宮城谷昌光の「奇貨居くべし」(第一巻、第二巻、第三巻)を読んだ感想とあらすじ(最高に面白い!)

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覚書/感想/コメント

★★★★★★★★★★
中国史上ではじめて民主主義をかかげて、皇帝と激しく対立することになる秦の宰相・呂不韋を描いている。

呂不韋は若い頃に商売を行っていたことで知られる。

同じく若い頃に商売を行っていたのに管仲がいる。管仲は名宰相中の名宰相であるが、これに比肩できる宰相は上古にいたと言われる伊尹しかいない。伊尹は料理人であり、二人とも貴族の生まれではない。

さて、呂不韋の氏は呂である。とすると、姓は姜となる。太公望と同じ姓なのである。

前半の三巻は呂不韋の少年時代から青年時代を描いている。

様々な人物達との出会いで、成長していく姿が克明に描かれており、この小説の面白い部分はこの前半の三冊に全てが詰まっていると言っても過言ではない。

後半の二冊は呂不韋が政治家としての道を歩み始めてからのことが書かれるわけだが、正直前半の三作に比べると面白味に欠けるきらいがある。

前半で登場する偉人達は、孟嘗君をはじめとして、魏冄、唐挙などであり、こうした人物は宮城谷昌光氏の他の作品でも見られる人物達である。
異色なのは荀子の登場かも知れない。

その荀子が語る言葉に次のようなのがある。

『花をみよ。早く咲けば早く散らざるをえない。人目を惹くほど咲き誇れば人に手折られやすい。人もそうだ。願いやこころざしは、秘すものだ。早くあらわれようとする願いはたいしたものではない。秘蔵せざるをえない重さをもった願いをこころざしという。なんじには、まだ、こころざしがない』

他にも数多くの印象的な文言が散りばめられているのが前半の三作である。

例えば、呂不韋が人との交わりについて考えた時に、

『水はほとんどにおいがしないのに、水を煮ると、においが生ずる。物がそうであれば、人もそうであろう。人が熱気を帯び、心が沸けば、その人の本当のにおいがする。』

と考え、また、己の見識の狭さを鑑みて、次のように述べている。

『見聞の豊かさのうしろに知識がないと、見聞を位置づけることも、深めることもできない』

商人を目指すことになる呂不韋に対して、人相見の唐挙は

『侈傲の者は亡ぶ。貴賤を問わず。(中略)侈傲でありつづければ、三代で亡ぶ。(略)』
続けて『(略)呂氏よ、なんじがいかなる財を成し、いかなる高位にのぼっても、そういう愚行をなしてはならぬ』

と忠告を与える。

呂不韋は驥尾に附すことを好まなかった。努力を積み重ねれば、驥に追い付くことができると信じていた。

だから、

『人が出会うことも、凶や吉を産む。相手の運気に馮られることもあろう。それゆえ強運をもたぬ者は、自分の幸運を待つよりも、強運の人をさがしあてて、その人に付いたほうが栄誉を得やすい。
「驥尾に附す」
とは、それである。それが世知なのである。』

とは思わない。

それでも、
『成功には幸運という偶然が付加されている。孟子の言を借りれば、
「天の時、地の利、人の和」
が、成功をつくったのであり、その時、その場、その人がそろっていなければありえぬ成功であろう。(中略)ほんとうの成功をめざすのであれば、他人ではなく自分がやらぬことをやらねばならない。これには過去の成功を古いものとして棄て去る勇気が要る。成功するために培ってきた思考さえこわさなければならぬかもしれない。』

