火坂雅志の「天地人(上)」を読んだ感想とあらすじ

この記事は約13分で読めます。

覚書/感想/コメント

★★★★★☆☆☆☆☆

第十三回中山義秀文学賞

2009年NHK大河ドラマ「天地人」原作。

題名の「天地人」だが、見出しの後に書かれている「北越軍談付録 謙信公語類」から取ったようだ。

『輝虎(謙信)公の曰く。天の時、地の利に叶い、人の和ともに整いたる大将というは、和漢両朝上古にだも聞こえず。いわんや、末代なお有るべしとも覚えず。もっとも、この三事整うにおいては、弓矢も起るべからず、敵対する者もなし』

主人公の直江兼続は、永禄三年(一五六〇)、魚沼郡の政治経済の中心地、坂戸の城下で生を受ける。

坂戸城主の長尾政景は魚野川舟運、上田銀山、青苧(麻)の利権などを背景に、本家の長尾家に対抗するほどの富強を誇る。

樋口惣右衛門兼豊の嫡子で、樋口惣右衛門兼豊は薪炭用人という低い身分から、上田長尾氏の財政の舵取りを任され、家老まで出世した。生母・お藤は上杉謙信の重臣・直江大和守景綱の妹である。

少年の頃から才知並ぶ者なく、将来を見込んだ政景夫人の仙桃院によって、六歳の時に景勝の小姓となる。この時、景勝は十一歳。

もっとも、上記は本書の設定であり、直江兼続の父母の身分については様々な説がある。

また、兼続自身の幼少期についてはよくわかっておらず、本書でもその部分は割愛されている。

後に直江兼続が執政として政務を取り仕切る上杉家だが、上杉謙信の時代の強さの源は抜きんでた経済力にあった。

一つは米。好敵手の武田信玄の生産力が二十二万石に対し、越後は三十九万石の収穫がある。

二つ目には青苧(麻)の収益である。これに関する冥加金(売上税)、青苧(麻)を運ぶ船からの船道前(入港税)が入る。この時代の船運の中心地は日本海側であった。

三つ目は金銀である。当時の最大の黄金産出量を誇ったのは越後だった。

並はずれた経済力があってこそ、関東攻めに北陸攻めの長期の軍事遠征が可能だった。

上杉家に限らず、戦国の強国といわれた大名たちは、それぞれ軍団を支えるだけの経済力を持っていた。その点を小説で言及し始めるようになったのは、ごくごく最近になってからのように思われる。

この上杉謙信の軍団だが、一門衆、譜代衆、国人衆に大別されるそうだ。

一門衆では最大の上杉景勝の上田衆の他に、村上国清、上杉十郎景信、上条政繁、琵琶島弥七郎、山本寺定長という五人の上杉家親族がおり、他に養子の三郎景虎がいる。

譜代衆には直江大和守景綱、河田長親、山吉豊守、吉江資堅らがいる。

国人衆には斎藤朝信、本庄繁長、安田能元、水原親憲らがいる。

さて、上巻で最も詳しく書かれているのは「御館の乱」と呼ばれる上杉景勝と上杉三郎景虎による上杉謙信の跡目を巡る争いである。直江兼続を主人公とした他の小説ではこの部分を詳しく書いているは少ない。

「御館の乱」は詳しく書かれているのはいいのだが、今度は新発田重家の反乱についてはさほど力が入れられておらず、他にも景勝に反攻した人物の様子はずいぶんと省略されているのが残念である。

直江兼続の関連小説

内容/あらすじ/ネタバレ

天正四年(一五七六)、盛夏。

山道を十七歳の若者が歩いている。後ろから弟がついている。兄は六尺に近い長身だ。若者の名を樋口与六兼続という。後の上杉家執政の直江山城守兼続である。越後国魚沼郡の雲洞庵で学問を学び、俊秀の名を欲しいままにしてきた。弟は樋口与七実頼。二歳年下である。

