鈴木理生の「えどちりクエスチョン 其の二 江戸のしくみ編」を読んだ感想とあらすじ

覚書/感想/コメント

★★★★★★★★☆☆

本書で扱うのは「まち」である。江戸には様々な性質の「まち」が混在していた。武家地、寺社地、町地である。それに「片町」という異形の町もある。こうした「まち」の性質を解き明かしていくのが本書の狙いである。

江戸の主な商人は上方出身だった。そしえ、江戸っ子は雇わなかったため、江戸っ子は職人になるしかなかったという。伊勢出身や近江出身の商人というのが多かったようである。

なぜ江戸っ子を採用しなかったかというと、本店の人間が自分に地縁・血縁のある若者を採用することで、本人の身元確認とその家族への連帯責任を負わせるためであったようだ。当時としては合理的な人材登用制度だったのである。

中山道は東海道に比べ宿駅も多く、道程も長く、隘路も多かったにもかかわらず利用者は多かった。

その理由は、東海道のように河川の増水による川止めがなかった分、旅程が立てやすかったためである。

江戸の町には行動と私有地の間には必ず庇地(ひさしち)があった。公儀が与えた公共用地である。現在でいうところのアーケードである。

欧米の都市と比較して、日本には広場がないという論じ方がされるが、この庇地などに関しては無視されることが多い。

こうした傾向について、『外国語の文献は読めるが日本語で書かれた実用的公文書を読解しないという奇怪な現象が、大手を振ってまかり通っているのである』と現在の学者の取っている姿勢を著者は強く非難している。

町奉行は現在でいうところの、警視庁・裁判所機能だけでなく、都庁の機能も備えていた。

とすると、必然的にそこで働く「八丁堀」の与力・同心もその機能を有しているわけで、「八丁堀」の『本当の特徴は、全国の町人と大名に対する経済法令・政策担当の中央官庁だったことにある。

「八丁堀の旦那」方が経済行政専門職であったという点は重大な事実でありながら、これまであまり触れられていない。』

江戸歌舞伎発祥地は「中橋南地」というのが一般的である。根拠は寛永九年(一六三二)四月に公儀が中橋辺りにあった中村勘三郎芝居を禰宜町に移したという史料に基づく。しかも、各種の劇場年表からの考証にすぎない。

だが、「江戸名所図屏風」と「江戸京都絵図屏風」をつぶさ比較してみると、歌舞伎を含めた劇場街の発祥地は別の場所ではないかという疑問が浮かんでくるそうだ。

そこから浮かんでくるのは「杭上家屋」の存在と、そこに形成された歓楽街である。場所としては江戸前島の木挽町周辺と推定されるそうだ。

江戸には稲荷がおおい。「イナリ」が「居成り」に通じたため、居住地の移転や移動がないことを願っての尊崇だったそうだ。

【詳細な目次】

江戸切絵図の見方
第一章 江戸の「まち」の役割 人と物が行き交う百万都市
 問1 「町」の読みはマチ?チョウ?
 コラム 江戸割絵図(江戸切絵図)の誕生
 問2 「片町」とはどんな町?
 問3 江戸っ子はみんな職人?
 問4 三伝馬町の役割分担
 問5 製造・流通のコントロール機構「座」
 コラム 動物にちなんだ地名色々
 問6 水辺に面した江戸屋敷
 コラム 下りもの・下らないもの
 コラム 菱垣廻船と樽廻船
 問7 中山道のメリット
 問8 諸国と江戸の玄関口、一時廃止の宿場は?
第二章 町のしくみ 庶民の生活空間と町の制度
 問1 路次に横丁に新道
 問2 「向こう三軒両隣」の範囲は?
 問3 アーケードと下水溝
 コラム 沽券図という公図
 問4 路上施設の公共的役割
 問5 町中で捕物に欠かせないものは?
第三章 大縄拝領地と町の増加 米の「まち」から金の「まち」へ
 問1 八丁堀は芸術の町?
 問2 大縄拝領地の立地
 問3 大名屋敷と大縄拝領地
 コラム 用途別の大縄拝領地
 問4 もう一つの奉行所
 コラム 拝領町屋敷
 コラム 寛永江戸全図
第四章 江戸の記憶 行事と風俗に見る地理と制度
 問1 天下祭のルートと江戸城
 問2 将門首塚の由来
 問3 精進落としの定番は?
 コラム 《ひろめ》について
 問4 大名屋敷の玄関先にあるものとは?
 コラム 地理で見る「劇場」~杭上家屋
 コラム 横丁の稲荷
えどちりクロスワード
おわりに

本書について


えどちりクエスチョン 其の二 江戸のしくみ編
鈴木理生
人文社 約一一〇頁
解説書

目次

第一章 江戸の「まち」の役割
第二章 町のしくみ
第三章 大縄拝領地と町の増加
第四章 江戸の記憶