司馬遼太郎の「竜馬がゆく」第7巻を読んだ感想とあらすじ(最高に面白い!)

覚書/感想/コメント

★★★★★★★★★★
坂本龍馬三十二歳から三十三歳。

司馬遼太郎は言う。

『このころの竜馬は、もはや、思想家として孤絶の境地に達し始めていた。
暮夜ひそかにその手帳に書きしたためている秘密の語録がある。
「世に活物たるもの、みな衆生なれば、いずれを上下とも定めがたし。今生の活物にてはただ我をもって最上とすべし」
個人主義の確立といっていい。
「本朝の国風、天子を除くほかみな世の名目なり。物の数ともなすなかれ」
一君万民思想といっていい。天子の下、みな無階級の平等だというのである。』

この平等思想というのは、海援隊と改められた亀山社中に既に取り入れられている。

『「社中に上下はない」
というのが、結党いらいの原則であった。
ついでながら竜馬の社中統御の法はつねに平等を原則とし、会計さえ公開法をとり、人件費は平等に分配した。竜馬自身、むろん例外ではない。たとえば薩摩藩から援助されている隊士一人あたり月々三両二分の金も、竜馬はみなと同額であった。
封建的階級社会に呼吸している武士の集団としては、異例であった。』

海援隊というのは、武士の集団としては異例であり、多士済々であったはずだが、それでも坂本龍馬は次のようにいう。

『「いま海援隊のなかで」
と、陸奥がきいた。
「両刀を脱しても食えるものはたれとたれでしょう」
「二人しかいないな」
陸奥は息をのんだ。
「たれとたれです」
「君と僕さ」
竜馬は刀の手入れをしながらなにげなくいったが、陸奥は、かれの親方であり師でもある竜馬のこの言葉が生涯わすれることはできなかった。』

また、これは次巻であるが、こうもいっている。

『「容堂公が二十四万石の親玉というても、その左右で多少出来るのは後藤象二郎か乾退助くらいのものじゃ。おれは天涯の浪人とはいえ、左右に陸奥陽之助、長岡謙吉を従えている。陸奥は一朝事が成れば一国の外交を主宰することができるし、長岡はゆうに一国の文教を主管することがきでるだろう」』

情勢は激烈な志士たちの活動の段階から、陰謀の段階へと進んでいた。いわば革命前夜の時期である。

この革命の陰謀は京で行われている。参加しているのは岩倉具視、西郷吉之助、大久保一蔵、中岡慎太郎、板垣退助である。

このなかで土佐は中岡慎太郎と板垣退助である。

特に中岡慎太郎は死を坂本龍馬と同じくするため、この巻と次の最終巻ではとても重要な人物となる。

中岡慎太郎とはどういう人物だったのか。

『(まるで超人じゃな)
竜馬はそうおもっている。
中岡は不幸にして頑固な佐幕派が上層部を占める土佐藩にうまれ、それがため一介の浪士となり何の背景もなく天下を駈けまわらざるを得ない身だが、器量からいえば、大藩にあって大藩を動かせる立場にある長の桂や薩の大久保一蔵よりは性根がすわり、人物、才幹も上なのではあるまいか。』

そして、

『中岡慎太郎は、人物眼がある。この男の人物評は志士のあいだでも高名で、中岡の眼識にかなった者といえば、もうそれだけで一流の士とみていいといわれているほどだった。』

革命という段階に入った時勢のなか、ひとり飛び出してきたのが、土佐の後藤象二郎である。

これと坂本龍馬は手を組む。龍馬の側にしてみれば、組まざるを得ない状況にあった。

この後藤象二郎というのが、ある意味桁外れの男であった。

『妙な男が時勢のなかに飛び出してきたものだ。そこに穴の空いた大風呂敷だといっていい。
(中略)
金を湯水のようにつかうくせに、理財の観念が皆無といってよく、さらに金に公私の区別がない。
「後藤は大きすぎる。シナの皇帝にでもうまれていればよかった」
と、勝海舟などがよくいった。
維新のどさくさのときに、家老である後藤は、独断で、
「藩の大坂屋敷や江戸屋敷、それに汽船などはぜんぶおまえに呉れてやる。商売をしろ」
と、かれが可愛がっていた一藩吏の岩崎弥太郎に呉れてやった。その岩崎が後藤からやみくもに貰った財物のなかに、竜馬の社中の財産が多分にふくまれている。岩崎はこれをもって、無一文から身をおこし、竜馬の事業を継承し、のちの三菱会社に発展する礎をきずきあげた。』

