新宮正春の「秘剣奔る 静山剣心帳」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント


★★★★★☆☆☆☆☆

松浦静山(まつら せいざん)を主人公とした小説。かなり興味深い大名である。小説の主人公とするにはとてもいい素材であるのは間違いない。

松浦静山は江戸中後期の肥前平戸藩の第九代藩主で、名は清といい、静山は号である。また、心形刀流剣術(しんぎょうとうりゅう、又は、しんけいとうりゅう、と読む)の達人であったことでも知られる。

文政四年(一八二一)の十一月の甲子の夜に執筆しはじめたことからつ名付けられた「甲子夜話」が有名で、他に剣術書の「剣談」などの重要な著作を残している。

静山は長寿を得、八十二歳まで生きた。本書は晩年の静山を主人公としている。晩年とはいっても、元気な爺様である。

日課としての五百本の素振りを欠かさないし、新しい刀法の工夫といっては辻斬りまがいのことをして、倒した相手の大小を持ち帰って悦に入る御仁である。

若い頃は権力に憧れていたようで、幕閣とくに三奉行を秘かに狙っていたようである。本当に狙っていたのかどうかは別として、そうした設定の小説は他にもある。

三奉行とは寺社奉行、勘定奉行、町奉行である。静山の生存中、寺社奉行は譜代大名から、そして勘定奉行と町奉行は旗本からというのが原則であった。

大名の静山が勘定奉行や町奉行となるのは格落ちになるわけで、ありえない話である。そして、外様大名である以上、寺社奉行もほぼ不可能である。

また、息子を後々老中にするというのも不可能である。これも譜代大名の役職だからである。

聡明である静山がこうした事実を知らぬはずはないのに、三奉行を狙っていたという設定がなされること自体、「甲子夜話」など静山の著作に権力を狙っていたと伺える記述があるのだろうか。

もしそうなら、生臭い一面を持つ大名でもあったということになろう。それとも、聡明であるがゆえに、己の力量を何とかして試してみたいとでも思ったのであろうか。

さて、本作の「乱車刀」で、南部藩と津軽藩の長年の確執から生まれた騒動が描かれている。

一般的には「檜山騒動」として知られるが、時系列に不備があり、「相馬大作事件」といった方がいい騒動である。この相馬大作の一件については海音寺潮五郎の「列藩騒動録」に収録されている「檜山騒動」に詳しい。

時系列といえば、本書にも齟齬が見られるが、そのこと自体は小説に与える影響はたいしたことではないので無視して読まれる方がいいと思う。

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内容/あらすじ/ネタバレ

水月刀

七十の坂を越して七年、日課にしている五百本の素振りを欠かさない。松浦静山の隠居所にあてられている肥前平戸藩下屋敷は一万二千坪の敷地を持っている。

その弓場のかげで等身大の人がたを作っていた。その人形に静山は心形刀流門下で一、二を争う使い手の成井新三郎に突きを入れさせた。

斎藤弥九郎の神道無念流は、神田お玉が池の北辰一刀流千葉周作の玄武館、京橋浅蜊河岸の桃井春蔵の志学館、心形刀流伊庭道場と並ぶ江戸の四大道場の一つである。

天保八年(一八三七)の頃、技は千葉、力は斎藤、位は桃井という評価はまだであった。これは千葉周作すでに没し、斎藤弥九郎が隠退した安政年間のものであった。斎藤弥九郎は伊豆代官江川太郎左衛門の後ろ盾を得、代官所の手代にもなっていた。

泉屋徳兵衛がやってきて、この一月ほど前に大坂城下で起きた大塩の乱の話をし始めた。この時焼死した死骸が見つかり、大塩平八郎のものとされたが、斎藤弥九郎は替え玉だと主張しているのだ。

さらに気にかかるのが、弥九郎が提出した書状である。そこには兄弟以上に親交のある大学頭林述斎にまつわる醜聞が書かれていた。

しかも、つい数日前に新たな事態が発生し、静山が探索方につかっている名和屋の千次郎によると、伊豆の林の中で飛脚の書状箱がばらばらに壊されうち捨てられていたのだが、その中に林述斎宛のものがあったという。差出人は大塩平八郎だ。

静山はそのために斎藤弥九郎を呼び出し、等身大の人がたを作っていたのだ。

杖威刀

静山が家督を譲って隠退したのは四十七のときだった。いま静山は七十七になっている。静山の望みは息子を幕閣の中枢に進ませ、やがては老中にもというものだった。

いま静山が一縷の望みをかけているのは隠棲している中野石翁への働きかけだった。名和屋の千次郎から雛人形の件を静山は聞いていた。噂の通りだという。中野石翁は陰間かもしれなかった。中野石翁が絶大な力を持つようになったのは、養女のお美代を迎えたことから始まる。