二人は十五年前の川中島の合戦のおりに上杉謙信が本陣を敷いた妻女山に登っていた。

天下は劇的に変化している。織田信長が力をつけ、天下統一に向けた戦いを始めている。

こうした状況で川中島での合戦を幾度も重ねたことに兼続は無駄であったと感じることがある。まっすぐに京を目指していれば…、そうした思いがあるのだ。

二人は陽のある内に武田領を抜け出すつもりだったが、実頼が善光寺で母の病気平癒を祈願したいというので、善光寺によることにした。

兄弟の生母・お藤は上杉謙信の重臣・直江大和守景綱の妹であり、坂戸城主・長尾政景の重臣だった樋口惣右衛門兼豊に嫁ぎ、二人を産んだ。その母が病で寝付いていた。

この頃の善光寺は川中島の合戦に巻き込まれ、多くの建物が焼失している。焼けたばかりでなく、本尊は武田信玄が府中に持ち帰り、甲府善光寺に祀ったと言われている。

二人は武田の足軽に見つかり、追いかけられた。兼続は左肩に矢をかすめ、怪我を負った。

危うくなった所に、一人の巫女が現われ、二人を先導した。巫女は土地の者が大峰山と呼ぶ山に連れて行った。

巫女は初音と名乗った。信州小県郡、禰津村の歩き巫女だという。禰津のノノウである。禰津のノノウは武田家と縁が深い。それが、なぜ…。兼続の疑念が去らない。

初音の他に鈴音という巫女もおり、二人は兼続のことを知っているようだった。初音は武田のために動いているわけではなく、強いて言えば天下のためだといった。初音はこう兼続に言う。ノノウは兼続の行く末に賭けると。

上杉喜平次景勝が十七歳、兼続十二歳の時に、跡取りのなかった上杉謙信が景勝を養子に迎えたいと言ってきた。同時に上田五十騎と呼ばれる上田長尾家の軍団と、魚沼の経済力も謙信の元に取り込まれた。

元亀二年(一五七一)正月。兼続は生涯の精神の師ともいえる上杉謙信との出会いを果たすことになる。

初秋。兼続は春日山城に戻った。あるじの景勝に戻った旨の挨拶をした。

兼続は相模の小田原も回ってきていた。その事に口数の少ない景勝は反応を示した。

謙信の養子にもう一人、上杉三郎景虎というのがいる。相模の北条氏康の七男だ。それへの強い意識の現われかもしれない。三郎景虎は世に隠れなき美男子である。

三郎景虎は景勝の姉・華姫をめとり、名実ともに上杉家の一門の列に加わっており、越相同盟が破れても謙信は養子として遇し続けた。

景勝の母・仙桃院の口から謙信が上洛の軍を興すことを聞かされた。

この当時、「利」によって求心力を高める者が多かったのに対して、上杉謙信が家臣に示した価値観は「義」というものだった。

義とは儒教で言う所の仁義礼智信の一つであり、人として守るべき正しい道をいう。

越中平定後、上杉軍は快進撃を続けた。十一月に入って能登の七尾城を取り囲んだ。

この七尾の陣でのこと。樋口与六兼続は上田衆の泉沢又五郎久秀と一緒にいた。泉沢はのちに蔵奉行となって兼続を助けることになる。

二人は三郎景虎の陣で、一匹の犬が舞い込み、この犬に喜平次と名付けていたぶっているのを目撃した。あろうことか景勝の名をつけていたぶっているのだ。さらに、三郎景虎があらわれて、これをけしかける。

兼続はあるじが愚弄され、さらには父・樋口惣右衛門兼豊が辱められて、カッとなった。

翌日、兼続は本陣に呼び出された。謙信は、義の心を真の意味で受け継ぐ者がいるとすれば、それは兼続だと言ったが、この薫陶の後に蟄居を言い渡された。

天正五年(一五七七)。上杉謙信は七尾城を包囲したまま動かない。そこに北条氏政北上の報告があり、義を重んじる謙信は手勢を一部残して春日山城に戻った。その後、北条氏政が撤退したのを知り、謙信は閏七月に再び七尾城へと向かった。

これに驚いた七尾城主の長続連は織田信長に救援を求めた。

九月に謙信は七尾城を落とし、怒涛のごとき進撃を開始し、織田軍を破った。

越後上田庄の雲洞庵で樋口与六兼続は座禅を組んでいた。この十ヶ月で兼続の中の何かがかわった。この兼続の前に初音が現われた。

初音は上杉軍が七尾へ引き上げたと告げた。

兼続は母重篤の知らせを聞き、門外へ出た。謙信はすでに春日山城に帰還している。

天正六年(一五七八)。兼続の母が世を去った。この葬儀に与板城主直江大和守景綱の息女・お船(おせん)が来ていた。兼続より三つ上の従姉である。この時、お船は養子として直江家に入った信綱の妻であった。

