宮城谷昌光の「俠骨記」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント


★★★★★★★☆☆☆

古代中国を舞台にした短編集。

それぞれ時代区分が異なる。時系列で並べると次のようになる。

「布衣の人」が最も古く、三皇五帝時代の一人「舜」を描いている。作中ではほとんど「俊」として書かれている。

伝説の時代であり、それが何世紀頃であるかはわからない。

次に「甘棠の人」が来る。これは周王朝を太公望と共に支えた召公奭が主人公で、紀元前11世紀頃が舞台。殷から周へ移行する時期を描いている。

宮城谷氏は全く同じ時期を他の作品でも描いている。「太公望」と「王家の風日」である。

本作を読めばわかるが、この時期の軸となるのは商(殷)、周、羌、召である。

このうち、周と羌の視点から描いているのが「太公望」であり、商の視点から書かれているのが「王家の風日」であり、召の視点から書かれているのが本作である。

これらを全てあわせて読まれると異なる視点から全体像が把握でき、奥行き深く読めるのではないかと思う。あわせて読まれることをオススメする。

三番目もしくは四番目に来るのが「侠骨記」。管仲が治めていた斉の隣国・魯の将軍曹劌が主人公。曹劌は曹沫とも書かれる。紀元前7世紀。

密接に関係のある管仲については宮城谷氏は「管仲」で描いているので、あわせて読まれるとよいだろう。

同じく三番目もしくは四番目になるのは「買われた宰相」。奴隷から秦の君主に買われ宰相となった百里奚が主人公。紀元前7世紀。

秦という国は西の外れにあり、中央からは外れていたにもかかわらず、春秋時代・戦国時代を通じて強国であり続けた印象が強い。人も積極的に登用し、定期的に優れた宰相や名君が出てくる。最後には始皇帝を出した国でもある。

百里奚もそうした名宰相の一人である。この宰相が秦に買われたのは七〇才という年齢だった。

内容/あらすじ/ネタバレ

俠骨記

周の荘王十二年(紀元前六八五)。春秋時代の初期、魯に曹劌(そうかい)という人物がいる。

魯は文化国家としては一級だが、軍事は二級だ。この魯に斉の公子・糺が亡命してきた。前年に斉で君主が殺されるほどの乱が起き、魯と斉の関係は悪化した。

ところが斉の君主が殺され、首座が空になった。魯の君主・同は糺を斉の君主に推すために動き始める。補佐しているのは管仲だ。糺と同じく首座を狙うものに小白がいる。補佐しているのは鮑叔である。

斉の君主におさまったのは小白であった。

小白は魯に管仲を渡すように求めた。管仲は斉に戻って執政に推挙された。

宴会の席で曹劌は戦の仕方を君主に教えるために都へ上ると言った。里人たちは呆れた。

曹劌のねらいは臧孫達(ぞうそんたつ)である。君主を動かせるのは首相しかいない。曹劌は陰の参謀としてでも良いから魯軍を勝利に導きたい。

曹劌は孫の臧孫辰(ぞうそうしん)に会うことができた。

曹劌は臧孫達に地図を見せた。魯の国内で行われた戦闘などが書かれている。精巧な戦役図譜である。

曹劌は長勺で戦いがあると予言した。それは来春だという。

果たして長勺で斉軍と魯軍は対峙し、魯軍は見事に斉軍を撃破した。

曹劌は役目を果たしたと思ったので、帰郷を願い出たが許されなかった。魯君・同は曹劌に兵を率いてもらうつもりでいたのだ。

一方、魯が急に強くなったことに用心した斉の小白は宋と協同して魯を攻めることにした。この共同軍も魯軍は再び破った。

曹劌は破格の昇進を遂げ、大夫となった。

斉では管仲が中心となって改革が行われていた。

斉は会盟をすることにし、魯にも出席を求めたが魯は断った。これを機にして斉は再び魯を攻め、魯は苦しい状況に陥る。そして、魯君・同はついに斉の小白に頭を下げに行くことになるのだが、ここで曹劌は一つの賭にでた。

布衣の人

父は後妻を得てから人が変わったように俊(しゅん)に接した。俊はこれを自分の孝公が足りないからだと責めた。だが、この一家を全て支えているのは俊であり、周囲の人間は皆それを知っていた。

