北方謙三の「楠木正成(上)」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

★★★★★★☆☆☆☆

北方太平記(北方南北朝)の一絵巻。

南北朝時代の楠木正成を描いている。一連の北方太平記の中で、関連性の強いのは赤松円心を描いた「悪党の裔」である。合わせて読むのがよいだろう。というよりも、この一連の作品群をまとめて読むといいだろうと思う。

一連の北方太平記の中で、軸になる小説がどれかというと難しいところだろうが、本書を中心にして捉えてみるとすっきりするかもしれない。

ただし、お勧めなのは、最後に本書を読むことである。

筆者の一貫した描き方は、武士と悪党or異形の者との対決という点に置かれているのは、すべての作品に共通する。従来のように、朝廷と幕府の対決という構図ではない。

武士と悪党or異形の者との対決といった場合、武士の代表が足利高氏(尊氏)であり、悪党or異形の者の代表が楠木正成なのである。

そして、一連の作品群は、悪党or異形の者にスポットを当てる格好になっている。それは主人公であったり、重要な脇役であったりとする。

悪党or異形の者にスポットを当てることに主題を置いている感じがあり、それが故なのだろうか、足利尊氏と後醍醐天皇を主人公とした小説はない。

悪党or異形の者の果たした役割というのは、戦後の歴史研究のたまものといえる。小説の書かれ始めた時期を考えると、最新の学説を取り入れた格好になっており、そういう意味において一連の北方太平記は新しい小説群といえる。

北方太平記(北方南北朝)

  1. 武王の門…懐良親王と菊池武光
  2. 破軍の星…北畠顕家
  3. 悪党の裔…赤松円心
  4. 道誉なり…佐々木道誉
  5. 楠木正成 本書
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内容/あらすじ/ネタバレ

矢野荘には寺田方念という悪党がいた。今でも時々人の口にものぼる。楠木正成が見た、最初の悪党だった。

正成が二十二才の時、父に言われ、ひとりで諸国を旅した。その父は、正成が知る限り領地を治めようなどとはしていなかった。

ただ、奈良から京への街道に力をもっていたし、大和川の水運にも関係していた。暮らし向きは豊かだった。

寺田方念の戦を見たとき、世が乱れる気配があると思った。武士が絶対の力をもっているというわけではない。

今、播磨では赤松円心という男が悪党をまとめている。正成が屋敷で世話をしている猿楽の一座などから全国各地の情勢を集めていた。

正成は伊賀の金王盛俊という悪党を気にしていた。寺田方念に似ているのだ。あらゆるものを集め、一つの場所には留まらせず、そうしながら全体を動かし、東大寺領の荘園のかなりの部分を横領していた。新しいやり方だった。

正成の眼は物流に向かっている。春になると瀬戸内海の海運が動き始め、大和川の物流が飛躍的に伸びた。

年明けから正成は瀬戸内海の海賊衆を回り、説得に当たっていた。海運の利に目を向けさせたのだ。

新帝の後醍醐はすでに三十を超えていた。帝の親政になったからといって、六波羅が支配者である京の情勢は変わらなかったが、いままでにないおかしな緊張感が漂っていた。

関東でもおかしなことが起きているという。勅命をもった山伏が方々を訪ね歩いているという。

京は魔物だ。制することはできても、守り抜くことは難しい。

護良親王が三千院梶井門跡に入室して五カ月がたっていた。ゆくゆくは天台座主になり比叡山に入る。

京で騒ぎが起きたのは、昨年の九月だ。父なる帝は関与を否定し、鎌倉へ弁明の使者を立てていた。だが、護良は帝こそが騒ぎの中心にあることを知っていた。

己が比叡山に入ったら、比叡山を動かせるのか…。倒幕のためには見逃せない力だった。

武士の支配を覆そうとした帝の考えは間違っていないが、そのために頼ったのが武士であるのは、権力を武士から武士に移すだけにならないのか。

護良はまず大和を旅しようと決めていた。

父・正遠が死んだ。

正成はそのまま力を引き継いだ。父は大きな力を河内で作り上げていた。直属の兵が五百、誓氏を差し出す土豪が三十を超えていた。四、五千の兵は動員できる。

摂津で小さないざこざが起きた。弟の正季が出て行って捕まった。正成が直接出かけていった。相手は赤松円心だ。

鎌倉では得宗の北条高時が出家し、混乱が起きているというが、それに乗じて幕府を倒そうとする武士は現れていなかった。

護良は自分のそばに則祐をつけた。赤松円心の三男だ。

正成は久しぶりに調練に立ち会っていた。我らの闘い方は武士とは違う。およそ武士が考えつかないやり方で闘うのだ。

そうした時期に正成を大塔宮護良が訪ねてきた。帝を戴ければ、悪党も一つにまとまれるかもしれない。

北畠具行は暇があると正成と喋りたがった。それは大塔宮が悪党の力を認めたのだった。各地の武士と同じように、利用できる存在として考え始めている。

正成も具行を通して朝廷が利用できる存在かどうか見ようとしていた。

大鳥荘での蜂起が三月目に入った。はじめは、どうということのない蜂起だったが、六波羅が音をあげた。手ごたえは十分だった。やがて蜂起する豪族が増えていった。

だが、六波羅は一筋縄ではいかない。河内さえ乱れなければ和泉の蜂起は終息するとみている。そして赤松円心は和泉の混乱の背後に正成がいることを読んでいる。正成の背に冷たい汗が流れた。

和泉で重要なのは退き時だった。

六波羅を三度までも討ち払った。そして蜂起はそれを機に急速に収束していった。正成の力は悪党とは呼べないほど河内では大きかった。伊賀、大和、和泉、摂津、瀬戸内海…。だが、正成は河内の豪族であり続け、正体を見せることはない。

大塔宮は正成と対面していた。

正成は大塔宮に、悪党は生き延びることを求めていると言った。そのためには北条にも与すると。だが、幕府に逆らっているのは、幕府が生き延びさせてくれないからだとも言った。

悪党に節操などないとも言った。それは朝廷が無意味だと言っているのと同じだった。

悪党に得をすると思わせれば、兵は集まってくる。銭の道だ。それを貰いたい。水運、陸運、海運、それぞれがそこで動くことを認めればいいのだと言った。それであれば力を売ろう。

正成は怯え続けていた。大塔宮に大変なことを言った。だが、これは熟考の末だった。

「楠木正成」の下巻へ続く。

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大塔宮(護良親王)ゆかりの地

鎌倉宮(大塔宮)の参拝録(神奈川県鎌倉市)南北朝時代の護良親王ゆかりの場所

鎌倉宮(大塔宮)の紹介と写真の掲載。北方謙三氏の南北朝ものを読み終えて、訪ねたくなった場所。護良親王(もりながしんのう)を祭神とする。別名 大塔宮(おおとうのみや)。

護良親王と護良親王墓所の訪問録(神奈川県鎌倉市)南北朝時代の悲劇の皇太子
鎌倉の護良親王墓所の紹介と写真の掲載。北方謙三氏の南北朝ものを読み終えたばかりで、ゆかりの地を訪ねようという目的があった。その一つが「大塔宮」こと護良親王の墓所。

本書について

北方謙三
楠木正成(上)
中公文庫 約二七〇頁

目次

第一章 悪党の秋
第二章 風と虹
第三章 前夜

登場人物

楠木正成
楠木正季…正成の弟
寺田祐清(鳥丸)
恩地左近
加布
尾布
護良親王(大塔宮)
北畠具行
仲円僧正
日野俊基
赤松円心
赤松則祐
金王盛俊
寺田方念

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