中村彰彦「落花は枝に還らずとも 会津藩士・秋月悌次郎(下)」を読んだ感想とあらすじ(最高に面白い!)

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覚書/感想/コメント

★★★★★★★★★★

第24回新田次郎文学賞

「第十六章 神のような人」を読むために、この小説はあるようなものだ。そして、こうした教師に出会っていたならば、確実に己の人生が変わっていたであろうと思わせる。秋月悌次郎とはそうした教師であった。

東京で謹慎生活を送っている秋月悌次郎が母お伊野宛てに書いた手紙に後年の悌次郎のあるべき姿というものが映し出されている気がしてならない。

そこに書かれたのは次のような趣旨の内容だった。

『一度枝を離れた落花は、その枝に還って咲くことは二度とできない。しかし、来年咲く花の種になることはできる。
会津滅藩に立ち会い、亡国の遺臣と化した悌次郎は、自身を落花になぞらえることにより、逆風の時代になおかつ堪えて生きる覚悟を初めてあきらかにしたのである。』

はからずも、悌次郎は「来年咲く花の種」となるべく、これから国を担う若者たちを育てるために晩年のすべてを捧ぐことになる。
悌次郎は、東京大学予備門、第一高等中学校での教諭生活を経て、熊本の第五高等中学校教諭になる。

この時には名を秋月胤永(かずひさ)と変えている。この晩年の胤永の心のぬくもりを、もっとも理解したのがラフカディオ・ハーンであった。のちに小泉八雲の名で知られることになる人物である。

ハーンは胤永をこう評している。

『「秋月先生のそばにゆけば、ファイヤー・サイドに行った気がする」
とかねがね語っていたハーンは、そのころの胤永をのちにこう記すことになる。
「(中略)秋月氏はしだいに齢を加え、高齢となり、だんだん神さまのような風貌を呈してきた。
いったい、日本の神さまというものは、(中略)どんなかっこうをしているかと訊くとしたら、わたくしは、こうそれに答えたい。それは、「長い、白いヒゲをたらして、白装束に白の束帯をしめ、ひじょうに柔和な顔をした、しじゅうにこにこわらっている、高齢の老人だ」と
胤永は自宅にくつろぐとき、あるいはハーンの家を訪ねるときはいつも和服であった。ハーンはいつもにこやかにしている胤永に神を見出したのである。』

内容/あらすじ/ネタバレ

秋月悌次郎は母、兄弟らと水盃を交わし、新妻の美枝と蝦夷の斜里に向かった。その道中、悌次郎はそれまで知らなかった美枝の才能に気付いた。

「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ」という言葉がある。旅の間に互いの気質を理解して琴瑟相和した二人は初めて蝦夷地を踏んだ。

付近の村を巡回しはじめた悌次郎は柿沼新八の教えを守った。降雪をみるころ、斜里岳の麓に住むノシケオマというアイヌの若者と親しくなった。こうした交流は芽生えたが、京の政情は一切伝わってこない。

慶応二年(一八六六)。南摩羽峰が悌次郎を訪ねてきた。

そして、悌次郎を京都公用局復帰を申しつける文が届いた。一年四か月ぶりに思いがけず京に返り咲くことになった。

慶応三年三月下旬、悌次郎は三本木屋敷に復帰した。

薩摩藩は禁門の変が終わってから会津藩によそよそしくなっていた。どうやら薩摩と長州が手を結んだようである。

悌次郎はかつて訪ねてきた高崎左太郎に会おうとしたが、会うことはかなわなかった。

一方で、会津藩は物心両面でいよいよ危機に瀕していた。

将軍は徳川慶喜になっている。悌次郎が見るに、慶喜は駄目なことを駄目と言い通せない気性で、考えていることもくるくる変わる。
この時期、京の各藩邸では大政奉還が議論の的となっていた。

朝廷は一方で討幕、討会討桑の勅命を下し、一方で慶喜から大政奉還の上表を受け取っている。こうした動きは会津の公用局はつかんでいなかった。

そして慶喜が征夷大将軍の職を返上したことにより、松平容保ら会津藩は京において舫綱の切れた弧舟と化した。

さらに続いて、朝廷は王政復興の大号令を発した。

鳥羽伏見の戦いを経て、悌次郎は江戸へ下った。この時には会津の立場は最悪のものになろうとしていた。
外島機兵衛が過労で倒れてしまったため、悌次郎が越後諸藩を味方につけるための運動に奔走することになる。まずは、長岡藩を訪ねた。悌
次郎を迎えたのは河井継之助であった。

同様の使命を帯びたのが南摩羽峰である。

ようやく会津藩は軍制改革に踏み切っていた。結果新たに成立したのは、白虎隊、朱雀隊、青竜隊、玄武隊である。
もはや浴びせられた汚名は、実力によって雪ぐしかない段階を迎えていた。

籠城戦を経て、会津藩は新政府軍に恭順謝罪を申し出ることに決定した。交渉相手は土佐藩。使者として向かうのは手代木直右衛門と悌次郎である。

開城降伏は認められたが、九カ条の条件が付けられた。そして、開城降伏式という会津藩始まって以来の凶事の采配をふるうことになったのも悌次郎であった。

真竜寺の住職・智海が長州藩参謀の奥平謙輔からの書状をもってきた。そこにはこれからの会津の歩むべき方角を示していた。

悌次郎は奥平謙輔に会い、御家再興を嘆願することにした。智海は、会津松平家の将来を託すに足る少年を奥平に預け、世話を頼んだらどうかという。この嘆願の旅に智海が同行してくれることになった。

この時に読んだのが、「故ありて北越に潜行し、帰途得るところ」と題された詩である。「北越潜行の詩」といわれるものだ。

松平容保親子が東京へ護送され、その後、悌次郎も東京へと送られ、幽閉生活が始まる。

明治二年(一八六九)。広沢富次郎が悌次郎と同じ長屋に入れられた。だが、ほどなくして悌次郎は場所を移された。そこで一緒になったのは手代木直右衛門だった。

明治五年(一八七二)一月六日。悌次郎は永預けを免じられた。

名を秋月胤永(かずひさ)と変え、四十九歳にして若松に戻る。

その後、左院の少議生を出だしに、文部省、東京大学予備門の教諭、熊本の第五高等中学校教諭を歴任する。

本書について

中村彰彦
落花は枝に還らずとも 会津藩士・秋月悌次郎(下)
中公文庫 約四二五頁

目次

第九章 斜里の羆
第十章 瓦解の時
第十一章 汚名
第十二章 使命ふたたび
第十三章 越後の雨
第十四章 開城の使者
第十五章 北越潜行の詩
第十六章 神のような人
あとがき

登場人物

秋月悌次郎(韋軒)
美枝
南摩三郎(羽峰)
外島機兵衛…留守居役
横山主税…江戸家老
松平容保…会津藩主
山本覚馬
田中土佐…国家老
西郷頼母…国家老
広沢富次郎
大庭恭平
手代木直右衛門…留守居役
武田耕雲斎
原市之進
大山正阿弥
高崎左太郎
河井継之助
奥平謙輔
松平慶永
中根靱負(雪江)
小笠原長行
三条実美
柿沼新八
ノシケオマ
智海…真竜寺の住職
小出鉄之助

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