永岡慶之助の「伊達政宗(下)」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

★★★★★☆☆☆☆☆

後半は秀吉の死後から家康の権力が確定するまでの時代の伊達政宗を描いている。

伊達政宗という男の人生は長い。

本書では描かれていないが、江戸時代に入ってからの政宗についてもいろいろなエピソードがあり、それはそれで面白い。

だれか、この時代に焦点を当てて描いてくれるとそれなりに面白いのではないかと思うのだが。

ちなみに、権中納言に任ぜられてからは政宗は仙台黄門とも呼ばれている。

内容/あらすじ/ネタバレ

一揆通謀の疑いが晴れてからの秀吉の政宗に対する好意は並々ならぬものがあった。

上洛以来、政宗は一段と慎重になっていた。奥羽にあっては、一級の謀略家と自認していた政宗であったが、京都に来てからはその自負も微塵に砕かれた。

秀吉の前に出た己は、まさしくかつての大内定綱そのものであった。

中央にあっては、たとえ武将であろうとも茶道や和歌に通じているか否かがら、社交界に顔を出せるかどうかのカギとなっていた。

政宗は秀吉に近い茶人や武将と急速に交際を深めていった。

政宗の評価は、伊達屋敷の落成祝賀の宴を境にして俄然変わった。さすがは名門の出と評されるようになったのである。

京都から米沢に帰った政宗は再び大崎、葛西地方の一揆鎮圧に乗り出した。

上洛して、中央における政治、経済、文化の実体にふれた政宗は、けっして秀吉の策謀にも乗せられることのない、複雑にして強靭な精神の所有者となっている。

政宗の一揆鎮圧は予想以上にスムーズに行ったが、目の前に九戸政実が頑強に抵抗を続けていた。

奥州の領土配分が行われ、政宗は愕然とした。伊達家に縁の深い米沢地方、仙道五郡がとりあげられ、蒲生氏郷に与えられた。
見事にやられた。

新領五十八万石とはいえ、前領よりも十数万石も減封となったのである。

秀吉から朝鮮出兵を告げる通達が出た。千五百人が秀吉から政宗に割り当てられた出兵の人員であった。

政宗は兵を率いて九州の名護屋に向かった。

名古屋で徳川・前田の両家が喧嘩をはじめた。

前田家は伊達家を味方と思っていたが、伊達家は鉄砲隊の銃口を前田家に向けた。

この事件は、政宗という人間の存在に新たな重みを加えた。これまで前田家に近いとみられた政宗が、突如、徳川に助成する意思を示したことは、諸侯の間にも強い衝撃を与えた。

政宗め、一筋縄ではゆかぬ。油断ならぬやつだ。

この政宗に朝鮮に渡航せよとの命が下った。政宗は浅野長政、幸政親子と同じであった。

だが、朝鮮で原田左馬之助を失った。

朝鮮から帰国して政宗は豊臣秀次とちかづくことになった。

この時、京都滞留が一年半余りに及んだ。領地に戻るのは、実に足掛け四年ぶりであった。

京都滞留で政宗は石田三成に気を許すことはなかった。

豊臣秀次が高野に追われたと聞き、政宗は不吉な予感がした。そして、秀次が謀反の罪に問われたと聞き、これは、くるな、と身の引き締まるのを覚えた。伝えてきたのは全て鈴木新兵衛あった。

事態は深刻であった。

秀吉から家督を秀宗にゆずり、伊予への転封を命ぜられた。だが、この窮地を救ってくれたのが徳川家康だった。ここにきて、初めて家康という地味な武将の政治力に眼をみはる思いだった。

秀吉が再び朝鮮出兵した。だが、時期を同じくして秀吉の体力は急速に衰えていく。

秀吉の死後、天下の情勢が微妙に揺れ動いた。

にわかに存在の重みを増した徳川家康と、石田三成の対立が目立ち始めてきたのだ。迂闊には動けぬ。

その家康から、政宗の娘と家康の六男忠輝との婚姻の打診が来た。家康が仮面を脱ぎ始めていた。

慶長四年。前田利家が死んだ。

政宗は家康にすでにぬかりなく助成を申し入れている。だが、こうした中、伊達成実が出奔した。

人はともすると、おのれの身近にあって、もっとも献身的に仕えるものに馴れ、また身近ゆえに死角となって見えぬまま、粗略に扱うことがままあるものである。その過失を政宗もおかした。

成実に対する政宗の過ちはまだ続いた。そして、その成実を家康が召し抱えた。政宗の複雑な心境を、妻・愛姫が鋭く指摘した。

慶長五年。上杉景勝に逆心ありとの風聞が立った。

政宗は対上杉戦を想定し始めていた。徳川家康が北上してくるまでに、いかに領土を切り取れるかが勝負である。

家康からは百万石の御墨付きがあったが、これは信用できなかった。

この中、成実が戻ってきてくれた。

関ヶ原で天下分け目の合戦があった日、奥州では政宗のもとに最上義光から書状が届いた。救援の依頼だった。

冷静に考えれば、最上と上杉を闘わせ、疲弊したところを伊達が乗り込めば良い。だが、母・保春院を見捨てることが政宗にはできなかった。

南部の和賀郡におきた一揆。この事件こそ、謀略家としての政宗の一面を如実に物語る材料である。

政宗の計算通り一揆の連鎖反応が起き、南部勢は仰天した。

だが、この一揆のことが家康に報告されてしまった。これからが、家康との勝負だった。

和賀一揆に対する格別のおとがめもなかった。だが、恩賞の沙汰もなかった。関ヶ原が終わって、論功行賞は人の噂として聞くばかりであった。百万石の夢もふいになったらしい。

そう見きった政宗は、未練を断ち切って、伊達家の今後を仙台城下の創造にかけたのは賢明であった。

本書について

永岡慶之助
伊達政宗(下)
青樹社文庫 約485頁

目次

虚実
荒海
殺生関白
長柄日傘
浮沈
愛憎
発火点
北行南帰
風姿花伝
関ヶ原
合戦余燼
独眼竜戦記
死活の刃
氷の炎
うたかた
淀の水車

登場人物

伊達政宗
愛姫
片倉小十郎
原田左馬之助
伊達藤五郎成実
鈴木新兵衛
中浜朱実
鞍掛三蔵
豊臣秀吉
豊臣秀次
石田三成
徳川家康
浅野長政
浅野幸政

伊達政宗ゆかりの地

仙台城(青葉城)

仙台城(青葉城)の訪問録(宮城県仙台市)宮城縣護國神社[国の史跡]
仙台城(青葉城)と宮城縣護國神社の紹介と写真の掲載。こんなに高台にあるとは思わなかった。驚いた。いやぁ、仙台市内が一望できる。

瑞鳳殿(仙台藩租伊達政宗公御廟)

瑞鳳殿(仙台藩租伊達政宗公御廟)の参拝録(宮城県仙台市)豪華絢爛な桃山様式の霊廟
瑞鳳殿(仙台藩租伊達政宗公御廟)の紹介と写真の掲載。「瑞鳳殿」は1636(寛永13)年、70歳で亡くなった伊達政宗の遺命により、翌年に二代目藩主・伊達忠宗が造営した霊屋。
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