大河ドラマ「坂の上の雲」第3回

肺結核におかされた正岡升は「子規」と号するようになる。子規とは「ほととぎす」。血に啼くような声に特徴があり、喀血した自分にかけたのだった。

明治の当時、結核は不治の病である。長い時間が与えられていないと悟った子規の活動が本格化しだす。

この子規を死の間際まで看病して、その最期を看取ったのが、妹の律である。律は結核になった子規のため、松山から上京した。

一方で、政治的には朝鮮半島をめぐって、清国との対立が表面化しだす。

後世、日清戦争はやむにやまれぬ防衛戦争ではなく、あきらかに侵略戦争であり、日本においてははやくから準備されていた、といわれたが、首相の伊藤博文にはそういう考え方はまったくなかった。

だが、参謀次長川上操六にあっては、あきらかにそうであった。川上操六は骨のずいからのプロシャ主義者だった。

川上操六と同じ思想を持つ者に外務大臣陸奥宗光がいた。二人は内々で十分な打ち合わせをとげており、川上操六は短期決戦であれば成算ありと結論を得ていたので、短期に大勝を収め、講和へ持って行くことは陸奥が担当することになった。二人がやった戦争といっていいだろう。

「坂の上の雲」の中で、司馬遼太郎氏は語る。

『日清戦争とはなにか。
その定義づけを、この物語においてはそれをせねばならぬ必要が、わずかしかない。
そのわずかな必要のために言うとすれば、善でも悪でもなく、人類の歴史の中における日本という国家の成長の度あいの問題としてこのことを考えてゆかねばならない。』

『あいかわらずの帝国主義はつづくが、-(略)-いわばおとなの利己心というところまで老熟した時期、「明治日本」がこのなかまに入ってくるのである。』

『日本のそれは開業早々であるだけにひどくなまで、ぎごちなく、欲望がむきだしで、結果として醜悪な面がある。』

こう、帝国主義下の日本を語り、続いて今回のドラマにも登場した参謀次長の川上操六について語っている。

『川上操六は骨のずいからのプロシャ主義者といっていい。-(略)-参謀本部の活動はときに政治の埒外に出ることもありうると考えており、ありうるどころか、現実ではむしろつねにはみ出し、前へ前へと出て国家をひきずろうとしていた。-(略)-川上の考え方は、その後太平洋戦争終了までの国家と陸軍参謀本部の関係を性格づけてしまったといっていい。』

この川上操六が性格づけた国家と陸軍参謀本部に続くかたちで、当時の憲法を語っている。

『憲法-(略)-によれば天皇は陸海軍を統率するという一項があり、いわゆる統帥権は首相に属していない。作戦は首相の権限外なのである。このことはのちのちになると日本の国家運営の重大課題になってゆくのだが、-(略)-はるかな後年、軍部がこの条項をたてに日本の政治のくびを締め上げてしまうにいたろうとはおもわなかったであろう』

『明治憲法-(略)-がつづいたかぎり日本はこれ以後も右のようでありつづけた。とくに昭和期に入り、この参謀本部独走によって明治憲法国家がほろんだことをおもえば、この憲法上の「統帥権」という毒物のおそるべき薬効と毒性がわかるであろう』

「坂の上の雲」のあらすじはこちら。ご参考に。

「坂の上の雲」第2回
「坂の上の雲」第4回

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