通っていたのかもしれない。神社は若干高台に位置しているので、避難場所になっただろう。

「薭田神社」の論社にはいくつかある。

  • 薭田神社(大田区の蒲田)
  • 六郷神社(大田区の東六郷)
  • 鵜ノ木八幡神社(大田区の鵜ノ木)…当社
  • 御田八幡神社(港区)

関東にある式内社は、独特の立地が多い。もしこの周辺だとすれば、亀甲山古墳のそばか、多摩川の河口付近というのが最も納得がいく

。周辺に古墳が多くあるなどの特徴があればいいが、そうした遺跡/史跡がない当地は中途半端すぎる。


延徳元年(1489)下野国(現栃木県)佐野の在より天明五郎右衛門光虎が当地に移った際に一族の守護神として八幡大神を祀ったのが当社の起源である。創建より既に500有余年の時代が流れ一族の主神から地域の氏神として信仰されるようになった。長い年月の間には数々の補修があったが、特に弘化四年(1849)に建立された社殿は戦火で失うまで現存していた。その後平成十二年氏子崇敬者の寄進により待望の社殿社務所を始め付属建造物が再建され、これを機に八幡総本社である大分県宇佐神宮より御分霊を勧請し一層の神慮が深まり霊験あらたかな社として今日に至る。

頒布の資料

江戸時代に存在していた「鵜ノ森明神社」が「薭田神社」に比定されていた。「新編武蔵風土記稿」の「鵜ノ森明神社」の項目に「薭田神社は則當社なり」と記述されており、それが式内社の根拠だったらしい。だが、「鵜ノ森明神社」は所在不明。「鵜ノ森明神社」を当社に合祀したのかもしれないが、それも分からない。戦後に編纂された「式内社調査報告」で、当社を「薭田神社」の論社の一社としている。

境内風景

鳥居。明神系。

手水舎

摂社・末社

境内社はない.。玉垣の外に稲荷社(写真右)と青面金剛の石像(写真左)が祀られている。


鵜木八幡神社の概要

概要
項目内容
創建不明
主祭神誉田別命
社格等古代社格制度式内社(小社)…論社
中世社格制度
近代社格制度無格社
現代の制度
その他例大祭:9月第2土曜
備考拝殿:入母屋造 本殿:流造

住所&地図

所在地:〒146-0084 東京都大田区南久が原2丁目24−1

タイトルとURLをコピーしました