この後藤象二郎に坂本龍馬は「大政奉還」の策を授け、さらには「船中八策」を語る。

「大政奉還」の案というのは、龍馬の独創ではない。これより以前に勝海舟や大久保一翁がいっていた案である。だが、勝海舟や大久保一翁の時には機が熟していなかった。時期が早かったのである。

それが時勢が変わり、まさに「大政奉還」を受け入れるのに足る時勢となった。

そして「船中八策」である。この船中八策には以後二十年にわたり日本の基礎となる近代的な諸観念が盛り込まれていたと、プリンストン大学教授のマリアス・B・ジャンセン氏はいっている。

『「第一策。天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令よろしく朝廷より出づべき事」
(中略)
「第二策。上下議政局を設け、議員を置きて、万機を参賛せしめ、万機よろしく公議に決すべき事」
(中略)
「第三策。有材の公卿・諸侯、および天下の人材を顧問に備へ、官爵を賜ひ、よろしく従来有名無実の官を除くべき事」
「第四策。外国の交際、広く公議を採り、新たに至当の規約(新条約)を立つべき事」
「第五策。古来の律令を折衷し、新たに無窮の大典を選定すべき事」
「第六策。海軍よろしく拡張すべき事」
「第七策。御親兵を置き、帝都を守衛せしむべき事」
「第八策。金銀物貨、よろしく外国と平均の法を設くべき事」』

小説(文庫全8巻)

内容/あらすじ/ネタバレ

勝海舟が再び起用された。

大坂に行くことになった勝に小栗忠順がフランスより六百万両の軍資金等を借りることになっているといった。勝は愕然とした。ヨーロッパ列強がアジアを植民地化する場合にやってきた常套手段である。

小栗は長州を潰した後、幕府に反抗的な諸侯を討ち、三百大名を廃して郡県制度をしくといった。

この小栗構想はすでに幕閣の公然たる秘密であり、諸侯にことごとく洩れている。

フランスが幕府に近づこうとしている一方でイギリスは薩長に近づく形勢を示し始めていた。

この時代における奇観は勝海舟という男である。巨大な孤峰に似ている。幕臣でありながら左右のいずれにも属さず、預言者的存在として時勢の中で屹立していた。

勝が来たの報がつたわると京の薩摩藩邸から大久保一蔵が意見を聞きに来た。会津藩の有志も会いに来た。

ただ幕府の最高首脳部だけが高く評価していない。ここに幕府で一人勝を評価しているものがいた。将軍家茂である。

その家茂の容態が悪く、とうとう死んだ。次の将軍は慶喜であるが、すぐには将軍につかず、その前に長州大討込を触れ回った。

その矢先、慶喜は小倉城の落城を知った。するとほとんど失神するほどに落胆し、大討込をやめると言いだした。

慶喜の性格はしばしば変転するが、変転した以上、頑として再転しない。そしてこの変説を徹底的に理由付け、正当化してしまう。百才あって一誠なしの人物であった。

結局、止戦である。相手の長州は戦勝におごっている。これに止戦の使者として勝海舟を送ることになった。

長州の軍使は広沢兵助であった。広沢は、勝は信用できるが、幕府は信用できないという。

話をまとめて帰ってきた勝を待っていたのは、慶喜の変説であった。気が変わって別の止戦政策を打ち出したのだ。これは長州を激怒させた。

勝の役回りは、子供の使いのようになった。慶喜に無視され、結果的には長州を裏切ることになってしまった。

苦心惨憺手に入れたユニオン号は、幕長戦争が終わると、約束通りに長州に返上した。坂本竜馬にもとには何も残らなかった。

船がない以上、根拠地の長崎にも戻れない。飯も食えない。笑い事ではなかった。

このころの竜馬は天下の坂本竜馬になりつつある。下関の宿にいても、毎日来客が途絶えない。

竜馬は時勢を一挙に倒幕戦にもっていくことは不可能と見ていた。そこで諸侯連盟をつくるべきだと思っていた。

まずは九州諸藩連盟である。その下に商社を作る。得意の株式会社論である。

この竜馬の話を聞きつけてやってきたのが、薩摩の五代才助であった。薩摩では最も変わり種といえる志士である。五代才助は薩摩藩における外国掛と通商官のような仕事を兼ねている男である。

