宮城谷昌光の「孟夏の太陽」を読んだ感想とあらすじ

覚書/感想/コメント

★★★★★★★☆☆☆

晋の文公(重耳)を支えた趙衰の子・趙盾からはじまり、趙盾の息子・趙朔、趙朔のひ孫・趙鞅、趙鞅の子・趙無恤という趙家四人を扱った短編集。

趙家の歴史とはそのまま晋の歴史でもあり、いわば「重耳」の関連本の一つで、または、「重耳」からの派生として読んでみても面白いのではないかと思う。

短編のそれぞれの題名には工夫が凝らされている。

趙盾は長男であるがゆえに孟と呼ばれる。孟夏の孟はこれにかけているのは言うまでもない。孟夏とは陰暦の四月、もしくは初夏を指す。もしかしたら、この題名の場合、も少し違う意味を込めているのかもしれない。

次ぎに、趙朔を扱った「月下の彦士」の題名は趙朔本人を指しているのではなく、趙家のために働いた程嬰と杵臼の二人を指している。彦士という言葉は広辞苑にも収録されていないほどの言葉であるが、読めばその意味するところは何となくわかるのではないかと思う。

趙鞅には桃というキーワードを与えることによって、そのイメージをつくっている。

趙無恤を扱っている「隼の城」の隼には趙無恤のことを指しているというのもあるだろうが、趙鞅のことを指しているという側面もある。この場合の城とは晋陽であり、晋陽の経営に力を入れたのは趙鞅だったからである。また、題名が隼であり、鷹ではないという点にも作者の意図があるのではないかと考える。

さて、趙無恤の時代にいた知瑤の死によって春秋時代が終わったという見方がある。知氏の領土は三分割され、趙、韓、魏(これをあわせて三晋という)の領土に加えられる。紀元前四五三年である。趙、韓、魏は晋の家臣の家柄であるが、もはやそれは独立した国家となった。

本書に続くものとしては、趙家の版図を最大にした武霊王が主要人物となる「楽毅」がある。趙無恤から数えて七代後の話しである。

これを時間軸の縦軸とすると、横軸となる本書と同時代を扱った物としては「沙中の回廊」がある。士会を扱った小説で、趙盾を描いた「孟夏の太陽」と同時代である。

あわせて読まれると良いと思う。

内容/あらすじ/ネタバレ

孟夏の太陽

十九才の趙盾(ちょうとん)は狐氏の邑にいるが狐氏の族人ではない。

盾が生まれる前の年に重耳(ちょうじ)が狐氏の邑にやってきた。ここで重耳は臣下の趙衰(ちょうすい)に叔隗(しゅくかい)を娶らせた。二人の間に生まれたのが趙盾である。

盾が十才の時に重耳は邑を去り、父の趙衰も重耳に従った。重耳主従には、予想を上回る苛酷な旅が待っていた。

盾にとって趙衰は父でもあり、学問の師でもあった。父が去ってからは母が師となった。

やがて重耳が晋の君主となった。だが、父・趙衰から母子を呼び寄せる使者が来ない。悪い噂があり、趙衰は重耳の娘を娶ったという。娘は
君姫(くんき)とよばれる。

趙盾と叔隗は趙家に入った。君姫は正室を叔隗に明け渡して後室に退いた。君姫は三人の子を産みながらも、いずれの子にも趙盾を長兄として敬うように厳しくしつけた。

趙衰が重耳の死におくれること六年で逝去した。趙盾が趙一門の総帥となった。三十三才である。

趙盾は趙孟と呼ばれる。孟とは長子をあらわす。

趙盾は父と違った意味で欲のない男である。その趙盾に試練が待っていた。

趙盾は中軍の佐に任命されたが、半月も立たないうちに中軍の将になった。つまり元帥となった。中軍の将とは軍事の最高責任者でもあるが、閣臣の正卿(首相)でもある。このからくりをおこしたのは陽処父(ようしょほ)という。これを恨んだのは賈季(かき)である。

そんな頃、晋君が病没した。

後嗣問題が浮上した。趙盾は秦にいる公子雍(こうしよう)を迎えるつもりで板が、これに断固として異を唱えたのが賈季である。趙盾は賈季を無視する形で秦に使いを出した。

その頃、賈季が推していた公子楽が国境を越えてきたので、趙家は兵を出し、これを殺してしまう。賈季は陽処父が趙盾をけしかけたと思ったが、実は趙盾の判断だった。

後嗣問題は急展開を見せる。晋の先君の正妃であった穆瀛(ぼくえい)が太子・夷皐(いこう)を跡継ぎにと泣きついてきたのだ。
結局、夷皐を即位させることになったのだが、この夷皐が愚者であった。夷皐はやがて趙盾を殺そうと考えるようになる。

月下の彦士

趙朔(ちょうさく)は父・趙盾の喪主としてのぞんでいた。側には趙家の人間ではないが、昵懇にしている程嬰(ていえい)がいる。この葬儀の時に趙朔は一人の男に出会う。公孫杵臼(こうそんしょきゅう)と名乗った。

