和田竜の「のぼうの城」を読んだ感想とあらすじ(映画の原作)(面白い!)

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覚書/感想/コメント

★★★★★★★★★☆

脚本「忍ぶの城」を小説化したのが「のぼうの城」である。舞台は秀吉の北条氏討伐で唯一落ちなかった忍城(おしじょう)の攻城戦。

この忍城の攻防戦自体がかなり面白い。十倍を超える敵を相手に一月以上も籠城を重ね、ついに落ちなかった。

武州の忍城は埼玉県の行田市に位置する成田市の居城。関東七名城のひとつ。
築城したのは成田家十五代の親泰。この物語のおよそ百年前のことだ。

洪水の多い一帯にできた湖と、その中の島々を要塞化した城郭であり、本丸を始め二の丸、三の丸、諏訪曲輪の主要部分が独立した島である。これらを橋で連結している。また、本丸を始め二の丸、三の丸は密林のごとく木々が乱立していた。鬱蒼とした城だったようだ。
だが、現在はその面影は全くない。

ちなみに、本書での見所の一つである「水攻め」は石田三成の発案でということになっているが、秀吉が水攻めに固執していたという見解もあるようだ。

主人公の成田長親は「のぼう様」と呼ばれている。「でくのぼう」の略で、これに申訳程度に「様」がついているにすぎない。
図抜けて背が高い。脂肪がのっているため横幅もあり身体は大きい。だが、ただ大きいだけで、強い印象を与えない。

さらに、醜男である。鼻梁は高いが、唇は無駄に分厚く、目は細い。表情は極端に乏しい。
武芸はもちろんのこと、何をやらせてもダメ。

農作業は大好きで、何とかして手伝いたいと思って、村に出てくる。何をやらせてもダメな長親が手伝うと、かえって農作業の効率が悪くなってしまう。

だが、長親は善意でやっているため、農民の文句が言えなくなってしまう。

だから、長親が農作業を手伝うと、次のような溜め息が農民から漏れる。
『(…今日も良い天気だなあ)
もはや気力も失せ、一列だけ綺麗に破壊されていく長親の労働の成果を見つめながら、たへえはぼんやりとそんなことを考えていた。』

そんな長親だが、領民からは慕われている。いや、慕われているというより、俺たちがついていなかったら、のぼう様はどうなってしまうのだと思われている。

思われているといえば、ヒロインの甲斐姫は長親に惚れている。そして、長親も秘かに甲斐姫に惚れているのだが、そのことはおくびにも出さない。

甲斐姫は東国一の美女である。だが、武芸も腕も確かな女性で、作中では数度長親を半殺しの目に遭わせている。その様子はかなりコミカルで可笑しい。

他に脇を固める登場人物達の個性も豊かだ。もともとが映画化を前提として書かれた脚本を小説化したこともあり、それぞれのキャラクターというのが活き活きとしている。

損な役回りを担っているのは長束正家。多くの作品ではこうした役回りを担っているのは石田三成であるが、今回は長束正家が担っている。その分だけ、石田三成は颯爽とした武人として描写されている。

颯爽として描かれている石田三成だが、作中でも度々書かれているように、この忍城攻めの失敗によって武将としての権威は地に堕ちることになる。そして戦下手のレッテルは生涯剥がれることないまま、関ヶ原の戦いへと突入することになる。

こんな長親のいる忍城を大軍が囲んだ。そして軍使としてやってきた長束正家の高飛車な態度に長親の怒りが爆発する。

この場面は、ハイライトの一つであり、作者が強く訴えたい部分でもあると感じる。
『強き者が強きを呼んで果てしなく強さを増していく一方で、弱き者は際限なく虐げられ、踏みつけにされ、一片の誇りを持つことさえも許されない。小才のきく者だけがくるくると回る頭でうまく立ち回り、人がましい顔で幅をきかす。ならば無能で、人が良く、愚直なだけが取り柄の者は、踏み台となったまま死ねというのか。
「それが世の習いと申すなら、このわしは許さん」』

この忍城攻めを舞台にした小説として他に下記がある。
風野真知雄水の城 いまだ落城せず

風野真知雄の「水の城 いまだ落城せず」を読んだ感想とあらすじ
豊臣秀吉の小田原征伐の時に、最後まで落ちなかった忍城(おしじょう)攻防戦を描いた作品。石田三成が水攻めをして失敗したことで有名となった城である。とても面白い題材で、忍城を一度見に行ってみたい気にさせられた。

甲斐姫を描いた作品として下記がある。
宮本昌孝青嵐の馬」に収録の「紅蓮の狼」

2012年に映画化された。映画「のぼうの城」

映画「のぼうの城」(2012年)の観賞備忘録(感想とあらすじと情報を添えて)
まず、原作の方が面白い。とはいえ、ほぼ原作通り。次に、原作は映像化を意識して書かれていたはずなのに、その面白さが映画に反映されていない。不思議である。