中岡慎太郎が下関に来ているという。竜馬は中岡とは数ヶ月ぶりである。この数年、天下の志士の中で中岡ほど東奔西走の活動をつづけている男もいないだろう。見事な男である。

中岡は竜馬に、文久三年、武市の家で結成した土佐勤王党も残り少なくなってきたといった。まとまって生きているのは竜馬の社中だけである。

下関から長崎に戻った竜馬を待っていたのは窮迫である。船が無く、金がない。

溝淵広之丞という男がいる。それが長崎にやってきた。藩命を受けてのことである。幕長戦争後の諸藩の動きを探索せよと言うものであった。竜馬はこれと会った。

溝淵の狙いは今一つあった。それは後藤象二郎と竜馬を会わせることである。

後藤象二郎は乱世の英雄といっていい。頭が粗大で細密な計画性に乏しい。治世の能吏とはいえなかった。後藤は気宇が豪邁すぎて地上の役にはたちにくい。

竜馬が社中に戻るとただならぬ気配だ。土佐脱藩組が後藤象二郎を殺しに行こうとしているのだ。後藤こそが武市ら同志を殺した張本人である。だが、武市らの仇を討つというのは単なる名目に過ぎない。根は差別の歴史であった。

竜馬も止めろとはいえなかった。

だが、竜馬は、薩長土三藩の結束をもってすれば倒幕も可能だといった。それには後藤が必要である。それでも殺すのか。

長崎の油屋町に大浦お慶という日本茶の輸出で大身代をきずいた女商人がいる。そこで会談することになった。

竜馬と会った後藤象二郎は、竜馬が拍子抜けするほど簡単に、わしも竜馬の党になるといった。

後藤には思想も何もない。政治家である後藤にとって思想や節義は膏薬のようなものである。竜馬も後藤の全貌がわかってきた。そうした後藤を軽蔑も軽視もしない。回天の大業にはこうした男も必要である。

大浦お慶が社中に三百両貸しても良いといってきている。担保は陸奥陽之助である。陸奥は顔を真っ赤にしてそういった。

さらには船を買ってやるという。お慶は社中を乗っ取るつもりかもしれないが、とにかく船が欲しい。

手に入れた船は大極丸と名付けた。頭を痛めるのは、この船をどう使うかである。

竜馬は後藤と会談し、社中と土佐藩は同格であると示した。そして、社中の名を「海援隊」とかえた。

海援隊と土佐藩の関係を竜馬は西洋でいうロウ(法律)で取り交わそうと考えた。その起草のために長岡謙吉を選んだ。土佐の浦戸の村医の家に生まれ、大坂の緒方洪庵塾で蘭医学を学び、長崎でシーボルトについて蘭学を深めた。

良い時期に中岡慎太郎がやってきた。それをみた竜馬は海援隊だけでは片手落ちだ、陸援隊も作ろうと考えた。その金銭上の世話を土佐藩にやらせるつもりである。

土佐から福岡藤次がやってきた。竜馬は嫌な奴が来たと思った。これと海援隊が談判することになる。

社中に上下はないというのが結党以来の原則である。竜馬は交渉ごとを任せ、うしろに引っ込んだ。矢面に出たのは長岡謙吉らである。長岡は学者であり、陸奥はかみそりのようにするどい論客であり、中島作太郎は相手の気持ちをつかんで功名に引き回す才能がある。土佐の上士側は押されに押された。

海援隊約規は論理的な文章で書かれ、明治初年頃のこの種の文章よりも斬新であった。五ヶ条からなっている。

海援隊の性格は多角的で、倒幕結社、私設海軍、航海学校、海運業務、内外貿易と五つの顔を持っている。

土佐では竜馬の社中を藩に引入れる話しの他に、並行して長崎に藩立の貿易会社を作ることになった。土佐商会である。この長に岩崎弥太郎がなった。格は長崎留守居役である。破格といっていい。