お船には姉がいる。お悠という。お船はお悠が謙信を慕っていたと話した。

葬儀の後、兼続はお船を途中まで送ることになった。

兼続の蟄居が解かれた。あるじの景勝とは一年三ヶ月ぶりの再開を果たした。

これから程なく上杉謙信が脳卒中で倒れた。

謙信は景勝と三郎景虎とのいずれに家督を譲るかを言わずに倒れてしまった。謙信の姉・仙桃院の心境は複雑である。

天正六年三月十三日。上杉謙信の魂は天へ昇った。享年四十九才。

後継者を誰にするか。侃々諤々の議論になった。

跡目争いは事実上、景勝と三郎景虎の二人である。議論を続ける内に、それぞれを担ぐ二つの派閥の顔ぶれがはっきりとしてきた。

この中、直江大和守景綱の未亡人・妙椿尼が入ってきて、謙信の遺言を告げた。それは景勝に家督を譲るというものだった。

兼続は耳を疑った。そのような話は全く聞いたことがない。裏には仙桃院の思惑があることを兼続は本人の口から聞かされた。仙桃院は景勝には私心がないという。

三郎景虎を推す柿崎晴家が景勝のいる中城に夜討をかけてきた。この暴挙に関しては汚名を恐れる三郎景虎は知らぬぞんぜぬを通した。

謙信の葬儀の後、兼続が戻ると父・惣右衛門がいた。惣右衛門は実城(みじょう)を乗っ取るといった。実城とは春日山の最も高い所にある本丸で、金蔵がある。決行は今夜と決まった。

三郎景虎方も同じことを考えていたようだが、景勝方が実城を押さえた。

これ以降、景勝は「ご実城さま」と呼ばれるようになる。

二ヶ月後、三郎景虎は戦況打開のため御館に移った。

御館は謙信が関東管領上杉憲政のために建てた居館である。憲政は三郎景虎をやむなく受け入れる形となった。

事態は景勝方に対して有利とはいえなかった。むしろ危険であった。春日山城に近い所の武将は三郎景虎方であり、上田衆の本拠地・坂戸城とは分断され、直江津、郷津の湊は三郎景虎に押さえられている。

しかも兵糧がなかった。

春日山の西方に桑取谷と呼ばれる谷がある。半農半士の郷士たちがいざというときに春日山城を守るためにいる。
兼続はこの郷士たちの協力を得るために単身乗り込んだ。

御館方からも勧誘の手が伸びていたが、兼続は彼らの誇りに訴え信を勝ち取った。

兵糧はこれで目処が立つことになったが、劣勢が解消されたわけではない。

御館の兵を退けたが、今度は外からの脅威が迫った。武田と北条の二大勢力が三郎景虎を支援する姿勢を明らかにしたのだ。北条氏政は三郎景虎の実兄である。

事態を打開すべく、景勝方は直峰城(のうみねじょう)を攻撃目標に定めた。坂戸城との連絡を確保するためである。攻略には兼続の父・惣右衛門が買ってでた。

この直峰城のあとに、景勝方はいくつかの城を落した。

武田勝頼が国境を越えて攻めてきた。春日山城までわずか五里(約二十キロ)。

兼続は武田と手を結ぶべきだと景勝に進言した。卑怯な真似をすることを嫌う景勝であるが、この度は卑怯な詐略とは違う。国を守る大義がある。それに勝頼は長篠の戦いで織田・徳川連合軍に敗れてあせっているはずである。思い切った手に景勝は頷いた。

兼続は高坂弾正忠昌信と接触し、同盟の話しは上々の首尾で終わった。

武田軍に不審な動きがあったものの、越甲の同盟が成り、八月二十八日に武田軍が撤退をはじめた。

それも束の間、九月に北条軍が攻めてきた。坂田城が危うくなった。だが、兼続は武田が動くはずだと確信していた。その読みは的中し、雪の季節を嫌った北条軍が撤退した。

上杉と武田の同盟はますます強くなっていった。景勝と武田勝頼の妹・菊姫の婚約が成立した。これを機に、次々と景勝方になびきはじめた。形勢は完全に逆転し、三郎景虎は酒浸りとなった。陥落は時間の問題だ。

不幸な事件が起き、前関東管領の上杉憲政と三郎景虎の嫡子・道満丸が殺されてしまった。

この後に三郎景虎は死んだ。享年二十六才。だが、越後各地で反景勝派の抵抗が続き、天正八年(一五八〇)に越後の平定を終える。

御館の乱を経て上杉家内部の勢力図が大きく塗り替えられた。上田衆の発言権が増し、景勝は兼続を家老に大抜擢した。二十一才である。泉沢久秀も家老に列した。一門衆の筆頭は上条政繁である。兼続の弟・弥七実頼は小国氏の養子に入り小国実頼と名を変えた。

