田渕久美子の「江 姫たちの戦国(下)」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント


★★★★★☆☆☆☆☆

江というと、今までのイメージは一言でいえば鬼嫁である。夫・秀忠は江が怖くて側室が持てず、頭があがらなかったというのが、これまでの像であると思う。

気は強い女性だったのだろう。それは、江に限らず、浅井三姉妹に共通して言えることだと思う。

だが、本書で描かれる江は、気の強い女性というだけではなく、その中には極めて人間味にあふれる豊かな女性像である。

人間の見方というのは、ある一面だけを切り取って描くと、黒となるのも、別の側面から見ると、白となることがある。その人物の個性が際立っていればいるほど、その傾向が強いように思われる。江とはまさにそうした女性だったのだろう。

逆説的にいえば、こうした際立った個性でなければ、歴史の中に完全に埋没してしまい、後世に名を残すようなことにはならなかったのかもしれない。歴史に名を残す人物は、大概、個性が強い。

もっとも、現実の知り合いに、これだけの個性がいると、少々迷惑なのかもしれない。

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内容/あらすじ/ネタバレ

天正十八年(一五九〇)。秀吉と千利休との確執を内部にはらみ、朝鮮との対立という新たな問題を抱えていた。

朝鮮の件は江には手が出せない。いま急いでいるのは、秀吉と利休のことだ。二人の対立を生々しく感じ取っていた。

翌年、秀吉の実弟・秀長が逝去した。

秀吉と諸大名を取り結ぶ立場にあったのが、秀長と利休だった。もう一つの軸が石田三成を軸とする奉行たちである。秀長の死去に伴い両者の均衡が崩れた。三成たちが利休の追い落としにかかってきた。

少しばかり懲らしめてやるか。その一滴の毒のような思いが秀吉の心に落ちた。そして利休を堺へ追放した。

江は秀吉に詰め寄った。だが、秀吉は逆に憔悴していた。関白の身の上で、今更引っ込みがつかなくなっている。

利休は侘びを入れてこなかった。

江は利休のところへ忍びこんだ。利休は江にたいして、考えてみたら、やるだけのことはやってしまったので、あとは残りかすなのだと言った。江には説得を続ける理由を失った。

利休が切腹し、秀吉は江になぜ止めてくれなかったと泣きながら聞いてきた。秀吉は、利休にあこがれていた。利休の世界を支配し、征服したかったのだ…。

秀長と利休が死んだ天正十九年は秀吉にとって凶年だった。最大の不幸は鶴松がわずか三歳で死んでしまったことであった。葬儀は盛大なものだった。そこで江は久しぶりに豊臣秀勝に会う。

年末になり、秀吉は豊臣秀次を関白に任じた。後継者に据えたのだった。秀吉は太閤を称し、政務上の実権は掌握し続けた。

秀吉は江と秀勝を娶せることにした。聚楽第で暮らせという。突然の話に江は混乱した。

秀勝は岐阜城主であったが、二人は聚楽第の屋敷で暮らすことになった。最初の結婚と違うのは、江が娘ではなく、大人の女になっていたことである。

秀勝は兄・秀次を高く評価していた。頭もよく、感覚も鋭い。その速さが周りとは違い、誤解を受けてきた。そのため、考えも感情もあまり表に出さなくなってきたのだという。今の秀次の顔は、仮面のようなものだということだった。

