伊能忠敬(いのう・ただたか)日本地図を作成した測量家

歴史上の人物
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伊能忠敬

伊能忠敬(いのう・ただたか)。本姓は神保。字は子斉。通称は三郎右衛門、勘解由。号は東河。延享2年(1745年)-文化15年(1818年)。江戸時代に活躍した日本地図を作成した測量家。

上総国小関村(現在の千葉県九十九里浜沿岸の村)に生まれたが、幼少時のことはよくわからない。母の死後、父の実家であった武射郡小堤の神保家に移った。

宝暦12年(1762年)、18歳のとき、佐原の伊能家の婿養子となり、傾いた養家の酒造業を再興を回復し、米穀取引などで家産をきずいて名主となった。名字帯刀をゆるされる。

晩年、数学、暦学に関心をもち、49歳で隠居してから、江戸の天文学者高橋至時の門下生となった。

寛政12年(1800)年、東北や蝦夷地の測量を行い、子午線を測定。のち全国の測量を目指し、17年間にわたって各地を渉猟し、各種の日本地図を作成した。この間幕府の測量方役人にもなったが、私財も投じた。

測量は10次にわたり、延べ旅行日数3736日、陸上測量距離4万3708キロメートル、方位測定回数15万回。伊能忠敬の子午線1度の長さは28里2分(110.75キロメートル)で、現代の測定値と約1000分の1の誤差しかない。

日本地図の補完を志して測量を続行中に死去。74歳。

文政4 (1821年) 年に門弟たちにより『大日本沿海輿地全図』が完成した。

地図は江戸時代には一般に活用されることはなかったが、明治維新後、新政府によって発行された軍事、教育、行政用の地図に基本図として使われた。

千葉県の香取市(旧佐原市)にある旧宅や、東京都台東区にある墓は国指定の史跡になっている。個人の複数関係個所が国指定の史跡になっているのは珍しい。

伊能忠敬旧宅(国指定史跡)

平屋造の瓦葺で、正門・炊事場・書院からなる母屋、店舗、土蔵がある。

目の前の小野川では小江戸さわら舟めぐりが楽しめる。また、周囲が古い建物も多く、よく整備されている。多くの観光客が訪れる一体となっている。

1930年(昭和5年)4月25日、国指定の史跡になった。

所在地:千葉県香取市佐原イ1899

伊能忠敬銅像(佐原市)

住所:千葉県香取市佐原イ771

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