子母澤寛「勝海舟 咸臨丸渡米」第2巻を読んだ感想とあらすじ(最高に面白い!)

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覚書/感想/コメント

★★★★★★★★★★

第二巻では咸臨丸での渡米から、幕末の動乱期を描いている。この巻で登場するのが坂本竜馬である。

海軍を盛んに説いている勝麟太郎であるが、実は船にはトンと弱い。咸臨丸での渡米中も随分苦しんだらしい。

この渡米のときの麟太郎の上司が木村摂津守である。

木村摂津守は木村芥舟(きむら かいしゅう)ともいう。軍艦奉行、咸臨丸の司令官を務めた。諱は喜毅(よしたけ)。字は天模。別の号に楷堂がある。通称・勘助、図書。官位は摂津守、兵庫頭。

本書では木村摂津守としても表記されるし、通称を使った木村図書喜毅とも表記されている。同一人物であるからご注意。

同じことは大久保忠寛についてもいえる。とりあえず、本書で登場する「大久保」なんとかかんとかは大久保忠寛だとおもって間違いない。
前出の咸臨丸を率いた木村摂津守は、渡米の際に、家屋敷や先祖代々の財産をことごとくドルに替えてしまう。

幕府からはたった五百両しかでなかった。木村が持ってきたドルは八万ドルである。その代わり残された木村家には一文も残っていない。

それでもいいという。この金は日本国のためにアメリカに渡航する者達が自由に使い捨てて良いように用意したものだ。

この度の渡航者達は、何にも増して今後の日本にとって大事な人々である。その渡航者達が渡航中に金の不足などのことで恥をかくということがあってはならない。だから、自分なりに出来ることをしたまでだというのだ。

いかに国事のためとはいえ、全財産をそのためにというのは並大抵の人に出来ることではない。勝麟太郎らはこれを聞いて瞼いっぱいに涙を溜めた。

国事にあたるということは、こうした覚悟を持つということである。

そして、この幕末という時代は、こうした無私の人物が多く生まれ、本気で国を憂えた人物達が数多くいた。

現在こうした気概を持った政治家や国家・地方公務員がどれくらいいるというのだろうか?

さて、岡田以蔵が勝麟太郎を護衛していた時のエピソードは有名である。

刺客に襲われた勝を、護衛していた岡田以蔵が追い払うのだが、この以蔵に勝は人を斬ってはいけないよという。だが、以蔵は、わたしがあやつを斬らなければ先生の首は胴につながっていなかったでしょうと切り返した。

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内容/あらすじ/ネタバレ

阿部伊勢守が死んだ。二十五歳で老中になって三十九歳の若さでのことだった。

ペルスライケン大尉と交代する新しい教官が日本丸でやってきた。新教官長はカッテンデーキ大尉である。峻厳な人物である。日本丸は咸臨丸と名を改めることになった。

江戸からはポンぺ軍医について医学を学ぶために松本良順がやってきた。十九歳だがなかなか出来る。前後して幕臣が二十五名ほどやってきた。

三度目の長崎の正月。

伝習生達は咸臨丸を運転して琉球まで行くことになった。総督は勝麟太郎。副総督は伊沢謹吾。

途中薩摩に寄り薩摩藩主・島津斉彬の歓迎を受けた。琉球に行くつもりではあったが、麟太郎は途中で鹿児島によることになると思っていた。

驚いたことに斉彬は自藩の軍備も何もかも見せてくれた。斉彬は前年に篤姫を家定公の御台所に上らせられている。斉彬はかねてから阿部伊勢守と同じく公武合体論者だ。幕府とか薩摩というよりも、日本国を目において事に当たっている。

麟太郎はその赤誠に打たれて長崎に帰ってきた。

西洋嫌いの井伊直弼が大老となった。伝習所では何となく暗い気持ちになる。

前任の堀田備中守の話を聞いた。京の公卿は口先が達者で異国のことを露ほどにも知らない。日本の害虫も同じである。それにいじめられ手も足も出なかったのだ。

咸臨丸は再び薩摩に向かった。

開国、攘夷、大変なごたごたが江戸にも京都にも渦巻いている。物価も高騰している。そんな中、勅許を待たずに日米条約が調印されたという。麟太郎は一騒動になると見ていた。

海軍伝習とは別に長崎英語伝習所がやっと出来た。始めて外国奉行が出来、永井玄蕃、岩瀬忠震らがなった。

そして十三代将軍家定の容態が悪化していた。後嗣も紀州の慶福に定まり、家茂となを改めている。江戸から杉純道が手紙を寄こし、家定が薨じたという。同じ頃、島津斉彬も没し麟太郎を驚かせた。家定の御台所の篤姫は剃髪して天璋院と名乗ることになったそうだ。

上海からやってきたイギリスの軍艦がコレラを持ち込み、長崎でコレラが流行した。伝習所でも大騒ぎとなった。

麟太郎が江戸に戻ることになった。明ければ安政六年。お久が麟太郎との別れを惜しんだ。

足かけ五年。久しぶりの我が家である。

帰ってそうそう、麟太郎は軍艦操練所教授方頭取となった。その一方で長崎伝習所が廃止されることになった。

麟太郎は毎日操練所に通っているが、幕府の中はごった返し、外国船は品川沖にやってくる。

京都町奉行となった大久保忠寛が西丸留守居役に左遷され、岩瀬修理も作事奉行に左遷となった。井伊直弼と立場を異にしたからであった。大久保忠寛はその後免職となり、寄合となった。

