司馬遼太郎の「竜馬がゆく」第5巻を読んだ感想とあらすじ(最高に面白い!)

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覚書/感想/コメント

★★★★★★★★★★
坂本龍馬三十歳の元治元年は、全てが長州を中心にまわった。

『この時期の長州藩の異常加熱は、浪人志士団の暴発をよび、池田屋ノ変を誘発し、さらに池田屋ノ変はそれに憤激した長州藩の大挙上洛となり、幕府の第一次、第二次長州征伐、竜馬の海援隊の活躍というように関連してゆく。』

これは、次にように続く。

『池田屋の変報が、瀬戸内海の舟便によって長州にもたらされたのは、数日後であった。
長州藩は激怒した。
もはや自重論は影をひそめ、来島又兵衛流の武力陳情論が、勢いをしめ、いそぎ京にむかって軍勢を進発させることになった。
幕末争乱の引金がひかれた。
ひいたのは、新選組であるといっていい。』

観念主義の長州人の激情が暴発したのである。そして、これを追いつめていったのが薩摩藩と会津藩である。

現実主義の薩摩藩は後に長州藩は手を結ぶことになるが、この時期に痛めつけられた怨みというのは長州の中で消えず、これが戊辰戦争における、長州の会津に対する徹底的なやり方へとつながっていくことになる。

いわば剣には剣を、攻撃には報復をという負の連鎖であり、これが双方にとって憎しみしか残さないのは、現在世界中で起きている紛争を見ればわかる。

この長州と会津の憎しみあいというのは、明治になってからも続くことになる。

本書でようやく本格登場するのが西郷吉之助(西郷隆盛)である。

これまでは長州藩が語られることが多かった。というのは、土佐系の浪士が多く関わっているのが長州藩だったからである。

この西郷と竜馬の出会いがあって、初めて後の維新の扉が開かれることになる。この出会いによって竜馬はもう一段階段を上ることになる。
竜馬と西郷は同型だったと司馬遼太郎は考えていたようである。

『勝は、竜馬と西郷を評している。
「坂本竜馬とは、西郷をぬけめなくしたような男だ」
という。同型だが、その点がちがうというのである。』

発想というか思想にも通じる所がある。

『「命も要らず、名も要らず、官位も金も要らぬ人は、始末にこまるものなり。この始末にこまる人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られるものなり」
竜馬にもこれに似た語録がある。かれの場合は西郷より逆説的で、西郷のような宗教政はないが、それだけにするどい。(中略)
たとえば、大事をなすという点でも、竜馬の語録では「世に生を得るは事を成すにあり」という点で西郷と一致しているが、すぐつづいて「人の事績を慕ひ人の真似をすることなかれ」といことを強調するあたり、山っ気がつよい。』

竜馬と西郷の出会いによって、回天の志士たちの大物が出そろうことになる。

ここに、竜馬が志士とは何かと語っている場面がある。

そして、国事にあたるということは、とどのつまり、こうした覚悟をもつことであると思う。

『「いま、国を憂えて、生命をすてて奔走している者の九割までは、代々暖衣飽食してきた権門貴族の子ではない。武士とはいっても足軽同然の身分の者か、それとも町人百姓の出の者である。籐兵衛、志さえもてば、前身がなんであろうとかまわぬことだ」
「志士とは」とも、竜馬はいった。「すでにその名が冠せられたときに、いのちは無きものとおもっている者のことだ」』

小説(文庫全8巻)

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内容/あらすじ/ネタバレ

元治元年は長州藩の動きであった。この頃の長州はその体質を嫌われたといえる。皮肉なことに、長州人がこのひとのためなら命をも捨てようとした天皇から最も嫌われた。

長州の向こうには朝鮮があり、自然海外への感覚が鋭敏なのが長州であった。この長州が暴走を始めたのは、吉田松陰が松下村塾をひらいて門人を駆りたててからのこととされるが、単に松蔭だけではない。実物教育があった。それは文久元年に露国軍艦が対馬に上陸したことである。

長州に来島又兵衛という敬愛されている人物がいる。当時の志士の中では最年長に属している。又兵衛は単なる武人ではなく、数字にも強かった。

その来島が薩摩の島津久光ら君側の奸をたたっ斬るつもりで兵を率いて上洛しようと考えていた。

長州藩庁は勤王派が牛耳っており、周布政之助が領袖といってよかった。周布も激烈の性情の人だが、それでさえ来島の上洛に反対した。
さらに来島の話を聞いて驚いたのが藩公、世子であり、その慰留の使者に高杉晋作を指名した。晋作二十六歳。

晋作と面会した来島は、藩の安危などはどうでもいい、万世に汚名が残るか残らないかの瀬戸際であり、暴発あるのみといった。晋作も、その通りだ、と叫びたい。慰留の使者のくせに、本心は来島と全く同じなのである。