内容/あらすじ/ネタバレ

天正十年五月。石田三成は羽柴秀吉に従って備中・高松城攻略の陣にいた。二人は建設した巨大な人口堤の上にいる。永禄銭八千貫文を投じて作られた堤だ。側に大谷吉継と長束正家もいた。

秀吉は拠点となる城には二度と抵抗の意志がなくなるような戦術で攻めた。鳥取城しかり、この高松城しかりである。そして高松城には驚天動地の戦術で挑んでいる。それは「水攻め」である…。

天正十八年正月。秀吉は北条家討伐の軍令を発した。総兵力は兵だけでも二十五万騎、その他を合わせると五十万にも及ぶと言われた。対する北条家は四万騎にもみたない。

目立った武功のない石田三成は今回も奉行を命ぜられていた。いわば事務方である。

だが、三成は秀吉に呼ばれ、小田原に着陣次第、北条家の支城攻めを命ぜられた。軍勢は二万。総大将は石田三成だ。他に大谷吉継と長束正家、宇都宮国綱、佐竹義宣がつけられた。秀吉は武功をたてよというのだ。

攻め落とす城は上州館林城に、武州忍城。三成の人生を決定づける運命的な下知であり、忍城にとっても特筆すべき足跡を残すことになる下知だった。

忍城の城主は成田氏長。三成は忍城の絵地図を見て小さく驚いた。湖に城が浮かんでいる。浮き城ともいわれる城だという。兵力はわずかに千騎。

二月後。成田家一の家老・正木丹波守利英は成田長親を探していた。正木丹波は「皆朱の槍」を許された武辺の優れた男だった。
探している長親は当主・氏長の従兄弟にあたる。

秀吉の宣戦布告を受けた北条家は成田家に宛て、小田原城に兵を率いて籠城するよう督促の使者を送っていた。それに返答すべく本丸に集まっている。

それなのに、あの馬鹿は。正木丹波は罵っていた。

長親は百姓仕事の熱狂的な愛好家である。大事な今日も農作業を手伝うべく城を出たらしい。
丹波と長親は幼い頃からの友である。まったく長親はあなどられている。長親は「のぼう様」と呼ばれている。「でくのぼう」の略で、これに申訳程度に「様」がついているにすぎない。

家臣はおろか、小者、百姓領民に至るまで、長親を「のぼう様」と呼んでいる。しかも当人に向かって。長親は一向に意に介するふうがない。

下忍村では麦踏みの作業が行われていた。下忍村の乙名・たへえは息子の嫁・ちよに目を合わせてはならぬと命じていた。のぼう様は声がかかるのを今か今かと待っている。

だが、たへえは他の村でのぼう様が与えた被害を思い、手伝って欲しくなかった。始末の悪いことに、のぼう様は全くの善意で手伝っている。この善意を前にしてはされるがままになるほかない。

この場に正木丹波が現われた。

城に戻る途中で家老の酒巻靭負に出会う。まだ二十二歳の若い家老だ。靭負は兵書を好んで読んでいた。だが、実戦の経験がない。背は小さく、女のような顔をしている。

そこに家老の柴崎和泉守が現われた。背丈は長親ほどもある巨漢だ。全身を筋肉の鎧で固めた体躯は巨大な岩石を思わせる。

大広間での会議の場で、長親の父・泰季が倒れた。奥に運ぶことになった。そしてまごまごしている長親に氏長の娘・甲斐姫が指図した。
長親は父が倒れてうろたえていた。当時の武者ならおくびにも出さない怯みやうろたえを臆面もなく出す。

側には氏長の妻・珠もいた。珠と甲斐姫は実の母娘ではない。珠は氏長の二度目の妻である。珠の父親は太田道灌の曾孫に当る太田三楽斎である。

この珠は甲斐姫が長親に惚れているのを可笑しく思っていた。

小田原へ出発するに先立ち、成田氏長は意外な人事を発表した。正木丹波、柴崎和泉守、酒巻靭負の三家老は忍城留守居となった。
城代は病身ながらも成田泰季が務め、長親はいうまでもなく留守居だ。

氏長は小田原に着き次第、山中長俊を通じて秀吉に内通するつもりでいるという。そこで、秀吉の軍勢が来たら、一戦も交えずに開城せよという。

主戦を説く者どもは内通の邪魔になるので、三家老は留守居となることになったのだ。

北条家への加勢が決まり、忍城では防戦の用意が始まった。だが、一戦も交えずに開城することになっているため、柴崎和泉守がその事を口走ってしまう。長親はすべてを明かすことにした。