静山は半年ほど前から夜な夜な昌平橋あたりまで出向き、工夫中の刀法を試していた。辻斬りではないが、相手の腰から大小の刀を抜き取って引き上げる快感を味わって止められなくなっている。

夕刻になって、大学頭林述斎がやってきた。鳥居家に養子に出した耀蔵が西の丸目付になったという。その話とは別に、述斎は近日赤穂義士祭をもよおすことになり、昌平橋に出没するご老体にも出てもらうという。

述斎は一件を知っているのだ。そして、述斎は屋敷を辞する際に気になる一言をささやいた。石翁の没落があるかもしれないというのだ。

無拍子

静山は伊庭軍兵衛秀業の強力なスポンサーである。そのため、伊庭軍兵衛自ら教えに来ることがある。この日もそうした日であった。静山は軍兵衛を前に、無拍子の刀名を思案しているといった。

このところ、二度にわたって松浦藩の屋敷に鼠賊が入り込んでいた。正体は分からないが、鼠小僧と名乗っている。静山のいる下屋敷にも忍び込まれたら、藩の名誉だけでことは済まなくなる。

やがて、本所の平戸藩下屋敷には怖い侍がいるから鼠も手を出せないという噂が広がり始めた。心理的に鼠取りを仕掛けたのだ。

笹の露

静山は半月ほど前に立ち合いで伊刈又之丞を破って逐電した田中伝左衛門を思い出して苦笑した。伝左衛門はあのときあろうことか静山に立ち合いを望み、静山に敗れた。そしてその夜に姿を消した。

伝左衛門は決して技に敗れたのではなく、位押しで敗れたと思いこんでいるのだ。だからこそ、外で静山との立ち合いを望んでいた。そして果たし状も送ってきたのだった。

鷹之羽

天保五年(一八三四)、静山は七十六になる。静山は上屋敷に行く途中で修験者の行智に用があり足を止めた。

行智は三河に住む松平太郎左衛門の話をし始めた。松平太郎左衛門の家は家康の六男・上総介忠輝の血を引く家柄だという。その太郎左衛門から行智は三男の春之丞が剣を学びに江戸に来るので静山に力を貸してもらいたいと頼まれたという。

静山は手助けをしてやるつもりになった。静山は直心影流の男谷精一郎を薦めようと思っていた。それは男谷精一郎の人柄を考えてのことであった。

飛竜剣

天保十年(一八三九)、静山は八十の大台に乗った。幕府は講武所というものを作る気でいた。その刀術師範に優れた使い手を取り立てることになっているという。静山の学ぶ心形刀流からは伊庭軍兵衛と成井新三郎の名があがっているという。

その新三郎が襲われて手が使いものにならなくなったという。襲った相手は「水上、胡蘆子を打つ、捺着、即転と」と言い残していた。かつて沢庵が柳生但馬守宗矩に贈った言葉である。柳生か…

乱車刀

津軽弘前藩の門に放尿している巨大な男根が描かれた。さきほど四位侍従に昇進したばかりであった。津軽藩が猛烈な贈賄工作によって四位侍従を得たことは世間にも知れ渡っていた。そのためか、津軽は町人から嫌われていた。

もう一つ理由があった。それは相馬大作の一件があったのだ。

静山が他家に自慢している陸尺の三五郎が足首を痛めた。知り合いのおなごが手込めに遭う所を通りかかり、助けようとした所、妙な刃物で足の筋を切られたという。

古風のクナイだ。何人かで襲っており、その時他の連中が頭分をチャベと呼んでいたという。津軽言葉で猫を意味するという。三五郎は南部の生まれで、襲われそうになっていたおなごは相馬大作の内儀だった。

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本書について

秘剣奔る 静山剣心帳
新宮正春
新人物往来社 約二四〇頁
江戸時代

目次

水月刀
杖威刀
無拍子
笹の露
鷹之羽
飛竜剣
乱車刀

登場人物

松浦静山
成井新三郎(阪善右衛門)…心形刀流
名和屋の千次郎
行智…修験者
伊庭軍兵衛秀業…伊庭道場八代目
林述斎…大学頭
水月刀
斎藤弥九郎
泉屋徳兵衛
杖威刀
於鶴年…静山の妻
中野石翁
平作…植木屋
無拍子
伊庭軍兵衛秀業
笹の露
伊刈又之丞…徒士頭
田中伝左衛門
鷹之羽
左近士勘次郎…甲冑師
松平春之丞
男谷精一郎
飛竜剣
内海源七郎
玄安(山田玄兵衛)
乱車刀
三五郎…陸尺
磯子…相馬大作の内儀
間宮玄兵衛

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