景勝は組織の大改革を行ったのだ。

城で事件が起きた。そして直江信綱が事件に巻き込まれて命を失った。御館の乱の論功行賞を巡って燻っていた不満が噴き出した結果の惨劇だった。

この天正九年(一五八一)。織田軍は能登一国を制圧した。北陸路は織田家の色に塗り替えられている。

景勝は兼続に直江の家を継げと言った。お船と夫婦になるのだ。兼続は直江兼続と名乗りを改めた。

政情が切迫している。織田が武田を攻める気配を示し、その後は上杉に刃を向けてくるはずだ。

天正十年(一五八二)の正月が明け、織田軍が東へ進みはじめた。武田家の同盟者上杉家は雪に閉ざされ援軍を出せない。そして武田家が呆気ないほどに負け続けた。

越中口では織田の佐々成政がせまっており、越後国内では揚北衆の新発田重家が景勝に叛旗を翻していた。

だが、義のために二千五百の兵を武田の援軍に送り、景勝は兼続に留守をまかせて新発田重家討伐のために出陣した。

景勝が攻めあぐねている所に越中が危ういという知らせが飛び込む。

武田が滅び、上杉は北陸路と信濃路の二方面からの織田の脅威を受け、内部には新発田重家という獅子身中の虫を抱えることになった。

四月半ば。東越中の魚津城が危機を迎えた。柴田勝家率いる織田軍一万五千がわずか千三百で守る城を責め立てた。
北信濃の森長可、上野の滝川一益という脅威を背負いながら、越中の魚津城を救いに行くことになった。この戦に兼続の妻・お船が与板衆を送り込んできた。

五月十三日魚津城救援の軍が発せられた。だが、これは滝川一益と森長可をおびき出す作戦であった。景勝と兼続はこのために越中を諦めるつもりでいた。

兼続は危険を冒しながら魚津城へ入り、籠城している十三将に降伏することを説得した。だが、十三将は城を背に討ち死にするといった。説得は失敗した。

五月二十九日上杉景勝は春日山城に帰還した。兼続が屋敷に戻るとお船が待っていた。

再び出陣である。信州野尻城に入っている上条政繁が救援を求めてきたのだ。この時、兼続の元に織田の明智光秀からの密使がやってきた。

本能寺の変により織田信長が死んだ。この翌日六月三日に柴田勝家は魚津城総攻撃をして落している。だが、翌日に本能寺の変が柴田勝家に知らされ、撤退を開始した。信長の死によって、織田軍団は一夜にしてばらばらになった。

上杉軍は越中、信濃、上野に兵を送り込んだ。無人の野を行くが如しである。

羽柴秀吉が明智光秀を討ったとカラス組の一志大夫が兼続に伝えた。その羽柴秀吉から上杉家への同盟申し入れがやってきた。

この頃、徳川家康は甲斐と信濃を乗っ取ってしまっている。

年が明け天正十一年(一五八三)。上杉景勝は羽柴秀吉と同盟を結んだ。

信州真田郷で一人の若者が空を見上げている。真田源次郎幸村十七才である。

初音が幸村の前に現われた。初音は幸村の父・昌幸がノノウの巫女に産ませた子である。

賤ヶ岳で羽柴秀吉が柴田勝家に勝った。この後、秀吉と徳川家康との間の小牧・長久手の戦いがあった。

家康は北条氏との融和をはかり、領土の確定してしまう。これに反発したのが真田昌幸だった。

昌幸は初音を呼び、直江兼続とのつながりをただした後、上杉との同盟を結ぶことを決めた。人質として幸村を出す。

本書について

火坂雅志
天地人(上)
NHK出版 約三八〇頁
戦国時代
主人公:直江兼続

目次

第一章 川中島
第二章 謙信動く
第三章 師と弟子
第四章 雪崩
第五章 遺言
第六章 御館の乱
第七章 秘謀
第八章 華燭
第九章 死中に生あり
第十章 天下動乱

登場人物

直江(樋口)与六兼続(直江山城守兼続)
お船(おせん)…兼続の妻
小国(樋口)与七実頼…兼続の弟
樋口惣右衛門兼豊…兼続、実頼兄弟の父
おふく…惣右衛門の後妻
上杉喜平次景勝…兼続の主君、謙信の養子
菊姫…景勝の妻、武田勝頼の妹
泉沢又五郎久秀
上条政繁…上杉家一門
直江信綱…直江大和守景綱の養子
一志大夫…カラス組
仙桃院…謙信の姉、景勝の母
妙椿尼(お万ノ方)…お船の母
上杉謙信
直江大和守景綱
上杉三郎景虎…謙信の養子、北条氏康の七男
刈安兵庫
華姫…三郎景虎の妻、景勝の姉
道満丸…三郎景虎と華姫の息子
上杉憲政
斎京三郎右衛門…桑取谷の大肝煎
北条氏政…上杉三郎景虎の実兄
武田勝頼
高坂弾正忠昌信
真田幸村
木猿
真田昌幸…幸村の父
初音
鈴音…初音の妹
新発田重家
羽柴秀吉
徳川家康

Do NOT follow this link or you will be banned from the site!
タイトルとURLをコピーしました