高杉晋作は、脱藩して、京・大坂の情勢を偵察してくるといいだした。その間の暴発は待ってくれないかと来島に頼み、来島もうなずいた。
高杉は革命家としての天才は幕末随一であろう。幕末には雲の如く人物が出たが、高杉晋作は革命以外には使い道がないほどの天才であった。

平和の時代に生まれていれば、飲んだくれの蕩児として近親縁者の厄介者であったかもしれない。

政治、軍事の才があったが、革命期の政治、軍事で、それ以前・以後の日本では役にたたない。いわば、明治維新を起こすために生まれてきたような男である。

大坂に着いた高杉晋作は藩邸に入って政情を聞いた。そして薩摩の島津久光を殺そうと考えた。高杉は生還を期していない。

この大坂で高杉は土佐脱藩の中岡慎太郎に再会した。中岡はなかば長州人化しており、高杉とは莫逆の仲であった。

中岡は長州藩を大挙東上させ、京都大坂にいる浪士と共に決起し、京都にクーデターを起こして攘夷政権を樹立しようと考えている。

それには本藩を説かねばならない。ちがいないと思った高杉はいそいで帰国した。

一方、高杉の帰国が待ちきれないのが来島又兵衛である。そして高杉が中岡と戻ってきたと思ったら、脱藩の罪で牢獄に放り込まれてしまう。高杉は牢獄にあったため、誘爆を重ねていく争乱の中で討ち死にしなかったといえる。

来島又兵衛が決死の遊撃軍有志五十数人を連れて、大坂に飛び込んだ。飛び込んだとしかいいようのない勢いである。

来島が来たのを、桂、久坂らが暗然と見守った。そして京の情勢を説き、口酸っぱくして暴発せぬようになだめた。だが、又兵衛は、腰抜け、と大喝一声した。

来島が来て数日後、島津久光が突如帰ると言い出した。諸藩の世論がひどく自分に冷たいことがわかり嫌気がさしたらしい。これを斬ると息巻いた来島だが、計画が漏れてしまう。

だが、エネルギーのある男は行動目標に不自由しない。目標を京都守護職会津中将松平容保に定めた。

古高俊太郎という浪士がいる。町人の風体をしており、枡屋喜右衛門と名乗って表向きは道具屋を営んでいる。来島は物騒な道具をこの長州系間諜の古高から仕入れている。

来島又兵衛の作戦計画は凄いものだった。

この京都決起の話しが神戸の塾にも届いた。みな動揺し、行くという。今は力を培養する時だと思っている竜馬は皆を説得した。だが、数人は血の鎮まらぬものがいる。北添佶摩と望月亀弥太である。

竜馬はこの二人をみて、北添も亀も死ぬなあ、と暗然として見た。

竜馬のところに北海道への屯田兵計画の件が届いた。

遅い。

事態は加熱してしまっている。暴発で皆死ぬ。竜馬はそう見通していた。

ともあれ、竜馬は江戸へ急行することにした。その間、神戸塾が暴発しないように後事を陸奥陽之助に頼んだ。

新選組が枡屋が怪しいと目を光らせ始めた。一方で、新選組首脳の間では池田屋の方が疑惑が濃いと見ている。

この新選組が古高を引っ張った。そして京都焼き払いの陰謀が事実であることを知り戦慄した。

その頃、桂小五郎は暴発しようとしている来島又兵衛を説得するために、池田屋に行くことにした。

この夜、池田屋に集まった人数は二十二、三人である。当時の最も先鋭な志士群である。

そこに新選組局長近藤勇らが飛び込んできた。「池田屋ノ変」が起きたのである。

「池田屋ノ変」の知らせが長州にもたらされたのは、数日後であった。長州藩は激怒した。

もはや自重論は影を潜め、いそぎ京に向かって軍勢を進発させることになった。幕末争乱の引き金が引かれた。ひいたのは新選組だった。
人間の大津波がおこった。

江戸にいる竜馬にも池田屋の変のことが耳に入った。詳しく聞き、やがて黙然とした。北添佶摩も望月亀弥太も死んだ。

この事件は、この時期の竜馬から何もかも失わせた。

勝もこの事件を不快とした。幕臣たちはことごとく快哉を叫んでいた。殺し合って何になるのか。

竜馬は江戸を去った。そしてその生涯のうち、ふたたびとは江戸の土を踏まなかった。

神戸海軍塾に戻った竜馬は塾中が騒然としているのを見た。だが、動揺は竜馬が戻ると同時にぴたりとおさまった。

留守中の京・大坂の動きは陸奥陽之助がした。竜馬の秘書官としてこれほど役にたつ男もいなかった。

京都は騒然としている。ひっくり返るような騒ぎになったのは、来島又兵衛の移動であった。

この京に薩摩藩の西郷吉之助がいる。複雑な情勢のなかで、重臣・小松帯刀を助けて薩摩藩の舵取りをつとめている。その西郷が長州軍、撃つべしと判断した。西郷の判断は、薩摩藩を中心とした勤王主義の樹立である。