竜馬はどういうわけか、この岩崎弥太郎が好きでない。諸藩の有志の間に、度量、海のごとし、といわれた竜馬がである。自然、弥太郎も好感を持たない。

顔を合わせると、竜馬は弥太郎を愚弄し、弥太郎は首を縮めていじけてろくな音が出ない。蛇と蛙の関係に似ている。

大極丸は風帆船である。せめて一隻でも蒸気船が欲しいと思っている。

そうした所、伊予の大洲藩が蒸気船を買うことになった。これを借り切ることにした。いろは丸という。

竜馬も蒸気船には十分習熟するようになっていた。そして運行に必要な万国法(国際公法)について、日本有数の実務的な知識の持ち主になっていた。

いろは丸が紀州藩の明光丸にぶつけられて沈められた。

竜馬は得意の万国公法で押しまくるつもりでいる。この衝突事件は、日本近代海運史上最初の事件であった。

この事件に対して、世間は紀州藩に非だった。そこへ土佐から後藤象二郎がやってきて問題解決を藩にあずけてはどうかといった。

また、この事件について、英国艦長の意見もきいたが、紀州藩に不利だといった。

もはや負けると思った紀州藩は、竜馬を斬ろうと考えた。

中岡慎太郎は岩倉具視に会いに行った。人物を確かめるためにである。

もはや時勢は岩倉のような卓越した策士こそ要求される段階に来ていた。

革命というのは、ある意味ではもっとも巨大な陰謀といっていい。それをやる側にとっては、神のごとき陰謀の才が必要だった。岩倉具視は中岡慎太郎の見込以上の謀才をもっていた。

懸案は四賢侯会議である。土佐の山内容堂が何を言い出すかが不安である。そこで中岡慎太郎は江戸から乾退助を呼ぶことにした。

この時期の退助は中岡慎太郎に心酔している。容堂に可愛がられたにもかかわらず、倒幕傾向が強い。そして中岡慎太郎は、退助を世に出そうと考えていた。いまは一介の土佐の士にすぎない。これを諸藩に知らしめなければならない。中岡慎太郎が退助を不運の表面に飛び出す基礎をつくってやった。

容堂が去った。同時に大事も去った。中岡慎太郎は星を仰いで長嘆息した。

朝廷が招集した四賢侯会議こそ、中岡の賭けていた革命の夢であった。この会議の続行中に宮廷工作で徳川討伐の勅命降下までもってゆきたかったのだ。

だが、逃げられた。

革命は人間の思いつく限りの最大の陰謀といっていい。陰謀は京で行われつつある。中核で動いているのはほんの数名である。

岩倉具視、西郷吉之助、大久保一蔵、中岡慎太郎、板垣退助である。

このころ長崎では竜馬が、いろは丸に関して紀州藩と大喧嘩をしていた。

そこに後藤象二郎が飛び込んできた。竜馬は後藤に乞われて京へ行くことになった。

頼むといわれた時点で、竜馬にはある案が出来ていた。「大政奉還」である。果たして出来るかどうかが問題である。

これを長岡謙吉と陸奥陽之助の二人に語った。二人の理解の速度は速かった。うまくいけば一挙に回天の業がなる方法である。

この「大政奉還」の案は竜馬の独創ではない。三年も前に勝海舟と大久保一翁から聞いたものであった。竜馬はそれを覚えていたのだ。

大政奉還を行っても、朝廷には政治能力はない。

そこで竜馬は八策を語った。長岡謙吉がそれを書き留めた。いわゆる「船中八策」である。

本書について

司馬遼太郎
竜馬がゆく7
文春文庫 約四二五頁
江戸幕末

目次

厳島
男ども
窮迫
清風亭
お慶
海援隊
弥太郎
いろは丸
中岡慎太郎
都大路
船中八策

登場人物

坂本竜馬
陸奥陽之助宗光…伊達小次郎
長岡謙吉
菅野覚兵衛
沢村惣之丞
高松太郎…竜馬の甥
新宮馬之助
中島作太郎
中岡慎太郎
土方楠左衛門
溝淵広之丞
勝海舟
大久保忠寛(一翁)
徳川家茂…十四代将軍
徳川慶喜…十五代将軍
原市之進…慶喜の腹心
桂小五郎…長州藩士
広沢兵助
西郷吉之助
大久保一蔵
小松帯刀
五代才助
岩倉具視
山内容堂
乾退助…後の板垣退助
後藤象二郎
福岡藤次
岩崎弥太郎
渡辺昇…肥前大村藩
大浦お慶
アーネスト・サトウ
高柳楠之助…明光丸船長
お登勢…寺田屋の女将
おりょう(お竜)…楢崎将作の娘
寝待ノ藤兵衛…泥棒
坂本乙女…竜馬の姉、坂本家三女
坂本権平…竜馬の兄、坂本家嫡男
春猪…龍馬の姪、権平の娘

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