正木丹波は長親のもつ吸引力を得難いものと感じていた。得体の知れぬ人気を持っているのだ。

秀吉の北条攻めが始まった。北条家の命運は開戦直後からいきなり風前の灯火となっていた。
石田三成は忍城を水攻めで落とすと決意していた。

館林城を攻め落とした三成の軍が忍城に来襲した。三成の軍は二万三千にふくれていた。対する忍城の軍は小田原に兵を出しているため、五百である。

この三成から長束正家が軍使として送られてきた。正家は弱気ものに強く、強気ものに弱くでる。忍城の者に対して高飛車に出てなぶって楽しむに違いない。

果たして予想通り、長束正家は高飛車な態度にでたため、長親が態度を一変し「戦いまする」といってしまう。「坂東武者の槍の味、存分に味わわれよ」と。

その頃、奥では成田泰季が亡くなっていた。長親が正式に城代となった。

双方の陣営で軍議が開かれた。忍城ではそれぞれの守り口の大将に全権を与え、死守させるしかない。

わしはどこを守ろうかと長親が言い始めたので、一同がぎょっとなった。こんなのに来られたら、えらいことになる。総大将は本丸に残れと正木丹波が一喝してことは納まった。

丹波は長親に無断で百姓らに動員をかけようとしていた。最初こそは動員に応じようとしなかったが、長親の名を出したとたんに動員に応じた。それは他の村でも同じだったという。

のぼう様が戦するなら、我らが助けてやんなきゃどうしようもあんめえよ。そういうことだった。

城には女子供まで入城し、総計の三千七百四十人の内、童と女が千百十三人いた。戦力となるのは二千六百二十七人である。ようやく敵の十分の一程度になった。

正木丹波の相手は長束正家、酒巻靭負の相手は大将の石田三成、柴崎和泉守の相手は大谷吉継だった。

最初の攻城戦は忍城の勝ちだった。全ての守り口で勝利をした。被害は、敵方が討ち死に手負いを合わせると千二百、城方は五十名に満たなかった。

石田三成は水攻めを決した。これは武将としての信用を失墜させた決定的な下知だった。

忍城の水攻め。我が国最大級の水攻めが始まった。
のべ十万人を五日間で働かせ、一気に堤を築かせた。着手は天正六月七日。そして予定通りに竣工する。

水は忍城を囲み始め、忍城では皆が本丸に逃げ込んだ。

長親は舟の上で田楽踊りをすることにした。長親の姿は三成の所からも見える。折しも小田原から秀吉が視察に来るという文が届き、焦った三成は長親を鉄砲で撃たせることにした。

舟の上での田楽踊りの真意を、正木丹波、甲斐姫と敵方の大谷吉継は弔い合戦に持ち込む気だと思った。

領民らが赤子のごとく思う長親が敵に討たれれば、復讐の鬼と化し、命を捨てて死兵と化すだろう。
大谷吉継は止めようとしたが、鉄砲の弾は長親を捉えた…。

致命傷は避けられ、長親は命をながらえた。城では兵達がのぼう様が撃たれたというので、半狂乱となっていた。

同じ頃、三成の堤を作る作業を手伝っていた百姓の中にも、のぼう様に手を出してことに怒っているもの達がいた。そして、堤の破壊作業が始まった。

堤の決壊は三成の本陣を襲った。この時に二百七十名ほどが死んでいる。

寄せ手の軍勢は数を増していた。援軍がやってきたのだ。浅野長政、木村常陸介らの軍勢一万余が加わっていた。

総攻撃が始まろうとした時、小田原から使者がやってきた。小田原城が落城したという。

忍城の受け取りには石田三成本人も行くことにした。どうしても成田長親を見てみたかった。

これに長束正家も同行した。そして懲りもなく高飛車な態度に出てしまう。これに長親はごう然と言い放った。飢えるほかないなら我らはことごとく城を枕に闘死致す。存分に来られよ、と。

本書について

和田竜
のぼうの城
小学館 約三三〇頁
安土・桃山時代

目次






登場人物

成田長親(なりたながちか)
正木丹波守利英(まさきたんばのかみとしひで)…成田家一の家老
柴崎和泉守(しばざきいずみのかみ)
酒巻靭負(さかまきゆきえ)…成田家家老
成田泰季…長親の父
ちよ…かぞうの女房
ちどり…ちよの娘
かぞう…たへえの息子
たへえ…下忍村の乙名
明嶺…清善寺の六代目住僧
甲斐姫…氏長の娘
珠…氏長の妻、甲斐姫の継母
成田氏長…成田家当主
成田泰高…氏長の弟
石田治部少輔三成
大谷刑部少輔吉継
長束大蔵大輔正家
羽柴秀吉
北条氏政
北条氏直
神谷備後守

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