陽気で気の合う夫のいる二度目の結婚生活は気楽で楽しいものだった。だが、それも秀勝の朝鮮出兵で中断されてしまう。

秀勝が出発してほどなくして、江が懐妊していることが分かった。

同じころ、秀吉の実母・なかが死んだ。その死を悼む姿は、太閤でも天下人でもなかった。一人の赤子が泣き叫んでいる姿だった。

江に衝撃が走った。秀勝が陣中で死んだ…。

ほどなくして生まれてきたのは元気な女の子だった。完子(さだこ)と北政所が名付けてくれた子は、秀勝の忘れ形見となった。ほんのひと月の結婚生活で授かった命だった。

秀勝の遺骨が届いたとき、秀次が骨壷を抱いて激しく慟哭した。あのような戦に秀勝まで駆り出して…。

無表情な秀次の仮面がはげ落ち、素顔を江にさらすようになった。皮肉なことに秀勝の死が、江と秀勝を近づけた。

秀吉とともに九州にいた淀が大坂城に戻ってきた。再び子を宿したためだ。無事に出産した子は拾と名付けられた。のちの秀頼である。

秀吉が戻ると、溺愛というより盲愛ぶりをさらしていた。その姿に江はぞっとするものを感じた。

拾の誕生を機に、豊臣家中の空気は微妙に変わり始めていた。拾と秀次の娘を婚約させてはどうかと言い始めたのだ。

豊臣家の変化は他にもあった。北政所の甥で秀吉の養子となっていた秀秋が小早川家の養嗣子となったのだ。

一方、朝鮮との交渉は後に波乱を含むものとなっていた…。

翌文禄三年(一五九四)。大和国吉野で花見の宴が開かれた。

初もやってきて久々に三姉妹が揃った。初は完子も拾も見るのは初めてとある。二人の顔を見て初は羨ましそうにした。

秀次に謀反の疑いありと、三成らが糾弾した。突然のことだった。さらに殺生関白の悪い評判もあった。

秀次はすべてを悟り、何の抗弁もしなかった。わしは、いてはならない者となったのだ。そして、高野山で切腹した。

江はその知らせを聞くまで、迂闊にも何も疑わずにいた。その分、激しい怒りがわいてきた。だが、江よりも先に淀が秀吉に食ってかかっていた。これまで見たことのない姉の剣幕だった。

秀吉は秀次の亡霊に悩まされ続けた。苦しみぬいていた秀吉は考えられない行動に出る。秀次の正室と側室、子供たちを捕え、ことごとく殺戮したのだ。

嫁をとれ、と家康に言われた時、秀忠はあまり考えもせず、承知しましたと答えた。だが、相手が江と知ると、脳天から声を挙げ、慌てふためいた。

五年前に会って以来だが、印象はくっきりと残っている。気が強く、口うるさく、すぐに噛みつく女。それに信長公の姪御。

一方、江は懸命の抵抗を秀吉に試みていた。何よりも悪い冗談としか思えない。なにも秀忠を毛嫌いしているわけではない。好きとは言えないし、相手を小馬鹿にした態度も気に食わないのも事実だ。

だが、第一印象は好感のもてるものだった。気の毒だと思うのは、こんなに年の離れた女を妻に迎えることである。六つ違う。

完子を大坂城に置いて行けという言葉に江は絶句した。しかもこれは姉・淀が考えたという。完子を淀の娘として育てたいという。子をもつ者の思いを知った上での判断だという。

鶴松の例がある。もし秀頼に何かがあったら、豊臣の血は絶えてしまう。それを淀は心配していた。淀は豊臣の女として、考えに考えて、心を鬼にして江に命じたのだった。

文禄四年。江と徳川秀忠が伏見城で婚礼の儀式を挙げた。

相手が誰であれ、今度こそは長く、できれば共に老いるまで連れ添っていたいと思う。二度の婚儀を経験したとはいえ、両方を足しても結婚生活は一年に満たない。

徳川の家を守り、秀忠を盛りたててゆこう…、そう思っていた江の気持ちは初日から崩れることになる。

秀忠は意に沿わぬ結婚ならば、江が秀忠の妻になりたいと本当に思う日まで待とうと言い出したのだ。奇妙な夫婦生活が始まった。

初が江に泣いて頼んだ。子を産んでくれ。どんどん産んで、初に子供が生まれなかったときは、そのうちの一人をくれ、と言ってきたのだ。

江と秀忠は、普通の夫婦の倍する言葉を交わしていた。もっとも、そのほとんどが喧嘩に費やされていたのが問題だった。江は秀忠の無気力、やる気のなさに苛立ちを覚えていた。

