塩野七生の「ローマ人の物語 第4巻 ユリウス・カエサル ルビコン以前」を読んだ感想とあらすじ(面白い!)

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覚書/感想/コメント

★★★★★★★★★☆

塩野七生氏の最も好きな人物であるユリウス・カエサル。ローマ史上最も魅力に溢れた人物である。その彼を描くために、本書「ローマ人の物語4」だけでなく「ローマ人の物語5」という上下に分けているくらいの力の入れようである。

また、それぞれの本の厚さも、「ローマ人の物語」の中でも厚い部類に入る。それだけ好きな人物なのである。

本書ではサブタイトル通り、ルビコン以前までを扱っている。つまり、(いったかいわなかったかは別として)カエサルの有名な台詞「賽はなげられた!」のルビコン河の渡河までのユリウス・カエサルを描いている。

途中で書かれているが、ユリウス・カエサルという人物は四十を過ぎて、いきなりローマの中心になってしまう人物である。

若くから活躍したハンニバルやスキピオ・アフリカヌスら先人達のような登場の仕方ではなく、また同世代でも若い頃から活躍していたポンペイウスのようなタイプでもなかったが、歴史の舞台に躍り出てからは、ローマ史上最も偉大な人物らしい活躍をはじめる。

だから、若い頃のユリウス・カエサルの話は、それほど面白いわけではない。本書で言えば、ガリア戦役が始まる直前くらいまでである。

だが、「ガリア戦記」に入ってからは俄然面白い!!!

このガリア戦役から「ローマ人の物語5」に続くユリウス・カエサルの生涯というのは、ある意味ローマが最も輝いた時期だったのかもしれない。

さて、本書の最初にユリウス・カエサルが掲載されている。

「文章は、用いる言葉の選択で決まる。日常使われない言葉や仲間うちでしか通用しない表現は、船が暗礁を避けるのと同じで避けねばならない」

この意味合いは、文字通りということもあるが、別の意味合いでも塩野七生氏は使いたくて掲載したようだ。それは本書にて確認頂きたい。

ローマ人が首都と考えていた「セルヴィウスの城壁」の内側は、面積にすれば大手町と丸の内と霞ヶ関、永田町をあわせた程度に過ぎないという。現代の東京中心部にこのセルヴィウスの城壁内側を重ねた図も載っており、非常にイメージしやすくなっている。

この地域の中でも、都心に最も近いところにある一帯を「スブッラ」と呼んでいた。ユリウス・カエサルはこのスブッラで生まれ、三十七歳で最高神祇官に選出されてフォロ・ロマーノ内にある公邸に移るまで住んでいた。家庭はつつましくも貧乏ではなかったようである。

スッラが首都ローマに進軍し、軍事クーデターは成功した。マリウスをリーダーとする「民衆派」は国賊扱いになり、カエサル家も息を潜める毎日となる。

が、今度はマリウスとキンナがクーデタによりローマを掌握すると、マリウスの凄まじい復讐が始まる。マリウスはユリウス・カエサルにとって伯父にあたる。その伯父が別の伯父二人を殺したのである。

カエサルが終生血の匂いを嫌ったのは、この事件のためかもしれない。

父が死んだ時、十六歳になっていたカエサルは一家の長となる。そして、やがては「民衆派」と「元老院派」、つまりはマリウス派とスッラ派の抗争の波に巻き込まれていくことになる。こうした中、カエサルはキンナから嫁をもらう。

カエサル家は名門貴族で元老院階級に属していながら、守旧派ではなく開明派と目されていた。伝説的存在であるマリウスはカエサルの伯父でもある。カエサル家の人々の心情は「民衆派」へと傾いていくのは納得ができる。

五十六歳になったスッラは、「民衆派」に属する人々の抹殺に抜かりがないように名簿まで作成した。ここにユリウス・カエサルの名前もあったが、助命運動の結果、何とか命は助かることになった。

かわりに、キンナの娘との離婚を迫られたが、カエサルは否と解答し、逃亡生活が始まる。

逃避行から戻ってきたローマでは民衆派は骨抜きにされていた。そして、カエサルは弁護士を開業したが、見事に失敗する。

ロードス島に留学に行っている時に、神祇官の地位に任命されたという知らせが舞い込む。十五人いるうちの一人であり、大隊長にも当選したが、これも二十人の一人であった。

二十七歳になったユリウス・カエサルの昇進の速度は注目を浴びるものではなかった。

三十一歳になり、カエサルは会計検査官に当選している。ようやく「名誉あるキャリア」に就くことになり、スタート・ラインに立ったことになる。だが、会計検査官も毎年二十人選出されるのだ。また二十人の一人であった。

