新田次郎の「新田義貞」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

★★★★★★★★☆☆

鎌倉幕府を倒した功労者の一人、新田義貞を主人公とした正統派の歴史小説。

後に室町幕府を築いた足利尊氏とは年も近く、ともに源氏の名門の嫡子という共通点もある。鎌倉幕府の倒幕に論功があったのも同じであるが、時の流れに翻弄され、ついには敵対関係になってしまう。

歴史上は、勝者となった足利尊氏の評価が高くなるのは仕方ないとしても、この小説を読めば、新田義貞の真っ正直な生き方に共感できる部分も多いのではないかと思う。

蛇足だが、表紙をもうすこし見栄えのするものに変えれば、興味を覚える人が増えると思う。この小説、内容は面白いのに表紙が地味すぎて、手に取ろうという気にならない。表紙で思いっきり損をしていると思うが如何であろうか。

さて、新田義貞とは運命的というか宿命的、因縁的な関係にある足利尊氏だが、双方の新田氏と足利氏は元々は兄弟関係にあった。

新田氏を興した義重と足利氏を興した義康とは兄弟である。源義家の孫に当たる。義家、義親、為義、義朝、頼朝、頼家、実朝と続いた源氏の嫡流が亡びたため、源流に戻り、義親の弟義国の系統を嫡流と考えることになる。

ここで、義国の嫡子新田義重が浮かび、源氏の正統を継ぐのは新田氏とみなされる。この考えでいくと、新田義貞は源氏の嫡流十三代目となる。

嫡流は新田氏なのであるが、新田氏は没落し、足利氏は北条家と結びつくことにより栄える。

栄えた足利氏は全国にその一族がいる。対して、新田氏は狭い範囲に一族が固まってしまい、結局一族としての力には大きな差が生まれてしまっている。

ここに新田義貞の悲劇の一つがある。

もう一つの悲劇は、鎌倉幕府を倒した後、政権担当能力のない公卿達が政治のみならず軍事にも口を出し始めたことである。

自分たちに政治力も統率力もないのに、妙な選民意識で凝り固まっているから、始末に負えない。

例えば、坊門宰相清忠の言葉。

「…(略)…。保元、平治の乱には、愚かな公卿が武士の合戦に口を出したために負けたという実例があった。…(中略)…。余は愚かな公卿ではない。おそれ多くも主上より宰相の名を賜っている公卿である。…(略)…。」

自分がその愚かな公卿であることすら分からないのは悲劇というよりは喜劇なのかもしれない。

小説の後半は、こうした公卿達の傲慢な言動に腹が立ってくる。威張りくさる姿はどのような人物であろうと醜悪だ。

現在でも同じようなことがいえるだろう。

例えば、某大企業の副社長が空港でダブルブッキングとなっていることを知り、空港の職員に「私を知らないのか!○○会社の××だぞ!」と怒鳴ったという。

そんなもん、知るか!あんたの肩書きは社内では大きなものだろうが、余所では通用なんかしないんだ。考えても見ろ、日本にどれくらい大企業の社長がいるのかを。その社長の名前すら知られていないのがほとんどなのに、大企業の場合一社に複数はいる副社長の名前なんか知るか!

他にも、NHKの大河ドラマで、香取神宮を持ち出したのを、主役の俳優からとってつけたのはいかがなものかと言った評論家がいたそうだが、逆に恥をかくことになった。

調べもせず決めつけてしまったのは、評論する相手(この場合NHKの大河ドラマの脚本家)を下に見た傲慢な振る舞いから生まれているにちがいない。

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内容/あらすじ/ネタバレ

正安二庚子年(一三〇〇)、第八代新田小太郎義貞が生まれた。この義貞の傅役として選ばれたのは母方の伯父・里見基秀であった。

同時に、祖父の基氏も傅役の補佐となり、さらに医者の篠塚龍斎も補佐の補佐という形で三人の傅役がつくことになった。皆、義貞が平氏の北条家の世から再び源氏の世にしてくれるのを願い、期待していたのだ。

義貞は十五の時に元服した。そして、この時に後見人としての執事に船田義昌が選ばれた。船田義昌は一見文弱に流れた武士のように見えたが、馬術、弓術は人並み優れていた。そして、学問は義貞の師として十分なほどの素養を持っていた。

この船田義昌を伴い、義貞は新田庄の隣の足利を訊ねてみた。没落した新田氏に比べ、足利氏は北条家との繋がりも深く、その権勢はおよぶべくもなかった。

本来源氏の嫡流は新田氏であるが、その没落と、北条氏が足利氏を源氏の嫡流と認めたことにより、今日ではそのように信じる者も多かった。

十六の年に義貞は鎌倉へ行くことになった。この時、祖父の基氏は義貞に、鎌倉の全てを見てくるのだといった。やがて義貞が鎌倉へ攻め込む時のために必要だからだ。

鎌倉に着き、足利貞氏に挨拶に行ったところ、その場で縁談がまとまってしまった。相手が相手だけに断ることが出来なかった。相手は安藤左衛門の娘・阿久利である。やがてすぐに阿久利は懐妊する。生まれたのは、後の新田義顕である。