そんな生活が続いている中、秀吉が倒れたという話が伝わってきた。詳しいことが分からないので、家康に直接聞くことにした。

矢継ぎばやの江の質問に、家康は信長の姿を見ていた。いやいや大変な女子を嫁にしたものだと口にしたら、江は血相を変えて、どういうことかと聞く。

だが、家康は江を嫁にもらったのは良かったと思っている。それは秀忠を変えられるのは、まるで逆の江だけかもしれないからだ。

婚儀から一年。江と秀忠の夫婦生活は破綻に近い状態になっていた。

そんなある日、京を地震が襲ってきた。江を助け出したのは秀忠だった。

江が秀忠の手をつかんだ瞬間、雷の閃光に包まれたかのようになった。

手だ。

記憶の中の、あの手だ。

記憶の中にあるはずの手が、形と体温を与えられ、江の手をしっかりと握っていた。

あの手は過去の誰かではなく、生涯をともにする夫の手だった。江は、秀忠の妻に本当になろうと思った。

江が身ごもった。その体で、久々に大坂城に向かった。四歳になった秀頼が元服したからである。大坂城では娘の完子が迎えてくれた。

慶長二年(一五九七)。再びの朝鮮出兵である。

伏見では江が長女を出産した。千姫と名付けられ、すぐさま秀頼の許嫁となった。

姉・初が祝いにやってきた。そして、再び子供をどんどん産んで一人くれと言ってきた。

朝鮮では敗戦が続き、秀吉は気晴らしに花見を開いた。だが、それからわずか二カ月。病床に伏した。

後は家康に託すことにした。それを聞いた三成は悔しさをにじませた。だが、おのれの器量と限界を誰よりも知っていたのが三成自身だった。

秀吉最期の時、江は枕許に呼ばれた。

秀吉と会ったのはお市が死んだ人生最悪の時だった。その時の相手を今は慈しみを込めて見送ろうとしている。なんと奇妙な縁であることか。

秀吉は豊臣と徳川をつないでくれと頼んだ。もう一つ、信長の代りに許すと言ってくれと頼んできた。そして最後には、江と会えて楽しかったと、礼を述べた。

豊臣秀吉、享年六十二歳。

秀吉の死の翌日には石田三成が徳川家康を狙っているという噂が流れた。

家康は大事を考え、秀忠と江、千姫を江戸に逃がした。秀吉の死を悼んでいる間もなかった。

家康はいよいよこの時が来たかと思った。だが、断じて焦ってはならぬとおのれを戒めた。家康は腰を据え、囲碁か将棋を打つように、じっくりと戦略を練り始めた。

一方、三成は苦しんでいた。二人の差はここにも表れていた。

秀吉の死を機に人生の方向が大きく変わったのは、初だった。姉・淀は豊臣方、妹・江は徳川家、両者の溝が深まっているのを容易に見て取れた。

初は夫・京極高次に泣きついたが、反応は穏やかなものだった。

慶長四年(一五九九)。三十一歳になった淀と七歳になった秀頼は伏見城から大坂城へ移った。

このまま静かになってしまうと困るのは家康だった。ちくりちくりと突いてみることにした。それが大胆極まりない行動となる。

大老・奉行十人衆になんの届けもせずに大名との間で縁談を次々に進めていったのである。秀吉の遺命にあからさまに背く行為だった。

事態は何とか収拾して、家康と前田利家の二頭体制で安定するかに見えたが、利家が急逝してしまい、これがすべてを変えていった…。

そして大坂城では、女性たちの別れが続いた。松の丸こと京極龍子、北政所が相次いで城を出ていったのだ。

十月。江戸城本丸。江は怒っていた。家康の手紙に対してである。

生まれた次女・子々姫の命名だけしか書かれていなかったからだ。江は家康に今後の徳川家と豊臣家の心配を問いただしたのに、帰ってきたのがこれだけだったのだ。

江は自分で実際に何が起きているのかが知りたかった。夫・秀忠のように父親のいいなりになるだけで満足などしていられなかった。

家康のもとに上杉景勝が会津を要塞化しているという報せがもたらされた。これで動ける。そう思った。そして上杉討伐の軍を起こした。
行軍の途中、近江の京極高次を訪ねた。

高次は家康には背けぬ。かといって、豊臣家もないがしろにできない。初にとってもこれ以上に深刻な問題はなかった。

江は秀忠に伯父・信長が用いていた天下布武の印判をお守りとして渡した。

それを眺めながら、秀忠は呟いた。

江を妻に迎えたのは誇りだった。それは秀忠が幼いころより尊敬して崇拝していたただ一人の武将が信長だったからだ。それゆえに、ありがたく、畏れ多くもあったのだ。

江との間に、つい隔たりができてしまうのも、そうしたところからきているのだ。

江は、秀忠に、本日より徳川の人間になりきって生きていくと告げ、夫を戦場に送りだした。

三成が挙兵した。

並行して三成は家康にしたがった大名たちの妻子を大坂城に集め人質にしようとした。だが、そこに立ちはだかったのが細川ガラシャだった。

ガラシャの死の報せは三成を打ちのめした。

京極高次は今後の方策を決めていた。初は城を断じて三成側に明け渡さぬことになった。

家康は秀忠に全軍の総大将として先発させた。側には榊原康政、本多正信がつけられた。

京極家の大津城が落ちた。京極高次は城を明け渡して、剃髪し、高野山に上った。

関ヶ原の戦いが終わった。

家康は大坂城で、所領の大々的な処分、配置替えを行った。この論功行賞はすべて口頭で行われた。家康の老獪さだ。家康の手腕は、現実を現実と感じさせないほど鮮やかなものだった。