そうした中、麟太郎ら勝家は田町から赤坂の氷川神社のすぐ裏に引っ越した。赤坂元氷川である。

長崎から戻った木村図書が軍艦奉行並となった。

新たに軍艦奉行となった水野筑後守が勝を買っているという。その勝にアメリカへの派遣隊をと考えているらしい。水野の立身の手段を麟太郎は気に入らなかったが、世に出た水野は赤誠の人であることを認めていた。その水野に麟太郎は招かれることになった。

アメリカ派遣の人選が発表された。

艦将・木村摂津守、艦長・勝麟太郎など。中浜万次郎や福沢諭吉の名もあった。

この渡米の前に麟太郎はおたみに長崎で子供が生まれたことを知らせた。お久との間の子だ。

そして将軍家茂との対面も済ませた。まだ十四歳である。麟太郎は三十八歳であった。

だが、出発直前のこの頃、麟太郎は風邪をこじらせていた。そのままの身体をおして咸臨丸に乗った。

船に弱い麟太郎はすぐに寝込んでしまった。その船に密航者がいることが分かった。長尾俊良。医者である。

そして荒天辛酸の日を三十七日。咸臨丸はアメリカに着いた。

咸臨丸は傷みがひどく修理が必要である。メーア島に廻航してアメリカ海軍の手によって修理することになった。造船所の提督はカンニングハム中将であった。

咸臨丸の修理が終わり、一行は帰路についた。途中ハワイのオアフ島により、四十五日をかけて浦賀へ着いた。

この間、水戸浪士が井伊直弼を桜田門外で殺害するという事件が起きていた。他にも安藤対馬守が襲われている。

帰ってきた麟太郎は一月ほど寝込むことになる。本人はコレラだと騒いだが、高熱が続いた後治った。

勝家でお糸という娘を召し抱えた。客の出入りが激しくなったため、麟太郎の世話をするためにである。

ハリスの通弁官ヒュースケンが刺客に斬られてその夜のうちに絶命した。

安政六年に寄合となっていた大久保忠寛が外国奉行となった。一方で麟太郎も講武所砲術師範役を命じられた。懐かしい咸臨丸は小野友五郎が艦長で小笠原へ探検に行ったりしている。

この年、麟太郎に五人目の子お逸が生まれた。

そして明けて文久二年。麟太郎も四十歳、不惑を迎えた。

杉純道と佐藤与之助が飛び込んできた。閣老の安藤対馬守が水戸の攘夷党に斬られたという。命に別状はないらしい。

お夢を嫁に欲しいという話しが木村摂津守を通じてきた。相手は五百石の旗本・内田源十郎の子・保太郎である。この話が進み、結納の取交せがあった。

京の伏見の寺田屋で薩摩藩士の騒動があり、江戸では英国公使館へ浪士が斬り込んだ。

いよいよ幕府の命脈が怪しくなっている。時の勢い、時の流れ。どうにもならない状態だ。

大久保忠寛が大目付と外国奉行を兼ねた。その大久保が勝に相談があるという。

どうも閣老方が本当に海軍というものが分からないでいる。海に砲台築けば防げると思っている。だから、実地見聞をさせて、必要性を説いてくれないかというのだ。

それから幾日もたたずに、麟太郎は軍艦頭取を命じられ、二之丸留守居格で布衣の格となった。

松平春岳が政治総裁に出た。この後、麟太郎は軍艦奉行並を命じられ、謹役中千俵となる。

柳営で海軍設置に関する意見が交わされた。この大会議には将軍が自らお出ましである。

将軍直々の言葉もあり、麟太郎は五百年後でなければ、軍艦三百数十の全備はできないといった。確かに軍艦はすぐにでも整うだろう。だが、人員はすぐには出来ない。

麟太郎はまず第一に軍艦を操練する人物の要請が最も手近であり最大肝要急務であると述べた。

坂本竜馬が北辰一刀流の千葉十太郎とともに麟太郎を殺す気で元氷川にやってきたのは十日ばかり前である。

その竜馬が岡田以蔵を連れてきた。後の人斬り以蔵。かねてより竜馬には敬服して、近来はその指示に従って行動している。

お夢が内田の家に嫁いだ。

木村摂津守が大久保忠寛が大層な議論をしたといった。大久保が持論の大政奉還論を出したのだ。だが、これはまだ時機ではない。

果たして大久保は文官の顕職から武官へと移されることになった。

坂本竜馬が以蔵の他に四人の若い侍を連れてきた。

竜馬は皆土佐のもので、勝の門下生にしたいといった。長次郎、竜馬の甥・高松太郎、望月亀弥太、千屋寅之助であり、後日に新宮馬之助が加わった。

勝は、竜馬はいけないよ、とんだやつばかり連れてくるよと、苦笑いだ。

老中・小笠原図書頭が軍艦で大坂に行くことになった。麟太郎よりは一つ上の四十一歳。徳川幕府三百年、最初にして最後の出世をした人物だ。肥前唐津の世子のままで老中となったのだ。