こうした中でも、義貞は鎌倉の津々浦々を知るために余念がなかった。

鎌倉から新田庄に戻ると、すぐに筑波山麓に蟠踞する朝谷兄弟を討てという命令が幕府から来た。この討伐の中で、義貞は朝谷兄弟の非がないのを知り、この兄弟を救うことにした。

また、朝谷兄弟はその戦いぶりに目を瞠るものがあり、義貞は是非とも自分の部下に欲しいものだと思うようになった。

そして、この討伐の中で小田常陸介宗知の娘・美禰を見そめ、正室として迎えることにした。

元応元年(一三一九)、足利又太郎(尊氏)が鎌倉で元服した。烏帽子親は執権北条高時である。そして一字をもらい、高氏と名乗ることになる。

この元服の式の席で、今度花園天皇の後を継がれた後醍醐天皇の話題が出た。学問熱心な天皇ということであった。

一度新田庄に戻った義貞であったが、幕府の命令により、陸奥へ津軽の乱を鎮めるために赴き、それが終わると再び鎌倉へ行くことになった。

鎌倉に着くと、顔なじみの刀屋三郎四郎があわせたい人がいるという。参議の日野資朝である。

日野資朝は後醍醐天皇に挙兵を勧めており、北条氏に不満を持っていると思われる者に接触していたのだ。義貞もその不満を持っている一人と目されていたようだ。義貞はこの誘いには慎重であった。

挙兵の準備は着々と進んでいたが、あることから挙兵が露見してしまい、計画は頓挫する。

この正中の変があったあとも、後醍醐天皇は挫けることはなかった。全国で打倒北条氏を説いて回る天狗講が開かれていた。

義貞が京都大番役を申しつけられた。京では楠正成と知り合った。

この楠正成が倒幕の旗を掲げた。この事は幕府に衝撃を与えた。この反乱はすぐに鎮められたが、その後、各地で挙兵を呼びかける文書が飛び交うことになる。楠正成も時期を待って再び挙兵するだろう。

やがて、各地で倒幕の旗が掲げられるようになり、義貞もついに挙兵する。

鎌倉は義貞の率いる軍勢が苦難の末、陥すことになる。北条氏は義貞の手によって滅んだのだった。

鎌倉幕府が亡び、後醍醐天皇を中心とした政権が動き始めた。だが、論功行賞は実際に戦った武士にではなく、公卿を中心に行われたため、ほどなく武士の間に不満がたまりはじめた。

また護良親王を中心として、足利尊氏を敵視する勢力があり、次第に両者の溝が深まっていくことになる。

そしてついに、足利尊氏が謀叛し、その朝敵追討の大将軍として義貞が任ぜられた。

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本書について

新田次郎
新田義貞
新潮文庫 計約九四〇頁

目次

呱々の声
三人の傅役
足利で見たもの
鎌倉を知り尽くすこと
常陸の美禰殿
副臥の女
陸奥の春
色好宿
天狗田楽
正中の変
一族一体
京都大番役
天皇御謀叛
楠正成
夏つばき
令旨
千寿王脱出
神水の誓
分倍河原の合戦
鎌倉、兵火に焼き尽くすこと
恩賞沙汰
護良親王流刑
中先代の乱
箱根・竹ノ下の合戦
尊氏敗走
勾当内侍
難攻不落の白旗城
湊川の合戦
比叡山風寒し
いたましきかな新天皇
春の二番
灯明寺畷

登場人物

新田小太郎義貞
美禰…正室
阿久利…側室
新田義顕…息子
脇屋義助…義貞の弟
船田義昌…執事
多古義道…義貞の乳兄弟
朝谷太郎義秋
朝谷次郎正義
矢島五郎丸
中曽根次郎三郎
長壁源太
小田常陸介宗知…舅
安藤左衛門…舅
諏訪左衛門尉入道時光
諏訪円忠
新田朝氏…義貞の父
新田基氏…義貞の祖父
篠塚龍斎…医者
里見基秀…義貞の伯父
広神の阿久美
楠兵衛尉正成
足利尊氏(高氏)
足利直義…尊氏の弟
高師直
足利貞氏…尊氏の父
赤松則村(円心)
源常清
安東季長
安東季久
工藤祐貞
後醍醐天皇
護良親王
吉田定房…侍従
千種忠顕
坊門宰相清忠
日野資朝
刀屋三郎四郎
北条高時…執権
長崎円喜
長崎高資
金沢貞将

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