この乱は、長州が朝敵となるか、薩摩が朝敵になるか、そのわかれめであった。つまりは天皇の奪い合いである。この点、将棋とかわらない。玉をとった方が勝ちである。このことを長州軍の中で最も鋭く知っていたのが来島又兵衛であった。

この騒乱を「禁門ノ変」または「蛤御門ノ変」という。

長州軍は壊滅した。

京の異変を知った勝は機敏に行動した。この目で見ねばわからぬ。勝は竜馬とともに現場を見に行った。

九月になった。勝は大坂城内におり、竜馬は神戸の海軍塾にいた。

竜馬が大久保一翁をたずねると、勝が罪を得そうだという。海軍塾に絡んでのことだ。

その頃、勝は西郷吉之助と会っていた。西郷が薩摩藩を代表して勝に会うのは、幕府ははやく長州征伐しろということである。

だが、西郷は勝から痛烈な幕府批判を聞かされることになる。そして列藩同盟の考えを示した。西郷は息を呑んだ。クーデターではないか。
竜馬が京を偵察に行くというので、それならと勝は薩摩藩邸に西郷吉之助を訪ねてこいといった。

西郷は敬天愛人という言葉を好んだ。これほど私心のない男はなかった。哲人というほかない。

竜馬と西郷はお互いを観察し合った。互いに今まで見たことのない型の奴だと思った。

竜馬は西郷に聞いた。長州憎しはわかるが、天下に頼むに足る雄藩は薩摩と長州のみである。もし両藩が手を握ることが出来たら、日本のためだと思うのだが、如何。西郷は、よいことならと返事をした。

神戸の海軍操練所が解散になる。幕府がいきなり勝に江戸召還を命じたのだ。事実上の学校閉鎖命令である。

大半を占める浪士の始末をどうするかが問題である。勝と竜馬は相談した。

竜馬はそこで軍事会社を作ると要った。つまりは私設艦隊である。戦争と通商の浪人会社である。その大株主として薩摩藩を考えていた。
薩摩藩の家老・小松帯刀に竜馬は会った。ともに天保六年の生まれである。

この小松帯刀に竜馬は自分の考えを伝えた。小松は藩の経営に敏感であり、竜馬の考えを理解した。

浪士の内、陸奥陽之助らが竜馬とともに行動することになった。その数二十数名。土佐が最も多く、十二人。ついで松平春嶽の越前藩から六人いた。

このこと如くが薩摩藩に匿われることとなる。

陸奥と無駄話をしていると、中島作太郎と池内蔵太のふたりが長州に行きたいといいだした。

長州は恭順の立場にかわっている。藩政は佐幕派に握られ、先年とは打ってかわった態度である。勤王派は藩政府を追われ、高杉晋作は藩外に逃げ出し、周布政之助は自宅で切腹、桂小五郎は禁門事変後行方不明である。

その長州から帰ってきた中島作太郎は様子を竜馬に語った。

七卿落ちの時の公卿が五人に減り、これを護衛しているのが土方楠左衛門ら土佐系の志士たちだった。

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本書について

司馬遼太郎
竜馬がゆく5
文春文庫 約四三〇頁
江戸幕末

目次

防長二州
池田屋ノ変
流燈
変転
菊の枕
摂津神戸村
薩と長
元治の暮

登場人物

坂本竜馬
陸奥陽之助宗光…伊達小次郎
菅野覚兵衛
池内蔵太
中島作太郎
勝海舟
大久保忠寛(一翁)
徳川家茂…十四代将軍
孝明天皇
生島四郎太夫…神戸の庄屋
高杉晋作…長州藩士
来島又兵衛…長州藩士
周布政之助…長州藩士
久坂玄瑞…長州藩士
桂小五郎…長州藩士
乃美織江…長州藩士
古高俊太郎…長州系間諜
北添佶摩…土佐藩士
望月亀弥太…土佐藩士
宮部鼎蔵
真木和泉
中岡慎太郎
土方楠左衛門
近藤勇…新選組
島津久光
西郷吉之助
小松帯刀
中村半次郎…後の桐野利秋
吉井幸輔
山内容堂
乾退助…後の板垣退助
後藤象二郎
福岡田鶴
お登勢…寺田屋の女将
おりょう(お竜)…楢崎将作の娘
峰吉少年
寝待ノ藤兵衛…泥棒
千葉貞吉
千葉重太郎…貞吉の息子
千葉さな子…貞吉の娘
坂本乙女…竜馬の姉、坂本家三女
坂本権平…竜馬の兄、坂本家嫡男
春猪…龍馬の姪、権平の娘

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