水戸の偕楽園(日本三名園)の梅と好文亭(「常盤公園」)[国の史跡][国の名勝]

日本三名園

水戸の偕楽園は岡山市の後楽園や金沢市の兼六園と並んで日本三名園の一つに数えられてきた。国の史跡及び名勝に指定されている。指定名称は「常磐公園」。ちなみに、高松市の栗林公園は日本三名園より優れているとされているそうだ。

偕楽園と言えば「梅」。梅林が有名で、三月の中旬が見頃のようだ。この日は6分~8分咲きという感じで少々残念だったが、暖かい日で見るのにはよかった。

初めて偕楽園に来たこともあり、駐車場が少し離れたところで、拡張部の偕楽園公園内の桜山と丸山の梅林を見て満足してしまうところだった。いやぁ、危なかった・・・。

偕楽園の名称は、中国の古典「孟子」を由来とするそうだ。「古の人は民と偕(とも)に楽しむ、故に能く楽しむなり」という一節からとったもの。

創建当時の偕楽園には東門はなく、表門から入るのが一般的だった。現在は、駐車場や電車の関係で、東門から入るのが一般的のようだ。表門から一の木戸を抜け、孟宗竹林、大杉森を進み、好文亭にたどり着く。竹林は鬱蒼としており、好文亭にたどり着くことで開かれた世界が現れる。

偕楽園は金沢の兼六園、岡山の後楽園とならぶ「日本三名園」のひとつで、天保13年(1842年)に水戸藩第九代藩主徳川斉昭によって造園されました。斉昭は、千波湖に臨む七面山を切り開き、領内の民と偕(とも)に楽しむ場にしたいと願い、「偕楽園」をつくりました。園内には約100品種・3,000本の梅が植えられ、早春には観梅客でにぎわいます。
偕楽園は梅の名所として有名ですが、その他にも四季折々の見所があり、春には桜、初夏にはツツジ、真夏には緑あざやかな孟宗竹や杉林、秋には可憐な萩の花やモミジが見られます。これらを通して眼下に広がる千波湖を望む景観は絶景の一言です。
また、偕楽園の眼下に拡張した新しい公園は、梅を中心とした田鶴鳴(たづなき)、猩々(しょうじょう)、窈窕(ようちょう)の各梅林、芝生広場の四季の原、水鳥たちが遊ぶ月池などが点在し、広大な風景をゆったりと楽しめます。

https://www.ibarakiguide.jp/kairakuen/about.html

好文亭

好文亭は、木造2層3階建ての好文亭本体と木造平屋造りの奥御殿から成り、その位置から建築意匠まで斉昭が自ら定めたといわれています。各所に創意工夫と洒脱さを感じさせ、斉昭は、ここに文人墨客や家臣、領地の人々を集めて、詩歌や養老の会などを催しました。奥御殿は、城中に出火があった時の避難場所として備えられ、藩主婦人などが使用しました。「好文」とは梅の異名で、晋の武帝の「学問に親しめば梅が咲き、学問を廃すれば咲かなかった」という故事に基づいて名付けられました。
好文亭は昭和20年(1945年)8月2日未明の空襲で全焼しましたが、昭和30年(1955年)から3年をかけて復元されました。

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表門から好文亭まで

好文亭の表門。ここがもともとの入り口。ここから入ってくのが偕楽園の本来の姿を楽しめることになる。

一の木戸をくぐると竹林へ。

竹林。

好文亭中門。

好文亭の入り口。


好文亭内部

菊の間

桃の間

つつじの間

もみじの間

竹の間

好文亭の中庭

好文亭からの眺め

桜の間

好文亭から千波湖を見る

待合と茶室

偕楽園の梅

白難波

虎の尾

月影

桜山、丸山の梅

好文亭の遠景

大日本史完成之地の碑

水戸藩第二代藩主・徳川光圀が明暦二年(1657年)に編纂を開始した日本史の編纂事業が大日本史。完成したのは明治三十九年(1906年)で、第十三代当主・徳川圀順の時代。編纂事業は江戸の駒込にあった水戸藩邸で行われていたが、徳川光圀の隠居の伴い水戸市三の丸の彰考館で行われ、明治維新後は偕楽園南隅のこの地で編纂が行われて完成した。三の丸・彰考館跡には「大日本史編纂の地」の碑が建っている。

地図

偕楽園公園センター
〒310-0912 茨城県水戸市見川1-1251
TEL:029-244-5454
FAX:029-244-5866
e-mail:kairakuen@pref.ibaraki.lg.jp

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