とも考えるのだから面白い。

さて、前半では斉の孟嘗君の他に「戦国四君」の内、楚の春申君が重要な登場人物として登場する。

春申君とは黄歇のことである。

他の二人、趙の平原君、魏の信陵君は後半の二冊において登場する。

最後に。

「合従連衡」という言葉がある。世界史で習ったことのある人も多いだろう。だが、この言葉は地理的な把握をしていないと分かりづらい。

横に結ぶと秦、韓、魏、斉となり、これが連衡である。これは地理的にこの様に国が並んでいると想像すればいい。

だから、合従の縦というのも地理的な繋がりであり、それがどのようなものになるかは、歴史地図などを持ち出して調べてみると面白いかと思う。

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内容/あらすじ/ネタバレ

十五歳になった呂不韋(りょふい)は、三十になったばかりの鮮乙(せんいつ)と彭存(ほうそん)と旅に出させられていた。鮮乙は呂不韋の父の店で働いているものである。

呂不韋には母がいない。義母はいるが、兄や弟に対する態度と呂不韋にむけられる態度とは明らかに異なる。

旅に出ることになったのは、彭存がやってきてからである。父にいわれ、鉱山をおしえてもらえというのだ。

道中で韓と秦が連合して斉を責める軍を目撃した。秦と連合しているのは、韓だけでなく、魏も趙も燕もそうらしい。斉の湣王(びんおう)の驕慢が招いた結果であった。

三人が見たのは、斉を滅亡寸前に追いこむ軍の一部であった。

この年を境に、秦と斉の二強の時代が終わり、秦の一強時代がはじまることになる。

旅は呂不韋という内向の少年を変えつつあった。

彭存がめざしていたのは、黄金の山だった。岩を採取し、それを邯鄲にもってゆき、黄金の含有量を調べることになる。

彭存は黄金の山には気が立つという。そして、黄金の気は地から立つばかりではない。人からも立つという。

その黄金の気が呂不韋に立っているのを見た。

彭存と別れ、呂不韋と鮮乙は邯鄲を目指した。途中で舞子の小環(しょうかん)と知り合う。

二人は真っ直ぐには邯鄲を目指さず、鮮乙の妹がいるという中牟を目指した。妹の名は鮮芳(せんほう)という。今は親戚の養女になっているという。

鮮乙の親戚は冥氏という。呂不韋は冥氏に良い印象を持たなかった。

この時。秦の前の宰相を穣侯という。姓名は魏冄(ぎぜん)という。今の秦王を生んだ宣太后の異父弟であり、真の実力者である。

呂不韋と鮮乙は邯鄲を目指した。鮮乙の妹・芳も邯鄲にいることが分かった。

その途中で二人はあることから「和氏の璧」と呼ばれる楚の国宝を持つことになってしまう。

この旅は鮮乙にとっても驚きの連続であった。彭存は呂不韋に黄金の気があるといい、冥氏に向かって呂不韋は鮮乙を家宰にするといい、途中では「和氏の璧」を手にし、雀氏は呂不韋と親交しようとする。

呂不韋には並はずれた気があるようだ。そうした人物に、人も物も寄り集まるのである。

邯鄲に着き、二人は鮮芳の家を訪ねた。

呂不韋と鮮乙は和氏の璧について話した。そして楚が趙と結ぼうとしていることが読取れた。

この鮮芳の家を藺相如(りんそうじょ)が訪ねてきた。連れがいる。楚人である。藺相如のこの時の身分はたいしたことなかった。連れの楚人は黄歇(こうけつ)といい、後の春申君であった。

この黄歇こそが本来「和氏の壁」を持っているはずの使者であった。呂不韋は「和氏の璧」を返すことで黄歇の知遇を得た。

呂不韋は藺相如の客となることになった。邯鄲にとどまり、見聞を蓄え、学問もしたいと思ったのだ。趙には仕官するつもりはないが、帰るのは三年先になるだろうと思っていた。

その頃、秦の宰相・魏冄は陀方(たほう)に会い、報告を受けていた。

魏冄は「和氏の璧」が趙王に渡ったことを昭襄王に伝えた。そして、魏冄は一計を案じた。

十五の城をさしあげるから、「和氏の璧」を寄こしなさいという使者を趙へ送ったのだ。すでに「和氏の璧」のことを知られていることに趙王・恵文王は恐れおののいた。

秦の要求を飲むための使者が往くことになった。

藺相如が秦への使者となった。出発の際に藺相如は「完璧帰趙」と明言した。これに呂不韋が従者の一人としてついていくことになった。
藺相如は秦が十五の城を割譲するつもりがないことを見定めた。

孟嘗君が動いたという知らせが魏冄の元に届いた。

この中、藺相如は奪い返した「和氏の璧」を呂不韋に託し、藺邑に逃げて欲しいと頼んだ。

呂不韋は何とかたどり着いたものの、すぐさま病に倒れた。それを救ってくれたのは僖福(きふく)であった。

この後、藺相如が帰還した。奇蹟といってよかった。

病が快復した所で、呂不韋は邯鄲にもどるように藺相如にいわれた。だが、その矢先に秦軍が藺邑を攻めてきた。将軍は白起(はくき)である。

捕虜となった呂不韋は奴隷として穣へ連れて行かれることになった。この時、呂不韋の側に雉(ち)という少年がいた。

もう一人、知人ができた。孫という。姓名は荀況である。いわゆる荀子である。戦国末期にあらわれた思想界の巨人である。この荀子から呂不韋は数多くのことを学んだ。

魏冄が突如として趙の宰相となった。慌てたのは秦の昭襄王であった。魏冄を宰相に復位させ、さらには陶を与えた。破格の待遇であった。

魏冄は楚を滅亡させるつもりでいた。

呂不韋は輜重兵となり軍需を運んでいた。これを楚軍が襲った。この混乱の中で、呂不韋と雉は離ればなれになってしまう。

楚軍の隊長は黄歇の臣下であった。呂不韋は黄歇に再会し、桑衣(そうい)というものをつけてくれた。その桑衣が別れの時に、栗(りつ)というものをつけてくれ、呂不韋は東へと向かっていった。