この小笠原に勝は奇譚のない意見を語った。

勝は今の日本の海防は幕府の力だけでは出来ない。また、支那朝鮮と連合して三国で西洋の侵略勢力にあたらなければならないと語った。小笠原はこれに幾度も頷いた。

大坂に着いた勝を坂本竜馬がすぐに訪ねてきた。また新顔を連れてきている。

因襲も自我もない純真の憂国者の声、激しい時代の声、奔流の叫びというものを麟太郎ははっきりと感じていた。

勝は岡田以蔵に、人を斬るのはおよし、学問をおしよ、おいらあ妙にお前を好きだが、ほんに人殺しはおよしよといった。こういわれた以蔵の心にはぱっと明るいものが差し込んだ気がした。

勝は土佐の山内容堂に会って脱藩した竜馬を赦免してもらった。

この後に江戸に戻った勝を待っていたのは佐久間象山に嫁いだ妹のお順の姿だった。お順も二十七歳。お順は二度と松代には帰らないといっている。離縁かというとそういうわけでもないらしい。しばらく放っておくことにした。

麟太郎は再び大坂に行った。すぐに坂本竜馬と岡田以蔵がやってきた。前にやってきてからわずかに十六七日しかたっていない。その間に京方面の様子がよほど逼迫してきている。

攘夷という言葉の他に、討幕論が露骨になってきている。薩摩長州土州肥州の有志らの往来が激化している。

将軍家茂が京の二条城に入った。将軍家の上洛は三代家光以来二百三十年ぶりだ。

小笠原図書頭が麟太郎を座敷に呼んだ。生麦の一件も談判は手詰まりとなっているようだ。英国の魂胆は戦を仕掛けることであるから無理難題をいってきている。

そこで勝てるかと聞かれと、麟太郎はないといった。だが、今は負けたとしても、それが薬となって百年後にはこっちがやっつけるのだといった。

麟太郎は竜馬の紹介で長州の桂小五郎にあった。あれは天下取りの代物だねと思った。

この頃、長崎のお久が京に着いた。

大目付松平勘太郎が麟太郎に将軍家が海防の実地を見聞したいから艦に乗ると知らせてきた。

艦が神戸沖に着いた頃、麟太郎は突然将軍家に直々に意見を言上した。ここに海軍操練所を開きたいと言ったのだ。家茂は即座にこれを許可した。

また同じ頃に、京都攘夷論の急先鋒である姉小路公知が艦に乗って実地を見聞した。麟太郎はここで姉小路に海軍を説き、真の国防を説いた。

神戸海軍所のために金が下りることになったが、当面の金がない。麟太郎は坂本竜馬に言いつけて、越前の松平春岳のところに向かわせた。資金の願いをするためである。

竜馬が広井磐之助を連れてきた。磐之助は敵持ちなのだという。

この頃、岡田以蔵が土佐と幕府守護職の両方から追われていた。麟太郎は以蔵に江戸に行けと言った。江戸の勝家に隠れていろというのだ。
その以蔵が捕まってしまった。

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本書について

子母澤寛
勝海舟2 咸臨丸渡米
新潮文庫 約五三〇頁
江戸時代

目次

日本丸
生死
転変
東へ
朱たたき
月見れば
同じ国なり
大海原
立隔つとも
爽風
富士
不惑
冬牡丹
破墨
飛び潮
墨梅
寒月
京の春
青葉の雨
青鷺
水打つ
夕爽
夏木立
内患

登場人物

勝麟太郎
おたみ(君江)…麟太郎の妻
お夢…長女
お孝…次女
小鹿…長男
四郎…二男
お逸…三女
お信…麟太郎の母
お糸
杉純道
おきん…杉の嫁
木村図書喜毅(木村摂津守)…軍艦奉行並
伴鉄太郎
赤松大三郎
吉岡勇平(後に艮太夫)
大助…塩飽泊浦の水主
富蔵…水主
福沢諭吉
長尾俊良…医者
ブルーク大尉
カンニングハム中将
伊沢謹吾
矢田堀景蔵
佐藤与之助
榎本釜次郎
中島三郎助…浦賀与力
松平金之助
永井玄蕃頭…軍艦奉行
水野筑後守
ペルスライケン大尉
カッテンデーキ大尉
ポンペファンメードルフォールド…軍医
梶お久
佐久間象山
お順…象山の妻、麟太郎の妹
岩次郎…頭
三公
小林隼太
丑松
大久保忠寛(一翁)…目付海防係
岩瀬修理…目付海防係
小笠原図書頭
島津斉彬…薩摩藩主
井伊直弼…大老
松平春岳
中根靱負
坂本竜馬
岡田以蔵
近藤長次郎
高松太郎…竜馬の甥
望月亀弥太
千屋寅之助
新宮馬之助
広井磐之助
山内容堂
姉小路公知…京都攘夷論の急先鋒

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