だが、カエサルは無名ではなかった。その派手な生活ぶりと、結果としての莫大な借金で有名人であった。一説では会計検査官になるまでの借金の額は、千三百タレントだったという。十一万以上の兵士を一年間雇える金額である。
そして、三十五歳のカエサルは按察官に選出される。

カエサルが「起つ」のは四十歳になってからである。だが、起ったとたんに、ローマ世界はカエサルを中心に回り始めるのである。

その始まりの始まりとなるのが三十七歳で最高神祇官に選出されたことである。最高神祇官はローマの役職としては珍しく一人であり、かつ終身であった。下馬評は不利だったが、当選を果たす。

「カティリーナの陰謀」を経て、カエサルに降りかかったスキャンダルを脱出して、カエサルは前法務官の資格で属州統治が待っていた。「遠スペイン」と呼ばれたスペイン南部の勤務であるが、債権者が押しかけ、出発できない事態となる。

ユリウス・カエサルについては、二つの大きな謎がある。一つは、なぜあれほど女にモテ、しかもその女達の誰一人からも恨まれなかったのか。もう一つは、なぜあれほど莫大な額の借金をすることができたのか。

借金に関しては、小額であるうちは、債務者(カエサル)は債権者の奴隷であったかもしれないが、多額の借金となると、債権者が債務者の奴隷となってしまったのだ。債務者が破滅しないように債権者が全力をあげて助けるようになるのだ。

スペインを経て帰国したカエサルの前にはポンペイウスとの協力が必要であった。執政官就任を狙っていたカエサルは容易なことでは執政官になれないことを知っていた。民衆派と見なされていたカエサルを元老院派快く思っていなかったのだ。同じような嫌がらせがポンペイウスにも行われていた。

カエサルはポンペイウスと協約を結んだ。これに、カエサルの最大債権者であるクラッススを加え、いわゆる「三頭政治」が成立する。だが、この「三頭政治」の存在を元老院は半年近くも気が付かないでいた。

カエサルは圧倒的多数で執政官に当選する。

執政官になったカエサルは、元老院会議での内容を市民に公開することにし、国家公務員法とでもいうべき法律を成立させた。

宿願の法律はグラックス兄弟以来の「農地法」であった。カエサルはこれを強行突破で成立させる。この時に初めて「三頭政治」がローマの陽光の下に姿を現す。

執政官終了を見越して、カエサルは北伊ガリアとイリリア、南仏ガリアの三属州の総督、任期は五年、四個軍団の統治権を得られる法律を成立させる。あわせて、ガリアに赴任している間のローマ対策にも余念がなかった。

紀元前五十八年から五十一年の八年間になされたガリア戦役を語る上で、最も重要でかつ、基本的な史料となるのが、ユリウス・カエサル自ら書いた「ガリア戦記」である。カエサルの業績に関しては意見を違える歴史家達も、文章力では皆賛嘆で一致したのが「ガリア戦記」であった。

「ガリアは、そのすべてをふくめて、三つに分れる。第一は、ベルギー人の住む地方、第二は、アキテーヌ人の住む地方、第三は、彼らの呼び方ならばケルト、われわれの呼び名ならば、ガリア人が住む地方である」から始まる、

四十二歳で出発し、数騎で北へ向かった。副将にはカエサルが自ら望んだラビエヌスがいた。第七、第八、第九、第十軍団を前任者から引き継ぎ、第十一、第十二軍団を新編成する。そして、これらの軍団がカエサル子飼いとなっていくのは、ガリア戦役を戦っていくことによってであった。

ライン河を渡ってきたゲルマン民族をガリアに代わってたたくことになった。最初の年はそうして過ぎた。この時、ローマ人として初めて明確に、ローマの基本防衛戦として山脈よりも河川や海をおいたのである。ライン河の西側、ドナウ川の南側がローマである。ガリア戦役二年目の相手はベルギー人だった。

ローマでは元老院派による「三頭政治」の切り崩しが始まっていた。だが、「ルッカ会談」で再び三人の協力体制は確認された。この確認の一つに、十個軍団の大戦力を自由にできるというものがあった。