秀忠は関ヶ原に遅れた。

秀忠は遅れたことについて、翌日には慰めた父・家康の真意がわからなかった。むしろ薄気味悪い。江はそれをきいて、しばし秀忠を見つめた。

三女が生まれたことによって、江はある覚悟をした。それは秀忠に側室をもってもらい、男児を産んでもらうことだった。苦渋の決断だった。

だが、秀忠は妻は江ひとりでよいと言った。江はそれを聞いて、わっと激しく泣いた。夫の優しさが嬉しかった。

関ヶ原から二年半、慶長八年(一六〇三)、徳川家康に征夷大将軍の宣旨が渡された。

千姫と秀頼の婚儀が近づいた。

江はこの機会に姉・淀に会っておかなければならないと思った。次はないかもしれない。

十一歳と七歳の若い夫婦の誕生だった。

この場に姉・初も来ていた。初は切支丹になっていた。そして一方の江はまたも身籠っていた。

大坂に残した完子の輿入れが決まったという。相手は摂家の九条忠栄である。

江が産んだのはまたも女児だった。初との約束もあり、子を譲ることになった。ただし、実の娘として育ててほしいと頼んだ。

初はうきうきした調子で連れ帰った。

慶長九年(一六〇四)。江が男児を産んだ。後の徳川家光である。

江にとって不愉快だったのは、生まれた竹千代に乳母がつけられたことである。名をお福といった。後の春日局である。

秀忠は二代目の将軍となることになった。

六度目の懐妊を知った時、江は先手をうった。次に生まれる子が男児であれば乳母はつけてもらわなくて結構。

生まれてきたのは男児だった。国松と名付けられた。後の徳川忠長である。

そして続いて産んだのが五女・和子である。和子は後に数奇な運命をたどる。

生まれる子があれば、滅するものがいる。京極高次が死んだ。

悲しみに暮れているだろう姉・初がひょこり江戸に現れた。おどろいたことに、切支丹であることを止め、尼僧のなりに身をやつしていた。出家して常高院と名乗っている。

初は母・お市から、姉と妹を結び付けよと言われていた。ようやく、それができそうな気がすると言った。

家康が大坂城を攻めるという報せは江を打ちのめした。姉・淀、甥の秀頼、娘の千姫、そして初もいるのだ。

その大坂では初が和平交渉の使者として白羽の矢が立てられていた。

千姫は助けられた。だが、淀と秀頼は城とともに消えていった…。

初は淀と秀頼を救えなかった悔悟と苦悩から若狭小浜に引きこもっていた。

戦いの余韻とでもいうべき出来事が、江に重く響いていた。秀頼の息子がほんの八歳で処刑されたのだ。

家康は江に関ヶ原のことを覚えているかと聞いた。秀忠の遅参のことだ。あれはそう仕向けたのだという。そして、大坂の陣は秀忠の手を汚したくないという思いがあったことを打ち明けた。それほどに秀忠が可愛いのだ。

そう述べた後、家康は江に礼を言った。秀忠を変えてくれたことに対してである。冷やかにしか見ることができなかった秀忠を、血の通った、人間らしい人間にしてくれたからだ。

家康の死を江と秀忠は平静に受け入れた。江は四十四歳、秀忠は三十八歳になっていた。

江は将軍・秀忠の正室にして、三代将軍・家光の生母、そして、天皇の姑としてその晩年を迎えた。織田、浅井両家の血脈を幕府と、皇室に伝えたのである。

誰よりも江自身が予想し得なかった運命だった。

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本書について

田渕久美子
江 姫たちの戦国 (下)

目次

第八章 利休
第九章 秀頼
第十章 秀忠
第十一章 三成
第十二章 初
第十三章 家康
第十四章 淀
第十五章 江
結章

登場人物

江…三女
徳川家康
徳川秀忠
千姫
竹千代(家光)
お福(春日局)
国松
結城秀康
茶々(淀殿)…長女
豊臣秀頼
初…次女
豊臣秀吉
おね…妻
なか…実母
豊臣秀次
豊臣秀勝
完子
石田三成
大野治長
細川ガラシャ(たま)
いと…たまの侍女
千利休
京極高次
松の丸殿(龍子)

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