程嬰は初対面で杵臼を快く思っていなかったが、のちにこの二人は身命をなげうって趙家の命脈をつなぐことになる。

趙朔が喪服を脱いだ頃、南方で戦雲が巻き起こった。楚が鄭を討とうと動き始めたのだ。この楚の並々ならぬ覚悟を看過したのは士会であった。士会は上軍の将となり、趙朔が下軍の将となった。

趙家は複雑である。趙朔が棟梁と黙されるが、本流は別であり、家系の本支が曖昧になっている。こうして棟梁と主張できる人間が四人もいる。

こうした中で趙朔が下軍の将となったのだ。

晋軍と楚軍の激突が始まった。だが、一部のはやった将の動きによって晋軍は追いつめられていく。中軍の大崩壊がはじまり、遁走する始末である。この戦いは「邲の戦」と呼ばれる。覇権は楚に移った。

屠岸賈(とがんか)という男が晋の霊公の耳に囁いている。

これを知った韓蕨(かんけつ)は趙朔に亡命をすすめた。やがて屠岸賈が兵を率いて趙朔を討ちにきた。趙朔は殺された。

逃げ出していた孟姫が身体に趙朔の子を宿していた。これを知った杵臼と程嬰の意見は一致していた。

杵臼は生まれた嬰児を抱え山中へと走った。一方、程嬰は韓蕨を訪ね真相を語った。

老桃残記

趙家は祖父の趙武の頃にいったん絶えかけたが、趙武が宰相となり、趙家の封土はかつてないほど肥大した。趙鞅(ちょうおう)はその趙家の当主である。

趙鞅は保養に出かけた。温邑という場所である。ここで、周王が崩御したことを知る。王畿では乱が起きるだろう。

はたして争乱が起き、戦火は王都から広がり始めた。この王子朝の乱が五年の長きにわたろうとは趙鞅も夢想だにしなかった。

晋軍は王のために戦うことになった。

王子朝の乱を鎮めて、趙鞅が帰国してしばらくしてから韓起が亡くなった。趙家と韓家の結びつきは強い。だが、ここにきて中行家と不和になった。当主、寅の配下に大夫がおりこれが不和の原因となる。

この頃、趙家に大変な男が転がり込んできた。陽虎という。大悪人、陰謀家、謀叛人など考えられる限りの悪口雑言をあびせられそうな男である。だが、この男は趙鞅には従順であり続け、趙鞅の危機を救うべく働くことになる。

趙鞅は家宰の董安于の進言に従って、晋陽の経営に力を入れることにした。董安于の構想には、趙家が北方を平定した時の首都に相応しい場所としての考えがあるようだった。

趙鞅が攻められた。晋陽に逃げ込み、風前の灯火となっていたところ、晋君の許諾によって乱の様相が一変する。

隼の城

無恤(ぶじゅ)の母は趙家の下女である。父は趙鞅である。

好布子卿という人相見がいる。趙鞅は彼を招いて、子供たちの人相を見てもらうことにした。趙鞅は不思議な夢を見ていたのだ。これが気になっていたといえよう。

好布子卿は無恤を見て、これまことに将軍なりといった。趙鞅は反駁したが、天授の子といわれ、あらがえなくなった。

趙鞅は天の声を聞き、人の声を聞き、あとは地の声を聞くのみとなった。天地人が無恤を祝うのなら、伯魯を廃嫡するつもりでいた。

無恤が嫡子となった。

趙鞅が死んだ。無恤は父の遺志に、夏屋山に上って望んでみよというものがあり、実行してみた。

望むとは征服したい国を実際に見るということである。無恤はさんざん考え、代君と会うことにした。

無恤は代君を殺し、そのまま代を攻めた。

晋の大臣に知瑤というのがいる。古代の悪王として名高い王たちに似ている。それが晋君を追い出した。晋君が消えた後、知瑤は僭主となった。

知瑤は趙家を叩きつぶそうと考えた。無恤は迷わず晋陽に逃げ込んだ。

晋陽を囲んだ知瑤は水攻めを行ったが、この中で無恤は張孟談を囲んでいる韓と魏の二卿に遣わせた。

張孟談は「唇が亡びると、歯が寒いという諺がある」と切り出した。

本書について

宮城谷昌光
孟夏の太陽
文春文庫 約三〇五頁
春秋時代 紀元前7世紀~前5世紀

目次

孟夏の太陽
月下の彦士
老桃残記
隼の城

登場人物

孟夏の太陽
 趙盾
 趙朔…趙盾の息子
 叔隗…趙盾の母
 趙衰…趙盾の父
 君姫…趙盾の義母、趙衰の妻、重耳の娘
 陽処父
 賈季
 公子雍
 穆瀛
 夷皐
 郤缺

月下の彦士
 趙朔…趙盾の息子
 孟姫
 程嬰
 公孫杵臼
 士会
 屠岸賈
 韓蕨

老桃残記
 趙鞅
 董安于…家宰
 韓起
 陽虎
 尹鐸

隼の城
 趙無恤…趙鞅の庶子
 伯魯…無恤の兄
 子周…伯魯の子
 尹鐸
 張孟談
 好布子卿…人相見
 代君
 知瑤

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