呂不韋は小環と再会していた。小環は十六歳。呂不韋は十九歳であった。呂不韋は寿春の春平(しゅんぺい)の所を目指した。

ここで希代の人相見である唐挙(とうきょ)と出会った。唐挙は呂不韋と小環を見て、倓慶(たんけい)に対して、呂不韋は三十五年以内に位人臣を極めるといい、小環には至上の色が見え隠れしているという。

唐挙がとどまっている間、訊ねてくるものが後を絶たなかった。その中に田焦(でんしょう)がいた。唐挙は田焦にたいして、農業が適しており、秦へ向かってはとすすめた。

呂不韋は南芷(なんし)と名乗る女性とも知り合った。唐挙にはこの南芷が王后になる姿が見えていた。

小環を唐挙が預かることになった。呂不韋は伯紲(はくせつ)への使いを頼まれた。

倓慶はこの使いのために、弟子の一人で高告の子・高睟(こうすい)をつけてくれた。向かう先は慈光苑と呼ばれているらしい。そこで伯紲は孤児や寡婦などをひきうけて養っているようだ。

呂不韋はここで農学者の黄外(こうがい)と出会う。そしてこの慈光苑に雉がのがれてきていた。

慈光苑に一人の老人がいた。呂不韋はこの老人に気に入られたようだった。この老人こそ、孟嘗君(もうしょうくん)であった。

呂不韋には食客の中で最も上位の代舎が与えられた。賓客として扱われたのだ。

呂不韋は薛におよそ一年おり、ここで成人になった。実家を出てから五年が経っていた。

慈光苑にいるときに、孟嘗君が薨じたと知った。そして、このことにより孟嘗君の子の間で争いが起き、慈光苑もこれに巻き込まれる。
食客の段季(だんき)は孟嘗君の死とともに薛を去った。

呂不韋は同じく食客であった申足、申欠(しんけつ)親子に頼み事をした。それは慈光苑の民を救い、伯紲と黄外を救うものである。そのために、秦の魏冄を頼るしかない。側近の陀方(たほう)への連絡を頼んだのだ。

絶望している慈光苑の中に、維(い)という少女がいた。

張苙(ちょうりゅう)という謎の男が慈光苑にやってきた。向夷(きょうい)という従者を従えている。陀方の手のものであった。

呂不韋は雉の下にいる畛(しん)らの助けによって慈光苑を脱出することができた。慈光苑を脱出した呂不韋や黄外や民は陶へ入った。紀元前二七九年のことである。

黄外らは農業を良くするので厚遇された。秦は農業に力を入れている。

受け入れた陀方は陶の司寇(警察長官)である。招かれた呂不韋は黄外を助ける人物として田焦を招聘したいと述べた。

この旅に向夷が同行することになった。

盗賊に襲われて逃げた童子にあった。童子は旬(じゅん)といった。

旬の姉と祖父が襲われたのだ。この姉は楚の王女らしい。だが、それを知った呂不韋はこのことを胸の中にしまった。姉の名は袿(けい)といった。

田焦を探す中で、栗が強制労働に従っていることを知った。そして田焦も居場所も突き止めた。

実りの多い旅だった。呂不韋はこれから歩かねばならぬ道を見定めたことが特に大きかった。

陀方は呂不韋に食客になれといったが、呂不韋は商人の道を歩む決意を固めていた。

鮮乙と再会した呂不韋は資金を魏冄にださせるつもりでいると語った。

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本書について

宮城谷昌光
奇貨居くべし(一、二、三)
中公文庫 5冊計約一七八〇頁
戦国時代 紀元前3世紀

目次

金山への旅
黄金の気
邯鄲への道
和氏の璧
邯鄲
ふたりの客
若い食客
道家入門
秦への使者
章台
怒髪衝冠
草廬の老人
明暗のかなた
流下
孫先生
別れの戦場
変転
暮愁
春水のかなた
唐挙の予言
遠雷
夜の佳人
活人剣
慈光苑
薛の邑
異変の秋
慈光苑の危機
それぞれの去就
謀略
逃避行
夢の遺産
無用の長物
盗賊
悪夢のあと
黄河のながれ
旅情
初雪
去来する人
渠水工事

登場人物

呂不韋




小琦…畛の姉
鮮乙
鮮芳…鮮乙の妹
小環…舞子
恵文王…趙王
藺相如…趙人
僖福
芊老
高告
黄歇(後の春申君)…楚人
桑衣
孟嘗君
段季
申足
申欠
魏冄(穣侯)…秦の宰相
宣太后…魏冄の異腹姉、昭襄王の母
昭襄王…秦の王
陀方
葉芃
葉偲
白起…将軍
張苙
向夷

西袿…旬の姉
孫(荀子)…戦国期の思想家
慎氏…道家
唐挙…人相見
倓慶…剣術の達人
春平…寿春の商人

田焦
南芷
伯紲
叔佐
高睟…高告の子
黄外
蔡沢
鄭国
馬…少年
雀氏
東姚…呂不韋の義母
呂孟…呂不韋の兄
呂季…呂不韋の弟
彭存

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