羊をつれた見慣れぬ集団がやってきた。男は俊を見て異相だといい、ここの土は悪いので西北へ移りなさいと忠告してくれた。男は羌由(きょうゆう)と名乗った。

俊は父を背負い、母をせき立て、弟の手を引いて西北を目指した。弟の名は象(しょう)という。

途中の村である長老が俊こそが待ち望んでいた聖人だといいはじめた。気がつくと俊はすっかり君主となっていた。

俊は、人の上に立つ者は、人より早く起き、人の先に立って働き、人の倍働かねばならないと考えている。

象はそんな兄の姿を見て、さかしらぶっていると考えていた。

俊は歴山にゆき、そこを切り開いた。

一年後には村ができ、二年後には邑ができ、三年後には都となった。

俊に一つの転機が巡ってきた。帝からの使者がやってきたのだ。使者は羌由だった。羌由によると、中央政府では凄まじい権力闘争が行われているという。そこへ羌由は帝の与力として俊を引きずり出そうとしていた。

俊は父母と弟だけを連れて都へ上った。俊は客としてもてなされた。帝の名を尭(ぎょう)という。

俊は歴山と似た地形を探し、居をかまえた。そこも一年後には村ができ、二年後には邑ができ、三年後には都になった。

それを見た尭は娘を俊に帰嫁させようと考えた。このことを知った弟の象は父母に訴えた。

象が俊に敵愾心を燃やしていることを知った鯀(こん)は象に近寄り、俊を殺せと囁いた。俊は弟や父母から殺されそうになり、その度に哀しんだ。

やがて尭の後を狙う者達が失脚して行き、俊が朝廷の顕職に就くことになる。

俊は舜とも書かれる。

甘棠の人

望(のちの太公望)は召の国を目指していた。望は周の昌の知遇を得ていた。望は羌族の出身で、今羌族は周と手を結んで商王(殷)の都を攻め上ろうとしている。だが、兵力の差が著しい、そこで召と手を結ぶべく動き始めたのだ。

召の政は嗣子の奭(せき)が概ね行っている。

召は望の提唱を完全に拒むことはしなかった。この後、望は再三やってきた。奭は召の君主の座にあり、ふたりには妙に通うものがある。

望は訃報を持って召へやってきた。周の昌が死んだのだ。まさにこれからという矢先だった。だが、と望はいう。太子が東方へ出師すると。これを助けて欲しいのだ。太子は発という。

周召連合は商軍をやぶり革命は鮮やかに成功したかに思われたが、今度は発が死んでしまった。

発には子がおり、生前に召公の奭に養育をまかせようとしていた。奭はこれに賛嘆し、周王朝のために尽力することを決意していた。

買われた宰相

春秋時代の紀元前六九四年。斉へ向かう男がいた。名を百里奚(ひゃくりけい)という。

生国は許である。かつて百里奚はいったん滅ぼされた許を再建するために一生懸命だった時機がある。それが果たされると、斉へ向かっていった。だから斉は初めてではない。

斉では蹇叔(けんしゅく)という名家の次男と親しくなっていた。蹇叔は百里奚の才を認め、助けていた。

百里奚は斉の公孫無知に仕えることができそうだというと、蹇叔はやめろと忠告した。百里奚は他の家も訪ねていたが、どうやら管仲が登用を邪魔してきていたらしい。

百里奚と蹇叔は成周に来ていた。百里奚は五十才になっている。ここで百里奚はいったん仕えたものの、主が非命に倒れた。

蹇叔は希望を捨てなかったが、百里奚はぶら下がった仕官の口に飛びついた。二人は訣別することとなる。

百里奚は攻めてきた晋公に捕まえられた。この晋公が秦に嫁がせた娘の付き添い人の一人として百里奚を秦へ向かわせた。付き添い人とは、悪く言えば奴隷だった。

秦に禽息(きんそく)という臣がおり、これが百里奚に目を止めた。禽息は百里奚を推挙しようとしたが、百里奚はこれを拒み、その間に逃亡した。だが、向かった先で捕まり家内奴隷になっていた。

これを知った秦公は百里奚を五羖羊で買い取った。羖とは黒い牡羊のことである。

百里奚はおのれを命を賭して推挙してくれたのが禽息であるとは知らないが、目の前の秦公は待ち望んでいた英主であった。

百里奚が仕えることが決まったのと同時に、蹇叔の招聘も決まったようなものだった。百里奚は七〇才を超えていた。

本書について

宮城谷昌光
俠骨記
講談社文庫 約二五〇頁

目次

俠骨記
布衣の人
甘棠の人
買われた宰相

登場人物

俠骨記
 曹劌
 同…魯君
 臧孫達
 臧孫辰
 慶父
 小白…斉君
 管仲
 鮑叔

布衣の人
 俊
 象…俊の弟
 羌由
 放斉
 尭…帝
 鯀

甘棠の人
 奭…召君
 太公望

買われた宰相
 百里奚
 蹇叔
 禽息

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