会談を終え、ガリアに戻るカエサル。ライン以西のガリアの安定は、所詮はゲルマン問題であった。

カエサルはガリアへ発つ以前は借金まみれだったのに、ガリア戦役が進むに連れ、なぜか懐具合が良くなっていく。強奪も無理、税も限界がある。奴隷を売ってもたいしたことがないのがガリアである。

どうやら、ガリアでの利権をビジネス化して儲けたようだ。通称利権をローマの商人達に開放したのだ。

南の方では「三頭政治」の一角クラッススが戦いの中で死んだ。

「三頭政治」がどうなるか注目を浴びる中、カエサルには試練が待ち受けていた。ガリア民族が結果てきには総決起してカエサルと対決したのだ。敵は若きヴェルチンジェトリックスであった。ガリア戦役七年目のことである。

ガリア戦役八年目はカエサルの手によって「ガリア戦記」は書かれなかった。八年目は別人の手によって書かれた。
ローマでは元老院派がポンペイウスを得て勢いづいていた。反カエサルにかたまりつつある指導階級を野放しにしていては自滅につながる。

カエサルは元老院と執政官を敵にまわしてもカエサルの「手」をつとめる人間が必要だった。目をつけたのは現職の護民官で、三十代半ばの青年、ガイウス・スクリボニウス・クリオだった。そして、このクリオの後任に、マルクス・アントニウスを送り込んだ。

こうした状況下で、元老院派はついにカエサルを標的とした「元老院最終勧告を」だす。元老院派もこれでカエサルは終わりと見たのだ。かつて、グラックス兄弟のガイウス・グラックスがこれによって国賊として殺され、サトゥルニヌスも同様、カティリーナも同様だった。常に標的を倒すことに成功してきた強力な武器をたたきつけたのだ。

これに対して、カエサルはある覚悟を持って挑む。

本書について

塩野七生
ローマ人の物語4
ユリウス・カエサル ルビコン以前
新潮文庫 計約七三〇頁

目次

第一章 幼年期
 紀元前一〇〇年~前九四年(カエサル誕生-六歳)
 どこで生まれ育ったのか/環境

第二章 少年期
 紀元前九三年~前八四年(カエサル七歳-十六歳)
 家庭教師/体育/実地教育(一)/実地教育(二)/結婚/成人式

第三章 青年前期
 紀元前八三年~前七〇年(カエサル十七歳-三十歳)
 独裁者スッラ/逃避行/帰国/弁護士開業/国外脱出/海賊/留学/帰国/ポンペイウスとクラッスス

第四章 青年後期
 紀元前六九年~前六一年(カエサル三十一歳-三十九歳)
 スタート・ライン/宣告/ポンペイウスの台頭/按察官就任/三十七歳にして起ちはじめる/最高神祇官/反「元老院派」第一歩/「カティリーナの陰謀」/「偉大なポンペイウス」/スキャンダル/カエサルと女/カエサルとお金

第五章 壮年前期
 紀元前六〇年~前四九年一月(カエサル四十歳-五十歳)
 四十にして起つ/「三頭政治」/執政官就任/「農地法」/ガリア属州総督/手足の確保/「ガリア戦記」
ガリア戦役一年目(紀元前五八年)
 ゲルマン問題/その間、ローマでは
ガリア戦役二年目(紀元前五七年)
 セーヌの北東/その間、ローマでは/「ルッカ会談」
ガリア戦役三年目(紀元前五六年)
 大西洋
ガリア戦役四年目(紀元前五五年)
 ライン渡河/ドーヴァー海峡/首都改造の第一歩
ガリア戦役五年目(紀元前五四年)
 第二次ブリタニア遠征/十五個大隊壊滅/ガリアでの初の越冬/その間、ローマでは
ガリア戦役六年目(紀元前五三年)
 ライン再渡河/ガリアとゲルマンの比較論/クラッスス/パルティア遠征/首都の混迷
ガリア戦役七年目(紀元前五二年)
 ヴェルチンジェトリックス/ガリア総決起/カエサル、撤退/アレシア攻防戦/「ガリア戦記」刊行
ガリア戦役八年目(紀元前五一年)
 戦後処理(一)/戦後処理(二)
ルビコン以前
 「カエサルの長い手」/護民官アントニウス/「元老院最終勧告」/ルビコンを前にして/二人の男のドラマ/「賽は投げられた!」

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